第28話 恐怖のお誘いクリスマス
「遅くなりましぁ……」
コソコソと言うわけではないけれど、既に零時を大いに過ぎていて、泥棒並にそろりそろりとリビングへ向う廊下を行く。
リビングの灯りは、点いている。
きっと、ソファにふんぞり返り、大袈裟なほどに足を組んで鬼のような形相の水上さんが待ち構えていることだろう。
それを想像しただけで身の毛がよだつ。
控えめな音を立て、リビングに繋がるドアを開けた。テレビが点いていて、そこからはクリスマスの特別番組が流れているのが見える。ソファには、案の定水上さんの姿があった。
怖々と「ごめんなさい」の言葉を用意して近づくと、静かな寝息が聞こえてきた。
「あれ……」
寝ちゃってる。
水上さんの体は、崩れるようにしてソファに横たえられていた。
点きっぱなしのテレビのボリュームをそっと下げてから、着ていたコートを脱いだ。
叱るために待っていたのだろうけれど、あんまり遅すぎて寝ちゃったみたい。
なんか。
「……ごめんね」
小さな声で呟いたつもりが、反応するように水上さんの睫がゆっくりと持ち上がった。
「あ、起こしちゃった。ごめんなさい」
「んあ。……おう」
少し寝ぼけているようで、状況を理解できていないらしい。このままいけば、門限ぶっちぎってしまった事を怒られずに済むかもしれない。
なんて、甘い考えでいると、無機質な声がかけられた。
「遅かったやん」
それは、まるで機械音声のようだった。あらかじめ組み込まれていたデータみたいに、感情の伴わない言い回しに、いつも以上の恐怖を感じさせる。
「……ごめんなさい」
今度は、遅れたことに対して頭を下げた。
「兄貴とのメシは、さぞ楽しかったみたいやな」
ムクリと起き上がると、さっきとは打って変わって、丸々嫌味に聞こえる言い方をした。
「楽しかったっていうほどでもないですけど。まぁ、それなりに……」
恐縮至極で身を縮める。
だって、早く帰るなんて言っておきながら門限まで無視して、悪いのは私だから。
「英嗣は、みんなとの食事、楽しかった?」
話題を逸らそうと、無駄な抵抗をしてみる。
「いつもと変らん」
そうですか……。
本当に無駄な抵抗だった、ああ、気まずい。
テレビからは、賑やかなクリスマスソングや笑い声が、低ボリュームだけど聞こえてくるというのに、ここは焼け野原みたいに寒々としている。なんなら、お経さえ聞こえてきそうだ。
おかげで、クリスマスイヴなんてものが存在しないみたいだ。
まぁ、イヴが存在しなくても、キリストが生まれたほんちゃんがあれば、日本の世の中それほど困る人もいないだろう。要は、みんな騒ぐ理由が欲しいだけなのだから。
「兄貴とは、どんな話したんや?」
訊ねながらソファから立ち上がると、スタスタとキッチンへ行き冷蔵庫から缶ビールを出してくる。それを徐に煽り、炭酸にギュッと顔を顰めた。
「どんな話って……。たいしたことは、話していないよ……」
「せやけど。これだけ一緒におったんやから、さぞおもろい話しで盛りあがったんやろ?」
うぅ、完全なる嫌味ですよね、それって。
だから、ごめんなさいって謝っているのに。意外と、ねちっこいな。
「途中で人の電話切りおってからに」
口元に缶を持っていきながら、更なる嫌味を付け加えられた。
そうだった、慌て過ぎて電話もブチ切っちゃってたんだよね。
「ごめん……」
「まぁ、ええわ」
いいのかよっ!
自分の置かれている立場も弁えず、思わず突っ込みそうになる。
「明日。今日の詫びに付き合え」
「明日ですか?」
「予定、ないんやろ?」
「ええ、ないですけど……。でも、クリスマスですよ。お友達と一緒じゃなくていいんですか?」
彼女は居ないと言っていたから、そのあたりには触れないようにした。
「ええんや。とにかく、明日付き合え」
有無も言わさずとは、このことでしょう。
ひと睨みされてしまえば、蛇に睨まれた蛙。取り立て屋に囲まれた債務者。やくざに因縁をつけられた小市民の如く、首を縦に振るほかありません。
何ならジャンプでもして、小銭のチャリンチャリンなんて音もさせましょうか?
