第13話 夜の登山

 お手洗いから帰ってきたわたしは、引き戸を開けて硬直した。

 何故かって、ランスと真理の席が、入れ替わっていたから。左側にはゼンさんと真理が、右側にはランスが一人奥に座っている。ええと、つまり……。


「なーにぼーっとしてるの? 早く座りなよ」


 真理は悪戯いたずらが成功した子供のような顔をして、開いた席を指さした。開いた席と言うのは、もちろんランスの隣のことだ。

 わたしはちょっと緊張しながら腰を下ろした。ランスはそっぽを向いていて、表情は分からない。


 わたしは、最初に戻ってしまったかのように黙り込んでいた。一方の真理たちは、楽しげに話している。


「ゼンさんって意外と抜けててかわいいよねえ」

「かわいいって……男に言う言葉じゃないでしょう」

「そお?」


 二人の距離は、すごく近い。

 羨ましい。わたしだってもっと話したいのに。


「……お前ら二人ってさ」


 ランスがぼそりと言う。わたしはぱっと顔を向けた。


「全然タイプ違うよな」

「あはは。やっぱりそう思います?」

「ああ。前から思ってたが、実際に会うと余計な。最初あいつ痴女かと思ったし」

「誰が痴女よ!」


 しっかり聞いていたらしい真理が、突然こっちを向いて、テーブルをばんばん叩いた。ランスは全く動じずに言った。


「やべえやつが来たなと思ってた」

「そこまで言うほどー?」


 真理は自分の胸元に手をやると、ニットを前に引っ張ろうとしていた。隣のゼンさんが慌てて止める。


「ま、女にデレデレしないってのはほんとだったみたいね」

「それを確かめるためにそんな痴女服着てきたのかよ」

「そうよー、って痴女服じゃないっての!」


 二人はぎゃあぎゃあと言い争いを始める。わたしはなんだか面白くなくて、ごくりとお酒を飲んだ。

 喉がカッと熱くなって、ちょっとむせそうになった。あれ? こんな強いの頼んだっけ……。


 突然、真理がはっとしたように言った。


「あ、ごめんごめん。ランス取っちゃ悪いか」

「なんだよ取るって」

「それともこのあと二人で抜け出すの?」

「いや話聞けよ」


 若干うんざりしたように言うランス。すると、ゼンさんが思い出したように言った。


「そうそう、このあとなんだけど。よかったら夜景を見に行かないかい?」

「いい場所あるの?」

「うん。山の上に展望台があってね」

「おっ、山登りね!」


 真理はパンっと手を合わせる。でも、今から山登り……?


「まあ、山と言うより丘だけどね」

「夜道を歩くんですか?」

「いやいや」


 ランスの言葉に、ゼンさんは笑いながら首を振った。


「僕の車で連れていくよ」

「……ゼンさん、大胆ですね」

「大胆?」

「初対面の女の子を、こんな時間に車に乗せるとか」

「あ。あー、そうか……ごめん」


 申し訳なさそうに言うゼンさん。でも、真理はハイテンションのままこう言った。


「いいじゃない、二人きりで乗るわけでもないし。行きましょうよ!」

「マジで言ってる?」

「大マジよ!」

「お前はよくても……」


 ランスの視線が、ちらりとわたしに向く。


「行きたいです」


 じっと見返しながら、わたしは即座にそう答えた。ランスは、ちょっと驚いていたようだった。





 ゼンさんの先導で、店の近くにある駐車場へと向かった。お酒のせいでふらふらとするわたしを、ランスは心配そうに見つめていた。


「大丈夫か?」


 わたしは無言でこくりと頷いた。ほんと言うと、あんまり大丈夫じゃないかも。うう、こんな高いヒールいてこなきゃよかった。


「あれが僕の車だよ」


 ゼンさんが言う。ようやく着いたみたいで、わたしはほっとした。


「え、あれって……」


 目を丸くするランス。メーカー名? を呟いてたみたいだけど、よく聞き取れなかった。

 真っ赤でおしゃれな車だ。真理も「おおー」なんて言ってるし、有名なのかな?


「高級車じゃないですか。ゼンさん車好きなんですか?」

「うん。まあ、ローエンドモデルだから大したことは無いけどね」

「いやそれにしても」


 と、ランスはしきりに感心していた。


 その間に、真理はさっさと助手席に乗り込んでいた。わたしはほんの少し違和感を覚えながらも、後ろに乗る。

 わ、内装もおしゃれ。ちょっと狭いけど。


「ふあ……」


 背もたれに体を預けた途端に、眠気が押し寄せてきた。

 今日は珍しくたくさん喋ったせいで、疲れちゃった。でも、全然嫌な疲れじゃない。ランスと話した色んなことを思い出して、くすくすと笑う。


「楽しそうだな」


 そのランスが入ってきたのが、視界の端に映る。わたしは眠くてとろんとした目を向け、へにゃりと笑って言った。


「楽しいです」

「……そっか」


 ランスはなんだかそわそわとしながら、わたしの隣に座る。体を縮こめて、窮屈そうにしている。やっぱりちょっと狭い。


 わたしまたあくびを漏らす。ランスが自分の肩を指さしながら、にやりとして言った。


「もたれて寝ててもいいぞ」

「はい……」


 力尽きたように、こてんと頭を乗せる。ちょうどいい位置に肩があって、まるで枕みたい。誰かが何か言っていた気もするけど、わたしはすぐに夢の世界に旅立った。


 ランスに優しく揺り起こされた時には、もう目的地に到着していた。手を貸されて外に出る。


「わあ……」


 広がる景色を目にして、わたしは思わず声をあげた。

 静かに輝く月の下に、一面の夜景が広がっていた。空には星はほとんど見えないけれど、地上の光は、満天の星空に匹敵するほど綺麗だ。遠くの海には、行きかう船が光の粒になっていた。


 冷たい風が吹いて、わたしはぶるりと体を震わせた。自分の肩を抱くと、なんだか妙に頼りない。


「忘れてるぞ」


 と、ランスがカーディガンをかけてくれた。車に落としちゃってたみたい。


 もう少し近くで見ようと思って、展望台の端の方へと足を踏み出した。すると、


「わっ」

「おっと」


 石でも踏んだのか、足がぐにっと曲がる。転びそうになったわたしの肩を、ランスが掴んだ。まるで抱き寄せるかのように……ううん、強く抱き寄せられた。


「落っこちるなよ」


 落ちません、とそう答えようとしたのに、言葉が出ない。すぐ近くにあるランスの顔を、わたしは口を開きかけたまま呆然と眺める。

 心臓が、爆発しそうなほどどきどきしている。顔が熱い。ランスの喉が、ごくりと鳴った。


「あれがさっきいた店かなあ」

「えー、どれどれ?」


 ゼンさんと真理の話し声が聞こえて、わたしはぱっと顔を背けた。二人の間に漂っていた熱が、夜風に溶けたように消えていく。


 でもそれからしばらくの間、ランスはわたしのことを解放しようとはしなかった。

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