第11話 嫌な過去と優しさに触れて 2

 表に出ると、タクシーがドアを開けて既に待っていた。

「水上さん、乗って下さい」

「ちゃうっ!」

 車内へ促すと、いきなり叫びだした。

 違う?

「何がですか?」

 このタクシーが気に食わないのか? 緑のラインはイヤだってか? 黄色のラインがいいのか? それとも白? はたまた、運転手が気に食わないとか?

 そうよね、ちょっと見ズラっぽいし、オヤジ特有の肌はクレーターでデコボコだし、って、コラッ。

 そんなのり突っ込みは、どうでもいいのだ。とにかく、我儘なんて言ってもらっちゃ困ります。

 いくら車内が加齢臭で満ちていようとも、運ちゃんの態度が悪かろうとも、今は乗ってもらわねば困るんです。

 呆れながらも、なんとかタクシーに乗せようとすると、ちゃうやろぉっ! とまた叫ぶ。

「だから、何がですか? 別のタクシー呼べ、とか言わないで下さいよ」

「そんなんちゃうっ」

 バタバタと手足を動かし、まるでダダッ子だ。

 呆れながら水上さんを見ていると。

「英嗣やしぃっ!」

「はっ?」

「せやからぁ、え・い・じ」

 ああ、はいはい。呼び捨てにしろってことですね。すっかり忘れていた。

 本当に、なんて面倒なお人なんだ……。

 性質の悪い酔っ払い相手に、適当に相槌を打ち応える。

「英嗣、早く乗って」

「おうっ」

 なんとも、素直。呼び捨てにした途端、おとなしくタクシーに乗り込んでくれた。世話の焼ける子供です。

 やっとの思いでタクシーに乗せ、マンションの場所を運転手さんへ告げる。水上さんは、何故かご機嫌でシートに深く座り鼻歌なんか歌いだした。

 それがなんの歌かは知らないけれど、とにかく陽気なナンバーのよう。しかし、十分も経つと脳みそがアルコールに浸されたのか、鼻歌も止まり瞼が下り始めた。

「寝ててもいいですよ。着いたら起こしますから」

「おう」

 素直に返事をしつつも、敬語はあかん、と消え入りそうに呟いてから、静かな寝息を立て始めた。


 外がオレンジ色に染まり暮れていく中、たどり着いたマンション前。

「水上さん、着きましたよー」

「お? おう……」

 解っているのかいないのか、寝言のような返事だけで瞼を持ち上げない。

「おーい、えいじぃー。着いたって言ってんでしょー」

 相手が酔っ払って寝ているのをいい事に、容赦なくタメ口で言ってみる。

「おぉ? うん……」

 なんとか瞼を持ち上げると、同じような返事をしながらもタクシー代を支払い、ズルズルと下車する。一人で歩くのが大変そうだったので肩を貸し、マンションへと入った。

 ドサリとソファに座ると、グッタリとしてしまった。急いで、冷たい水をグラスに入れて手渡した。

 グビグビと喉を鳴らし、グラスの水を飲みきると、ふぅ~、と大きく息をつく。

「……すまん」

「え?」

「飲みすぎた……」

 どうやら、自分でも自覚したようだ。

「いえいえ」

 雇われた身の表情で、大丈夫ですよぉ、なんて顔をしてみせる。

 空のグラスをテーブルに置くと、ゾンビのようにふらりとソファから立ち上がる。どうやら洗面所へ向かうようだ。顔を洗い、歯を磨き戻ってきた。

 少しさっぱりとしたのか、自分でキッチンへ行き冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、また一気に煽った。再び冷蔵庫を開けて、もう一本水を取り出すと差し出してきた。

「ありがとう」

 素直に受け取ったペットボトルの水を、水上さんに負けないほどの勢いで半分ほどまで一気飲み。

 付き合うようにして、結構飲んだしね。

 しかも、男一人、ここまで運んだ重労働もプラスされているわけだから、喉も渇くっちゅう話よ。

 ぷっはーっ、なんてオヤジ並の息を吐く。

「コート、気に入ったか?」

 ペットボトルを握り締め、節目がちに訊ねられた。

「うん。ありがとう。凄く気に入った」

 心から、素直にお礼を言った。

 実際、あんな高価な物を買ってもらえる理由なんて、これっぽっちもない。きっと、あまりに貧乏すぎて不憫に思えたのだろう。なんせ、八年物のコートを後生大事に着ているくらいだからね。ワインなら、そうとう良い味が出ている頃だよ。

 わざわざショップまで連れて行き、好きなコートを選ばせた上に、食事までご馳走してくれるんて、心底嬉しかったよ。

 誰かに何かをプレゼントして貰うなんてこと、もうずっとなかった。

 高校の時は、借金を少しでも返すために学校とバイトの毎日で、友達と遊ぶなんてこともできなかった。むしろ、義務教育じゃない高校に通い続けることだってギリギリのところだったし。

 だから、友達同士のささやかなプレゼント交換、なんてことをしたこともない。

 家に帰れば、飲んだくれの親父が競馬新聞を握り締めて、どっから手に入れたか判らないお酒をかっくらっていたもんだから、誕生日やクリスマスなんて、楽しげな行事など我が家には存在していなかった。

 そんなんだから、こんな風に誰かに何かをして貰ったり、プレゼントを貰うなんて、まさに夢のような出来事なのだ。

 今日寝て起きたら、幻で終わってしまうんじゃないかって思うくらいだよ。

「もう、随分寒いからな。明日から、それ着たらええよ」

「うん」

 残りの水を飲み干すと、買ったコートをもう一度着て見せてくれという瞳は、リビングの照明が反射してキラキラと綺麗で、まるで太陽にかざしたビー玉のようだった。その瞳に見惚れながら、言われるままにショップの袋からコートを取り出し羽織って見せた。

「うん。ほんま、よう似あっとる」

 まだ、酔っているのか。コートを着た私を真っ直ぐ見ながら頷き、とても満足そうにほんのり口角を上げた。

 その表情は、なんだかドラマのワンシーンのようで、まるで愛しい誰かを見つめているような感じにみえた。

 けれど、そんな風に見られていると感じた自分がとても恥ずかしくなって、思い出したようにクルッと一回転し、似合うでしょ。と少しふざけて笑ってみる。

「私ってば、何でも似合っちゃう」

 えへへ、と更にふざけて、なんとなく漂う桃色な雰囲気を誤魔化そうと思ったのに、それでも水上さんは、「よう似あっとる」と穏やかに、そして優しく呟くだけだった。

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