第4話 人生の転機?!

 驚くなかれ。極貧の生活に、転機が訪れた。なんと、オートロックつきのマンションに、生活費つきのお仕事だ。月々の借金の支払いはあるものの、高給取りのバイトをあてがわれたおかげで、あくせく働かなくてよくなった。

 待ってました! と手を叩いて拍手喝采。スタンディングオベーションで満面の笑みを浮かべながら、右手を軽く上げて、やぁやぁ……、なんて巧い話は世の中にはない。そんなの、今まで生きてきた中で散々経験し学んできた。

――――はずなのに……。

「な。ええ話しやろ?」

 の一言に、ワンワン。と尻尾を振ってついていってしまったのは、目の前の餌におもいっきり釣られたおバカな私である。

 なんとも情けない……。


 場所は、都内某所。見上げるほどに高いマンションの十五階。あてがわれたキーを使って、ほんの少ししかない自分の荷物を運び入れる。

「うっわぁー」

 眩しすぎるっ。なんじゃ、このモデルルームみたいなドラマにでも出てくるような室内はっ。

 目をパチクリさせながら、しばし呆然としてしまった。

 以前、エントランスに入った時でさえ、あの明るくて広い場所に心臓がどきどきしちゃったのに。こんなところに、自分が住むことになろうとは、本当に夢のようだ。

「まさか、夢?」

 ありきたりだけれど、とりあえず自分のほっぺをぎゅうーっと抓り、痛みに涙をほんのり浮かべながらも、現実だということに口元が緩む。

 今誰かにこの顔を見られたら、気持ちが悪いことこの上ないだろう。

 しかーし、誰も見ていないんだ。どんな顔してたって関係ないや。

 開き直り、緩んだ口のまま奥へと進む。ほんの少し長い廊下を抜けると、広々としたリビングは二十畳ほどもあろうかという広さ。

「うっへー」

 L字になった座り心地のよさそうなソファに、どでかい薄型テレビ。自宅で映画を観るスクリーンのようだ。

 対面式の広々キッチンには、これまたデカイ冷蔵庫が置かれていた。

「何人家族が住むんだよ」

 ぼそりと皮肉を零し、リビングの左側にある扉を開けると寝室で、大きなキングサイズのベッドがドドーンと我が物顔で置かれていた。

「すんげー」

 更に奥には、ウォークインクローゼット。やたらと服や靴がズラズラッと置いてある。

 壁際には、数本のギターも置かれていた。綺麗に手入れをされているようで、窓から入り込む陽光に、ボディーがキラリと光を放っている。

 寝室を出て、向かい側の扉を開くと客室のよう。シンプルに、必要最低限のものが置かれている。

「そうだ。お風呂とトイレ」

 引き払ったおんぼろアパートのトイレやお風呂とは、きっと比べ物にならないほどの豪華さに違いない。

 期待に胸を膨らませ、ワクワクしながら廊下に戻る。途中にあるドアを開けると、玄関から一番近くにトイレがあった。案の定、広い。銭湯タイルなんてものはどこにも見当たらず、木をベースにした、とてもシックでモダンな造り。近づくと勝手に便座が持ち上がった。

「おおーーっ」

 一人感嘆の声を上げる。

 リビングに近いほうの扉は、お風呂だった。入ってすぐに洗濯機が置いてある。ドラム式だ。こん中に入ったら、未来に行けるか?

 随分と以前、街に貼ってあった映画のポスターを思い出し、洗濯機の蓋を開けて中を覗きながら、そんなくだらないことを妄想してみる。

 そこからもうひとつ扉を開けると脱衣場があり、奥にバスルーム。真っ白で大きな浴槽にジャグジーがついている。

「はぁ~」

 これ、またも感嘆の溜息ね。だって、本当に凄い。いくら稼いだらこんなところに住めるんだ。って話しでしょう。

 まぁ、ここの住人は、多分会社が家賃を負担しているのだろうけど。

 んでもって、私は、今日からここに住むわけだ。

「なんや。こんなところにおったんか」

 ジャグジーにうっとりと見惚れていると、バスルームのドアに手をかけ、背後から声を掛ける人物が現れた。

「あ、はい」

 相手にそんなつもりはないのかもしれないけど、ひょろりと高い身長と大きな目をギョロッとさせながらの関西弁がとても威圧的でならない。ついつい、萎縮するように小さくなってしまう。

「今日は、こっちなんですか?」

「どうでもええから、飯作って」

「はいはい」

 応えて貰えない質問を訊ね返すこともなく、二つ返事でバスルームを後にした。

 今回請け負ったバイトは、この部屋の管理らしい。あとは、ホームヘルパー。

 まぁ、家事手伝いというか、何でも屋……。

 何でも屋と言えば、以前働いていた便利屋のおかげで今ここにいるわけだ。

 そう、ここは便利屋の時に、シュレッダーを使いまくって廃棄物処理をした豪華マンションだ。

 以前は、ゴミを処理してしまえばなぁんにもない、ただのだだっ広い部屋だったけれど。今は、高価な家財道具がバッチリと納まった、こじゃれた部屋に変貌している。

 どういう気の迷いかしらないけれど、ここに住むご主人様。名前を水上英嗣みずかみえいじ、という。

 関西じゃあ有名らしい、バンドのヴォーカリストで私の雇い主だ。

 ん? 今は、こっちでも有名なのだろうか?

