14.叔父様の涙
松浦船長が乗船するまであと数日。週が明け、梓はついにその日を迎える。真田珈琲の社長が三好堂デザイン事務所にやってくる。
「出来上がりましたか」
お店でバリスタの格好をしていた時とは異なり、今日はいつものスタイリッシュでニヒルな男性の姿でやってきた。
今日は梓も同席させてもらう。代わりに琴子マネージャーがお茶の準備をしてくれていた。
真田社長の正面に、本多先輩と梓が並んで座っている。
梓が仕上げたイメージラフがテーブルに並んでいる。それを真田社長が手にとって眺める。
縁なし眼鏡、奥の黒目が厳しくなったのを見る。梓も緊張しているが、本多先輩も緊張しているようだった。
「いかがでしょうか、社長。永野が思いついたものです。テイストと味わう時間をリンクさせてみました。朝がレモンなどは永野のイメージですが、真田さん側でイメージがあれば海の時間とテイストを組み替えます」
「どうしてこのイメージで?」
本多先輩が説明しようと身を乗り出したが、真田社長が手で制した。そして梓を見ている。描いた者が説明せよという目線だと梓も気がついた。
今度は梓が背筋を伸ばす。
「季節や時間帯によって海の色は異なります。それで時間を表現してみました。お茶も、窓辺でゆったり匂いや窓辺の色合いを感じながら味わいたいものです。そのイメージから、ご用意されているテイストと一日の時間を組み合わせてみました」
「なるほど。朝はレモン、昼はピーチ、アフタヌーンはマロン、夕は柚子、夜はオランジュか……」
少し不精ヒゲがある顎を真田社長が撫でながら、唸っている。異存があるから唸っているのか。
でも梓は不謹慎ながら、真田社長の顔を見れば見るほど『やっぱり船長さんに似ている』といつにない親近感を持ってしまった。
「テイストと時間に異存はないですね。これでお願いします。気に入りました」
即OKが出たので、梓はびっくりてしまう。それは隣にいる本多先輩も同じ。こんなすんなり行くなんてと驚愕している。
でも次にはもう先輩は次に進もうと、いつものクールな硬い顔に戻っていた。
「では次はパッケージを選んで頂きます。それによって、このイメージラフのカットを作って行かねばなりません。いくつか候補をお願いします」
本多先輩が前もって紅茶に相応しいパッケージを選んでくれていたので、それが真田社長に提示される。
「ありきたりな立方体の箱は避けたいですね。できれば、中身が少し見えるよう丸窓のカットをしていただきたいんですよ。というのも、今回のフルーツ紅茶の特徴ですが『ドライフルーツ』を入れることなんです」
そのドライフルーツが見えるような窓をカットして、そしてイメージできるイラストが欲しいとのことだった。
「紅茶のレシピは決定しているので、今回はその完成したものを置いていきます。召し上がって頂いてイメージの参考にしてください」
透明な袋に既にパッキングされた紅茶を真田社長がテーブルに置いてくれる。
オレンジとレモンの紅茶には皮を乾燥させたピールと輪切りのドライフルーツが一枚入っていて綺麗だった。
「輪切りのドライフルーツが入るんですね」
お砂糖がついているドライフルーツをみただけで、梓は美味しそうと微笑んでしまった。真田社長も嬉しそうに目元を緩めてくれる。
「そうなんですよ。砂糖がついていますから、そのままお湯を注ぐだけで、香りと多少の甘みを味わえるようになっています。ただしひと袋一枚だけなんですよ。輪切りはレモンとオレンジだけなんですけれどね」
ピーチとマロンは果実のドライフルーツ、柚子はピールのみを多めに入れたものということだった。それでもこれなら買って飲みたくなると梓なら思う。
「これ販売されたら絶対買います。宇部の実家にいる母にもお土産にしたくなります」
「女性の梓さんがそうおっしゃるなら間違いないですね。自信が持てました」
こんなところは職種は違っても、ものを作って提供する気持ちと不安は同じなんだなあと梓は感じてしまった。
琴子マネージャーもお茶を持ってきて、椅子をひとつ、梓のそばに置いてそこに同席した。
「琴子さんいかがですか」
真田社長は琴子マネージャーの意見も欲しそうだった。
