08 Day 1

 車を走らせながら、今年で勤務5年目のアシスタントディレクター、鈴木はどうしてこんな貧乏くじを引く羽目になったのか自問自答していた。

 事の発端は同僚の新堂ディレクターと今朝から連絡が取れない事だった。本来であれば、つい先日に収録が終わったロケについて打ち合わせや編集の予定があったのだが、参加する筈の新堂が空港から自宅へ直帰したきり戻ってきておらず、連絡もなく、無断欠勤していたのだ。

 折りしも、昼から都内各所で発生していた連続殺傷事件という大事件があったばかりで、各局はその事で持ちきりになり、結局ヒマをもてあましていた鈴木に彼の安否確認のお鉢が回ってきたのである。

 不可解なことに、新堂の携帯はコールは出来るが誰も応答せず、SNSや各種連絡ツールにも応答はしない、郊外にある自宅の固定電話、さらに新堂の妻にも連絡しても繋がらない状態であった。かくなる上は直接家に出向いて安否を確認しろ、というのが番組プロデューサーの指示であった。


 道中、多くのパトカーや救急車とすれ違いながらも、鈴木は新堂の家へとたどり着いた。噂には聞いていたが、都心の郊外に新築の庭付き一軒家を建てていた、という話は本当だったようで、立派な邸宅に思わず鈴木は感嘆とした。

 道端に車を留め、玄関のチャイムを鳴らした。反応は無い。躊躇いつつも、二度目のチャイムを鳴らす。

 どうしたものか、と辺りを伺う鈴木は、ふと玄関の脇に鞄が転がっている事に気が付いた。地面を引きずり続けたのか、鞄はぼろぼろになっていた。

 やがて、玄関のドアの向こうから、どたどたと音が響いた。何かが転げまわる音が聞こえ、やがてドアに付いた擦りガラスの向こうに、ぼんやりと人影が浮かぶ。

 鈴木はそのシルエットに見覚えがあった、間違いなく、それは新堂だった。しかし様子がかなりおかしく、まるで酔っ払っているかのような緩慢でおぼつかない動作で、ばんばんとドアを叩くだけだった。

「新堂さん、鈴木です」

 ドア越しに鈴木が伝える、返事はない。

「大丈夫ですか?」

 鈴木が声を投げかけるが、反応はない。やがて、ドアノブが反対側からがちゃがちゃと動き始めた。恐らく、ドアを開けようとしているのだろう。鈴木はそう判断して、ドアノブに手を掛けて開けるのを手伝おうとした。

 ドアノブをひねると、鍵がかかってないのか、すぐに扉が開いた。

 しかし、鈴木の目に飛び込んできたのは、見知ったはずの男の変わり果てた姿であった。鈴木は声にならない悲鳴を上げた。


 ぼさぼさの髪、生気の失せた色の肌、そして気だるげに開かれた双眸。どす黒く変色した血で一杯の口。服は返り血で溢れ、その腹部にはキッチンナイフが深々と刺さっていた。ナイフの柄から滴った黒い血が、床にぽたぽたと垂れている。がくがくと開閉を続ける口からは、何かの肉片がぶら下がっていた――死臭が酷い。

 明らかに生きているように思えない。そんな状態であったが、新堂は口から低い呻き声を上げ続け、焦点の定まらない目を鈴木へと向け、鈴木へと掴み掛かろうとしてきた。

 腰を抜かし、地面に尻餅を付いた鈴木は、はいずるように後ろへと引いていく。その一方で、新堂の背後から、新たな人影が現れ、鈴木は気を失いそうになった。

 それは、新堂の妻だった。いつの日だったか新堂の自慢を聞かされた事があった、元は売れてなかったグラビアアイドルの、10歳年下の美人妻。写真も見せられていた。確かに鈴木は記憶と一致する顔を目にしていた、だが、目の前に現れた彼女は頬肉を噛み千切られ、歯茎と舌が露出していた。寝巻き姿のその腹部からは、赤黒いホースのようなもの――引きずり出された腸をぶら下げていた。

 そして、彼女の片手には小さな足がぶら下がっていた。最初は人形か何かの足だろうと思っていたそれを見て、鈴木はある事を思い出した。

 つい最近、新堂ディレクターに子供が出来た、と。


 鈴木は雄叫びとも悲鳴ともつかない大声を上げて、何とか腰を浮かせて玄関から逃げ出した、一目散に車へと戻った。急いでドアを閉め、キーを回してエンジンを始動させた、映画のようにはならなかった。一発でエンジンが掛かった車は、急発進を始め、新堂の自宅を後にした。

 ドアを開け放たれ、自由になった新堂夫妻だったものは、夕暮れの住宅地のど真ん中へ、次なる食事をもとめて、ゆっくりとした足取りで進んでいった。

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