第18話 挙動不審
水上さんが大阪から戻って、一週間以上が過ぎていた。相変わらずせせこまと働き、身の回りのお世話に精を出す日々が続いている。
凌には何度か電話をしたけれど、ずっと連絡は取れないまま。教えてもらった番号が間違っているんじゃないかと思えるほどだ。
依頼を実行して欲しいなら、向こうから早々に連絡があるはず。それがないっていうことは、別れようとしていた彼女と何かあったのかもしれない。
例えば、復縁とか。もしくは、便利屋になど頼まなくても巧く別れられたとか。
どちらにしろ、便利屋の社長への報告もあるから凌からは連絡を貰いたいのだけれど、どうしたものか。
「ほな、行って来るわ」
「うん。いってらっしゃい」
仕事へと向う水上さんを、今日はエントランスの外まで見送りに出た。マンションの下では、事務所の車が待っていた。
中に、他のメンバーもいるのかな?
彼らとは、スタジオへ行ったときに会って以来だ。
みんな、元気にしているのだろうか?
マサシさんなんて、メチャメチャ元気な人だったよなぁ。いつも、あんな感じなのかな?
水上さんがロケバスのような車へ乗り込むと、車の窓が横並びに三つ一斉に開き、三人の顔が覗き出る。
窓からひょっこりと顔を出した面々は、エントランス傍に居る私に向って大きく手を振ってきた。
「あっかりちゃーーん。いってきまーす」
大きな声で元気に声をかけてきたのは、哲さん。口を大きく開け、盛大に手を振っている。
「あかりちゃーん。行って来るでぇ」
それを遮るように叫んだのは、シュウ君。水上さんと似たような黒縁の伊達眼鏡をかけ、同じように手を大きく振っている。
「あかりちゃーん。相変わらず。可愛いなぁ」
ニヤニヤして言ったのは、マサシさん。失礼だけれど、しまりのない口元が可笑しい。
「ありがとうっ」
マサシさんの顔に向って、お礼を言った。
更に、それを遮るようにもう一度叫んだのは、哲さん。
「明ちゃーん。今度メシいこなぁ」
子供みたいに身を乗り出し、ご飯のお誘いをしてくれる。その横で、うんうん。と頷くマサシさん。
「楽しみにしてまーす」
哲さんのお誘いに返事をする。
すると、そんなメンバーを押さえつけるように、さっき車に乗り込んだ水上さんがメンバーの襟首を次々に引っ張り、車内へと引きずり込んでいる。
その姿が何故だか必死過ぎて、見ているこっちは可笑しくてたまらない。
最後に、水上さんが顔を出し叫んだ。
「余計な事は、言わんでええねんっ!」
あひゃー。怒られた。
肩をすくめながら、「ゴメンなさーい」と謝った。
ふてくされたように叫んだ水上さんのあとには、シュウ君がもう一度顔を出して、「照れてるだけですからぁーっ」と叫んでいる。
そうこうしているうちに車は走りだし、あっという間に見えなくなった。
マンションから遠ざかってしまった車の影を追うように見ながら、可笑しさに声を上げて笑った。
「本当、仲がいいんだ」
メンバーたちの元気な姿に笑みを洩らした後は、恒例のお買い物だ。食料品や日用品の買い足しをしなくちゃいけない。
車のキーは預かったままなので、出かける用意をして地下の駐車場へと向った。
地下へ行くエレベーターの前でドアが開くのを待っていると、ポケットの中で携帯が鳴った。
水上さんが、さっきのメンバーとの会話でわざわざ文句でも言ってきたのかと思いディスプレイを除き見てみると、そこに表示されていたのは、散々待たしてくれた相手、凌の名前が光っていた。
名前を確認してすぐに通話ボタンを押し、開口一番に叫んでやった。
「ちょっとっ! 今までなにやってたのよっ」
音声が割れるくらいの勢いで叫んだけれど、こちらの怒りなどなんのその。
『相変わらず、元気だなぁ』
冷静でのんびりとした口調で、クスッと笑う。
依頼しておいて放置していたくせに、なんだ、その余裕の笑いはっ。けっ。
『連絡できなくて悪かったな。ちょっと、海外の方に撮影に行ってたんだ』
「海外?」
『そう。欧州の方にね』
欧州って、広いし。しかも、ちょっとって全然ちょっとじゃないし。
『フランスとスイスへいった後、イタリアに行ってた。本当は、ギリシャの方にも行く予定だったんだけど、色々とごたついて早く切り上げる形になった。おかげで、結構早く帰ってこられたよ』
