第23話 着せ替え
オフィスの椅子に、すとん、と腰を下ろす。ぼうっとしながら、パソコンの電源を入れる。今日は朝からずっと、ふわふわと夢見心地。
「どう? オッケーもらえた?」
後ろを通りがかった真理が、身を乗り出して覗き込んできた。ゆっくりと振り返ると、緊張した顔と目が合う。わたしは
「……もらえた」
「やったじゃない!」
わたしの手を取り、真理は自分のことのように喜んでくれた。思わず頬が緩む。
「いつ?」
「金曜の夜」
わたしが答えるた直後に、遠くの方で「桜さーん」と(たぶん、真理を)呼ぶ声が聞こえた。真理はぱっと手を離すと、すたすたと歩き去りながら言った。
「仕事終わったら席で待ってて! すぐ行くから!」
「え? うん……」
なんだか忙しそうだ。お昼じゃなくて仕事終わりってことは、食堂で食べる暇もないんだろうか。わたしと同じ時間に帰れるのかな。
その日の仕事は、いつもよりスムーズに進んだ。やっぱり気分が上向いていると、仕事も上手くいくのかな。最近ずっと悩んでミスばかりしていたから、余計そう思うのかもしれない。
就業のチャイムが鳴って、ほう、と息をつく。パソコンの電源が切れるのを眺めていると(この子はうちの子と同じくらい非力だ)、ぱたぱたと早足でやって来る真理の足音(何故か真理だと分かった)が聞こえてきた。
「さ、早く帰りましょ!」
「そんなに急がなくても……」
「今ならまだ間に合うから!」
「
質問には答えずに、真理は早く早くと肩を叩く。わたしは首を傾げながら荷物を整理した。
ビルの外は、もうかなり暗くなっていた。でも、思ったより寒くはない。コートの中の温かさは、逃げずにしっかりと留まっている。
斜め前を歩く真理の顔に、ちらりと目をやる。わたしでもほとんど見たことがないぐらい、機嫌が良さそうだ。今にも、鼻歌でも歌い出しそう。
わたしのことを喜んでくれてる、ってだけでも無いように見える。ちょっと気になったけど、口から出たのは別のことだった。
「仕事は大丈夫だったの?」
「大丈夫よ。なんで?」
「お昼も忙しそうだったから……」
「あー、ランチミーティングがあったの。偉い人が、そこしか時間が空いてないからって」
「大変だね」
わたしは本心から言った。真理が忙しいのは優秀だからだけど、その分見返りも大きいかというと、たぶんそんなことは無い。昇進だって、男の人に比べてしにくいだろうし……。
でも真理は、楽しそうに言った。
「いいのいいの。今日はね、もっと仕事減らせって言ってきたんだから」
「え、そうなんだ」
「そ。じゃないと寿退社してやるぞって脅してきた」
「へ?」
なんか今、すごいことを聞いた気が……。もっと詳しく問い詰めようとしたら、
「この店よ、この店!」
タイミング良く(悪く?)目的地に着いて、真理がびしりと横を指さした。
そこにあったのは、一軒の小さな服屋さんだった。いつの間にか、大きな道路沿いのオフィス街を離れて、裏道に入ってたみたい。
「真理、こんな服好きだっけ?」
わたしは不思議そうに真理の顔を見た。店の中に並んでいたのは、かわいらしい服ばかりだったからだ。メルヘンライフオンラインに出てきてもおかしくないぐらい……って言うのは、さすがに大げさだけど。
服の雰囲気が統一されてるから、たぶんブランドの直営店なのかな。人気なのか、中は人でいっぱいだ。
「あたしが着るわけないじゃない」
と、真理が呆れたように言った。わたしはきょとんとして尋ねる。
「じゃあ誰が着るの?」
「決まってるでしょ?」
「……え? わたし?」
わたしは、唖然とした表情で自分を指さした。真理が神妙に頷く。
「茜のデート用の服を買いに来たのよ。セール今日までらしいから」
「デート用、って……着ていく服ぐらいあるからいいよ」
わたしは顔を逸らした。こんなちゃんとしたお店で、服を買ったことなんて無い。だいたいデパートのバーゲンとかで、適当に揃えちゃう。
「ほんとにー? オフ会に着てきたのぐらいしか、まともなの持ってないんじゃないの?」
う、ばれてる。真理はじとっとした目つきで、距離を詰めながら言った。
「まさか、同じ服着ていくなんて言わないよね?」
「それは無いけど……もうちょっと普通なの着ていこうかなって……」
「そんなの駄目に決まってるでしょ!」
怒られてしまった。しょんぼりするわたしに、真理は腰に手を当て、自信満々に言った。
「あたしが思いっっきりかわいいのを選んであげるから、安心しなさい」
「え、あんまりそういうのは……」
「絶対似合うって。かわいい格好して、ランスさんに抱きしめられたいでしょ?」
「っ! そんなこと……」
「思ってないの?」
にやにやしながら言われて、わたしは真っ赤になった。
「一回茜に好きな服着せてみたかったのよねー」
「えええ……」
後ろから肩を掴まれ、店内に押し込められる。うう、なんだか不安になってきた。
店内に入ると、急に温かくなったように感じる。もちろん暖房は効いていたんだけど、そうじゃなくて……華やかになったような。それだけ、特別な空気をまとった服が並んでいた。
服はかわいいだけじゃなくて、必要十分な上品さも備えていた。わたしは店に入る前から気になっていた、ピンクのワンピースに触れる。波打つのような裾がキュートだ。光沢のある生地は、滑らかで高級感のある手触りだった。
ちらりと値札を見てみると、値段は全然かわいくなかった。だいぶ安くなってたけど、それでもちょっと……。
「ん? それにするの?」
「え、しない」
わたしは慌てて手を引っ込めた。見てる分にはいいけど、着るには勇気のいる色とデザインだ。地味な自分に似合うとは思えなかった。
「ふうん? ま、いいけど。じゃあ早速着てみましょうか!」
と、真理はわたしを試着室へと追いやる。いつの間にか、手にはたくさんの服を抱えている。……本気でわたしを着せ替え人形にするつもりみたい。
試着室は、店の奥にずらりと並んでいた。仕切りとカーテンだけを使った簡易的な部屋で、中はとても狭かった。
カーテンの中で、ごそごそと着替えを始める。試着って、いつもなんだか緊張してしまう。急に誰かが入ってくるような気がして……。
「着れた?」
「わっ。開けないでよ」
びくりとして振り返ると、首だけの真理がカーテンの隙間から覗き込んでいた。真理はわたしの格好を見ると、目を輝かせながら言った。
「いいじゃないそれ!」
「……かわいすぎない?」
わたしは不安になって言った。
今着ているのは、ブラウスと
真理はしばらくじろじろと眺めたあと(恥ずかしい……)、「次はこれね!」と別の服を渡してきた。なんかもう、見るからにふわふわしてるやつ。かわいい……と思いつつ、これ着るのかあ……と少し腰が引けてしまう。
「早く着てよね! まだまだあるんだから」
と、ハイテンションの真理が言う。わたしはのろのろと服を脱いだ。
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