第13話 二度と会いたくなかったのに 2

 冬を前にした空は、窓越しに眺めても寒々としていた。熱々だったコーヒーも、湯気は頼りなくなっている。

 店内が寒すぎる、と言う事はない。実際、ついているエアコンでカフェ内は適温に保たれていた。

 けれど、寒い。とにかく、寒いのだ。それは、悪寒というものだろう。

 一旦脱いだコートをもう一度着て、願わくば脱兎の如くこの場から去りたいところだ。

 けれど、私はただその寒さに耐えるしかない。

 相手は、一応お客。そう、客なのだ。

 くそっ!

 知らず、心の内で汚い言葉が顔を出す。

 社長が言った、引き受けたら断れない。というのはこういうことだったのかと、今更納得し後悔した。

 きっと目の前のこいつが、何らかの強引な手段を使ったに決まっている。しかし、アフターカーニバルっていうやつだ。

 後悔しても、時既に遅し。

 こんちくしょーっ。

 少し前までは熱かったはずのカップを両手で包み、チラリと視線を目の前の男へ向ける。

 上げた視線の先では、満面の笑みが私を迎える。

「うっ……」

 その笑顔に耐えられず、すぐに視線を逸らした。そのまま見続けていたら、悪い病気に侵されそうだ。

「依頼内容だけど」

 落ち着き払った声が、あえて他人行儀なセリフを吐く。

 仕方なく、変な病気に侵されそうなリスクを抱えつつ顔を上げた。そこには、やはり憎らしいほどの満面の笑み。

 うぅ……。なんなんだ、一体。どうやって、探しあてた?

 しかも、当たり前みたいな顔しちゃって。どの面下げて、目の前に現れるよ。

「聞いてるのか?」

「えっ……」

「相変わらずだな。人の話は、ちゃんと聞くもんだぞ」

 奴は、そう声音を優しくしすると、私の頭に手を置きぽんぽんと、幼い頃したようにする。

「やっ、やめてよっ」

 咄嗟にその手を払った。

 瞬間、奴は少しだけ寂しそうに目を細めたがすぐに気を取り直す。

「そういうのも、相変わらずだ」

 上から目線でクスリと笑う。余裕過ぎるその態度が、感じ悪いことこの上ない。

 ふくれっ面をしていると、奴は話の続きをし始める。

「とにかく、依頼内容はこうだ。今付き合っている女性と別れたい。そのために、彼女と俺と明の三人で会い、明には新しい恋人のふりをしてもらう。要するに、間に入って、丸くおさめて欲しいんだ。簡単だろ?」

 ちっ。この前と、全く同じパターンじゃん。しかも、今度の恋人がこいつだなんて、最悪すぎる!

