34.私も港へ

 本年の夏も猛暑――。


 その会場には多くのデザイナーに、広告会社デザイン会社などの代表取締役や社長と名乗る人々で溢れていた。

 ガラスケースの中に『瀬戸内フルーツ紅茶』のパッケージが展示されている。

 梓はシックな黒のスーツ姿で、それをまじまじと眺めている。いや、にやにやと言ったほうがいいかもしれない。

「おい、永野。俺、あちらのデザイナーと少し話しているからな」

「はい」

 今日は本多先輩も珍しくスーツ姿。でもありきたりじゃないちょっとカジュアルに崩しているのが、お洒落な先輩らしかった。

 そんな先輩と三好社長に連れられ、今日は福岡市で行われた西日本デザインコンペに参加しているところだった。

 商品販促を目的とした商品のためのデザインというコンペがあり、そこで三好社長が『今年の参加する応募作品はこれとこれ』と選んだのが、本多先輩と梓の作品だった。

 本多先輩の作品はいつものエースとしての出品、梓の場合は――『初めての商品を腕試しで出してみよう』だった。真田珈琲のパッケージを完成させた後も、梓にはチラシに酒造会社の仕事もあったが、今回は梓の初仕事であった紅茶パッケージを出品してくれることになった。

 そのコンペの結果が出そろい、本日はその表彰式。福岡の会場に来ている。

 残念ながら梓はなんの結果も出せなかった。だけれど、今日は応募作品が展示されることになっていて、こんな大きなコンペの大きな会場にこうして自分の作品がライトにあたってガラスケースの中で展示されているだけでも嬉しい。

 『三好堂印刷デザイン事務所 永野 梓』というネームが作品のそばにあって、それを見てるだけでもニヤニヤしてしまう。

 やったー! これで私もお仕事でデザインをしている先輩たちの仲間入り! そんな気分だった。

 それぞれの会社の商品ともいえるデザインが並んでいるため、会場内は撮影禁止。宇部の家族や圭太朗にも見て欲しかったけれど残念。

 ちなみに本多先輩は、またもや『特別賞』をもらっていた。瀬戸内にある小さなデザイン事務所。印刷会社の二代目が起こした小さな事務所に、センスの良いデザイナーがいる。本多先輩の存在感は、西日本のデザイナーの間では知られた存在になっているようだった。

 だからなのか、本州や九州のデザイナーたちに囲まれ、名刺交換などしている。あの人付き合いが苦手なはずの本多先輩が、今日は積極的な営業マンに見えてきて、梓は目を擦ってしまいたくなる。

 三好社長も一緒に来ていたが、社長も同じく、他の会社役員たちと並んで談話をしている。こちらも名刺交換。

 永野の名刺も作っておけよ。自分のデザインでな。

 そう言われて梓も初めて名刺を作って印刷してもらった。

 その名刺を梓はちらっとポケットから出して覗いてみる。

 梓の名刺は電車、そして瀬戸内を往く船を描いた。港の城下町にある小さなデザイン会社の一員です。瀬戸内のおおらかな気候のなかで、この地方の商品のデザインをしています。そんな自己紹介。

 でも。梓は新人、無名。渡すことはなさそうだった。

「これが終わったら……」

 梓はにっこりしてしまう。この名刺を一枚、圭太朗さんにあげよう。まだ内緒で見せていないんだけれど、あげちゃおう。あ、そうだ。おじ様にも、あ、そうだ、定食屋さんにも。あ、そうだ……。デザインの仕事とは関係のない知り合いばかり浮かんでしまう。

「梓――、だろ」

 ひとりでひっそりしていたら、こんなところで梓と呼ばれ驚く。声をかけてくれた男性を見上げて、梓はさらに固まった。

「小谷君……!?」

 スーツ姿の男性は、学生時代の恋人だった彼だった。

「やっぱり。作品の名前を見て、同姓同名かと思ったけれど。ここに梓に似た人が立っていたから……、本人だったんだと驚いて」

「え、小谷君もこのコンペに?」

 ひととおり見て回ったけれど、彼の名前は見つからなかったような気がして、梓はたくさん見てきた作品の広島地域のエリアで何を見たのか必死に思い出そうとした。

「先輩と上司の付き添いで来ただけ。どんなものがあるか参考にしろってね」

「あの広告会社……だよね」

 『そう』と彼が小さく笑った。

 驚いてしまったが、スーツ姿の彼はお洒落な大人の男になっていた。ああ、やっぱり大きな街の大手広告会社のエリートさんは違う。彼も大人になっているんだと惚けてしまった。

「梓、あの本多デザイナーの事務所に行ったんだな」

「本多さんのこと知っているの?」

「そりゃ。コンペの度になにかしら評価されているんだから、うちのデザイナーたちも、今回も本多さんがどんなものを出してくるかと注目していたぐらいだよ」

 そんなに凄いんだ――と驚いた一方で、知らなかった、小さな事務所の変わり者の先輩と毎日一緒にいて気がつかなかったけれど、凄い先輩に指導してもらっていたということに、今更ながらに痛感させられた。