どこが結構早いんだか。こっちは、随分と長い間連絡を待ってたって話よ。
母を訪ねて三千里じゃないけれど、待っていられなくて、こっちから出迎えに行きたいくらいだったわ。
「で、依頼の方は、どうするわけ?」
ただの旅行好きのようなセリフを吐く凌に、解決したから、もういいという言葉を期待して、呆れながら仕事の依頼について訊ねた。けれど、話しはそんなに巧くはいかない。
『うん。それなんだけど。今週中にもお願いしようかと思うんだ』
「こっ、今週?!」
それは、難しいよ。だって、水上さんがいるもん。次に大阪へ戻るのは、もうしばらく先みたいだし。
「あ、あのさ、凌」
さっきの勢いも虚しく、低姿勢になり電話口でごにょごにょとしてしまう。
「実はね、依頼を受けたときは大丈夫だったんだけど。今は、もう無理っていうか……」
『無理?』
何で、無理なんだ? と当たり前な答が返ってくる。
そりゃ、そうだよね。今更、ただ無理なんて言われても、納得しようがないもんね。
けど、なんて説明する? 水上さんのところのお仕事を、凌に話すことは出来ればしたくない。
変なところ常識ばっているから、女が一人のこのこと住み込みで働いているなんて知ったら、頭ごなしに何か言ってくるに決まっている。
けれど、このお仕事は、今までやってきたどのバイトよりもずっとずっとお給金がいい。だから、凌に何か言われてやめるわけにはいかない。何より、借金をさっさと返すのが、目下の目標なわけだし。
ん? 目標っていうか、使命? まぁ、どっちでもいいか。
とにかく、水上さんところのお仕事の事を説明せずに説得しなくちゃいけない。
『別の仕事でも入ってるのか?』
「うーん。そんな感じかな」
『けど、こっちとしても、依頼したからには実行してもらわないと困るんだけどな』
だよねぇ……。
断るに断れない、この状況にしばらく頭を悩ませる。
「あ、じゃあ。昼間は、どう? 多分、日中ならなんとか大丈夫、かな……」
水上さんがお仕事に出かけている日中なら、きっと平気だろう。出かけて行くのを見計らって、凌の仕事をちゃっちゃっと済ませて、とっとと帰ってくればなんとかなるはず。
ただし、水上さんにばれなければの話だけれど。
まー、それが一番の問題だけどね……。
以前、仕事をして帰って来たときの水上さんてば、メチャメチャ不機嫌だったからなぁ。またあんな態度をされたら怖いのもあるけれど、別の仕事があるなら、もうクビ。来なくていい。なんて事にだってなるかもしれない。
それだけは、本当に勘弁なのだ。
確かあさってのスケジュールが、朝から出かけて帰りも少し遅くなるって言っていた。
その時ならきっと平気だろう。
「こっちの都合で悪いんだけど。あさってなら、多分大丈夫、のはず」
『あさって? 本当に、勝手な都合だな。と言いたいところだが。俺も、しばらく留守にしていたし、おあいこってところか』
そうだよ。凌が、あの時すぐに仕事をさせてくれていれば、何の問題もなかったのに。
『それにしても、さっきから随分と曖昧な返事ばかりだな。俺には言えないようなことでもしてんのか?』
ドキッ!?
「そそそ、そんなわけないじゃん。いたって普通の毎日だし」
うんうん。意味もなく何度も頷き、冷や汗タラリ。
『まぁいいさ。とりあえず、先方のスケジュールもあるから、また連絡する』
「うん」
結局、後でもう一度連絡するということで、凌からの電話は一旦切れた。
駐車場に向い、水上さんと凌の顔を思い出しながら、内緒でやるこの仕事がなんとなく巧くいかないような予感がしてならなかった……。
夜、キッチンに立ち、食事の後片付けをしていた。綺麗なシンクで食器を洗っていると、水上さんに名前を呼ばれる。
「あかりー」
「はいはい」
「携帯、鳴ってんでぇ」
「え?」
あっ、凌かな?
水で濡れた手を急いで拭き、テーブルの上にほっぽらかしてあった携帯を手に取った。着信音は既に鳴り止んでいたが、履歴には凌の名前があった。
すぐに折り返しかけるべきか。でも、いつもしない電話なんてしいたら水上さんから絶対に、誰からや? とか、なんの用事なん? とか訊かれそう。
顔を窺おうとソファの方にそおっと目を向けたら、おっきなお目目がこっちをガン見していた。
ひいぃっ!
