第6話 プチブル生活に驚きの連続 2
どのくらい経っただろう。
グースカピーと寝息を立てていたら、おでこにいきなりの衝撃がっ。
「イタッ!」
「何、寝とんじゃ!」
強烈なでこピンを喰らわせた水上さんが、傍で仁王立ちしている。
ゲッ! いつの間に。
焦って起き上がり壁の時計を見たら、既に七時を過ぎていた。
あちゃー。やっちゃった。
「ご、ごめんなさい。すぐにご飯作るからっ」
慌ててソファから立ち上がり、キッチンへダッシュ。冷蔵庫を覗いていると、水上さんが後ろに立つ。
背後からの攻撃ですか? 随分と卑怯な真似をと、恐る恐る振り向いた。
「もぅ、ええよ。外行く」
「え?」
「作るの待ってられんから、外で食う」
吐き捨てるようにすると、クルッと踵を返し玄関へ向かってしまった。
ヤバイ、怒らせてしまったよ。どぉしよぅ。こんなんじゃあ、お給料なんて、まともに出ないかもしれない。
それどころか、クビ……。
イヤイヤ、ダメダメ。それだけは、どうか勘弁してください。お代官さまぁ。
縋るような目をして一人動揺していると、玄関から声がかかった。
「行くでぇ、早くしぃや」
「え?」
私も行くの? 一緒に連れて行ってくれるなんて、思いもしなかったよ。てっきり、怒って一人で食べに行ってしまうのかと思っていた。
「はよせーやっ」
イラっとした催促に慌てて、おんぼろの上着を羽織り急いで玄関へ向かった。
顔を隠すみたいにキャップを目深にかぶった水上さんは、マンションからしばらく歩いた先にある和食屋へと入っていった。
「おっちゃん、久しぶり」
店内に入り声を掛けると、カウンターの中にいたおじさんが笑顔を見せた。
「おぅ、英嗣。久しぶりだなぁ。こっちで仕事か?」
「うん、ちょっとな」
「奥、空いてるぞ」
「さんきゅ」
二人の会話を黙って聞きつつ、水上さんのあとをついていく。
奥というのは、個室だった。襖を開けると、三畳ほどのスペースだ。
奥の壁に背を向けて水上さんが座ったので、私は襖を背に座った。二人、向かい合わせになる状態。
なんだか、変な感じ。主従関係がなかったら、恋人みたいだよね。
まぁ、天地がひっくり返っても、そんなことはありえないけれど。
「好きなもん頼みぃ」
テーブルの上のメニューをあごで指し、水上さんは被っていたキャップを脱いだ。
クシャクシャと髪の毛をかき混ぜると、ぎょろりとした目が現れる。
うん、いつ見ても、はっきりとした二重の大きなお目目。
オブラートに包んだ表現で、恐怖を和らげてみる。
だって、恐いんだもーん、この二重のお目・目。
水上さんの表情にビビリつつ、メニューにも視線をやる。
そこへおじさんがやってきて、お茶とお絞りをテーブルに置いた。
「英嗣は、いつものか?」
「うん」
「お嬢ちゃんは?」
そう訊かれても、はっきり言って迷う。
今まで食べたい物、なんて贅沢を言っていられない生活だったのだ。だから、急に好きな物を頼め、って言われても、端から端まで全部って言いたくなるくらい目移りしてしまう。
かと言って、そんなに全部食べられるわけもないから。
「お勧めは、なんですか?」
「今日は、いい魚が入ってるよ。金目の煮つけなんてどうだい?」
おぉ。金目ですか。そんな高いもの、頼んじゃっていいのだろうか?
伺うように目の前の水上さんを見る。
「なんや? 金目、頼んだらええやん」
マジッすか? 金目っすよ。市場でも、一匹に野口英世さん一枚じゃあ、到底買えない代物ですよ。ほんとにいいんですね?
伺うようにもう一度見ると、うむ、というように水上さんが頷いた。
やったー。お許しが出ましたよぉ。うっしっしっ。金目、金目。
「じゃあ、金目の煮付けをお願いします」
思わず、ニコニコ顔になる。
「あと、適当に頼むわ」
おじさんは「あいよ」と軽快に返事をして頷き部屋を出ていった。
金目にウキウキしながらお絞りで手を拭きお茶をすすると、目の前の水上さんと目が合った。
ジィーッとこちらを見ている。
な、なんですか……?
多少ビビリながらの心の声。そうして、沈黙。
えぇっとぉ……。こういう時は、何か話すべきなのでしょうか?
