第5話 プチブル生活に驚きの連続 1

 明け方。バイト暮らしのときの癖で、自然と早くに目が覚めた。壁にかかるおしゃれな時計に目をやると、時刻はまだ六時前。

 んーーっ。と大きく伸びをして起き上がると、バサリと床に何かが落ちた。

「あれ? タオルケット」

 落ちたタオルケットを拾い上げ、寝室のドアを振り返る。

「やっぱり、根はいい人なのだろう」

 些細な気遣いに頬を緩ませ、顔を洗ってから朝食の準備に取り掛かった。

「パンだろうか? 米だろうか?」

 ん~。としばし悩む。

 昨日、あれだけ飲んだのに朝からがつがつ食べられるわけないか。よし。

 棚の上にあったミキサーを取り出し、煮込んだ人参を入れる。それを裏ごしして、口当たりのまろやかな温かいスープを作った。それと、サラダを少しにパンケーキを焼いた。

 全部食べられなくても、スープくらいは飲んで欲しい。

 ところで、何時に起こしに行くべきか……。

 朝食を作ったのはいいけれど、もしかしてお昼まで起きてこないとか?

 昼まで起こすんじゃねぇ。とか思ってるのかも。

 だとしたら、このスープやパンケーキたちって無駄?

 かといって起こさないでいたら逆に、何でおこさへんのやっ!! なんて怒鳴られる気もするし。

 キッチンでぶつぶつと独り言を呟いていたら、背後に気配を感じた。

「ええ匂いやな」

「ひっ!!」

 物音も立てずに起きてきた水上さんに、おもわず驚き声を上げてしまった。

「なんやねん」

 いきなりの登場に、焦っていると眉間に皺を寄せられた。

「す、すみません……」

 慌てて頭を下げる。

 水上さんは、キッチンに用意されている品々を覗き見るようにしている。

「飯、作ってくれたんやろ?」

「はい」

「じゃあ、シャワー浴びてからにするわ」

 眠そうな顔で欠伸を一つすると、頭をガシガシとかきながらリビングを出ていく。

「あー、びっくりした。気配殺して登場しないで欲しいわ」

 ゴルゴ13か。はたまた、必殺仕事人? どちらかと言えば、接近してきたあたりは、仕事人だな。もしも、ゴルゴだったら、遠距離から速攻で打ち殺されちまうぜ。

 朝からくだらない思考は、止まらない。

 水上さんは、シャワーを浴びてさっぱりすると、タオルを首に巻いたままテーブルに着く。無駄にならずに済んだ、スープやパンケーキをテーブルに並べていった。

「これ、美味いな」

 キャロットスープを一口飲みこみ、笑顔を見せてくれた。

 ああ、なんだかアイドルのようなスマイル。

 あれ? アイドルだっけ? いや、違った。ミュージシャンだよね。……確か。

 ま、いいか。

 スープを褒められ、ご機嫌になる。手間隙かけて作った甲斐があるってものよ。

あかりにして、正解やったわ」

「え?」

 何が? このバイトのこと? 他にも候補がいたのかな?

 そうだよね。こんないいバイト、他にもやりたい人がいて当たり前だよね。

「ありがとうございます」

 小さくお辞儀をすると、昨夜のようにジーっと顔を見てきた。

 あれれ? なんか、まずったかな?

 もっと、こう、会釈しっかりの四五度を保ってお辞儀しろとか?

 はたまた、三つ指突いてしっとり頭を下げろとか?

 これは、ないか。

 くだらない思考とは裏腹に、焦りに少し早まる心臓は、バックバク。どんな必殺攻撃が飛んでくるかと、若干身構える。

「昨日も言うたけど、敬語はあかんて」

 あ……、そのことね。

「はい……じゃなくて、うん」

 よかった、殺されなくて。鉄拳くらい飛んでくるかと思ったし。そっか、敬語廃止は、酔っ払って言っていたことじゃなかったんだ。

 だったら、名前もやっぱ呼び捨てでいいわけ?

 かすかな疑問を持ちつつも、名前を呼ぶ機会もないまま、帰ってくるまでにやっておくことを言い置いて、「ほな、行ってくるわ」と水上さんはギターを背負って仕事へ出かけてしまった。

「さーてと。なにからやろうか」

 腰に手を当て、部屋をぐるりと見回す。

「掃除って言ってもなぁ。はっきり言ってするところないくらい綺麗だけど」

 それでも、必ず使うトイレとバスルームはしなくちゃいかんだろうなと動き出す。

 廊下やリビングに掃除機をかけ、ガシガシと便器を擦り、ゴシゴシとバスタブを洗う。

「ふぅ。さーて、次はっと」

 左側のドアの前に立ち、深呼吸をひとつ。寝室ってところは秘密の花園なわけだから、少しばかり躊躇してしまう。誰もいないのはわかっているのだけれど、一応コンコンとノックをした。