 そして彼が梓が自分で見つめていた三好堂印刷デザイン事務所の展示物があるケースを覗き込んだ。

「真田珈琲て、あのレモンのおばあちゃんのマーマレードでヒットした会社だろ。そこのパッケージをするなんて凄いじゃないか」

「その、たまたま? 急にやれって本多さんに言われて。私もびっくりしたんだけれど、真田さんがたまたまラフを気に入ってくれて……」

「俺なんて、まだ一度もこんな仕事させてもらってねえよ。アシスタントばっかりだ」

 梓の胸がズキンと急激に痛む。いつかと同じ場面が……、そう圭太朗がそうだったように梓もいまタイムマシンに乗ってしまったんだと思った。

「そう……だよね。小さな事務所だから、私みたいな駆けだしでも、仕事が回ってきたかも知れないよね……」

 彼もそう思っているのか、梓が先に賞を獲ってしまった時と同じ顔をしている。俺のほうが大手に浪人せずに就職したのに、俺のほうが実力もセンスもあるのに。そう言いたげだった。確かに彼の広告会社も毎年誰かが受賞をする実力ある会社だった。並み居る先輩がいて、彼の若さだとなかなか仕事はないのかもしれない。

「永野?」

 今度は本多先輩が来てしまった。

「誰」

 またいつものぶっきらぼうな様子で、梓のそばにいる元カレを、何故か睨み倒している始末。

「大学時代の同級生です。久しぶりに会って話していました」

「へえ、そうだったんだ。あ、おまえ、あちらの方たちが、おまえとも話したいというから来いよ」

 先程まで先輩が囲まれていた大人っぽいデザイナーの集団がこちらを見てにっこり微笑みかけてくる。

 あそこだけ超ベテラン、プロ、ハイセンスのプライドの空気が漂ってる。

「え! 滅相もない!! 新人で駆けだしだから勘弁してください。無理です!」

 なのに元カレの目の前で、大人っぽく着込んできた黒いスーツの襟首をひっつかまれた。

「上司命令だ。わかってんのか、おまえ。デザインやってりゃそれでいいってもんじゃねーだろ。あっちこっちアンテナ張ってな、情報収集するんだよ」

「そ、それ。本多さんが言うの変です。いつもそういうおつきあいめんどくさがるくせにっ」

「はあ? 俺はなデザインのためならめんどくせーことはできるんだよ」

 あ、そういうことかと梓も目が覚める。そうだった。この人、デザインのためなら嫌そうなことでもやる人だったと。

「俺が作った人脈の中に入れてやろうってんだから、来いっつーの。この俺が、そういう気持ちになんのはアシスタント……、じゃねえ、後輩のおまえだけだっつーの。わかってんのか、こら。後輩を育ててるっての証明させろっていってんだよ」

 アシスタント……じゃない、『後輩』と言ってくれた? そして育てている後輩として、ライバルたちに紹介したいと言ってくれている?

「あ、同級生さん。ごめんな。また連絡してやって」

 強引すぎて、梓は掴まれている本多先輩の手を掴んで離してもらう。

「行きますから! だからあと少しだけ、彼と話をさせてください」

 なにかわかっているかのような目で本多先輩がじっと梓を見下ろしている。

 しかも、何か察してか、元カレのほうへと視線を向けた。

 大手に就職したエリートの雰囲気を持っている若い彼でも、本多先輩のほうが堂々としたファッショナブルなデザイナーの威厳を放っていた。

「こいつだけな。変わり者で自分勝手な俺の、しょうもない指導を何年も続けて来れたヤツ。大事なスタッフだから、ちゃんと返してくださいよ」

 ふいっとジャケットの裾をひるがえして、また元のプロフェッショナルぽい集団へと戻っていってしまった。

 小谷も唖然としていた。

「俺、本多さんてもっとこう、お洒落な、その……大人の……」

「うん、わかってる。小谷君が言いたいこと、すごくわかるから……」

 きっと本多先輩のデザインの雰囲気から持ってくれたイメージなのだろうけれど、元カレの目の前で良いこと言ってくれたのに、変わり者の性分をこんな会場でも発揮してくれて梓のほうが気恥ずかしくて頬を熱くしていた。

 なのに。表情が堅かった彼が笑った。

「そっか。梓も厳しかったんだ、先輩」

「うん……、すごい変わり者で、何を考えているか解らなくて、ほんと自分のペースだけで仕事をしていて……。いつまでこれが続くのかなと思ったら、去年の秋に急に仕事を振ってきたの。これは俺ができないデザインだから、永野がやれって。もうびっくりして、急に自信がなくなって、一度どーんと落ちてぐちゃぐちゃになったよ」

 きっと彼もいま同じところにいると思った。彼が思ったとおり、梓には幸運があったかもしれない。みつけた事務所にセンスがある先輩がいたこと、先輩と上手く行くように気遣ってくれたやり手のマネージャー女史がいたこと、のびのびと仕事をさせてくれる個人経営のおおらかな二代目社長がいたこと。小さな事務所だから仕事がまわってきたかもしれないこと。クライアントが全国区で知られている珈琲会社だったこと。そして――、自信をなくした時、仕事だろやらなくちゃならないだろとシビアな言葉で梓を立たせてくれた船長さんと出会ったこと。それらがなければ、梓だってつい最近まで目の前と彼とおなじ状態だった。