目を泳がせながら、話の糸口を探した。
「仕事、どうでした?」
「いつもとかわらん」
「そうですか……」
……会話が終わってしまった。
また、沈黙。
き、気まずい。どうする、私っ。
そうだ。
「どれくらい、こっちにいるんですか?」
「一週間」
なんて、簡潔な答え方。また、会話が終わってしまったじゃないか。
そもそも会話をする気なんてないってことか? だったら、そんな怖い目でガン見しないでよね。
結局また沈黙になってしまったけれど、かまわずお茶をすする。
水上さんの音楽活動は大阪を拠点としているらしく、今のところこっちには時々しかやってこないらしい。元々のファンを大切にしたいんだとか。
しかし、その時々の仕事のためにあの部屋を借りているとは、なんて贅沢なお話でしょう。ホテルにでも泊まればいいのに。
そう思ったけれど、ホテルじゃ落ち着かないか、とも思った。
沈黙の中、湯飲みの底が見えそうなほどお茶をすすっていたら、おじさんが料理を運んできた。
水上さんの前には、刺身と日本酒。あと、つまみに枝豆やからすみ、塩辛などが置かれた。
私の前には、いい香りの立派な金目に白いご飯とおみおつけ。それと、お浸しや天ぷらなどが少しずつ。
あぁ、何て贅沢な晩御飯でしょう。幸せすぎて涙が出そう。うぅ。
目じりに涙をため、箸を持つ。
「いっただきまーす」
元気に言って金目を頬張った。
うっひゃー、おいしいっ。何、このプリップリの身は。それに脂ものってるし、上品な味付けもグゥーッ。
夢中で箸を動かし食べていると、刺さる視線に気がついた。
目線を上げなくてもわかる、水上さんの眼力。きっと、がっついている私を呆れた顔で見ているはず。
そぉっと目線を上げると、どうしてだか楽しそうな表情していた。
あれ? 呆れられていると思ったのに、楽しそうな顔つきに拍子抜けしてしまった。
あ、いや。
別に拍子抜けしたからって、怒られたいわけじゃないのよ。私、Mじゃないし。どっちかって言えば、Sだろうしって、そんなことどうでもいいか。
楽しそうな水上さんの表情に、次第に私の頬も緩んでいく。
水上さんの飲んでいる日本酒は、既に一合空けて二合目に入っていた。
彼は、お酒が入ると機嫌が良くなるのだろう。きっと、そういうシステムなんだ。うん、うん。
「
目の前の私に向かって徳利を傾ける。
いいのだろうか?
金目をご馳走してもらっているのに、お酒までいただくっていうのは、ちょっと調子に乗りすぎの気もするけど。でも、せっかく勧めてくれているんだし。
据え膳食わぬは、なんとかってね。あ、ちょっと使い方違うね。ま、いっか。
ここで逆に断ったら、隠し持っているかもしれない機関銃で乱射され、蜂の巣っていう恐れもあるしね。
うん、うん。よし、ここは素直に頷いておこう。
「うん」
「おっちゃーん、お猪口もう一個」
襖越しに叫ぶと、「あいよー」とおじさんの声がして、すぐにお猪口が運び込まれる。
届いたお猪口に、日本酒がなみなみと注がれた。
あわわっ。零れちゃう、零れちゃう。
勿体無いとばかりにお猪口へ口をつけると、ますます目の前で楽しそうに表情を崩している。
このお方、お酒が入ると本当にご機嫌だわ。ずっと、飲ませておきたいくらい。
食事が済んだ頃には、水上さんはほろ酔い状態。ヘラヘラとした笑いを浮かべ……基。ニコニコと素敵な笑顔を浮かべ、踊る足取り。千鳥足ともいうけど。
「なぁ、あかりー」
静かな夜に、人の名前を大声で叫ばないでくださいな。
声のボリュームもわからないほどご機嫌に酔っている水上さんは、ふらふらと帰り道を行く。
「なんでしょう?」
「あかんてっ。敬語は、あかんて言うたやないか」
「あ、ごめんなさい」
酔っていても、その辺は譲れないらしい。
酔っ払い相手にどうしたものかと思案していると、グイッと私の手を握り歩き出した。
えっ、ちょっとっ。
ズルズルと引き摺られるように手を引かれてマンションへ向かい、ツカツカとエントランスに入ったかと思うと、今度はいきなりガシッと両肩を掴まれ座った目が睨みつけてくる。
ひいぃーっ。だから、怖いって。
おびえた小動物のようになっていると、おもむろにコートに手をかけられた。
せ、背負い投げ?
何をされるのかと、ビビッてしまう。
「新しいの、こうてやる」
投げ技がくるかと体勢を整えようとしていたら、よく解らない言葉を投げかけられた。
こうてやる?
おぉっ、買ってやるってことか。
えっ? 買ってやるって? コートを? どうして?
