第2話 イベント準備

「ふう」


 チームのみんなにお別れを言ったあと、わたしはヘッドホンを外して、椅子に深くもたれかかった。くるんと丸まった髪の毛の先が、首筋をくすぐる。

 壁掛けのアンティーク時計に目をやると、ちょうど夜の十二時になったところだった。最近は、毎日ゲームばかりしている。この前、真理にちょっと心配されてしまった(ちなみに彼女は、何日かに一回しか来ない)。


 画面の中では、ルビアが街の大通りで立ち尽くしていた。ちょっとだけ操作して、端に寄せてあげる。


 通りの両側には、パステルカラーの小さな家がずらりと並んでいる。家の間には、七色の小旗が付いた綱が渡されている。空の上から、カラフルな紙吹雪がひらひらと舞い落ちている。年中お祭りみたいな雰囲気の街だ。

 しばらくすると、ルビアはきょろきょろと辺りを見まわしたり、伸びをしたりし始めた。待機モーション? というやつ。そのたびに、長い髪がふらふらと揺れる。


 わたしは耳の下にある髪をつまんで、毛先を指先でいじった。もっと伸ばしてみようかなあ、と考えたことは何度もあるけど、一度も試してみたことはない。絶対すぐに面倒になる。

 ゲームの中では結構おしゃれしてるけど、現実世界リアルでは全然だ。服もあんまり持ってない。


 ふと思いついて、わたしはルビアを操作して自分の家へと向かった。家は街の外れにあってちょっと不便だけど(店とかが近い中央付近はすごく値段が高い)、裏口を出るとすぐ森に行けるところが気に入っている。森では薬草や果物が採れるのだ。


 家のポストを確認すると、ランスからの手紙が入っていた。一緒にアイテムも入っているようだ。


「んー?」


 わたしは小さく首を傾げた。いつ出したのか知らないけど、会った時に渡してくれればいいのに。手紙をインベントリに入れて家に入る。


 ちなみに、手紙を開封する時には、専用の道具が必要だ。道具は家の物置にあるので、取ってこないと中が見れない。いくら色々できるのが売りのゲームとは言っても、ちょっと凝りすぎなんじゃないかと思う。


 物置に向かいながら、そう言えば何しに帰ってきたんだっけと悩んでいると、突然スマホがぶるぶると震えた。真理からのメッセージみたいだ。なんでボイスチャットで直接言わないんだろう、と思いながらスマホを操作すると、


『またヘッドホン外してるでしょ!』


 なんて書いてあるのを見て、慌ててヘッドホンを付け直した。付属のマイクに向かって、すぐに謝る。


「ごめん!」

「あっ。もー、外すなら言ってよね!」

「ごめんって」


 真理の剣幕に、思わず手を合わせて謝ってしまった。そんな怒らなくても……。


「ずっと一人で喋ってたじゃないのよお」

「う、申し訳ないです……」

「じゃ、お詫びに前言ってたダンジョン付き合ってよね」


 と思ったら、真理は急に声色こわいろを変えてけろりと言った。なーんだ、怒ったふりしてただけみたい。でもわたしが悪いのには変わりないから、文句も言えない。


「今から?」


 もう日付は変わってしまった。明日も平日だし、今から何か始めるにはちょっと遅い。


「簡単なとこだからすぐ終わるよ。それに明日は朝会ないでしょ?」

「うーん、そうだけど……わかった」

「やった!」


 真理は弾んだ声で言った。

 わたしと真理は、同じ大学を出て同じ会社に入った親友同士だ。二人ともまだ入社一年目。緩い会社だから、朝はだいたい十時までに行けばいい。


「そえばさ、茜」

「うん」

「前言ってた合コンだけど」

「行かない」


 ルビアの装備を準備をしながら、わたしはきっぱりと言った。すると真理が、哀れっぽい調子で言った。


「ええー行こうよー。ちょうど一人足りないのよー」

「行かないって」


 そんな言い方したって駄目。合コンなんて行ったことないし。知らない人といきなり話すなんて、自分には絶対無理だ。


「だいたい真理、いい人見つけたってちょっと前に言ってなかった?」

「ああ、あいつ? だめだめ、全然告白してこないんだもん。ヘタレはお断り」

「ええ……」


 何の未練も無さそうにきっぱり言われ、わたしは困惑してしまった。その人のこと、ずいぶん楽しそうに話してた気がするけどなあ……。


「あ」

「え、なに? 行く気になった?」

「ちがうちがう」


 わたしは思わず首をぶるぶるを振った。単に、家に戻ってきた理由を思い出しただけだ。


「リップ変えようと思って忘れてた」

「リップ? ああキャラのね」


 真理がなんだか残念そうに言った。


 物置の姿見の前に立つと、ルビアの顔がアップになって、メイク画面に移る。

 わたしはちょっと悩んだあと、唇を桜色から赤に変えてみた。首を傾げて、もう少し暗い色にしてみる。うーん、しっくりこない。


「そう言えば、知り合いのチームに姫ちゃんが来たって話聞いて」


 突然そんなことを言い出す真理に、わたしはきょとんとしてしまった。


「姫ちゃん?」

「男囲って貢がせたりする姫プレイしてる女のこと」

「それは知ってるけど……」


 なんで急にそんな話?


「最終的には問題になって追い出されたんだけど、チーム男連中は軒並みアイテムとか貢いでたらしい」

「そうなんだ」


 貢ぐような人がたくさんいるっていうのは、ちょっとびっくり。それで気を引いたって、ゲームの中だけの話なのに。


「なんで姫ちゃんの話になったんだっけ? そうそう、思い出した。その姫ちゃんが、今季のリップがどうとかって女アピールすごかったらしいよ」

「ふうん」


 若干上の空で相槌を打ちながら、ルビアのリップを元の色に戻す。やっぱりこっちの方がいいかも。


「そうだ、イベントの準備してる?」

「してるよー。アイテムはほとんど揃えたし」


 わたしの答えに、真理は驚いたようだった。


「うわ、はや

「真理は?」

「全然。あとなに足りないの?」

「えーと」


 なんだっけ?


 もうすぐ、ゲームの中でハロウィンのイベントがある。イベント開催中だけ特定のアイテムと交換できる服があって、デザインが好みだし、結構強いからもらっておくつもり。必要なアイテムは、今でも手に入る。

 インベントリを確認しながら、ついでにランスの手紙を開封する。手紙に付いてきたアイテムを見て、わたしは目を丸くした。


「……足りてるかも」

「そうなんだ?」


 真理がちょっと不思議そうに言った。


 ランスから送られてきたのは、『飛竜の翼』というそこそこレアなアイテムだった。手に入れるには、飛竜……ワイバーンを倒すしかないんだけど、敵の数が少ないから狙って取るのはめんどくさい。


『拾ったからお前にやる』


 と、手紙には書いてあった。服の交換に必要なアイテムの中で、唯一持っていなかったものだ。そんなことランスに話した記憶はないんだけど、なんで分かったんだろう?


 とにかくお礼を言おうと思ったのだけど、ランスはもうゲームからログアウトしてしまったみたいだった。

 手紙を送っておこうかな。うーん、次会った時でいっか。


「準備できたー?」

「あ、ごめん。できたよ」


 装備を整えて、家の外に出る。ダンジョンはモンスターがたくさんいて苦手だけど、真理の頼みだし仕方ない。今日行く所は敵も弱いし、たぶん大丈夫。

 死なないように気をつけようと思いながら、わたしは目的地に向かった。

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