3.父は鉄道マニア


 本多先輩のデザインは洗練されていてお洒落で、この界隈では一目置かれている。少し前の西日本のパッケージコンテストでも入賞していたほどなのに?

 それでも梓はスケッチブックを持っていく。こんならくがきばっかのスケッチブックどうするつもりなの? 不安しかない。

「お待たせいたしました」

 スケッチブックを本多先輩に差し出すと、彼がすぐにめくってしまう。あるところを開いて、まさかの、真田社長に見せてしまう。

「これ、いかがですか」

 え、なにこれ。どういうこと? なんで私の習作みたいなイラストが社長に見せられているの?

 しかも、真田社長も面食らった顔をしている。そりゃそうだ! いま社長が見ているところ、梓の趣味で『乗り物』ばっかり。もっというと『鉄道ばっかり』! しかもがっつりリアルに写生したもの。イラストなんかじゃない。

「鉄道、かな。これは、特急いしづち――ですかね」

 真田社長の戸惑うひとことだったが、本多先輩は真剣に語り始める。

「彼女の父親とおじいさんは乗り物マニアで、彼女もしっかり影響されているんです。梓という名も長野の『特急 あずさ』から付けられているほどです」

 真田社長がそこに立ったままの梓を『ほう』と座っているそこから見上げてくれる。この怖い社長さんにじっと見られるのは初めてで、梓は硬直した。

 そして本多先輩は『次、めくってみてください』と真田社長にお願いする。社長がめくって、また面食らった顔になったが、今度は眼鏡の奥の目がじっとそのイラストに釘付けになった。

「リアルに描けば硬くなりがちの鉄道を、彼女はそのように描きます」

「ふむ、」

 鉄道車両をリアルに写生することも好きだが、イラストレーターは『デフォルメ』する技を要求される。だから梓はリアルに描いて満足した後は、それらをキャラクター化するかのように、まるっこいイラストに変化させる。それをいま真田社長が食い入るようにみている。

 甥御さんの彼も、ティーカップ片手のまま、叔父が座っている後ろに立って覗き込んだ。

「あ、これ……」

 彼が指さしたのは船のイラスト。

「船もあるんだな。私のアルファロメオもある」

 真田社長がいつになく嬉しそうに笑った。事務所の駐車場にとめてある時に描いたことがある。そこに駐車した車はたいていスケッチしてきたから。フェアレディZに、スカイラインR32とか、シルビアとかいろいろ。

「次もめくってください」

 その次のページには女の子らしい小物を描いている。本多先輩に『鉄ものばっかり描くな。乙女な小物で描いてこい』と宿題を出されて描いたものだった。

 それには真田社長は黙り込んでしまった。

「自分は、真田さんの仕事をやりすぎました。今回のイメージですが、真田さんで『瀬戸内フルーツ紅茶』を出したいという事でお引き受けしましたが、俺のデザインはどこか男であって、どことなく丸みがなくなっているのでしょうね」

「そんなことはない。ただ、おなじイメージで本多君に描いてきてもらたったので、ここでひとつ違うイメージでと頼んだのはこちらだよ。真逆でくるかもと構えていたし、いままでどおりにカネコさんが好きな爽やかで柔らかなイメージでありながら、新しいイメージを作りだしてくれるかもしれないと楽しみにしていたのも確かだがね」

「そんな真田社長に意向をわかっていながら……、こんなブレたものしかお届けできず無念です」

「いや、まだこれと決めたわけではないのだから」

 まだこれは初稿。パッケージになるまではまだまだ話し合いを煮詰めて行かなくてはならない。まだこれからこちらの意向に合わせてくれたなら間に合う――と社長は言っているのだ。

 それでも本多先輩は苦々しい表情で首を振った。

「これではないかと、思っていたのです。ずっと」

 あの本多先輩が梓のスケッチブックをずっと直視している。

「真田社長がよろしければ、永野に描かせて頂けませんか。そろそろ一人立ちの仕事でデビューさせてあげたいと思っていたところです」

 梓はびっくり仰天して言葉を失う。私が! この事務所でもいちばんのクライアントと言っても過言ではない真田珈琲の新商品パッケージの仕事を!?

 む、無理です! と食ってかかろうとしたが、本多先輩が真田社長へと熱弁を始めてしまう。

「もちろん。彼女は未熟です。そこは自分が徹底的に指導してアシストします。試作のサンプルだけでも、一度だけでもいいので試しに描いたものを見て頂けませんか」

 しかも本多先輩は隣に静かに座っている琴子先輩を見た。どうしたことか彼女は梓と違って、落ち着いていた。

「いいよな。琴子……じゃない、滝田マネージャー」

 彼女が溜め息ひとつ。でもこちらも真顔で言った。

「いいわよ。本多君が責任持って指導してくれるのなら。三好社長に伝えておく」

「いかがですか。真田社長」

 俺のデザインは俺の世界。誰にも邪魔はさせない。口出しするな。そっとしておいてくれ。俺には俺の考えがある。そんなプライドが高いイラストレーターとしても有名な本多先輩が……。梓を試してくれと、あの真田社長に頭を下げている。

 あり得ない光景に梓はただただそこに立ちつくすだけだった。

 そして真田社長の答は。

「わかりました。スケッチだけで心が動いたので、一度、そちらの梓さんが作ったものを見させて頂きます」

「ありがとうございます!」

 目の前で、クライアント社長と上司(先輩)の意向だけで決められてしまった。言い返す隙も与えられなかった。何故なら、男ふたりがもうあの『孤高のプライド』をぶつけあうような話し合いを始めていたからだった。

 もっと丸みがあって、女性が思わず手に取りたくなる。でも瀬戸内らしいかわいらしいものをお願いします。

 真田社長が最後に梓に言い残して言ったことがそれだった。

 事務所玄関で、真田社長と甥御さんを見送ろうとした時だった。

 叔父様の社長と琴子マネージャーが話し込んでいるところに、まだ呆然としている梓に船乗りの甥御さんが話しかけてくれる。

「はじめての仕事、できたね。頑張ってくださいね」

 にっこり大人の優しい微笑み。梓も『ありがとうございます』とまだ落ち着かぬ気持ちのまま言葉を交わして別れた。

 黒いセリカが三好堂デザイン事務所を去っていく。

 クライアントの親戚としてきただけの人。少しだけ言葉を交わしただけの人。梓の中はもう『無理難題のお仕事』が急激にやってきて、プレッシャーで押しつぶされそうになっているだけだった。


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