頷く私に、満足そうな顔つきをしている。
まるで、明日は存分に可愛がったるさかいなぁ、といやらしい顔つきで弱い者を苛めるチンピラのよう。柄物の派手で趣味の悪いシャツを着せたら、よく似合いそうだ。
やっぱり、小銭ありますよぉってな具合にジャンプしとこうか。
目の前にある、世にも怖ろしい顔つきに、ブルリとひとつ身震いをする。
明日で、私の命は最期を迎えるかもしれない。キリスト生誕の日に最期を迎えられるなんて、ありがたすぎて涙が出そう。凌との食事が、最期の晩餐だったのね。最期に美味しい物をいただけて、私は幸せだわ。凌には苛められてばかりいたけれど、最期にいい思い出ができたのかもしれない。
アーメン。
脅迫ともとれる脅しに満足した水上さんは、残りのビールを飲み干すと歯磨きをしてご就寝。
自室に戻った私は、遺書を書くべきかどうか悩みながら、寒々とした恐怖の明日を思い眠りについた――――。
翌日のクリスマス。冬の寒さと今日で最期となる命に、恐怖を感じて早々に目を覚ます。ぬくぬくとした布団から出る勇気はかなり必要だったけれど、それより何より、今日で命の灯火が消えてなくなることを思えば、この都会の寒さなど屁でもない。
ガバッと布団を剥ぎ、寒さに身を縮めながら今日という日を大切にしようと深呼吸をする。
すーっ、はぁーーーっ。
たつ鳥跡を濁さずではないけれど、荷物の整理などちょっとしてみようか。といっても、持ち物などほぼ無いに等しいけれど。
キッチンやお風呂やトイレもいつも以上にきれいにして、ふうっと息をつき振り返ると、背後には仁王立ちのチンピラが居た……。
まだ眠そうな顔を不機嫌に歪めて立っているその姿に、ぶわっと鳥肌がたつ。
「ひいっ!!」
忍びもびっくりなくらい気配を殺して背後に立っていたのは、今日私の命を狙っている張本人の水上さんだ。
おぬし、伊賀か? それとも、甲賀か? ニンニンッ!
思わず、はっと身構えた。
「なんやねんっ」
胸の前で両の拳を握って構えると、眉間にしわを寄せて面倒くさそうな顔で見られた。
「朝から、バタバタと煩いなぁ」
不機嫌極まりない表情を少しも隠すことなく、いつもの如く文句を突きつけてくる。
「ええ、最期なので、隅々まで丁寧にしてました」
「最期ってなんやねん」
わけわからんわっ、と零しつつ、「飯!」とダイニングのテーブルに着かれました。恐怖に慄きながらも、いつもどおりに朝食の準備に取り掛かります。
今日のメニューは、白いご飯に鯵の開き。豆腐とわかめのお味噌汁に、おくらとなめこの粘々お浸しとお漬物。質素ですが、日本的にまとめてみました。
炊き立ての湯気が上がるご飯に目を細め、合わせ味噌の中に隠れている鰹出汁を堪能。干物はパリッと皮目を焼き上げ身は柔らかくホクホクと、いい脂を逃がさず焼き上げました。
いかがでしょうか?
伺うような視線で、向かい側で同じように朝食をいただきます。
水上さんは、「ぅんまいっ」と大きなお口を開けて、次から次へと胃の中へ納めていきました。
そんなにがっつくと、胃を壊しちゃいますよぉ。
「おがわりっ」
まだ口の中に食べ物が入ったまま、こちらにぐっと茶碗を突き出してくる。そんな水上さんの口の端に、ご飯粒がついているのは指摘した方がよいのだろうか……。
ご飯をよそい手渡しながら、もう少しご飯粒のついたその子供のようなお顔を眺めていようと口を閉ざす。
軽い、嫌がらせだ。
それにしても、こんな上流階級の暮らしも今日で最後なのですね。この後の私の暮らしは、一体どうなってしまうのでしょうか。
クリスマスに水上さんと二人でお出かけなんて、ちっとも予測がつきません。
いや……、ちょっとはついているんです。以前の自由が丘のようなことくらいは……。
あれは、ひどかったなぁ。ワインをガンガン飲んで、タクシー乗らないとか、えいじやしぃっ! とか駄々こねちゃって。
今回は、それを上回る!? あれ以上酔ったら、どうなるのだろう?