「どんなんがええんや。ブランドもんがええんか?」
いや、どんなのって急に言われても、最近洋服なんて買ってないからなんとも言えませんよ、うん。しかも、ブランドなんて贅沢品を持てる身分じゃあございませんから、はい。
「あ、いや、そんなブランドなんておこがましい……」
酔った勢いで、軽くそんなこと言わないで欲しいものだ。酔っ払いの戯言を信用しちゃいけないのは解っているけれど、本当に買ってくれるのかと多少なりとも期待してしまうではないか。
「贅沢なんて、言いませんから」
端から信用せずに愁傷な返事をすると、ふんっと鼻を鳴らし、掴んでいたコートから手を離した。
一瞥するような冷たい視線をくれたあとは、何も言わずにキーを差し込みエントランスを抜けると、降りてきたエレベーターに乗り込んでしまう。
ふんっ、何言われてどうしたものかと焦りつつも、置いていかれないようについて行く。
箱の中では、さっきまでご機嫌だったはずの水上さんが、今は壁に寄りかかり俯いたままで、なんとなく不機嫌に見える。
何か怒らせるようなことを言っただろうか?
エレベーターを降りても無言のままで、部屋に入ってやっと口を利いたかと思えば、「シャワー浴びてくる」の一言だけ。
やっぱり、何か怒らせてしまったみたいだ。
酔っ払った上でのこととはいえ、せっかく上着を買ってくれると言ってくれたのだから、ブランド物がいいと今時の若者らしく、キャピキャピと喜んで応えたほうがよかっただろうか?
それとも、子供みたいに両手を挙げて、万歳三唱願いまーす、みたいにはしゃいだ方がよかっただろうか。
それともそれとも、もっと別な理由で怒ったのかな? だとしたら、何?
ダメだ、考えたってわからない。
それより、久しぶりに飲んだ日本酒に喉が渇く。水、水。
キッチンへ行き、グラスに水道の水を注いで一気飲みした。
「ぷはぁーっ」
浄水機能のついた水道水は、カルキ臭さがまったくなくて美味しい。そうこうしている内に、シャワーを浴び終わった水上さんがリビングへやってきた。
「俺にも水」
言われるままに、水道水をグラスに注いで手渡した。
「はい」
しかし、水上さんはムッとして受け取らない。
あれ? 更に怒った? なんで?
「あほかっ」
グラスを持ったままの私の横を通り抜け、冷蔵庫を開けるとペットボトルの水を取り出し飲み始める。
あぁ。水って、それか。なんて、贅沢な。浄水器がついてるんだから、水道水で充分じゃん。
そんな贅沢を当たり前にしている行動に、こっちがムッと来てしまう。
世界には、濁った水でさえ貴重な国があるんだよ。全く、どんだけリッチマンなんだ。この、小ブルジョワめ!
チロリと厭味ったらしい思考でペットボトルの水を飲む姿を見ていたら、それ以上の視線で見返されてしまった。
「なんや?」
ムッとした厭味ったらしい顔に向って、片眉をクイッと持ち上げ威嚇された。
それでもめげずに、この、贅沢者めっ! なんて思ったわけだけれど、主従関係を考えてやめた。
ぁあ、呪わしいこの縦社会。
気を取り直し、いえいえ、何でもありません。という顔をしてキッチンを去ると、背中に声がかかる。
「シャワー、使ってもええぞ」
さっきとは、打って変わって優しい声だった。
「あ……うん」
ペットボトルを手にしたままの水上さんの好意に甘え、「お風呂いただきます」とバスルームへ向かった。
やっと一日が終わった。たった二日働いただけなのに、新しいこと尽くめと水上さんへの気疲れで、心身ともにぐったりだ。何なら、今までしてきたバイトの方が、お給料は安かったけれどずっと精神的にはよかった気さえする。
ジャグジーの泡に体を沈め、ぼけらーっと湯船に浸かること数十分。
「うぅ。のんびり浸かりすぎて、湯だった……」
少しぐったりしながらリビングへ行くと、既に水上さんの姿はない。とっくにご就寝てところだ。
「あ、また訊くのを忘れた」
寝室の扉に視線をやり、自身の寝床がないことに項垂れる。
リビングの隅に、申し訳なさそうに置かれたままの自分の荷物がなんて侘しいこと。
しかたない。今日もソファで寝るしかないか。
幸い、タオルケットはソファの端に畳まれそのままになっているしね。
ふと、テーブルへ視線をやると、紙が一枚ペラリと置かれていた。手に取ると、明日のスケジュールが書かれていた。
明日の朝は、六時起きらしい。けど、五時半には声をかけて起こすようにと書かれている。
三十分も早く起こしにかからなければいけないということは、寝起きが悪いということか? もしそうだとしたら、起こして怒鳴られたりしないだろうか?
一抹の不安を抱えながら、今日も座り心地のいいソファで眠りに着いた―――――。
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