第29話 クリスマスデート? 1
大通りでタクシーを捕まえ、向ったのは銀座。降り立った街は高級志向のおば様達に交じり、ちょっと若い世代の人たちが背伸びをしたようにブランド物を競い合うようにして身につけている。
競い合うためのブランドを身につけることもできず、安物ばかりを身に纏っている私なんかが居る事が場違いの街だ。
凌のときのレストランといい、今日の銀座といい。なんだか最近、場違いの連続のような気が……。
スニーカーにジーンズ。いつ美容院へ行ったかもわからないような、斬切りのヘアスタイル。
コートの中の服だって、流行りものとは到底程遠いニット。唯一、羽織っているコートだけが真新しくて高価なものだった。
クリスマスにこんな貧乏ったらしい女を連れて歩くなんて、水上さんも物好きですよね。なんなら、その辺で素敵女子をナンパしてきた方がよろしいのではないでしょうか。
卑屈になりながら、今日もスタスタと先を行く背中を追っかける。
途中、腹が減ったと訴えかける水上さんと、裏道にあったちょっと有名らしいラーメン屋さんに入った。中は結構な混みようで、ラーメンにありつくまでにしばしの時間を要した。
おかげで、ありつけた頃にはいい感じの空腹具合で、ラーメンは一気にどんぶりから姿を消した。
この油と熱気が充満しているラーメン屋に居ると、ここがお洒落な大人の街“銀座”だって事を忘れてしまいそうだ。
ラーメン屋から一歩外に出ると、寒さと共に瞬間移動でもしたかと思うほどの品の良さ。あのドアの向こうは、実はラーメン激戦区の高円寺や中野だったのではないかと思ってしまうほどだ。
よくもまぁ、銀座なんて地代の高いところに、単価の低いラーメン屋などをオープンしたものだ。
店主の心意気に、拍手喝采だね。
余計なお世話をつらつら並べ立て、ブランド店が軒を連ねる通りを歩いて行くと、とあるお店の前で水上さんが足を止めた。
すると、躊躇いもなくそのドアをくぐっていく。
店の出入り口には、ドアマンが姿勢良く立ち、「いらっしゃいませ」と水上さんを迎える。
「えっ……。ちょっと、待って……」
場違いも甚だしい自分の姿に、スタスタと店内に入っていってしまった水上さんのあとを追うことができず店の前で立ち往生。
「えいじ――――」
慌てて呼び止めたけれど、声は届かなかった。
よく磨かれたガラスの向こう側にいる水上さんを、表に突っ立ったまま見ているだけ。
どうしよう……。
一人取り残され、店の前に立っているみすぼらしい女。通報される前に立ち去りたい。
半歩ほど後ずさりし始めた時、背後に私が居ない事に気が付いた店内の水上さんが、キョロキョロと首を動かし始めた。
そして、未だ外に居る私を見て、眉間に深い皺を寄せている。
その皺を深々と刻んだまま、ヅカヅカという音が聴こえてでもきそうなくらいの勢いで出口へと向かって歩いてきた。
ドアマンが開けてくれたドアから顔を出すと、「なにしとんねんっ」と早く入ってくるように促し、またすぐ背を向けてしまった。
「えっ、えいじっ」
声が届かなくなる前に、と急いで水上さんを呼び止める。
「あん?」
クルッと振り返り怪訝な表情を向けられた。
「なんや?」
「私、こんな格好だけど……」
自分が身につけている汚いスニーカーと、履き古されたジーンズに肩を竦めた。
「俺かて、ジーンズやん。なにアホみたいなこと、気にしとんのやっ」
水上さんは、同じようにジーンズを履いた右足を一歩前に踏み出した。
確かに、水上さんもジーンズだ。けれど、ミュージシャンっていう高級ブランドを背負っている高級ジーンズを履いた水上さんと。どこの馬の骨とも分からない貧乏ったらしい女が、まさに貧乏ったらしいジーンズを履いて店内に入るのとではわけが違う。大衆居酒屋や、その辺のスーパーへ入って行くのとは別問題だ。
モジモジと未だ店内に踏み込めずに居ると、徐に外へ出てきていきなり手を掴まれ、グイッと強引に中へと引っ張り込まれてしまった。
「あわわわっ」
急に手を引かれた事に慌てて、おっととっ、なんて片足をケンケンしている姿は益々情けない。
