11.おかえりなさい、船長さん


 ついに。デザイナー専用のブースデスクをもらえた。

 翌日から梓は本多先輩の隣のブースでイラストの仕上げに入った。

「色塗り終わったら見せてみろ」

 本多先輩にそう言われ、梓もはりきって専用デスクのパソコンモニターに向かう。

 下書きをスキャナで取り込んで、制作用ソフトにアップする。そして色塗り。いまやデジタルで絵を描けるようになった。そしてデジタルで四色印刷の色版に分離もしてくれ、そのままデジタルデーターで印刷所へ。すべてがデジタルで流れていく。


 数十年前までは、デザインしたものは版下という画用紙に貼られ、フィルムで撮影し、デザイナーが指示した四色色分けの原稿を参考にして、写真製版部署がモノクロフィルムでレタッチ作業。黒、黄、赤、青とモノクロで分離作業。四版色分けしたフィルムをそれぞれの色で刷る、四隅の「十字印」トンボ(十)と呼ばれる印で四色(四枚)重ねると、指定した色合いのカラー印刷が出来上がる。その四色フィルムを使って印刷所で一枚の紙に四色インクで刷り上げる。これが昭和の印刷技術だった。それがいまはこうしてデジタル処理で進んでいる。


 梓も本多先輩も、元は手描きがあたりまえのイラストレーター。本当は絵描きとしては、スケッチに手先や指先、鉛筆や画材の感触を感じながら繊細な風合いを出すのがしっくりするし慣れている。

 それでも現代の仕事の流れでは、どうしてもパソコンと業務ソフトを用いたデジタル処理から逃れられない。

 梓も最初はデジタルペンがどうしても慣れなくて、パソコンの画面での『塗り』もわからなかった。『レイヤー(色塗りした画面)』を幾重にも重ねて繊細な表現をすることも意味がわからなかった。『画用紙でも重ね塗りをするだろう。あの繊細さはレイヤーで……』と本多先輩に教わり、最初は塗り絵のような課題をだされ練習をした。一年もすると慣れてきて、次第に本多先輩の色指定で彼独自の表現が必要ない箇所は梓がアシストとして塗りを手伝った。

 だから、色塗りもだいぶわかってきていたから、梓はひとりで作業を黙々と続けることができた。

 昼休みまであっという間だった。でもまだ『朝のレモン』と『お昼のピーチ』しか出来上がっていない。

 それでも近くのカフェでランチをしながら、改めて思った。『いままでの手伝いが全て役に立っている』と。本多先輩の周りでやっていた雑用とアシスト業は、梓がひとりになって作業するとしても全てが必要なことだった。

 当たり前のことなのに……。独り立ちがいつまでもできないと思っていたのに……。アシスタントという仕事しか与えられない……と思っていたのに。すべてが今のためだったと痛感していた。

 口悪くて、とっつきにくい先輩だけれど。ちゃんと扱ってくれていたんだと感謝が湧いてくる。しかも、こんなチャンスまで与えてくれて。行く先不安だったけれど、踏ん張ってよかったと、いま梓の目の前が明るい。

 明るいのは仕事だけではなかった。

【 明日、松山港に帰港したら上陸です。また連絡します 】

 昨夜、小倉の港を出港した後、夜の関門海峡、関門橋がライトできらきら光っている画像を送信してくれた。

 昨夜、小倉を出航。夜間航行の後、今朝、松山観光港に入港したはず。連絡はなかったけれど、船員入れ替え引き継ぎなどで忙しくなると前もって聞いていたので、梓も仕事に集中する。

 なによりも。思うままにイラストを仕事で描ける充実感が、よりいっそう梓に集中力を持たせた。


 夕方までには、おおざっぱではあるがイメージラフが完成する。

 本多先輩の判断は――。

「よし。これでいこう。真田さんと約束の日までに間に合ったな。あとは真田さん次第だ」

 今度は師匠の先輩ではない、本物のクライアントに判断される。それはそれで梓はまた緊張してきた。しかもあの狼社長と言われている、信念も強く仕事にもシビアな真田珈琲社長。

 それでも本多先輩がいつもの睨むような怖い目で梓に言った。

「でも。俺は行けると思う。きっと真田さんは気に入るはずだ」

 そういう目で言う男は、ほんとうに仕事のことに命を賭けているかのようだった。そんな怖い目で認めてもらえたのも、推してもらえたのも初めての感覚ですぐに反応できなかったが、だからこそ梓は『仕事ができた』と実感することができた。

 仕事をする男の人て、本当はあんなに強い顔をするものなのだなあと、本多先輩と真田社長を見ていると思う。三好堂の二代目、ジュニア社長だって、普段は明るくてちょっとチャラけたムードで周りを和ませるのに、デザインを見極める時は寡黙で怖い顔になる。琴子マネージャーの旦那様、龍星轟を営む滝田社長は元ヤンでそれでなくとも黙っていると怖い顔をするけれど、事務所に駐車してあるジュニア社長のセリカの状態を見て欲しいと言われた時の、車を見つめる目はやっぱりどの真剣な目とも違う、瞬間きらっと光るように梓には見えることがある。

 そんな仕事をする男たちを側にして、梓は最近思う。

 船長さんもブリッジではあんな怖い目をしているのかなと。

 いやきっとしている。送られてくる海の画像にはいつも側に別の船が写っている。小さな漁船から、大きなタンカー、貨物船。他社の客船フェリーなど。特に関門海峡あたりの写真は船の渋滞を思わせた。

 海峡を抜けるまでの間は、彼もブリッジで船を守るための男の眼をしているに違いない。

 まだ想像できないな……。だって、お兄さんみたいに優しいんだもの。梓はそう思いながらも、仕事をする彼の姿を想像してみたりした。

 その夜だった。

【 無事、上陸。港近くの社宅に帰宅しました。疲れたので少々疲れを癒します。約束のことですが、ちょうど明後日が土曜日ですね。事務所はお休みだと思うのですがいかがですか 】

 船長さんが帰ってきた! 梓もすぐに返信をする。

【 おかえりなさい。二十日間の乗船、お疲れ様でした。土曜日はお休みです。入浴剤、持っていきますね 】

【 梓さんも、お疲れ様。では、真田珈琲本店でいかがでしょうか。叔父の店ですけれど…… 】

【 大丈夫です。松浦さんの休暇のお楽しみですもんね。私も真田さんのお店に行くのは久しぶりなので楽しみです 】

 市内中心、お城山が見える繁華街にある真田珈琲本店で会う約束をした。


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