 テレビなんて贅沢品を持つ余裕も見る暇もなかったのでよく知らないが、結構人気のあるバンドのミュージシャンだとか。

 曲をだせば、オリコンだかダウンロード数だか知らないけれど、上位は当たり前らしい。

 そんな上位の音楽を聴いた事はないけれど、ビジュアルはアイドル顔負けだ。以前はパーカーの帽子や、目深にかぶったキャップ&ギロリとした目つきに気を奪われて気がつかなかったれど、アイドルみたいな整った顔立ちをしていた。

 この顔だけで曲の売り上げが、上がっているのかも知れない。なんて言ったら張っ倒されるだろうか。

 とにかくよく売れているらしく、テレビの音楽番組にも引っ張りだこなんだって。

 この話を持ちかけられた時も、ちょっとだけ交わした会話の中に、何かのスペシャルライヴにトリで出たとか言っていたが、私が知らないと言ったら、あの大きな目でキッと睨まれてしまった。

 怖さに一歩退いたのは、言うまでもない。

 そんな、ご主人様こと水上さんは、私の働きっぷりをいたく気に入ってくれたらしい。コンビニでの働き具合や、居酒屋でのことだと思うけれど。たったあれだけのことでご指名するなんて、なんとも奇特なお方ではないですか。ありがたや、ありがたや。

 見ている人は、見ているのねぇ~。

 なんて、悠長なことをいってもいられない。

 細かいことは、これから色々訊かなきゃいけないわけだけど、とにかくお仕事しなくちゃ金にならん。

 ああ、そうそう。そんな雇い主の、水上英嗣様。みずがみじゃないよ。みずかみだよ。濁点は、つかないんだって。

 何で念を押すかって言えば、初めに間違えて大変な剣幕で叱られてしまったのです。

「どあほっ! みずかみじゃ、ぼけぇっ!!」

 雷のごとく怒られて、首を竦めそのまま体の中に頭がめり込むかと思うくらいビビッタから。

 そんなわけで、水上英嗣様は、とてもお口がお悪いです。なので、怒らせないように慎重に会話をしなければいけないのです。

 だって、こんなオイシイ職、失っちゃ困るし。オンボロアパートだって引き払ってきちゃったから、今更帰る場所もないしね。

 でも、私ってば元々品のある女じゃないので、口も悪いのです。なので、度々それが出てしまい結局――――。

「はあっ!!」

 なんて、もの凄い形相で威嚇されてしまうわけだけど……。

 あぁ、怖い。

 身震いをひとつしてから冷蔵庫の中を見て、ちゃちゃっとご飯の用意をする。テーブルの上にできた料理を並べていくと、水上さんは急にご機嫌な顔になった。

 そうかそうか。お腹が空いていたのですね、水上さん。たーんとお食べなさい。

 親が子を見るような眼差しで微笑んでいると、「なんや!とまた威嚇されてしまい、「いえいえ。何でもございません」とそそくさと後退する。

 怖いってば。

 後片付けをする頃には、満腹になった水上さんが、あのデカいスクリーンでご機嫌にテレビ観て、鼻歌を歌っています。

 その画面をチラッと見てみる。歌番組なんて、何年ぶりに見ただろう。と感動していたら、なんだか見知った顔が映っていた。

「あれ? もしかして」

「そう。あれ、俺」

 ニコニコ顔でキッチンにいる私を振り返る。

 楽しそうにメンバーと曲を奏でて歌うその姿が、どでかいテレビに映っていた。

「歌、上手いね」

 ついタメ口で感想を漏らしてしまってから、はっとする。

 やばいっ。どやされるっ!!

 内心かなり焦ったのだけれど、水上さんは、んなこと気にもせず、褒められたことだけにニコニコ反応してくれた。

「せやろう。せやろう」

 とてもご機嫌な様子。とにかく、怒られなかったことにほっと息をついた。

「ビールくれ」

「はいはい」

 冷蔵庫の中は、一日、二日ほどなら持つ程度の食材やなんかが納まっていた。そこには、缶ビールも数本。そのひとつを手にし、ついでに簡単なつまみも出す。

 テーブルにそれらを置くと、水上さんはジーっと顔を見てくる。

 え……。私、なんかまずいことした? あ、もしかしてグラスか? そうか、グラスに入れて飲むのか。この、こじゃれ関西人め。

 心の中の突っ込みはさておき、慌ててグラスを取りに戻る。

 再び水上さんの前に行き、コトリとグラスを置いた。

 しかし、またもジーっと見続けられる。

 む、むむ……。な、なに? いったい何が気に入らないの? グラスが冷えていない事が気に入らないのか? それとも、つまみか? このつまみじゃ、イヤだってか? なんて、我侭なお人だ。

 私だったら、口に入るものは何でもありがたくいただいちゃうって言うのに。

 貧乏根性丸出しの思考を働かせていると、水上さんが口を開いた。

「明(あかり)も飲めや」

「へ?」

 今、なんて言った?