しかも、黒服のドアマンさんが、そんな私に向って丁寧に「いらっしゃいませ」のお辞儀なんてしてくれちゃうから恥ずかしいったらないし。
耳も顔も紅くして入った店内は、高級感が漂いすぎて息をするのも忘れてしまうほどだ。ここに漂っている空気にさえ、何かしらの値段がついているんじゃないかと思えてしまう。
口を開けたままほうけていると、息苦しさに呼吸をしていなかった事に気づき、慌てて体内に空気を取り込んだ。
取り込んだ後に、請求が来たらどうしよう、なんて少し焦る。酸素代、しめてうん万円になります……なんて。
水上さんは、ズラリと並んだガラスケースの中の商品をゆっくりと見て歩いている。迷子にでもなっちゃあまずいとばかりに、その背中にぴったりくっ付いていった。
「あ、あのぉ……」
「なんや?」
商品から目をはずさないまま、水上さんが応えた。
「お買い物ですよね?」
「当たり前やん」
真剣に見ていた目をこっちに向けて、おかしな事を訊くな、と睨まれる。
「ご自分のですか……?」
場所が場所だけに、つい“です”“ます”が出てしまう。
「俺のちゃう」
「誰かにあげるんですか?」
「ん。……まぁ、そないな感じやな……」
歯切れ悪く応えながらも、また商品をじっくりと見ていく。
やっぱり、彼女が居るのかもしれない。
だって、さっきからガラスケースに穴でも開きそうなほどじっくり見ているのは、女性物のアクセサリーの類だから。
彼女なんておらん! と怒っていたけれど好きな人は居る、とか?
そうか! これからお付き合いしたい、っていう人が居るんですね。
その人の事を想って、今一生懸命に何をプレゼントするかお悩み中という事ですか。ふむふむ。
水上さんは顎に手を持っていったり、ダウンのポッケに手を突っ込んだり、キャップを被りなおしてみたり、と落ち着きなく姿勢を変えつつ、じっくり、ゆっくりとキラキラ輝きを放つアクセサリーに目を凝らしている。
そんな姿を見ていたら、何故だか体の中心が不快に疼き始めた。
痛い、とか、苦しいとか。そんな単純な症状じゃなく。
かと言って、それを言葉にどう表したらいいのか、ちっともわからないその疼きは、アクセサリーを真剣な表情で選んでいる水上さんの姿を見ているうちに、少しずつ少しずつ症状を悪化させていった。
車に酔ったみたいな胃のムカつきのような、神経質になりすぎて胃がキリキリするような、血管ドロドロで心臓の弁が詰まったような……って、心臓の弁が詰まったら大問題じゃん!
心の内で、自分で自分に突っ込みながら、得も言われぬ胸の不快感に表情を歪めた。
胸に手を当てて大きく息を吸い吐き出していると、ガラスケースに釘付けだった水上さんが視線をパッとこちらへと向けた。
「どないしたんや?」
姿勢を起こし、胸に手を当てたままの姿に訝しい顔を向けてくる。
「ううんっ。なんでもない」
咄嗟に掌をパーにして胸の前でひらひらと振り、平気なふりを装ってしまった。
だって、大切なプレゼントを選んでいるというのに、わけのわからない症状を訴えて邪魔をするわけにはいかない。
水上さんが視線をガラスケースへ戻すのを確認してから、もう一度息を吸って深々と吐き出した。
一体、この不快感はなんだろう……。この店の雰囲気に体質が合わないのだろうか。だとしたら、根っからの貧乏性という事だ。
項垂れていると、水上さんがまた視線を移してきた。
「なぁ、あかり」
「ん?」
項垂れていた、頭を持ち上げる。
「これ、どう思う?」
ガラスケースの上から、一つのアクセサリーを指差している。同じようにガラスケースを覗き込み、指の先の奥にあるものを見た。
それは、ホワイトゴールドでできた、可愛らしいハートモチーフのチャームだった。ペンダントトップにと、その傍にネックレスチェーンも並んでいる。
「これ?」
「うん」
どう思うと訊かれて、まず最初に頭に思いついたのは、私には到底買えない代物だということ。
「正直、よく分からないよ。だって、こんなのつけた事もないし、買ったこともないもん」