勢いで、銀行強盗とかしでかしたりしませんよね? やるなら緻密な計画を立てた上でお願いしますよ。しかも、私を巻き込まないでくださいね。
そうそう、銀行員全員味方につけるとかどうですか? こんな心強いことってないと思うし。
だって、客以外、実はみんな銀行強盗なんて、誰も信じないでしょ。どうです、この案。
それより、ピストルはどこで手に入れるのだろう? やっぱり“や”とかつくお人から入手するのか?
伺うように顔を見ながら、口のそばに未だご飯粒をつけてる食いしん坊な強盗なんて、ちっとも恐くないかも。むふふ、なんて心の中でほくそ笑む。
さて、そろそろ冗談はおいといて。
「今日は、どこへ行くの?」
「ん。まぁ、色々や」
満腹になった水上さんは食後の緑茶をすすり、色々なんて口を濁して教えてくれない。
「昼前には出るから、それまでに準備しとけ」
言うだけ言うと、自分は寝室に引篭もってしまった。
食器を片付けながら、口の傍のご飯粒、教えてあげないままだったな、なんてチロッと舌を出す。
洗い物を済ませてから、朝掃除できなかった寝室のドアをノックした。
「なんや?」
「お掃除するけど、入っていい?」
ドア越しに訊くと、「おう」と短く返事が聞こえてきた。
「おじゃましまーす」
声をかけて中に入ると、水上さんはベッドの上で胡坐をかき、ギターを抱えていた。
口の端にご飯粒がないところを見ると、どうやら気がついて取ってしまったらしい。
そのままついていたら、突っ込んであげようと思ったのに。残念。
ギターを抱えた水上さんは、なにやらメロディを口ずさんでいる。ギターはアコースティックギターじゃないから、響き渡るような音はしない。どちらかと言えば、控えめで硬い金属の音だ。
それでも、流れるメロディーは聴き心地がよく、それにそっと添えられるように口ずさむ声はしっとりと艶がある。
この部屋を掃除するたびに、立て掛けてあるギターを見て、弾くのだろうとは思っていたけれど、実際目にし耳にするのは今日が初めてのことだった。
歌も上手だなぁ、とテレビで見たときに思ったけれど、ギターもお上手なのね。
心地いい控えめな歌声を聴きながら、洗濯物を回収し、散らかっている雑誌を整えていく。
ベッドメイキングを先にしたいけれど、デンと座ってギターを気持ち良さそうに弾いているのを邪魔できず、ワサワサと掃除機をかけながらその姿を見ていた。
すると。
「五月蠅くて、音が聴こえへん……」
顔を顰められた。
「ですよねぇ……」
いくら最新の掃除機だとはいえ、全く静かなわけじゃない。スイッチを一旦切って、苦笑いをヘラヘラ浮かべる。
水上さんは、ヘラヘラした締まりのない顔を一瞥したあと、胡坐を崩すとベッドから降り、ギターを抱えたままリビングへ行ってしまった。
聴こえなくなってしまったメロディーを、少し残念に思う。
水上さんのギターに後ろ髪を惹かれつつ、ベッドメイキング開始。
わっさーっ、とシーツやカバー類をはずし、新しいものに付け替えていく。
その後、隅々まで掃除機をかけて終了。
「終わったかぁ?」
掃除機をズルズルと引きずりながら出てくると、ギターを抱えた水上さんがソファーから振り返る。「うん。終わったよ」
「ほんなら、出かける準備しよか」
「うん」
どうやら、黙ってギターを弾きながら、急かす事も無く掃除が終わるのを待ってくれていたみたい。
こういうところ、優しいよね。
掃除機を片付けた後、チェストの隅に入れておいた物をコートのポケットに捩じ込み忍ばせて、出かける準備をした。
水上さんは、ジーンズにネルシャツ・キャップに黒縁眼鏡をして、あったかそうなダウンを着ている。
その傍で履き古した既にヨレヨレのジーンズに、これまた何十回、いや何百回と袖を通したであろうニットを着て、貰ったコートを羽織った。
玄関でスニーカーを履くと、冷たい空気が刺す表へと二人でくり出した。
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