「一緒に飲もうや。一人で飲んでもつまらんやろうが」

 まーじーでー?!

 目が点になりながらも、主人の言いつけは絶対なわけで、慌てて自分の分のビールを冷蔵庫から出しテーブルに着くと、水上さんは音を立てて缶ビールを開ける。

 あれ? もしかして、私のこと待ってた? 結構、優しいじゃん。

 心の中は、タメ口全開。

 同じようにプルトップを引くと、カツンと缶を合わせてくる。

 そして、ひとこと。

「お疲れ」

「え? あ? お疲れ様です……」

 少しずつ垣間見える優しさ。

 この人、一見怖そうに見せているけど、根はいい人なのかも。

 そうよね。私みたいな極貧、拾ってきちゃうくらいだもんね。慈悲の心がなかったらできないよね。

 あぁ、神様仏様だわ。神棚でも造って、水上さんを祀ろうかしら。

 日曜大工なんてしたことないけど、やってみたら案外楽しいかもしれないよね。

 機嫌のいい水上さんは、どんどんビールを空けていく。

 明日の仕事には響かないのだろうか?

 一応、心配になり訊いてみた。

「あのぉ、明日のお仕事は、何時からですか?」

「ん? 昼からやけど」

「あ、じゃあ少しくらい飲みすぎても大丈夫ですね」

 うんうん。何て頷きながら、私もビールを煽る。

「その、です。ます。やめろや」

「え……、でも」

 一応雇い主だし、敬語もどきくらいは使うべきじゃないの?

 なんて、タジタジになりながら水上さんを見る。

「年、一緒くらいやろ? なんか、敬語使われると落ち着かん。それと、英嗣でええし」

「え?」

「せやから。英嗣でええから」

 水上さんは、酔ってらっしゃるんでしょうか? 英嗣と呼び捨てにしろなんて、こんな強面を前に命知らずとしか言いようがないのですが……。

 しかも、年が一緒くらいって、私どんだけ老けてるんですか。これでも、まだ二十三歳ですが……。見えませんかね?

 あ、もしかして、働きづめの毎日のせいで、老けてしまったのだろうか。夜なべして手袋編んでるくらい、貧乏老けしてるのか? だとしたら、なんとも切ない現実だわ。

 ぁあ、貧乏って本当にイヤだ。

 多少不本意に思いながらも、雇い主にヘラヘラと笑みを浮かべて見せる。貧乏で切ない家庭環境など、水上さんは知る由もないからね。

「ゆうてみぃ。え・い・じ」

 などと、未だ呼び捨てを強制してくる。

 ゆうてみぃ、と言われましても、命綱のないバンジーでもするくらい呼び捨てなんて、命知らずな言動ではございませんか。

 躊躇していることなど気にもせず、強引に促してくる。

「はよ、呼ばんかいっ!」

 終いには、怒りはじめた。

 仕方ない、きっと酔っているんだ。今だけでも、そう呼んでおこう。

 明日になっても英嗣なんて呼んだ日には、きっとグーパンで鼻血ぶーだろうけど。

 しかたなく、命を差し出すくらいの勢いで開き直る。

「わかった。じゃあ……英嗣」

 名前で呼ぶと、水上さんは満足そうな笑顔を見せ、ビールを美味しそうに飲み干した。

 ほっ、どうやら見えないロープが繋がっていたらしい。

 清水状態で飛び込んだ先の地面に激突することなく、びょんよよよぉ~ん、と空に向かって跳ね返り大切な命を失わずにすんだ。

 その後、機嫌を良くした水上さんが空けた缶は、テーブルの上に十缶ほど。

 いいように酔って歯だけ磨くと、ご機嫌なままあのキングサイズのベッドでご就寝しなりました。

 残された私は、後片付けをしてからふと思う。

 私、今日はどこで寝たらいいのだろう?

 初日の今日。訊いておくべきことは山ほどあったのに、結局最初に感嘆の溜息を漏らしながら部屋を見ただけで、スケジュールやなんかを確認していない。

 一応、やるべき事は、なんとなくはきいている。部屋の掃除や、水上さんの食事の用意だ。でも、細かいところが何も解らない。

 まぁ、いいか。考えてもわからないことは放棄だ。

 とりあえず、客間使って怒られたらイヤだし。かといって、硬い床に寝るのは体が痛くなりそうだから、この座り心地のいいソファを使わせてもらおうっと。

 後片付けを全て終え、掛け布団も何もない状態で、ソファに横になる。新しい生活と、水上さんへの気遣いで疲れていたせいか、目を瞑るとあっという間に眠りへと落ちていった。

 その夜見た夢は、あのキングサイズのベッドで優雅に眠る自分の姿。

 ふかふかのぬくぬくで、心も体もリラックス。貧乏暮らしで、ぺらっぺらのかたーい布団とはおさらばさ~。ふぁっふぁっふぁっ。なんて、高笑いを上げる自分の姿が、薔薇色に彩られていた―――――。

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