第14話 懐かしく微笑ましい過去 1

 映画を観るために、渋谷へと向かうことにした。

 凌は近くのコインパーキングに駐めていた車をカフェの前に回してくると、助手席へと促す。

それは、水上さんの車とは違って、左ハンドルの外車だった。

 車が走り出してすぐに問いただす。

「てか、凌」

「ん?」

「あんた、今何の仕事してんの?」

 こんないい車に乗っちゃって。羽振り、良過ぎだし。

「俺、今雑誌のモデルやってんだけど。明、知らなかったの?」

「え?! モデル?」

「うん。速水凌の名前でメンズ雑誌とか、諸々。最近は、服着るだけじゃなくて、インタビューなんかも受けてんだけどね」

 凌が、モデル?! ありえないんですけどっ。

 つか、いつから? まったく知らなかったんですけど。

 て、私、貧乏だから雑誌なんか買ってる余裕なかったけどね。

 コンビニでも真面目に働いていて、雑誌を盗み見ることもしなかったからなぁ。少しくらい見ておけばよかったかな。

「そっかぁ。あかり、知らなかったんだー。俺も、まだまだだなぁ」

 相当残念そうに呟き、凌が声を小さくしていく。

「私、雑誌なんて見ないし」

 残念そうにしている凌に、不貞腐れた顔を向ける。

 すると。

「え?  なんで? ファッション誌とか、興味ない?」

「そうじゃなくて」

 まったく、呆れてしまう。

「親父の借金、まだ残ってんの。それ返すためだけに、今まで生きてきたから」

 子供みたいに口を尖らせて抗議をした。

「借金て……。まだ、あったのか? 生命保険で全額返済できたはずだろう? それに相続だって拒否さえすれば……」

「生命保険なんて、途中で払えなくなって、解約しちゃってたもん」

「そう……だったのか。ごめん、知らなかった。俺は、とっくに借金なんかなくなってるものだと……」

 遺産相続のことだって、そばにいた大人は誰も教えてくれなかった。父親の遺産さえ相続しなければ、借金を背負う羽目になどならなかった。けれど、学生だった私は、無知過ぎたのだ。何もわからないまま相続し、何もわからないまま借金を背負ってしまった……。

 凌は、借金が残っていた事実を全く知らなかったようで唖然としたように言い、そうして落ち込んでいった。

 あの頃、奨学金で大学に入った凌は、早々に家を出ていた。大学生になってすぐ、父と盛大に喧嘩をしたのが原因というか、出て行く切欠となった。

 毎日のように酒に溺れ、仕事もせず、借金ばかりを増やしていく父に、我慢ができなくなった凌は、真面目に働けと何十回目になるか分からないセリフを投げかけていた。

 父は、その何十回目になるか分からない凌の言葉に、同じように何十回目になるか分からないセリフで言い返す。

「お前に何がわかるっ! いいから、金と酒をもってこい!」

 酔った父は、手がつけられず。私は、ただ部屋の隅で小さくなるしかなかった。

 酔っ払って支離滅裂になっている父に向って凌は、二度と戻らない、勘当だっ! と言い放ち、本当にその後、山崎の敷居をまたぐ事はなかった。

 その時だ、一緒に行こうと言われたのは。あの時の私は、まだ父の借金の凄さがよく理解できず、ただ兄貴のいじめから逃れられる方がずっといいと考え家に残った。

 けれど、もしもあの日、兄について行っていたら、私の人生はどうなっていたのだろう……。

「あと、いくらだ?」

「え?」

「借金だよ。あと、いくら」

 凌の真剣でいて、責めるような口調にオドオドしながら残りの額を告げた。

「結構あるなぁ……」

 呟くと、考え込むようにして黙り込んでしまった。

 そのうちに、車は渋谷の混み合った場所へと着いた。中心地からは若干離れた場所のパーキングに空きを見つけ、そこに車を駐める。

 車から降り立つと、表参道とは違った街のゴミゴミしさと、たくさんの人息に酔いそうになった。

「大丈夫か?」

 顔を顰め、俯く顔を凌が覗き込んでくる。

 こんな風に気遣いのできる男だっただろうか?