 だいたい、何が簡単だろう? だ。そんなに簡単なら、自分で何とかしろって話だ。

「兄妹が恋人なんて、おかしいじゃんっ」

 虚勢を張るように腕を組み、勢いをつけて言い放つ。

「大丈夫。俺ら、血は繋がってないし、相手も俺に兄妹がいることなんて、全く知らないから」

 そういう問題かっ! この、バカ兄貴。

 そう、目の前に居る依頼者は、紛れもなく厭な思い出ばかりを残してくれた、血の繋がらない兄貴の凌だった。

 大体、どういう経緯で私が席を置く“便利屋”を突き止めたのか。しかも、どうして仕事内容が、擬似恋人なのか。

 何年ぶりかに会って疑問に思う事はいくつかあるが、そんな話すらしたくはないと口を閉ざした。できるだけ早く仕事を終わらせ、さっさとこいつとの関わりをなくしたい。

「どうでもいいから。早いとこ、仕事にかかろうよ。その別れたい彼女とは、何時に待ち合わせなの?」

 イライラを隠さずに問う。

「そんなに焦らなくてもいいだろ。彼女とは、また後日約束する予定だから。今日は、のんびり昔話でもしようぜ」

 不機嫌な私を目の前にして、凌は爽やかさ全開で言ってくる。

「はぁっ?!」

 凌ののんびりと構えた言葉に、水上さん並のドスを効かせた。

 伊達に、毎度水上さんの機嫌を損ねているわけじゃない。不機嫌な態度を真似るくらい、お手のものだ。

 けれど、そんな態度も兄貴には、昔と変らずただの幼い妹がむやみやたらに騒ぎ立てているだけと、余裕の顔でクスクスと声を上げるだけ。

 まるで、安っぽいピエロの演技に、しょうがないなぁ、と笑いを零してやっているような感じだ。

 あいつにとっては、未だに掌の上で転がして遊ぶ、妹という名の玩具なのだろう。

 いや、私が凌という大きすぎる玉の上で、一生懸命にバランスを保とうと、あたふたしているピエロってところか。

「昔話なんて、どーでもいいんだけど。私は、ここへ仕事をしに来てるの」

「真面目だねぇ~」

 呆れたように息を漏らすと、クイッと肩を上げてからコーヒーカップをゆっくり口元へと運ぶ。

「それにしても、元気そうでよかった。明の事は、ずっと気になってたんだ」

 あー、そうですか。特に気にしてもらうような事は、一切ないですけどね。

 つーか、気になるくらいなら、あんたも借金払いなさいよっ。親父の残してくれたとんでもない借金、あといくらあると思ってんのよ。

 大体、父親と実際血の繋がりのない私が借金を返して、何で実の息子が、さっさと家を出てバックレられんのよっ。神経疑うっての。

 のんきにコーヒーなんか、飲んでんじゃないわよっ。

 しかも、お金かけてこんなくだらない依頼して。こんなことに使うくらいなら、借金全部払ってほしいもんだわ。

 雲隠れしちゃって、居所さえわからなかったここ数年。気になっていた、なんて、たった今思いついただけに決まっている。

 きっと、借金取りに追われている私のことなど、一ミリ、いやミクロ単位でさえ思い出さずにのうのうと生きて来たに違いない。

 そう思うと余計に腹立たしくて、テーブルの下で拳を強く握り、ギロリと目の前の凌を睨んだ。

「あかりぃ、そんな目してると、男できないぞぉ」

 凌は、まるで甘えたような口調でそう窘める。

「はっ!? 大きなお世話だしっ」

 なんなのよ、まったく!

 男つくってほんわか、デレデレしているほど暇じゃないのよっ。借金返すことだけで、頭が一杯なのっ。

 キリキリと歯噛みしていると、余計なひと言が返ってきた。

「その分じゃあ、今男はいないだろ?」

 探るように、けれど、どこか確信を得たような顔をされた。図星なだけに、爆裂にムカつく。

「凌には、関係ない!」

 怒ってプイッとそっぽを向くと、ふっと声を洩らして笑われた。

 かぁーーっ!! その笑い。見下したような態度。マジムカつくんですけど!

「なんなら、仕事のあと。俺が本当に彼氏になってやろうか?」

「はっ! 冗談は、死んでからにして。何度もいうけど、うちら兄妹だからっ」

「でも、血は繋がってないんだし、別に付き合うくらい、いいじゃないか」

 バカは、何を言ってもバカでしかないよう。一体、何をほざいてくれちゃっているのか。

 付き合うだぁ!? 誰が? けっ!

 そんなふざけた事をいうなんて、何年経っても変らないようだ。とことん、ム・カ・ツ・ク!!

