第25話 ほんの少しの不安

 ネットに書いてあった通り、料理は全て見た目にこだわって作られていた。スープには小さな食材が泳ぐように浮かんでいたし、魚料理は野菜も含めて立体的に飾り付けられている。

 コースの値段は、そこまで高くない。食材もそこまで高級ってわけじゃない(と、思う)けど、十分おいしい。


「茜は慣れてるな」


 小さく切った魚を口に入れていると、奏人君が突然そう言った。わたしは顔を上げて、目を合わせながらぱちぱちとさせた。


「家族で時々食べてたんです」


 ごくりと飲み込んでからそう言った。奏人君は、眉を寄せて少し考えるようにしたあと、聞いた。


「茜って、もしかしてお嬢様だったりすんの?」

「そんなことないですよ」


 わたしは小さく笑った。


「親が、普段は倹約して時々贅沢するタイプだったんです」

「合理的だな」

「旅行もよく行ってました。山とかも」


 にこりと笑顔を見せて言う。奏人君も笑ってくれた。


「リアルでも山登るんだな」

「奏人君は?」

「俺は森が多いな」

「森っ?」


 わたしは思わず変な声をあげてしまった。森……?


「写真を撮りに行くんだよ。鳥とか景色とか」

「へえー、どんなのですか? 見たいです」

「今度見せてやるよ」

「はい」


 わたしはうきうきとしながら頷いた。見ること自体も楽しみだけど、それ以上に、写真を見ながら色んな話を聞きたい。

 それに……また会えることが、決まったみたいだし。


「いつか二人で行きたいな」


 魚料理を食べ終えた頃に、奏人君がぽそりと言った。わたしはちょっと首を傾げて尋ねる。


「写真撮りにですか?」

「いや、旅行」

「へ!?」


 わたしはびくりと身を引く。奏人君は、不安と緊張のにじんだ顔で言った。


「……嫌か?」

「い、嫌とかじゃなくて……」


 二人で旅行って、それは……。


 沈黙。食器同士が触れ合う音が、周りから聞こえてくる。それから、自分の心臓の音も。


 お店の人がお皿を片付けに来たせいで、話はそこで終わってしまった。わたしは、ごまかすようにワインをぐいっと飲む。顔が上げられない。


「この前さ」


 奏人君が言う。ちらりと目を向けると、平然とした様子でグラスを揺らしていた。


「男友達で集まって、ステーキ焼いて食ったんだよ。一枚三千円ぐらい」

「え、いいお肉ですね」


 とわたしが言うと、奏人君は皮肉気に口角を上げた。


「それが焼きすぎて、硬いし焦げてるし全然うまくなかったんだよな。だから今日はリベンジ」

「ええ……」


 わたしは呆れたように言った。お金が無いからコンビニでごはんは買わない、なんて言ってたのに。

 その時ちょうど、肉料理の乗った皿が運ばれてきた。わたしは姿勢を正して待ち構える。


 今までのかわいらしい盛り付けと違って、白いお皿の真ん中に、ただお肉がどんと鎮座している。野菜は端に少しだけ。ブラウンのソースがたっぷりかかっていて、食欲をそそる。