 風邪をひいている私を水風呂に入れたり、寒風摩擦だと冬の寒空に放り出していたのが嘘のような気の遣いよう。

 まぁ、人間年を重ねれば、少しは成長するっていう事か。

「平気」

 ふぅっ、と息を一つ吐き出し歩き出す。

 満員電車のように、混み合ったスクランブル交差点の信号待ち。いくつかの巨大スクリーンでは、洗脳するかのように、絶えず音楽や映像を流し続けている。

 ぼんやりとその大画面を見ていると、コートのポケットの中で携帯が震えだした。取り出してみると、水上さんの名前がディスプレイ上に表示されている。

 凌に、少しだけ背を向けるようにして携帯を耳に当てた。

「もしもし」

『――――……や』

「え?」

『……――――や』

「ええっとぉ……」

 水上さんの声は街の喧騒のせいで、同じ日本と思えないほど遠く聞き取りにくい。

「え? あ、ごめんなさいっ。ちょっとよく聞こえなくって」

 一生懸命耳に携帯を耳に押し当ててみたけれど、声はそれでも聞き取りにくい。しかたなく、信号が青になったところで携帯をいったん耳から離し、凌へ先行く、と告げ、たくさんの人にぶつかりそうになりながらも、なんとか急いで交差点を渡った。

 渡りきった先の建物内に素早く入り、少しでも喧騒から逃れるように隅の方へと移動する。

「もしもし」

『俺や』

「はいはい」

 わかってますよー。俺様の水上さんですよね。ディスプレイに名前が出てますので、相手が誰かくらいは、わかっております。はい。

『どうや?』

「え? 何がですか?」

『……せやから、そのぉ。留守の間の様子は、どうや……』

「へ?」

 留守の間って。つい数時間前に、お留守にしたばかりじゃないですか。

 何、言ってんでしょ?

「大丈夫ですよ。特に、変わりないですけど……」

 そこまで言ってから、凌の存在を思い出す。

 また“便利屋”の仕事。しかも、前回と同じ擬似恋人の仕事依頼を受けたなんて言ったら、あのときのように不機嫌になる気がして、心臓がキュッと一回り縮んだ。

『けど、なんや?』

 訝る声で訊き返してくる水上さんへ、慌てて取り繕った。

「いえいえ。それより、大阪は、どうですか?」

 留守の間に何をしているのか訊かれちゃ困る、と話の矛先を変えてみた。

『ん? まぁ、いつもとかわらん。ただ、東京よりは、やっぱり大阪やなと思うな』

 ですよねぇ。大阪出身ですもんね。地元が一番ですよね。

 家族や友達の居るそっちの空気は、さぞ美味しい事でしょう。

 うんうん、なんて見えない相手に頷いてみる。

「用件は、それだけですか?」

『おう……。まぁ、せやなぁ……』

 なんだろう、この歯切れの悪さ。そもそも、東京駅で行ってらっしゃいと見送ってから数時間しか経っていないのに様子伺いの電話をしてくるなんて、私どんだけ信用ないんだ?

 家のお掃除は、ちゃんとしてますよ。ベッドメイクもバッチリしておきましたし、トイレもお風呂も綺麗に磨きましたよ。それでも、何かお小言でしょうか?