「見た目だけでも素敵ですね。また楽しみです。私も母も真田さんが売り出すお茶にお菓子は毎回楽しみにしていますから」
さらに真田社長が安堵した笑みになる。如何にも『女子』である琴子先輩が欲しい綺麗楽しみというなら間違いないといいたそうだった。
イメージラフにOKが出て、パッケージの候補も数点決まった。これからそのパッケージに合わせたカットを準備する段階に入る。
この日はそこで真田珈琲との話し合いは終了した。
カップの紅茶を味わっている真田社長が帰りの準備を見せ始めた時だった。
「本多君、琴子さん。申し訳ない。梓さんとプライベートの話をここでさせてもらっていいですか。二人にして頂けますか」
突然の申し出に、本多先輩も琴子先輩も仰天して梓を見た。でも梓にはすぐにわかった。『甥御さん、松浦船長の話だ』と。
「うちの永野がなにか……」
琴子マネージャーが心配そうに伺った。
「いえ、なにも迷惑とかそのようなことではありません。ですが、梓さんにも大事なことなのでお知らせしておきたいことです。ほんとうにプライベートなのです。それならば、改めてお会いする約束をさせていただけますか。梓さん」
梓が考えあぐねていると、琴子マネージャーから告げた。
「いいえ。こちらでどうぞ。本多君、行きましょう」
本多先輩も心配そうだったが、琴子先輩と一緒にデザインブースへと退いていった。
三好社長は出掛けているので、接客用のテーブルに真田社長と梓は向き合い二人きりになる。
「先日は当店へのご来店ありがとうございました」
「いいえ。幻といわれている真田社長が淹れてくださったアイリッシュコーヒーに出会えて感激でした。松浦船長と一緒だったから出会えたものでした。とても美味しかったです。また頂きに参ります」
「店の者も同じように淹れられますから、是非」
それでも幻と言われるからには、やはり違うのだろうなと梓は思っている。
「圭太朗のことですが」
いつも威風堂々としている真田社長らしくなかった。どこか申し訳なさそうにしている。
「お付き合いをされていると思ってもいいのでしょかね」
やっぱりそう気になるよね――と梓も思う。それにいい歳した甥っ子がわざわざ叔父様に報せるはずもなく。でも叔父様は息子を心配するように案じている。
「いいえ。そのような関係ではありません。今は……。でも、私はまた船長さんに会いたいと思っています」
これからどうなるかわからないし、隠してもいつかわかってしまうことだろうと思い、梓は自分の気持ちだけ素直に伝えていた。
「あんなに楽しそうにしている圭太朗を久しぶりに見ました。港にスケッチに行かれていたそうですね。そこで乗船前の圭太朗と偶然会ってから話すようになったということだけ聞いています。ですが、圭太朗のあの顔を見てしまったら、きっと貴女に好意があるのだろうと叔父として感じました」
そこは梓も答えにくかった。また会おうねぐらいの約束しかしていない。松浦船長の気持ちなど勝手に決められなかった。
「圭太朗にはいろいろありましてね……。その……」
「離婚の話なら聞きました。ただ、離婚したことがあるということだけで……。その部分に近づくととても辛そうにみえたので、あまり深く触れないようにしています」
言いにくそうだった社長が案じているのはここだろうと、梓から触れてみた。あの社長が驚いた顔をした。
「圭からそう言ったのですか」
「はい、俺、バツイチだからと……」
「そうでしたか。あの他には……?」
社長のほうが前のめりで聞いてくる。でも、いい歳の甥っ子でもどんなことを話したかなんて叔父様に知られたくないだろうなと思い、梓はそれ以上はなにも言えなかった。
そこは社長もすぐに気がついてくれた。
「ああ、申し訳ない。甥もいい大人であるのに……」
いいえ――と梓も首を振る。ただ真田社長ほどのシビアな男性ならば『大人がすること。勝手にすればよい。己の責任』と言いそうなイメージだったから、こうして詮索するのは、ほんとうにらしくなかった。
ひと息、紅茶を飲むと、真田社長も溜め息を落とす。