 こんな奴とこんな話をしていても、頭が沸騰し続けるだけで埒があかない。

「今日、仕事がないんだったら帰る。その別れたい彼女と会わなきゃいけなくなったら、会社に連絡入れてよ。じゃっ」

 まだコーヒーのたっぷり残っているカップを手に持ち、席を立つ。

 一刻も早く、ここから出たい。いや、こいつの傍から離れたい。半径百メートル以内には、近づきたくない。

 もしも、百メートル以内に進入してきたら、自動的に爆破なんていう機械、どっかに売ってないかしら。秋葉辺りの裏商売屋を探したら、造ってくれるかも知れないよね。

 本気で秋葉まで行って、そんな機械を作ってくれる裏稼業の店を探そうかと考える。

「つれないなぁ。こんなに好意的に話しているっていうのに」

 相手の態度など全く気にせず、凌の奴は未だ落ち着き払った台詞をはいている。

 こいつ、いつか絶対、木っ端微塵にしてやる。

 澄ました台詞を背中で聞きながらキリキリと歯噛みをし、ドスドスとカフェの階段を降りた。

 店を出ると駅までの道を、ふんっ! ふんっ! ふんっ! と鼻息も高らかに興奮しながら歩いて行く。

 くっそぉ! どうして、あんな依頼受けちゃったのよ。

 なんでもやります、やらせていただきます、とは思ったけれど、まさか奴が現れるなんて。

 計算違いどころか、そんな数式どこにも組み込まれていなかったじゃない。

 大体、便利屋の社長も社長よ。あれは、絶対に依頼者が兄貴だって知っててのことよね。

 一度引き受けたら断れないなんて、金でもつかまされてるのか?

 社長には、初めの頃に家族構成の話もしている。私も変なところ真面目だから、履歴書にも、唯一の家族欄に凌の名前をしっかり書いてしまっていた。しかも、身の上話的な事もついご飯をおごって貰った時に話してしまった。

 ああーっ、もおっ!

 いくら悔やんでも悔やみきれないけれど、今更ながら、家族は誰一人いないとしておくべきだった。

 あ、でも、どっちにしろ、凌の奴は私の事を探しあてて便利屋に依頼をしてきていたかもしれないのよね。だとしたら、社長が知っていようがいまいが、その仕事を私に回してくる確率は、ゼロじゃなかったのか。

 なんにしても、最低、最悪だ……。

 怒り心頭で散々ムカムカしたあとには、一気に脱力。凌には、携帯の番号もばれてしまっているし、もう逃れられないだろう。うぅ……。

 せめて、今住んでいるマンションの場所だけでも、ばれないようにしなくちゃ。じゃないと、水上さんに迷惑がかかってしまう恐れがある。しかも、凌のせいでゴチャゴチャしちゃった日には、水上さんのお仕事をクビになってしまう可能性だってあるのだ。

 いかん、いかん。それだけは、絶対に避けなくてはっ。

 借金を返すためには、あのお仕事は不可欠なのだから。

 そんな事を考え、熱くなりながら駅まで着いて、はっとする。そして、ブルッと身震いを一つ。

 十二月が目の前の街は、風が冷たい。頬を撫でる風は、剃刀の如く痛みをもたらす。

「しまったぁ……」

 水上さんに買ってもらったコートを、カフェに忘れてきてしまった。コーヒーカップを律儀に下げて、自分のコートを忘れていたんじゃ世話がない。

 ガクリと項垂れ、どうするかと一瞬迷ったけれど、クルッと方向転換する。

 せっかく買ってもらったコート。取りに行かないわけには、いかない。

「あーっ。私のバカバカバカ!」

 ポカポカと駅の構内で自分の頭を叩いていると、駅を利用するたくさんの人たちが、怪訝な顔で見ていく。きっと、頭のおかしな子がいると思われているのだろう。

 それもこれも、全部凌のせいだっ!

