第29話 航海

 月曜日の朝。ひどく怖い夢を見て、わたしは悲鳴を上げながら飛び起きた。肩を抱いて、目をぎゅっとつむる。


 とても仕事に行く気にはなれなかったけど、そういうわけにもいかない。わたしは死にそうなほど憂鬱な気分で、なんとか支度をした。


 こういう日に限って、電車はかなり混んでいた。つり革にも掴まれない。身を縮こまらせて、他の人と体が触れないようにする。


 オフィスの自席に座ったところで、スマホに真理からのメッセージが来ていることに、ようやく気が付いた。昨日の夜だ。どうしたの? と心配そうにしている。


 わたしはぐるりと辺りを見回した。真理の姿は見えない。いつもなら、そろそろここを通る頃なのに。

 その代わりに、見たことのある顔が後ろを通りすぎようとしていた。よく真理と一緒にいる女の人だ。


「あ、あの」

「はい?」


 わたしがおずおずと声をかけると、その人は人懐っこい笑みで振り向いた。


「真理……桜真理さんは、外出ですか?」

「いえ、今日はお休みみたいですね。体調不良だと聞いています」

「……そうですか」


 肩を落として言うと、不思議そうな顔をされた。軽く会釈をして、去っていく。


 パソコンを付けて、起動画面をぼんやりと眺める。昨日のこと、話したかったのにな。

 一瞬スマホのメッセージで相談しようかと思ったけど、やめておいた。体調が悪くて休んでるのに、余計な心配をかけたくない。『なんでもないよ。お大事に』とだけ返す。


 真理がいないからなのか、今日はいつもより忙しかった。昼休みもほとんど取れなくて、作業をしながら自席でおにぎりをかじる。

 でも、忙しくてよかったのかもしれない。余計なことを考えずに済んだから。


 定時はあっというまに過ぎていく。晩ごはんを食べる暇もないうちに、時計の短針は、九の数字を超えようとしていた。


「おわっ、た……」


 わたしはぱたりとデスクに突っ伏す。資料も作り終えたし、メールも送ったし、もうやり残したことは無い。

 辺りを見回すと、まだ結構人が残っていた。わたしは九時過ぎまで会社にいることなんてほとんど無いけど……こんな感じなんだ。


「あ」


 わたしは改めて、壁にかかった大きな時計を見る。今日はチームの活動の日だった。今から帰れば、まだ間に合う。


 荷物をまとめ、慌てて会社から出たところで、昨日のことが頭に浮かぶ。

 奏人君、ルージュさんと二人でボイスチャットしてるんだ。女友達とそれぐらい、普通なのかな。考えても分からない。


 まだまだ人の減らない電車に乗って、そっとため息をつく。スマホを見ると、今日の活動は休むという、真理からの連絡だった。

 わたしはまたため息をつく。今日は真理と話せそうにない。


 家に着いたのは、活動の時間の少し前だった。すぐにメルヘンライフオンラインを起動しようとして、手が止まる。

 もし奏人君に話しかけられたら、どんな態度でいればいいんだろう?


 結局、開始ぎりぎりにログインすることにした。みんなのあいさつに短く返して、いつもの喫茶店へと急ぐ。


 真理以外の他のメンバーは、既に集まっていた。わたしが席に着くと、ゼンさんが話し出した。


『そろいそろ時間だね』

『シンリーは?』

『今日は休むって連絡があったよ。体調が悪いらしい』

『へえ。今度見舞いでも持って行くか』


 奏人君の言葉に、わたしは胸の奥がきゅっと苦しくなった。まさか、真理ともリアルで会ってるの? 二人で?

 ……ううん、そんなわけない。ただの冗談だ。そうに決まってるのに、疑念を追い出すことができない自分が嫌になった。


『本当は全員そろっている時にしたかったんだけど、シンリーさんから先にやっててって言われてるんだ』

『何をっすか?』


 ルージュさんが尋ねる。ゼンさんは答えた。


『船がね、完成したんだよ』

『おおー』

『おめ』


 そっか、確か、もぐらドラゴンのアイテムが最後って言ってた。船のことなんて、すっかり忘れていた。


『だから今日は、初めての航海に出ようと思ってね』

『いいっすね!』

『山登んないの?』

『もちろん登るよ。目的地の島に、大きな山があってね。楽しみにしててもらっていいよ』


 ゼンさんの説明が、いつかの記憶を呼び起こした。それって、もしかして……。


『前にルビアと二人で見たやつか』


 奏人君が言った。やっぱりあれなのかな。一か月半ぐらい前と、それから……奏人君を、食事に誘った時に行った。

 ルージュさんが、茶化すように言った。


『なんすか二人って! デートっすか!』

『まあな』


 奏人君が自慢げに返すのを見て、少し困惑してしまった。わたしのことを、そんな風にルージュさんに話すなんて。やっぱりこの二人は、ただのお友達……なのかな。


『そういうわけで、まずは港に向かおう。馬車を使うから付いてきて』

『オッケーっす!』

『了解』

『はい』


 わたしは短く答えた。今日はろくに発言してないなと、ぼんやり考える。


『行くぞ、ルビア』


 椅子に座ったままのわたしに、奏人君が言った。いつの間にか、みんな喫茶店から出ようとしている。わたしは慌ててルビアを操作した。


 馬車乗り場へと向かう途中、ずっと考えていた。

 二人は、どういう関係なんだろう。

 そしてわたしは、どうすればいいんだろう。

 答えはなかなか出そうにない。


 もやもやとした気持ちのまま、わたしは馬車に乗った。

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