第15話 懐かしく微笑ましい過去 2
映画館で映画を観るなんて、いつぶりだろう。あ、今はシネコンとかいうんだっけ? あまりに遠い記憶過ぎて、思い出すのに時間が掛かかりそうだ。
ポップコーンと飲物を手に、席に着く。本編が始まる前のCMを眺めながら、幼い頃の記憶を手繰り寄せた。
そう、あれは、私が山崎の家に入り、少しした頃だった。
懐かない私と凌を連れて、山崎の父がアニメ映画を観に連れて行ってくれたんだ。
確か、観たのは、ドラえもん。
おなじみのダメダメキャラが、ドラえもんの道具と普段は苛めてばかりくる友達と結束して奮闘する映画だ。
私は瞬きするのも忘れ、大きな画面を動き回るアニメのキャラたちと音に翻弄されつづけた。おかげで、父が買ってくれたコーラの氷がすっかり溶けてしまうまで、口にするのを忘れていたくらいだ。
映画が終盤に差し掛かった頃、ようやくコーラの存在を思い出し、水っぽくなったそれを口にして顔を顰めたのを覚えている。水っぽいコーラは本当に不味くて、私は半分も飲むことができなかった。
けれど、新しく父親になってくれた人に、飲み切れなかった、と言うことができずにモジモジとしていた。
あの、半分以上残してしまった水っぽいコーラは、結局どうしたんだっけ?
「始まるな」
遠い記憶に、ぼうっとしていると、隣に座っていた凌がコーラをひと口飲み呟いた。その横顔で、思い出す。
そうだ。残してしまったコーラを父に気付かれないよう後ろ手に持っていたら、凌がさっと手にして自分の空になったカップと取り替えたんだった。
そして、父に背を向けると一気にそれを飲みきった。驚いた顔の私に向かい、凌は得意げに親指を立ててニッコリと笑ったんだ。
あの頃の凌は、本当に優しかった。急にできた妹に戸惑う様子も見せずに、兄貴らしく色んな事を教えてくれ、優しくしてくれていた。
なのに、どうしてこんな風になってしまったのだろう……。
トンボや蝉を捕まえてきては、私のTシャツの中に入れ、ネクタイを結ぶ練習といって、私の首を練習台にし、ありえない力でギュッと締め付けた。これには、殺意さえ感じた。
その上、学校の宿題で出された家族の事を書く感想文が、兄によって摩り替えられていたのだ。
当初の内容は、大好きだった母の事を書いていたのに、その痕跡は跡形もなく。鞄に入っていた感想文は、兄がどれほど優秀で優しいかを、これでもかっていうくらいコンコンと書き上げたものだった。
授業中先生にさされ、読み上げる段階になって初めて気付いた私が、その感想文を読めずに口ごもっていると、早く読みなさいと催促され。ありもしない兄の偉業めいた事を、どれほどの不満を抱えながら読み上げた事か。
その作文のおかげで、普段でもかっこいいとか、頭がいいとか持て囃されていた兄の株は、更に急上昇したのだ。なんとも、納得し難いことだった。
ああ、無情。
凌は、私と違って、とにかく要領がいいのだ。親や先生など、大人に気に入られる術をちゃんと把握していたし。女の子たちの人気者になる術も心得ていた。
もちろん、容姿もいいのだから、その分常人よりかは楽にその術を行っていたとは思うけれど。
隣の席から、真剣にスクリーンを観ている凌の横顔を盗み見る。
相変わらずの男前だ。悔しいくらいに、整っている。
もしも私に山崎の血が片方だけ入っていたとしても、ここまで整ったパーツで生まれてくるのは難しかっただろう。
身長も、一八六センチと恵まれていて、確かにモデルの仕事は凌に向いているな。いつかコンビニで、ファッション雑誌に出ている凌の姿を見てやってもいいかな。
もちろん、立ち読みで。
映画が終わり、我先にと押し寄せるように出口へ向う人たちをしばらく眺めてから、ゆっくりと席を立つ。空になったポップコーンのカップと、飲み残してしまったウーロン茶のカップを手に持ちフロアーに出た。
「仰々しく宣伝していたわりに、たいした事なかったな」
映画の感想を不満そうに洩らすと、凌は私が持っていたカップを手に取った。
「もう、飲まないのか?」
「うん。ごめん」
残してしまったウーロン茶に顔を顰めると、凌は刺さっていたストローとキャップをはずしてのこしてしまったウーロン茶を一気に飲みきった。
それは、幼い頃の凌と変らず、小さく笑顔が零れた。
食事は、草食的な凌の顔には似合わず、こってりコテコテの焼肉だった。しかも、私なんかが到底食べることの出来ないクラスのお肉を、個室でいただくという、とぉーってもゴウジャスな焼肉だ。
マジ、どんだけ稼いでんだっつうの。
「遠慮すんなよ。経費でおちっから」
なるほどね。そういうことなら、遠慮なく。
凌の言葉通り、少しの遠慮も見せずに特上と書かれたお肉を片っ端から注文していく。
「遠慮はしなくてもいいけど、そんなに頼んで食いきれるのか?」
凌は、呆れたようにサンチュをむしゃむしゃと口に入れている。
ヤッパリ、草食系?
「いーの。食べられる時に食べておかなきゃ、次いつ食べられるかわかんないんだからっ」
貧乏根性丸出しでそう言ってから。
あ、今は水上さんのところにいるから、そんなにがっつかなくても、食事は普通に食べられるんだったと思い出した。長年染みついた貧乏暮しは、癖のようにこびりついている。
テーブルにズラズラッと並びまくったお肉のお皿に汗が滲む。焼くだけ焼いて、お持ち帰り?
