16 Day 2

 ちくしょう、まるで暴動じゃないか。

 操縦桿を握りながら、眼下に広がる大都会・東京の変わり果てた姿に森田は思わず息を呑んでいた。陸上自衛隊のヘリパイロットである彼は、愛機であるUH-1Jのコックピットから、地上を見下ろしていた。

 都内はパニックに支配されつつあった。各所から火の手が上がり、黒煙の柱がいたる所から上がっていた。道路の多くは渋滞しており、避難を始めている都民たちの姿を肉眼ではっきりと捉えていた。屋上からヘリに向けて手を振る人を何人も見ていたし、ふらふらとした足取りで線路や歩道をうろつきまわる感染者と思しき人影や、それを発見して逃げ惑う人々も多く見かけていた。


 数時間前、感染者の爆発的な増加と発生したパニックに伴い、自衛隊に治安出動要請が下っていた。史上初となる治安出動要請に、隊員たちが緊張している事は目に見えて明らかであった。森田も同じように緊張していたが、眼下に広がる惨状は否が応でもこれが現実の出来事であると突き付けていた。

 森田の後ろ――キャビンには完全武装の自衛隊員が詰めている。彼らの手にした89式小銃には実包が装填されている。上官からの指示さえあれば、感染者に向けて発砲するためだ。

 感染者はすでに「肉体が死んでいる」とされており、厚生省や各医療機関からの見解や警察の報告からは、この人を食う死体――ゾンビを無力化させる唯一の方法は脳か脊髄を破壊するか、頭部を身体から切り離すのみとされていた。厳密には殺人ではない、死体の損壊である。しかし、標的しか撃ってこなかった彼らにしてみれば、紛れもない「人」への銃撃である。全ての隊員が不安を顔に浮かべているのは当然の結果だと言えた。


 森田の任務は、この隊員たちを首相官邸へと運ぶ事。そして、入れ替わりに政府の重要人物を保護し、安全地帯――洋上の護衛艦へと移送するのが目的であった。すでに首相は専用機でより安全な場所へ移動し、皇居でも皇室関係者の救出作戦が実行に移されて成功していた。同じように在日米軍もヘリコプターによる要人移送作戦を開始しアメリカ大使館職員の脱出作戦を行っており、これまでに東京を脱出する何機もの米軍機とすれ違っていた。

 そうこうしている内に、森田の乗る機体は首相官邸へと接近していた。地上には慌しく動き回る警察官やSPが見えており、すでに屋上のヘリポートには警護を受けた“乗客”が搭乗を待っていた。


 UH-1Jが官邸の屋上へと着陸する。すぐに隊員たちが展開し、周辺の警備にあたる。彼らの任務は官邸の防衛である。それと同時に、警護された背広姿の男女――これから避難する政府関係者――が見て取れた。

 早く乗り込んでくれ、と森田は心の中で焦っていた。すでに次の機が着陸を待っており、遅れが出るのはどうしても避けねばならなかった。

 しかし、搭乗前になって1人の背広姿の男――閣僚の1人が、SPや隊員たちに制止された。彼のスーツの袖、そこから少しだけはみ出した包帯を見て、俄かにヘリポートが喧騒へと包まれる。

 ヘリコプターのローター音でもかき消されないぐらいの大声で「どうして乗せない」「乗せられない規則です」と押し問答を繰り広げる中、キャビンのドアが閉められる。離陸の合図を出され、森田は機体を浮上させた。

 ふわり、とUH-1Jが離陸し、首相官邸を後にする。直後、銃声が何発が響き渡ったが、森田はもう何も考えない事を決めた。今はただ、この混沌から少しでも離れたい気分だった。

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