第24話 初めての、ほんとのデート

 そわそわとした足取りで、わたしは日の暮れた街を歩いていた。吐く息が白い。

 空を見上げると、重い灰色の雲が垂れ下がっていた。雪でも振りそうだ。昨日まではそうでもなかったのに、今日は急に寒い。あたたかい手袋にしてきてよかった。


 わたしは腕を持ち上げると、細い腕時計に目をやった。大丈夫、時間はまだまだ余裕がある。早すぎるぐらいだ。

 さっきから、こうやって時計を何度も確認している。いつの間にか待ち合わせの時間をすぎてるんじゃないかなんて、つい思ってしまう。


 あの角を曲がれば目的地だ。わたしは立ち止まって大きく深呼吸した。たぶん、奏人君はまだ来てないと思うけど……。

 下を向いて服を確認する。結局真理との買い物で選んだのは、襟の部分がレースになっている、かわいらしいワンピースだ。ウエストが高い位置にあるのが今風? なのかな? タイツとブーツまで買ってしまった。

 真理の指導で、コートは前を開けて着ている。ちょっと寒いけど、我慢。ワンピの中は、ちゃんと着こんできたし……。


「茜」


 不意に名前を呼ばれて、わたしはびくっと背筋を伸ばした。


「そんなに驚かなくてもいいだろ」


 いつの間にか目の前にいた奏人君が、必死に笑いを堪えるような顔をしている。……大口を開けているのに気づいて、わたしは慌てて表情を引き締めた。頬が赤いのはどうしようもない。


「ま、待ち合わせ、ここじゃないですよね」

「今向かってたんだよ」


 わたしと同じだったらしい。来る時間まで同じだなんて(まだ約束の三十分なのに)、すごい偶然……それとも、気が合う?


 奏人君は急に笑みを消すと、わたしの頭からつま先まで、ちらりと視線を動かした。わたしは思わず身をすくめてしまう。

 う、やっぱり変かな……。なんて、不安に思っていたら、


「……かわいいな。茜に似合ってる」


 そっぽを向いて耳の後ろをかきながら、奏人君が言った。心臓が、大きく跳ねる。羞恥心と幸福感とか、全身にじんわりと広がる。


「……ありがとう、ございます……」


 わたしは消え入りそうな声で言った。


「行こうか」

「はい」


 照れたように言う奏人君に付いて、わたしは歩き出した。





「いらっしゃいませ」


 ぴしりとした制服に身を包んだ若いお兄さんが、扉を開けたわたしたちを出迎えてくれた。店内は、白を基調とした解放的な雰囲気だ。

 結構有名なフレンチレストランらしいけど、そこまで堅苦しくはない。明るくて、現代的なお店。


 店員さんに連れられて、窓際の席に座る。全面ガラス張りの向こう側には、街路樹と街灯が、規則正しく並んでいる。様々なジャンルのレストランが、それぞれ異なる雰囲気で輝いている。二階から見る夜景は、思った以上に素敵だ。


「外、綺麗ですね」


 にこりと笑いながら顔を向けると、テーブルを凝視している奏人君が目に入る。睨み付けているようにも見える、硬い表情だ。全く顔を上げようとしない。

 わたし、何か失礼なこと言ったかな。不安になりつつ、おずおずと問いかける。


「どうかしました?」


 すると奏人君は、はっとしたように顔を上げた。


「これって、外側から使うんだよな?」

「へ?」


 わたしは思わず間の抜けた声を上げた。奏人君は、テーブルに並んだ食器を指さしている。


「ええと、はい」

「そっか」


 安心したように言うと、ほっと息を吐きだす。

 奏人君の顔を、わたしはじいっと見つめた。すると相手は、ちょっと嫌そうな顔をしながら言った。


「なんだよ」

「こういうお店、初めてなのかなと思って……」

「外食自体ほとんどしないんだよな」

「コンビニとかで買ってるんですか?」


 自分がそうだから、わたしは何気なく聞いてみた。すると、奏人君は肩をすくめて言った。


「そんな金あるかよ。自炊」

「へえー!」


 わたしは驚いてしまった。何故って、


「自炊なんてしそうに無いって?」

「心を読まないでください」


 奏人君の言葉に、わたしはくすりと笑う。当てられたのが、ちょっと嬉しい。


「料理好きなんだよ」

「どんなの作るんですか?」

「特にこれってのは無いな。ネットで調べて適当に作る」

「へえー」

「昨日作ったのは……」


 と、昨晩のメニューを教えてくれる。わたしは身を乗り出しながら話を聞いた。奏人君のことを少しずつ分かっていくのが、嬉しい。


「茜は自炊するのか?」

「えと……」


 わたしは曖昧に笑ってごまかした。ほとんど買って済ませちゃってるなんて、言えない。

 そうこうしているうちに、店員さんが飲み物のメニューを持ってきた。わたしはちょっと悩んだあと、赤ワインを頼むことにした。


「前みたいに酔うなよ」


 店員さんが去っていったあとに、奏人君が意地悪く言った。オフ会の日のことを思い出して、顔が熱くなる。


「……奏人君も酔ってたじゃないですか」


 ふと思いついて、わたしはぼそりと呟いた。奏人君は眉根を寄せて言う。


「俺は酔ってないだろ」

「酔ってないのに、わたしにあんなことしたんですか」


 わたしは自分の体を抱くと、責めるような目で相手を見た。奏人君は顔を引きつらせ、うろたえながら言った。


「いや、あれは、その」


 そこでもう耐え切れなくなって、わたしは吹き出してしまった。体を震わせながら笑う。お酒を運んできた店員さんに、不思議そうな目で見られてしまった。

 奏人君は少しの間ぽかんとしていたけど、ようやくからかわれたことに気づいたみたいだった。ふてくされたような顔をして、グラスを手に取る。わたしたちは、軽く乾杯した。


「茜、お前あとで覚えとけよ」


 そう言いながら、奏人君は一口でワインを飲み干した。驚くわたしをじっと見据えながら、不吉な言葉を口にする。


「酔った勢いならいいんだな」

「え、なに、勢いって……」

「さあ?」


 獲物を狙う肉食獣のような目で、わたしを見つめる。わたしは身の危険を感じて……それから、いろいろと想像してしまって、顔を真っ赤にした。


「何想像してんの?」


 奏人君は勝ち誇ったように言った。うう……。


 下を向いて黙り込んでいるうちに、コースのオードブルが運ばれてきた。金色でふち取られた真っ白なお皿が、目の前に静かに置かれる。

 お皿の上では、野菜と海鮮が、小さく切りそろえられていた。二色のソースで、芸術的に装飾されている。食べるのがもったいないぐらいにかわいらしい。わたしはぱっと顔を輝かせた。


「食べようか」


 奏人君が言った。「いただきます」とわたしは小さく手を合わせて、ナイフとフォークを手に取った。

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