こんな高級店で、お土産にして下さいなんて、言い難いな……。
思わず頬を引きつらせた。
「そんなに、生活厳しいのか……」
車の中で借金の額を聞いた時と同じように、凌が表情を曇らせている。
「あ、うん。まぁ……ね」
今はバンドマンの家に住み込みしていて、食べることには困っていないということを言い出せずに口篭った。
だって、ちょっと聞いた分には水上さんとできちゃってるようにも思われかねない。
そりゃそうよね。一応は、一つ屋根の下だし。食事も毎朝一緒にとって、たまには外出してお酒も飲んで。しかも、コートまで買ってもらっている。
これ、お給料という形がなかったら、囲われてるのと大差ないよ、うん。
けれど、けっしてそんなことはないし。れっきとした主従関係の中、日々首がめり込むほどどやされているわけだから勘違いされても困るのだ。
凌は、昔から父親のような態度をする。
山崎の父親が酔っ払いで当てにならなかったせいもあって、何か間違った事をすれば、当たり前のように叱りつけ、自分が思う正しい道へと足を向けさせる。根は、真面目なのだ。
そんな凌に色々と説明するのも面倒で、水上さんところのお仕事については、多くを語るのをやめた。
無謀に頼みすぎたたくさんのお肉を片っ端から網に置き、どんどん胃に収めていく。凌は、サンチュやサラダ、ナムルばかりを口にして、時々思い出したようにお肉を食べるだけ。
おかげで私のお腹は、サバンナで満足するほど獲物を食べた肉食獣よりも膨れてしまった。
うえっぷ。くるじぃ~。
「便利屋の仕事、長いのか?」
膨れたお腹を抱えて反り返っていると、少しだけ呆れた顔を見せてから問いかけられた。
「うん。一番長くやってるかも。きつい仕事が多いけど、お給料もそれだけいいから」
テーブルにまだまだ並ぶお肉のお皿を見ながら、隙間のなくなった胃の辺りをさする。
「そっか。……なぁ、明――――……」
凌が名前を呼んだ丁度その時、傍らに脱いでおいてあったコートのポケットから、スクランブル交差点で鳴ったのと同じメロディが流れ出す。
ゲッ、また水上さんだ。もぅ、今度は何? あれから、まだ数時間しか経ってないですよ。
東京駅でいってらっしゃいを言ってから、日付すら変わってないんですけど。
満腹のお腹を抱えながら、呆れた表情をディスプレイに向けると、やっぱり“水上英嗣”と名前が表示されていた。
「凌、ちょっと、ごめん……」
膨れたお腹を抱え、個室を出てから通話ボタンを押す。
「もしもーし」
『あかりぃー、今どこにおるん?』
「え、どこって……。まだ、外です」
凌の事を持ち出せば、また話がややこしくなる気がして曖昧に応えるとすぐにどやされた。
『まだ、家に帰っとらんのかっ』
「え、あ、はい」
何故か怒り口調だ。
『今、何時やと思っとんのやっ』
何時って。
「えぇーっとぉ」
耳に当てていた携帯を離して画面を覗き、小さく表示されている時刻を確認した。
「まだ十時前ですよ」
『どあほっ!! もう、十時じゃっ。女が一人で外出していい時間ちゃうでっ!』
「ご、ごめんなさい」
凄い勢いでどやされて、思わず謝り首を竦める。
それにしても、何でこんなに怒ってんのよ。なんだか、帰りの遅い一人娘を叱るみたいな態度じゃないのさ。水上さんの養子になった覚えはないですけど。
だいたい、二十歳を過ぎたいい大人が、なぜ十時に強制帰宅?
お腹が一杯過ぎるせいか、水上さんの剣幕にげんなりしてくる。
『とにかく。今すぐ家に帰れ』
「今すぐって……」
『あ、電車なんか使わんでええからなっ。タクシー使って、真っ直ぐ家に帰れ。タクシー代は、あとで精算してやるから』
勢い込んで言ってくる水上さんに逆らうことなとできなくて、従わざるを得なくなった。
「わ、わかりました。すぐに帰ります……」
『一時間したら、家電に電話するからな。ちゃんと帰っとれよ』
え! 家電に電話ですか!?
適当に聞き流しておこうかと思っていたら、確認の電話をするなんて言い出す始末。
全く、抜かりのないというか。困ったお人だ。
電話を終わらせ、素早く個室に戻る。
「凌、ごめん! 急な用事ができちゃった」
「え!?」
「すぐに行かなきゃいけないんだ」
「すぐって、この肉どうすんだよ」
凌が、呆れた眼差しを向ける。
「……だよね」
テーブルの上に並んだお皿の上のお肉たち。サンチュやナムルばかり食べていた凌が、食べきれるわけがないのは一目瞭然だ。
「本当に、ごめん。でも、どうしても行かなくちゃいけないの」
顔の前で両手を合わせギュッと目をつぶって謝ると、呆れながらも、仕方ないな、と溜息をつく。
「いいよ。後輩でも呼んで、残りは食べてもらうから」
もう一度ごめんと謝り、傍らのコートを手に取る。
「仕事とは別に、今度またゆっくり付き合えよ」
「うん。わかった」
返事をして個室を飛び出す背中に、仕事の連絡入れるからよろしくな、と追いかけるように声がかかった。
焦りながらも、「うんうん」と背後を振り向きながら返事をして急いだ。
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