「入りますよぉ~」

 声を掛けてから、ドアを開けた。

 寝乱れたベッド。中途半端に開いているカーテン。脱ぎ散らかされている部屋着。それらを素早く整え片付けていく。

 洗濯機にシーツと部屋着諸々を放り込み、スイッチオン。

 放り込んだら、あとは放っておけばいいなんて。

「あぁ、何て便利なドラム式」

 おんぼろアパートに住んでいたときには、洗濯のたびに近くのコインランドリーへ行っていた。毎回入れる三百円が、なんと惜しかったことか。しかも、終わるまでそこを離れられないおかげで、時間がもったいなかったのよねぇ。

 離れてもいいのだろうけど、極貧生活をしていた私の数少ない下着を盗まれでもしたら、ノーパン生活にならざるをえないしね。

 ドラム君が洗濯をしてくれている間に、買い物に出ることにした。

 水上さんは、ビールがお好きなようだから箱買いでもしてこようと思ったのだ。他には、食材や日用品も色々買っておきたい。

 食費や生活費として預かっている封筒から一万円札を二枚取り出し、小さなポーチに入れ外へ出た。

「んー、そこそこいい天気」

 木枯らしが吹く秋の空に向かって、両腕を高く伸ばす。

「うぅ、さむっ」

 そこそこの天気のせいで、すぐあとに吹いた風に身を縮めた。

 新しい上着が欲しいなぁ。

 ずっと着ている薄手のおんぼろコートは、既に八年物。高校の時からの代物だ。

 新しい上着が欲しいけれど、今まで自分の物など買っている余裕はこれっぽっちもなかった。しかし、自分の家でもないこの部屋の生活水準があまりにも高いせいで、借金はまだまだ残っているけれど、少しくらい贅沢というものをしてみようかなどと、とち狂った考えを起こさせる。

 お仕事の契約をした時に、引越し代諸々に使ってくれと、水上さんからはポーンと十万円も手渡されている。しかし、引越しなんてものは自分ですべてやってしまい、お金は掛けていない。少しでも節約をして、残った分は借金の返済に回そうと考えていたからだ。

 お蔭で丸々十万円は、バタバタと忙しかったからまだ手も付けずに残ったままだった。

 父親の借金を背負ってから、今まであくせくと働いてきた。十万円のうちの五千円。いや、一万円くらい、自分のために使ってもバチは当たらないのではないか。

 そうだよ。ここ何年も服を買うなんてことなかったのだから、上着くらい買ってしまえばいいのだ。

 うん、うん。

 そうと決めると、心は弾む。ルンルン気分でお買い物だ。

 酒屋でビールを頼み配送依頼をし、少し歩いた先のスーパーで食材を見る。帰り際に、大きなドラッグストアで日用品を買い込んだ。

「うぅ……、重い」

 自分の物ではないけれど、こんなに豪快にお金を使ったのは久しぶりだったので色々買いすぎた。

 右手には、食材の入ったビニール袋が二つ。左手には、トイレットペーパーや掃除用洗剤などなど。

 箱買いしたビールを配送にして良かったと、大きな溜息を吐いた。

 バイトで力仕事もしてきたから軟な体はしていないけれど、漸くマンションが見えてきたところでほっと息を吐いた。部屋に辿り着き、ドサリと荷物を床に置く。再び深々と溜息をついてから、買ってきた物を冷蔵庫や棚にしまっていく。その後、ドラム君のご機嫌を窺いに行った。

「調子はどうですか?」

 物静かに存在感をあらわにしているドラム君を覗き込むと、乾いた洗濯物がふんわりし上がっていた。

「おぉ」

 さすがドラム式。

 すっかり乾いた洗濯物をたたんで、ちょっと休憩。

 座り心地抜群のソファに、ドサリと体をあずけて座る。

 テーブルの上のチャンネルを手にしてテレビを点けると、夕方前のチャンネルはドラマの再放送を流していた。リアルタイム放送でもないのに、テレビなどという高級品に縁のなかった生活のせいで、一度も見たことがなくちょっと釘づけだ。

 誰だ、この俳優?

「先輩」

 なんて言ってる若者は、ちょっといい男だったりする。女優さんの方は見たことがあるけれど、名前が思い出せない。社内恋愛のドラマなのか?

 よく解らないが、少し見ていただけで疲れていたのかまどろんできた。

「ふあぁ」

 小さく欠伸をしたところで、瞼が下りてきてしまった。

 ヤバイ。だめ。寝ちゃダメ。

 ご飯の支度、してないじゃない。水上さんが帰ってきちゃうでしょ。

 起きろー、私。

 死ぬなー、私。

 今寝たら、凍死するぞー。

 でも……、ね、眠い……。

 気がつけば、心地よい眠りの中へ。



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