 はぁ、と大きく溜息を零しそうになって、慌ててその息を飲み込む。そんな溜息を電話越しにでも聞かれた日には、速攻大阪から戻ってきてどやされそうだ。

 あぶない、あぶない。

「あかりー」

 コソコソと隅の方で電話をしているところへ、凌がのんびりとやってきて声をかけてきた。

「あ、凌」

 受話口を手で押さえる。

「電話、長引きそう?」

「ううん。大丈夫。すぐ終わるから待ってて」

 再び携帯から手を放し、水上さんと話す。

「あ、もしもし。すみません。今、ちょっと外に出ていて」

『なんや。買い物か?』

「あ、いえ……。ちょっと……」

『……ちょっと、なんや。まさか、……男か?』

「え?」

 まさかって何よ。という、反論はさておき。

 男っていえば、男だよね……。

 あっ、さっき凌が呼んだ声が聞こえちゃってた? あぁ、なんか、面倒な事になりそうな予感……。

「えぇっとぉ、ちょっと知り合いと……」

『ふんっ。どうせ、またおかしな仕事を引き受けたんやろ』

 ドキッ。す、鋭いですぞ、水上さん。やっぱり、盗聴器? また体中をまさぐる。

 そんな姿を傍で見ていた凌が、変な顔をしている。自分の体を触りまくってるんだから、訝るのももっともな話だ。

「えっと。たいしたお仕事じゃあないんですよ。はい」

 変なところが真面目なものだから、仕事を請け負った事自体誤魔化してしまえばいいものを、それが出来ずに正直に話してしまった。

 結果。

『そんな可笑しな会社の仕事なんか、せんでええやんっ』

 あ、やっぱり。そうなっちゃうよね、うん。

『俺が留守の間も給料は発生しとるやないか。そないな仕事、すぐに断れ』

 断れって、横暴な……。

 借金を少しでも早く返したいんですよぉ。わかってくだせぇ、ご主人さまぁ。

「えっと、でもですね……。一応、一度引き受けてしまったものは、断れなくてですね……。それに、借金も、早く返したいわけで……」

 首を竦め、責められながらもブツブツと言い訳を並べていく。

「誰?」

 しどろもどろになりながら必死になっている姿を見兼ねたのか、凌が話しかけてきた。

 受話口をまた押さえ、バイト先の雇い主、とだけ簡単に説明をした。

「俺からの依頼を断れっ、てこと?」

 会話の端々を拾って、凌が訊く。

「うん」

「それは、困る。俺がその人と話しよっか?」

「えっ!? いいっ。いいっ。自分で話すからっ」

 凌と水上さんが会話だなんて、ややこしい事になる気がして、想像したくもないくらい恐ろしい。

 凌の好意を断り、また水上さんとの会話に戻る。

「水上さんには、ご迷惑をかけませんから」

『ふんっ。なにが水上さんや。敬語はやめろやっ』

 あ、そっちに関しても怒られちゃうのね。

 色んな角度から叱られて、首がどんどん体の中に埋まっていく。

 そんな風に首を竦めたまま居ると、電話の向こうがガヤガヤとし始め声が聞こえてきた。

『えいじー。誰と電話しとんのぉ?』

『お前には、関係あらへん。あっち行っときぃ』

 ガヤガヤとする中聞こえてくるのは、多分メンバーたちの声だ。

『えぇー。教えてぇなぁ』

『えっ? なになに? 英嗣、ラブコールでもしとんの?』

『うっそ。英嗣がラブコール?!』

『うっひょー。相手、誰? ねぇ、誰? 誰?』

 水上さんをからかうように次から次と、はやし立てる声が聞こえてくる。

『あほかっ! もぉっ、お前らうるっさいわっ。あっちいっときぃっ、ほんまにぃ』

 水上さんは、本当に困ったというような声で、メンバーを追い払っている様子。

 ラブコールなんて、ありえないでしょ。

 聞こえてきた声に、苦笑いをしてしまう。

「あのぉ……」

 メンバーとワイワイ話をしているのが長引きそうだったので、間に割って入った。

「とにかく。この仕事は、もう引き受けちゃって断れないんです。でも、ちゃんとお家の方は、毎日ピッカピカにお掃除もして、水上さんが気持ちよく帰ってこられるようにしておきますので」

 今回ばかりは、ご勘弁を。という感じで、見えない相手へぺこぺこと頭を下げた。

 電話越しに必死に頼むと、不服ながらもなんとか了解をしてくれた。

「じゃあ。何かあったら、また連絡してください」

『ん……。わかった』

 いまいち納得をしていない為か、不満そうな返事だ。

「大丈夫だったのか?」

 電話を切ると、凌が訊ねる。

「うん。なんとか納得してもらった」

「じゃあ、映画。行くか」

「うん」

 携帯をポケットにしまい、凌と二人で映画館へと向った。



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