第32話 エピローグ

 駅前広場の時計の下で、わたしは辺りをぼんやりと眺めていた。もう日は落ちて、だんだんと暗くなり始めている。

 今日は、一日中雲一つない快晴だった。結局、まだ一度も雪は降っていない。クリスマスに初雪にならないかな、なんて、ちょっと期待している。


「お待たせ」


 振り向くと、見慣れた顔が視界に入った。わたしはぱっと顔を輝かせる。


「奏人君!」


 彼の腕に、ぎゅっとしがみつく。少し困ったような目で見られたけど……しばらくの間は、許して欲しい。


 大通りを少し歩いたあと、横道に入る。人はほとんど通っていない。しばらく進むと、小さな川沿いの道に出た。

 わたしはちらりと横を見た。今のうちに、聞いとこうかな。


「どうしてデート誘ってくれなかったの?」

「あー、それは」


 耳の後ろをかきながら、奏人君が言った。


「踏ん切りが付かなかったんだ。二人で会いたいなんて言ったら、嫌われるかと思って」

「……待ってたのに」


 腕に力を込めながら、ぽそりと言う。うっ、とうめくような声が聞こえる。


「悪かった。もう、そんな思いさせない」

「うん」


 安心して体を寄せる。

 すると奏人君は、小さくため息をついてから言った。


「そこまで言うんだから、覚悟はできてんだよな?」

「覚悟、って……」


 何のことだろう。……あんまり、考えないようにしよう。


「あ」


 少し動揺していたわたしは、足がもつれて体勢を崩した。奏人君の腕に、思い切り体重をかける。


「転ぶなよ」


 にやりと笑いながら奏人君が言う。でもわたしは、


「奏人君が支えてくれるから、大丈夫」


 笑顔を浮かべ、そう返した。


 しばらく歩くと、目的のお店が見えてきた。前回のオフ会でも使ったお店だ。前の時は(ガラの悪い……)繁華街を抜けて行ったけど、川沿いを通った方が近いみたい。


 店員さんに案内され、個室に入る。チームの他のメンバーは、もう席に着いていた。

 その中に一人だけ、初めて見る顔がある。奥のお誕生日席に座っている、童顔の青年だ。


「あ、こんばんわっす!」


 立ち上がると、彼は元気よくあいさつしてきた。わたしは笑みを浮かべて言った。


「初めまして、ルージュさん」

「ルビアさんっすよね! 初めまして!」


 ルージュさんは手を伸ばしてきたけど、奏人君にぺしりとはたき落とされていた。「いいじゃないっすか握手ぐらい」と、ぶつぶつ文句を言っている。


「あれっすか。独り身なの俺だけっすか」

「そうよお?」


 真理は見せつけるかのように、胸をゼンさんの腕に押し付けていた。ゼンさんは、困ったように笑っている。


 全員が揃い、まずはお互い(と言うか、ルージュさんと)自己紹介を始める。他の四人が終わったあと、ルージュさんの番になった。


「あ、本名言う流れっすか。小島春樹はるきっす。よろしくお願いします」


 それを聞いた途端、真理が何かを探るような目を向けた。


「ふうん?」

「どうしたんすか?」

「ちょっと待って」


 真理は腕を組んで考え込み始める。他のみんなは、不思議そうに顔を見合わせた。

 少しの沈黙のあと、真理はこう言った。


「分かった。春樹の『』を『じゅ』と読んで、はるじゅ。で、『は』を抜いてルージュ。そうでしょ?」

「あ、名前の由来っすか? よく分かりましたね」


 ルージュさんは感心したように言った。なあんだ、そんなことを考えてたのか。


「リップとは関係なかったのね」

「関係なくは無いっすよ。ルージュ集めるの趣味なんです」

「複雑ねえ」


 と、真理が頬に人差し指を当てながら言った。


 自己紹介が終わると、わたしはルージュさんの顔を改めて眺めた。あの時写真を見た、コスプレの女の人……じゃなかった、男の人が、ルージュさんなのかあ。少しは似ている(同じ人なんだけど……)けど、言われないと分からないぐらい。

 奏人君たちが入っている写真サークルは、メンバーによって撮る対象がばらばららしい。風景や人、電車、コスプレ、それからドール(人形?)。ルージュさんは、撮るのも自分でコスプレするのも好きなんだって。


「茜」


 ルージュさんを見つめていたわたしを、奏人君が横から小突く。顔を向けると、ちょっと不機嫌そうにしていた。


「先輩嫉妬ひどいんで、気をつけた方がいいっすよ」


 笑いを堪えるような声で、ルージュさんが言う。


「『最近ルビアと遊んでんの?』とか何度も聞いてくるんすよ」

「おまっ、それは……」


 奏人君が焦ったように言う。へえー、そうなんだ。ちょっと意外かも。


 もしかして。わたしはふと思った。

 前のデートで、ルージュさんと遊んでるのか聞いてきたのって……単なる嫉妬?


「なんだよ」


 ついくすりと笑ってしまったわたしに、奏人君は憮然ぶぜんとした顔を向ける。わたしは余計におかしくなってしまった。


 ルージュさんが羨ましそうに言った。


「あー、俺もルビアさんみたいなかわいい彼女が欲しいっす……」

「茜を変な目で見るなよ、お前」


 奏人君はわたしの腕を引き、体を隠すように抱きしめた。う、ちょっと恥ずかしい。「ほらそういうとこっすよ!」なんて、ルージュさんに言われている。


 その時、店員さんの声がかかり、入り口の引き戸が開いた。わたしは慌てて体を離す。

 店員さんは、料理と、それから全員分のビールをテーブルに並べていく。また『とりあえずビール』みたい。

 どうしようかな。奏人君に目をやると、笑いながら頷かれた。よかった、残りは飲んでくれるみたい。


 わたしたちのやりとりを見ていたルージュさんが、言った。


「うわ何すか、もう目線だけで言いたいこと分かるんすか。夫婦じゃないっすか」

「はいはい、早く乾杯しよ」


 真理が呆れたように言う。


 夫婦、って……。

 ちらりと横を見ると、奏人君は平然としている、ように見える。……内心どう思ってるのか、わたしにはまだ、分からないけど。


「それじゃ、みんな。乾杯!」


 そして、ゼンさんのコールで、『白灰しらはい登山部』の第二回オフ会はスタートした。

 今日もいっぱい、奏人君とお話しよう。そんな決意と共に、わたしはビールのジョッキに、ちょびっとだけ口を付けた。

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ネトゲ登山部! マギウス @warst

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