「どこまで圭から聞いているかはわかりませんが、できれば、あのまま楽しそうな圭でいて欲しいと願っています。叔父の私も、宇和島の家族もです。特に私の姉、圭の母親は常に案じています。いい歳の息子にいつまでも構うような心配をしすぎたせいか、また圭自身が海上にいることがほとんどであるせいか、母親に滅多に連絡をしないそうです。ですから叔父の私が繋ぎ役となっています」
「そうでしたか。ですけれど、松浦さんも叔父様のところに会いに来るのは楽しみにしているとおっしゃっていましたよ」
「なるべく、陸で癒されるようにしてあげたいと思い、圭太朗が松山の港に帰ってきてからは、彼が来店しそうな時は私も店で控えるように心がけています」
その想いはお互いに通じている。この叔父様がいれば船長さんも大丈夫と思えるほどに。
「いまはまだ、貴女とお話ができるようになって楽しい時期でしょう。ですが、やがて……、圭太朗は怖じ気づくかもしれないし、若い貴女にはそぐわない男となるかもしれない」
「まだ……、そこまでは。先日、ちょっとした約束があったのでお会いしただけです」
「いえ、わかるんです。圭はあなたに惹かれている。きっと、歳が離れているせいもあるので、気楽なのでしょう」
「確かに。女性ではなく女の子だから大丈夫――みたいなことおっしゃっていました」
また真田社長が目を見開くほど驚いた顔に。梓もびっくりしてしまう。
なのにまた。真田社長が苦悩を刻むような表情になり、溜め息ひとつ。額を抱えて唸っている。
「ひどい離婚だったんです。傷つくだけ傷ついて……。叔父の私も腸が煮えくりかえるほどでしてね……」
梓は黙り込む。狼社長と言われている真田社長がこんな苦悩する姿を、取引先の『女の子』に見せるだなんて。余程のことだと梓も察した。
「どのようなことか知りたいですけれど……。勝手に聞いてしまっても……。いまはまだ、船長さんが楽しそうにしているままに、一緒にいる時間を過ごしたいと思っています」
そう言っただけなのに。また、あの狼社長さんが涙ぐんでいるからびっくり仰天!
うわ、どうしよう。琴子先輩とか本多先輩もきっといろいろ勘ぐるに決まっている。と梓は焦る。
「それを聞いて安心いたしました。どうぞ、圭太朗のことをよろしくお願いいたします」
しかも『それでも困ることがあれば、私のところまで』と、社長の携帯電話の連絡先が記されている名刺までもらってしまった。
真田社長がそのまま沈んだ様子で、琴子マネージャーと本多先輩に挨拶をして、この日は帰っていった。
もちろん、梓もそのままでは済まなかった。
「永野、どういうことだ。あの社長が、あんな、あんな顔!」
むしろ、あり得ないことが起きたと本多先輩が動揺している。
「ですが、真田社長のプライベートにも関わることですから。お話しできません」
梓もきっぱり言い放った。あの社長があんな顔をしてしまうほどのこと、ぺらぺら喋れるわけがない!
「あー、くっそ! 気になって、やろうと思っていたパッケージデザインに集中できるわけないだろ! もう今日はお終いだ! 俺は帰る!!」
終業時間までまだ三十分もあるのに、気難しい本多先輩が帰り支度を始めてしまう。
こんな時はやっぱり琴子マネージャー。彼女がいつもの余裕のにっこりした優美な微笑みで、梓に言った。
「梓さん、今日、一緒に小龍包を食べに行きましょうね」
『行かない?』というお誘いではなく、『行きましょうね』とほぼ強制的なお誘いが来た。そして梓は、琴子先輩がこの余裕のにっこり優美な微笑みをした時、実は心の奥ではとてつもなく『本気』であることを、気難しい本多先輩(元カレ)とのやりとりを眺めている内に感じ取っていたから、ゾッとした。
「雅彦君も一緒に行きましょうね。これでいいわよね。帰ったりしないわよね?」
それは本多先輩も同じく。『琴子を怒らせたらもっと怖い』と悟ったようで、帰り支度をやめて素直にウンと頷いて大人しくなった。
琴子先輩がそのまますっと事務室に去っていった。
「くそ。元ヤン社長の嫁になってから強い、強い」
本多先輩がそうぼやいたけれど、梓も思わず頷いてしまっていた。
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