「急に来ると思うよ。先輩は見ていると思う。急に来た時にひとりでできるようになるには、アシスタントの時に学んだこと全てが必要だったよ。下準備にスケジュールの調整とかデザインと関係ないものも全部。いましかできないよ」

 彼がハッとした顔になった。

「小谷君の商品も見てみたいよ。またこのコンペで会えるようにしよう」

 また彼に対して偉そうだったかなと、梓は黙り込んでいる彼を見て不安になる。

「俺も、もう少し続けてみる」

 その返答に梓はほっとする。そして、やっぱり彼も行く先不安になっていたようだった。

「このコンペに連れてきてもらえたんでしょう。見込みがあるからなじゃいの。ほかに一杯いるんでしょう若いデザイナーさん、でも小谷君を連れてきてくれたんでしょう」

 彼もそこは自覚できているのか「うん」と頷いた。

「大きな会社だもん、でも来た時は大きいと思うよ」

「うん、そうだな。なんか、梓に会えてよかった」

「私も、だよ」

 本当はまだ心が痛い。でも、これで心の中にあった棘が抜ける気がした。もう若い別れをした恋人同士ではなくて、これからは切磋琢磨できるデザイナーとして会える気がした。

「いま、いるのかよ……」

 彼の小さな問いに梓は首を傾げる。

「いるって?」

「男」

 そんなダイレクトに聞くのかと梓は面食らった。

「えっと……、小谷君は……?」

「職場に同期入社の子でいたけれど、できる先輩に乗り換えられた」

 あー、大きな会社でよくありそうな恋愛模様だなあと思いながらもどう答えて良いかわからなくなる。

「まさか、あの本多さん……とか」

「わー、絶対にあり得ないから!」

 また本多先輩との仲を疑われていてびっくりする。まあ、それだけ一緒にいるし、本多先輩がなんだか誤解をされるような先輩風情をみせるからかもしれない。けど! あり得ない!

「なんだ、違うんだ。だったらすごいなあの後輩愛。俺、睨まれた時に男として睨まれたのかと思った」

「あ、ありがたく思ってるけど、たまに凄いライバル扱いされてそれはそれで面倒……。たぶん、一緒に仕事しやすい同業者だからだと思うよ」

「そうか。そっちの街に行ってからはまったく? たまに会うヤツらが永野はまだ誰もいないみたいだと言っていたんだけれど……」

 彼が少しずつ梓の反応を伺っているように感じた。だから、梓もここではっきりと告げる。

「いま、船乗りさんとつきあってる」

「船乗り?」

「うん。船長さん。ひとまわりも年上なんだけれど……」

 さらに梓は告げる。

「もうすぐ、結婚するの。その人と」

 今度は『え!』と彼が声をあげた。

「結婚、すんのかよ。マジかよ!」

「うん。あ、そのうちに同期の女子組に伝わっていくと思うから。そちらの男子組にも伝わっていくと思うよ」

「そうか。あ、じゃあ、今度、同期会でも開いてお祝いするか」

 今度は梓が驚いて面食らった。そして小谷も気がついた。

「あ、元カレがいたらだめだよな」

「え、わ、私はいいけれど……」

 もう、いいね。私も暗い海を抜けて、朝の港へ行こう。梓はそう思って。

 ポケットから名刺入れを取り出して、一枚、彼に差し出した。

「今後ともよろしくお願い致します。三好堂の永野です。小谷君が名刺一号ね」

 また彼が驚いた表情のまま止まった。でも、少しして彼も名刺を取り出してくれる。

「小谷です。いただきます」

 彼が名刺を受け取ってくれた。

「同じ大学の同窓生、頑張ろう」

「うん。梓もまた、コンペに出てこられるようにしろよ」

 そして彼が梓がデザインした名刺を見て笑った。

「梓らしいな。やっぱ鉄子のままだった」

「船乗りの奥さんになるから、電車の他に船も一緒にね」

 そう教えると、彼がまた笑ってくれた。

『永野!』

 機嫌の悪い先輩の声が聞こえ、梓は慌てる。

「小谷君も一緒に行こう」

「いや、俺は……」

 いーから、いーからと梓は同期生の手を強引に引っ張っていく。

 彼も一緒に本多先輩がいるデザイナーの輪に連れていって、一緒に新米のご挨拶。実は同窓生ですと話すと、小谷の広告会社のデザイナーさんも一緒にいて『なんだよ。三好堂に同期生いるなら言えよ』と彼も先輩たちと一緒に談話の中に入れた。

 これからは同窓生の同業者。ライバル会社にいても励まし合ってやっていこうね。


   

 

 コンペが終わったその夜。梓は先輩と社長と一緒に福岡から小倉へ移動。

 小倉港にいた。


 夜の港は暗い空と海なのに、たくさんの灯りに溢れている。

 見上げるそこには、松山観光港行きの客船フェリー。

 今夜、彼が乗っている、彼の船に乗る。乗って、私たちの港に一緒に帰る。


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