ソファに座って、こちらを振り返るようにして見ている。
慌てて、サッと目を逸らした。
そんな目で見ていないで、テレビでも観ていてくださいよー。
テレビでは、水上さんが毎週欠かさず見ているドラマが流れている。確か、兄妹三人が両親を殺した犯人を捜す、という内容だったはず。そろそろ終盤に差し掛かっているはずだ。
「こ、このドラマの犯人て、誰でしょうね?」
見逃しちゃ、マズイでしょ?
そんな顔で若干頬をひくつかせながら、携帯から意識をそらせようと話題を振った。
けれど。
「知らん」
呆気なく、撃沈。
簡潔な答を返したまま、水上さんの目は私を見たままだ。
電話の相手は一体誰だっ。とでも言うように、その目が詰め寄ってくる。
「えぇっとぉ……、ちょっと電話してきますね」
ここまでガン見されちゃあ、どう誤魔化しても逃げ切れないだろうと思い、携帯を手にそそくさと自室へ引っ込む。背中には、水上さんのガン見ビームがガンガン打ち込まれ穴が開きまくる。
ぽっかり開いた背中の風穴を気にしつつ、部屋にこもって凌へ電話をした。
心なしか、背中の空洞たちを冷たい風がぴゅうっと吹き過ぎた気がした。
ガン見ビームにぶるぶると一度身震いをし、凌が出るのを待つ。少しして、通話が繋がった。
「もしもし、私」
『うん。忙しかったか?』
「ううん。平気……」
とは、言い難いが、説明が面倒なのでスルー。
「仕事の事だよね」
『うん。あさって、都合ついたよ。ただ、時間が夕方近くになりそうなんだ。大丈夫か?』
「夕方かぁ……」
水上さんの仕事が終わるのは、確かに遅くなる予定だけれど。なるべく、余裕を持った行動をしたかった。
『相手がどうしても、仕事の都合がつかないらしくて』
「そっかぁ」
そうなると、しかたないよね。これも借金返済のため。なんとかちゃっちゃっと済ませれば、どうにかなるでしょう。
安易な考えで、返事をしてしまう。
「わかった。じゃあ、夕方ね。細かい事は、メールしておいて」
『わかった。じゃあ、あさって。よろしくな』
「うん。任せて」
携帯を切り、ふぅっと息をつく。
任せてとは言ったものの、どうなることやら。
息を零し、扉の向こうにいる水上さんの様子を窺ってみる。相変わらずテレビの音は聞こえてくるものの、他に物音はせず。
寝てる? んなわけないか。
まさか、壁に耳あり障子に目あり……だったりして。
ゆっくりと扉に近づき、息を潜めてそっと耳を当てる。けれど、聞こえてくるのは、やっぱりテレビの音だけ。
まあ、あの水上さんが聞き耳を立てるなんて、姑息なまねをするはずないか。聞きたいことがあるなら、ガッツリくらいつくように訊いてきそうだしね。
あの大きな目ん玉ひん剥いて、誰からやねんっ! みたいな感じでね。
潜めていた息を元に戻し、ドアを勢いよく引いた。
その瞬間、黒い物体がガクッと崩れるようにしてこちらへ倒れこみ声を上げる。
「うあっ!」
「え……!?」
開けたドアのすぐ傍で、ガッツリ訊いてくると思っていた水上さんが、こけて片膝をついている。
まさに、壁に耳……。ぬり壁もビックリよ。目玉のオヤジは、どこだ?
「ええっとぉ……、何をしていらっしゃるのでしょうか……」
携帯を片手に、判っていながらも膝をついたままの水上さんを見下ろすようにして一応訊ねてみる。
すると、焦ったような声で言い返してきた。
「なっ、なんもしとらんわっ! かっ、壁の染みがちょっと気になっただけやろがっ」
だけやろがっ。と言われましても……。
水上さんは慌てたように立ち上がると、テレビをつけたまま、そそくさと寝室へ引っ込んでしまった。
あれは、完璧に聞いてたよね。
頬をヒクヒクさせながら、寝室のドアに目をやる。
左手に握られた携帯からは、たこ焼きのタコ君がブラブラと踊るように揺れていて、それをぴんっと弾いて一言。
「壁の染みって、どれよ」
まっさらで綺麗な壁紙には、もちろん染みなどありはしなかった。
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