2.若い女の子、久しぶり


 そのテーブルには既に、本多先輩が仕上げたデザイン画が置かれている。

「これですか。本多君」

「はい」

 真田社長は椅子に座るとすぐにそのデザイン画を手に取った。

 本多先輩と琴子マネージャーも正面の椅子に座った。

「瀬戸内らしい、でもやわらかくやさしい安らぎを与えるものを――というご要望にて、このように仕上げてみました」

 いくつかのカットを並べたものを本多先輩が提示する。

 彼らしい洗練されたラインとハイセンスなもの。どんなに行き詰まっても、十数点のカットやイメージラフを期限までにひねり出せるその能力を間近で見てきた梓は感嘆してしまう。

 今回も大人っぽくてお洒落。どこか外国のものに見える。

 梓はアシスタント。琴子マネージャーに教わったとおりに紅茶を煎れて、それをお客様と先輩たちの分と持っていく。

 お茶を持っていくと。テーブルの雰囲気が一変していた。

 いつも会話が弾んでいる商談で、真田社長も『さすが本多君、これいいな』と嬉しそうにラフを眺めるはずなのに黙り込んでいて、本多先輩も自信に満ちた顔で仕上がりについて多弁になるのに黙っている。

 琴子マネージャーも神妙な面持ちだった。

 その雰囲気に緊張しながらも、梓はなにもできないアシスタントなのでお茶だけ置いてそっと後ろに退いた。

 でも。あとひとつ。お茶を届けなければならない。その人は商談のテーブルにはついていなくて、事務所の玄関付近でうろうろしている。

「松浦様、よろしければお茶をどうぞ」

 声をかけると、彼が振り向いた。

「ありがとうございます。これ、こちらのデザイナーさんの作品なのですか」

 玄関先にそれまでのデザイナーが手がけた商品パッケージなどを展示している壁にケースを置いている。彼がそれを眺めていた。

「そうです。先輩方がいままで手がけてきたお仕事です」

「ふうん。叔父の真田珈琲の商品も多いですね。あとはカメリア珈琲さんも……」

「どちらもお得意様なんです。特に、島レモンのおばあちゃんと呼ばれている興居島の二宮カネコさんが、本多のデザインを気に入ってくださったので、レモンの製菓企画があると真田さんからもカメリアさんからも依頼あるんです」

「なるほど。あのレモンのおばあちゃんが、あのデザイナーさんがお気に入りなんですね」

 淡い水色に白いストライプのシャツ、そしてデニムパンツ。ごくごく一般的なメンズカジュアルスタイルの……おじさん? 生活感が、梓には感じられなかった。

 あんな年代もののかっこいいスポーツカーに乗ってきたせいかもしれない。それに、シンプルだけれど、どことなく爽やかさの中に男性の色気も感じた。

「車屋さんのステッカーもあるんだ。これ、街中でよく見かけるな」

「そちらも、滝田モータース、龍星轟という車屋さんでお客様に配っているステッカーなんです。それもうちの本多が手がけています」

「へえ。人気デザイナーさんなんだ。まあ、あの気難しい叔父が気に入ってるのだから、やっぱりそうなんだろうね」

 そう、仕事に対して孤高の精神を持つところ。そっくり。梓もそう思っているけれど、クライアントのご親戚なので余計なことは言わず胸に秘めておく。

「君のはどれ」

 真顔で聞かれてしまい、梓はちょっと目線を逸らしてしまう。

「まだアシスタントで修行中なんです。単独のオーダーはまだやったことがありません」

「あ、そうなんだ。……でも、これから楽しみだね」

 取り繕ってくれたのだろうけれど、大人の男性の笑みだったので、梓も嫌な思いはなかった。

 お茶、いかがですか――ともう一度尋ねると、すぐそこにある玄関のソファーに彼が腰をかけてしまう。

 テーブルはないけれどここでいいよと言ってくれる笑顔が大人の微笑みだったので、梓もそこでティーカップだけ手渡した。

「セリカにずっと乗っていらっしゃるのですか」

「うん。ずっと。陸にいることが少なかったから、買い換えることなく何十年もそばに置いてしまったんだ」

「陸にいることが少ない……、ですか?」

 彼が紅茶を飲みながら、さらっとひとこと。

「海運業なんだ。海上にいることが多いんだ」

「え、船乗りさんということですか」

「船乗りさん、か」

 彼が楽しそうに笑った。

「かわいい呼び方をしてくれて、ちょっと和んだかな」

「え、そうでしたか? 申し訳ありません、えっと、船員さん……ですか」

 また彼がおかしそうに笑った。

「久しぶりに若い女の子と話したからかな。全部かわいく聞こえる」

 おじさんのような大人の男性に『かわいく』と言われて梓の顔が一気に熱くなった。

 自分も『かわいい』なんて言われたのは久しぶりすぎたから。

「あの、あの、どのような船に乗られているんですか。タンカーとかですか、それとも……」

 乗り物は好き。鉄道マニアである父の影響。梓の名前は、名字が永野だったため、長野の特急『あずさ』から付けられたほど。父だけではなく、祖父も乗り物マニア。梓は娘ながらその影響を存分に受けていた。

 だから本多先輩が『鉄子』と呼ぶほど。

「俺がいま乗っている船のこと? それともいままでの……」

 船は遠くからしか見られないから未知の世界。鉄子の血が騒いだその時。

『永野!』

 本多先輩の声が接客テーブルから聞こえてきた。

 社長の甥御さんに一礼をして向かう。でも彼もティーカップ片手についてきた。

 真田社長はまだ難しい顔をしていた。それは本多先輩も琴子先輩も変わらず。

 やっぱり空気がおかしい。そんな場に梓は呼ばれてしまい当惑する。

「永野、おまえのスケッチブック持ってこい」

 はい? どうしていま? 訳がわからなくて首を傾げてしまったが、本多先輩が怒鳴る寸前の眼光を向けてきたのでびっくり背筋が伸び、梓は制作ブースまで一目散に向かった。

 なんであんなに苛ついているの? 真田社長も怖い顔で黙っているの? 琴子先輩も残念そうにうつむいていたの?

 まさか。本多先輩のあのイラスト、カット。気に入らなかったの? そんな空気だったが信じられない。


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