「うまい」


 ぼうっとお肉を眺めているうちに、奏人君はもう食べ始めていた。わたしも早速ナイフを入れる。

 噛んだ瞬間、思わず頬が緩んでしまった。おいしい。柔らかい赤味のお肉だ。


 奏人君も気に入ったみたいで、ワインを挟みながらぱくぱくと食べていた。途中でグラスが空になって、追加を頼む。

 去っていく店員さんを見ながら、奏人君は難しい顔をして言った。


「冷めてうまさが減るのと、ワイン無しで食って残念な思いするのと、どっちが損か難しいな」

「なんですか、それ」


 わたしはくすくすと笑った。変なの。……なんか、ちょっと酔ってきたかも。


「リベンジはできました?」


 結局食べないことにしたらしい奏人君に、わたしは聞いた。


「ああ」

「よかった。今度は無駄にしちゃだめですよ?」


 諭すように言うと、奏人君はにやりと笑った。


「茜は料理できないんだよな」

「できないとは言ってません」


 わたしは唇を尖らせる。たまには作るもん。

 視線を落として、付け合わせのブロッコリーを小さく切り分ける。わたしは少し不安になって、上目遣いで奏人君を見た。


「……奏人君は、料理ができる女の子の方が、好きですか?」


 彼の顔には、何故かうろたえた表情が浮かんでいた。ぷいとそっぽを向いて、ぼそりとこう言った。


「いや、べつに。何なら俺が作るし」

「よかった」


 わたしはほにゃりと笑った。


 最後に出てきたデザートは、今までの集大成のようなかわいさだった。さすがに我慢できなくなって、奏人君に断ってから一枚だけ撮らせてもらう。

 奏人君の方も、自分のスマホで撮影していた。その時の表情がすごく真面目で、わたしはちょっと見とれてしまった。


 見た目(デザートの!)を十分に楽しんだあと、わたしはどうやって食べようかとちょっと悩んでしまった。ケーキやアイスがパズルのように積み上げられていて、上手くしないと崩れてしまいそう。

 まずは、全体をドーム状に囲む細い網目のような甘いお菓子(これ、なんて言うんだろう?)を、フォークの先で割る。口に入れると、甘い余韻だけを残してさらりと溶けた。


「あ」


 声が耳に入って顔を上げると、ちょうど奏人君のデザートが横倒しになるところだった。フォークで取るのに失敗したみたい。わたしがくすくす笑っていると、「なんだよ」と拗ねたように言われ、余計におかしかった。


 食後のコーヒーを終えて、わたしたちは席を立った。食事のお金は、奏人君がどうしても自分が出すと言うから、お言葉に甘えることにした。その代わり、次はわたしが出すって約束した。


 店を出たあと、少し夜の街を散歩することになった。葉の落ちた並木が、街灯の明かりに照らされている。花咲く時期は、さぞかし壮観だろう。


 そんな中を、わたしは奏人君と微妙に距離を取りながら歩いていた。近づきたいけど、近づけない。俯いて、彼の大きな靴をじっと見る。


「茜、まさか」


 声をかけられ、びくりと顔を上げた。


「俺が『酔った勢い』とか言ったの気にしてんの?」


 立ち止まって小さく頷くと、奏人君は吹き出すように笑う。


「あんなの冗談に決まってるだろ」

「だ、だって……」


 うわずった声を返す。あの時の顔が、真剣そうに見えたのだ。

 それから、ちょっと、色っぽく。


 すると奏人君は、口角を上げて言った。


「して欲しいならするけど?」

「そんなこと言ってない!」


 頬を染めて、ぶんぶんと首を振る。奏人君は、しばらくにやにやとわたしを見たあと、歩き出しながら言った。


「ま、今日はやめとく」

「今日は、って……」

「明日朝からサークルなんだよ」


 それを聞いた途端、わたしはぎくりとした。浮ついた気分が、すっと冷めていく。

 今日一度も話が出なかった、サークルの話題。たまたまなのか、もしくは互い、避けていたのか。


「……ルージュさんも一緒ですか」

「ああ」


 返事はすぐに来た。ためらいも何もない。

 ……やましいところが無いから、だよね。単なる女友達ってだけ。


 それとも、逆なのかも。わたしはただの、『ネットの知り合い』だから……。


 わたしは早足になると、奏人君の手を掴んだ。そのまま、きゅっと握る。

 奏人君は、何も言ってこない。彼の顔にちらりと目を向ける。平然としてる、ように見える。


 もっと何か、した方がいいんだろうか。焦燥感が、じわりと染み出る。

 ルージュさんのことを聞けばいいの? 次のデートの約束をすればいいの?

 それとも……キス?


 不意に、繋いだ奏人君の手が、もぞもぞと動いた。わたしの手を大きく包むように、握り直す。

 大丈夫だ。安心しろ。

 まるで、そう言われているかのようだった。ゆっくりと、心が落ち着いていく。ぐるぐると回り続ける思考が、溶けて消える。


 わたしは奏人君に身を寄せると、穏やかな気持ちで歩いていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る