第3話 ゲームとリアル

 真理と遅くまで遊んだ、次の日の(というか、同じ日の)朝。


「……あ!」


 出窓に置いた目覚まし時計の表示を見て、わたしはベッドから飛び起きた。起きるつもりだった時間を、とっくに過ぎてしまっている。ちゃんと設定したはずなのに、無意識のうちに止めていたみたいだ。


 ばたばたと慌ただしく身支度する。さすがにすっぴんというわけにもいかないので、目の周りと唇だけを何とか整える。あ、口紅はみ出した。

 急いでるのにいと恨めしく思いながら、丁寧にふき取る。ゲームみたいに、簡単に変えられればいいのに。


 家を出ると、駅までの下り坂を早足で進んだ。滑空グライディングの魔法があればすぐなのになあ、なんて思ってしまう。う、わたしゲーム脳かも……。


 混雑した電車の中に、いそいそと乗り込む。出社時間がちょっと遅いから、そこまでぎゅうぎゅう詰めってことはない。その代わり、女性専用車はもう終わっちゃってるけど。

 運よく、逆側の扉のそばまで行くことができた。会社までの三十分、こっちは一度も開かないのだ。

 扉にもたれかかり、胸の前でバッグを抱くように持つと、ほっと一息ついた。


 オフィスに到着したのは、始業時間の五分前だった。席に着いて、胸をなでおろしていると、


「寝坊した?」


 からかうような声に振り返る。かっちりメイクの真理が、コーヒー片手に通り過ぎていく。スタイルの良さを生かすおしゃれな服に身を包み、それでいてオフィスにも馴染んでいる。

 仕事のできる女って感じで、とても新入社員には見えない。わたしと違って。


 わたしはパソコンをつけると、野暮ったい眼鏡をかけて仕事を始めた。





「合コンぐらいみんな行ってるよ」

「ほんとに?」


 コンビニおにぎりの袋を開けながら、わたしは疑わしげに聞いた。そりゃあ、真理がしょっちゅう行ってるのは知ってるけど……。


「ほんとだってば」

「そうだとしても、わたしは行かないから」


 先回りして拒否すると、真理はかわいらしく唇を尖らせた。


 オフィスのあるビルの食堂は、お昼時にも関わらず半分以上空いている。いつもこんな感じだ。近くに食べもの屋さんが多いからだろう。

 真理は自分で作ってきたお弁当をつまみながら(マメだなあ)、残念そうに言った。


「勿体ないなあ。茜かわいいし、絶対ちやほやされるのに」

「お世辞はいいって」


 今度はわたしが唇を尖らせる番だった。美人の真理の隣にこんな地味子が座ってたら、空気になるに決まってる。


「でも茜、あたし以外と全然話してないでしょ?」

「え? ないけど……」


 わたしは身を縮こまらせながら、おにぎりを小さくかじった。

 真理の言う通り、この会社に入ってもう半年になるのに、同僚とはろくに会話してない。大学の時も友達はほとんどいなかったし、基本的に人見知りなのだ。

 すると真理は、にんまりと笑ってこう言った。


「だからさ。話す練習だと思って行ってみたら?」

「練習に合コンって……ハードル高すぎない?」

「そう? 男が喋ってるのに相槌打てばいいだけだよ?」

「ええー?」


 ほんとだろうか。それならなんとか……ううん、だめだめ。


「やっぱり合コンなんて無理だって。行かないから」


 ふるふると首を振るわたしに、真理は目を細めて探るような視線を向ける。


「もしかして、好きな人いるの?」

「え、いないよ」


 わたしは笑いながら答えた。


「男の人となんて、会話もしてないよ」

「でも、ランスさんは?」

「ランスさん?」


 思いがけない名前が出て、きょとんとしてしまう。なんでランス?


「え、会ったことなんか無いじゃない」

「でもよくはなしてるでしょ?」

「そりゃあ、ゲームの中ではしてるけど……」


 と、困ったように返す。すると真理は、顎に手をやり、眉根をぎゅうっと寄せた。


「ふーむ、これは脈無しか」

「そりゃそうでしょー? 会ったことも無い人なんて」

「いやー、最近はそういうの多いみたいよ? あたしの友達も、ネットゲームネトゲがきっかけで付き合いだしたらしいし」

「ふうん?」


 興味なさげに返すわたしに、真理はその友達について語り始めた。ゲームだけじゃなくてアニメも好きな隠れオタクなんだとか、彼氏と一緒にコスプレしてるだとか。


 デザートのプリンを食べながら半分聞き流していると、真理は急に思い出したように言った。


「でもランスさんは茜に気があるよね」

「へ?」


 わたしは思わず奇声を上げてしまった。また変なこと言い出す……。


「ないない」

「ほんと? でもいっつも茜のこと構うじゃない?」

「ないって。なことばっかり言ってくるもん」

「それが怪しいんじゃない。好きな子に意地悪するってやつでしょ?」

「えー、なにそれ。小学生じゃないんだから」

「男はいくつになってもそんなもんだよー?」

「ええー?」


 真理の言葉を笑って受け流す。

 ランスがわたしに気があるだなんて、ちょっと考えられない。もし本当にそうなんだったら、もうちょっと優しくしてくれても……。


「んー……」


 スプーンをくわえながら、宙に目をやる。あれ? でも言われてみれば、プレゼントくれたりしたし……?


 すると真理は、何かに気づいたように、にんまりと笑って言った。


「あ、心当たりあるんでしょ」

「ないない」


 わたしはぶんぶんと首を振ると、残ったプリンを慌ててかき集めた。

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