 ふんっ! とまたも鼻息を荒くして、ズンズンと足を前に出し、カフェへの道を戻った。

 店員さんの、“いらっしゃいませ”に目もくれず、階段をまたズカズカと上る。凌の奴は、さっきと同じようにこっちを見て座っていた。

「あかり、戻ってくると思ったよ」

 コートをチラリと見てからニコリとする。

「それ、取りに来ただけだから」

 置き忘れたコートをむんずと掴む。

「寒くないのかな、と思ったんだよね」

 寒いに決まってんだろっ。まぁ、怒りで駅に着くまで気がつかなかったけどさ。

「なぁ、せっかく戻ってきたんだし。少しプラプラとウインドウショッピングでもしたあとに、食事でもしないか。今日は、珍しくオフなんだ」

 こ、こいつ……。何を言ってるんだ。今までの状況を、全く理解していないだろう。

 私がどんな気持ちでいるのか、少しも解っちゃいない。私は、怒ってるんだぞっ。

「あ、それとも映画のほうがいいか? 今、何か面白そうなのやってるかなぁ?」

「一人で勝手に、映画でもショッピングでも食事でもしなよっ」

 あまりの鈍感プリに、怒りに任せて言い放つ。何人か居たカフェの客が、ちらちらとこっちを見ているけど構うもんか。

「なに怒ってんだよ。もう、腹減ってんのか?」

 いい加減にしてっ!

「この際だから、はっきり言っておく」

「なに?」

「凌。私は、あんたの事が大っ嫌いだっ!」

 ビシッと指をさし叫ぶと、カフェ内の空気が止まった。目の前の凌も、きょとんとしたように固まっている。

「え……。本当に?」

 訊き返されて、大きくかぶりを振った。

「俺は、大好きなのに」

 ふざけんなーっ! どんな思考回路してんのよっ。

 もおっ、無理。絶対無理。こんな仕事、社長に電話して今すぐ下りる。

 どんだけ凌からお金を握らされてるのか知らないけれど、その分払ってでもこの仕事はおりるっ。

 こんな奴の相手をするくらいなら、更に借金が増えようが、そっちのほうがずっといい。

 興奮しすぎて肩で息をしていると、落ち着けって。と凌が椅子に座らせた。

「そうかぁ。俺って、そんなに嫌われてたんだ……。結構ショックかも……」

 あたりまえじゃん。自分がどれだけ酷い事をしてきたか、ちっともわかっていないようだ。

 私の怒りとは裏腹に、凌は寂しげに目を伏せると窓の外へと視線を移す。

 そんな寂しげな表情に、遠い昔の記憶を思い出した。


 私の母親は、後妻だった。まだ若かった山崎の父は、母と籍を入れた当初は仕事もバリバリこなし、家族思いのいい父親だった。

 凌の母親は、体があまり丈夫ではなかったらしく。凌が小学校へ上がる直前に、病気で亡くなったらしい。その後、母は私を連れて山崎の家に入った。

 血の繋がらない父と兄に、幼かった私はなかなか心を許すことができずにいた。いつも母のあとばかり追いかけて、ちっとも懐かない私に、凌は根気強く話しかけ、遊びに連れ出してくれた。

 次第に私は、凌にも父にも心を許すようになったのだ。

 一度心を許してしまうと、甘えることに味を占めた私は、父親と母親に甘え通した。母親も父親も独占するように甘える私の姿を、凌は寂しそうに見ていたっけ。

 幼い頃の私は、凌から父も母も奪ってしまったのだ。凌だって、まだまだ甘えたかったはずなのに……。

 その時の目が、今の目と重なる。

 大切な何かを愛おしく、そして遠く感じているような、とても寂しい瞳。


 窓の外を見続ける凌の姿に、怒り心頭だった心が萎えていく。あんなにカッカしていたというのに、冷静になっていく心は、あっという間にぬるま湯につかったように冷めていった。

 仕方ない、数年ぶりの再会だしね。

今日ぐらいは、昔の恨みつらみも忘れようじゃないの。

 よっ! 大人だねぇ、私。

「わかった。じゃあ、食事くらいは付き合うよ」

「えっ!?」

 少しふてくされたように告げると、凌の顔がパッと明るくなる。その顔は、私なんかよりもずっとずっと幼い子供のよう。

 凌は、目を見開きこっちを見ている。

 そんなに驚かなくっても。優しくしてしまった自分が、急に気恥ずかしくなってくるじゃん。

「よしっ。そうと決まれば、まだ時間も早いし、とりあえずは映画かな」

 嬉しそうに、凌はさっと立ち上がり笑う。

 その笑顔は、まだ幼かった頃、仲良く遊んでいた時の笑顔と一緒だった。

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