卑屈になったつもりはないが、事実を口にすると情けなくもあった。
だって、その金額たるや、この買ってもらったコートどころの騒ぎじゃない。桁がまず違う。
このコートを買ってもらった時でさえ、恐縮すぎてどうしようかと思っちゃったくらいなのに、こんな凄い金額の物をどうかと訊かれても、ただ感嘆の溜息というところだ。
それより、こんな凄い物を貰う人ってどんな人だよ。
きっと、相当綺麗で、生活水準も高くて、ミュージシャンの水上さんとちゃんと釣り合うくらいのお方なのでしょうね。
生活レベルを想像し、自分との格差に言葉も出ない。
「ちょっと着けてみてくれ」
「えっ?! 私が?」
「他に誰がおるん」
「え……、いや、そうだけどぉ……」
強引な水上さんは、店員さんにその商品の試着をお願いしている。断る隙などどこにもない。
仕方なく、渋々首だけを提供することにした。要するに、マネキンだ。
こんな貧乏女の首に試着させるよりも、目の前で商品を丁寧かつ優雅に扱う、とっても綺麗な店員さんが着けたほうがよっぽどいいと思うけど。
ガラスケースの向こう側には、スマートに揃いのスーツを着込んだ店員さんたちが、外見だけでこの仕事勝ち取りましたってくらいの容姿で商品を扱っている。
身長や体重制限でもあるんじゃないかと思うほど、みな一様にスタイルがいいし、ナチュラルなメイクもバッチリだ。
私なんて、サラッとファンデを塗って、安物の目立たない口紅を引いただけ。
普通も普通。あまりに普通すぎて、人混みに紛れたら探してもらうのはきっとひと苦労だろう。
ウォーリーを探すより難しいぞ。
おかげで、つい恨めしそうに店員さんを見てしまう。
白い手袋をつけた定員さんは、恨めしい私の表情などサラリとかわし、上品な笑顔を向けてくる。
「贈り物ですか?」
水上さんを見て訊ねたあと、もう一度私にその上品な笑みを向けた。
きっと私が彼女で、その彼女へのプレゼントだとでも思ったのだろう。大きな勘違いだ。私は、慌てて首を横に振った。
「とととっ、とんでもないです」
あくまでマネキンですから。たまたま近くに便利な首があったので、ちょっと試しに着けてみたらどんな感じになるかなぁ、と雇い主さんがかーるく思っただけのことです。
誤解しないで、と必要以上に首を振ったあと、店員さんに促されるままそれを着けた。
コートの前を開け、貧乏ったらしいニットの襟元には、キラキラと輝くペンダントが光る。
鏡を覗き込み、ほえぇ~、とその高級品に溜息をついた。
高級すぎて、自分ではほんの少しでも触れることができず、ただされるがまま首にぶら下げていた。
「いかがですか?」
微笑を水上さんに向け、店員さが訊ねる。
水上さんが確認できるように体を向け、顎を上げてニットの首元を下に引っ張り、マネキンという役割に徹底した。
要するに、顔やら貧乏ニットやらの余計な物を視界に入れないよう、首元だけを見てもらおうとしたのだ。
「そないに顎上げんでもいいやん」
「で、でも……。私の顔なんて邪魔なだけだし」
「邪魔って……。それに、そないに引っ張ったら、服伸びるで」
呆れた顔で指摘されても、“でも”という言葉を繰り返すだけ。
水上さんは、腕を組み、う~ん、と一つ唸っている。
そりゃあ、必死に考えますよね。だって、これから付き合おうって人でしょ?
付き合う前のプレゼントにしては、ちょっと高価すぎるかと個人的には思いますが、まぁ、芸能界の金銭感覚はこんなものかもしれないですしね。
それに、言葉は悪いですが物で釣るっていうのも有りですよ。最初が肝心、なんてよく言うし。
こんなすんごいの貰っちゃったら、付き合わなきゃまずいってな感じですよ。
ある意味、脅迫ですよね。オイオイ。
水上さんの強面には、ぴったりのやり方じゃないですか。コラコラ。
釣ったもんがちですよ。言うよねぇ~。
少し前に焼き鳥屋の女将が言っていた、お笑いのセリフを使ってみたりして。てへ。
あ、あの人はお笑いじゃないのかな? まぁ、どっちでも似たようなもんでしょ。
「明なら、これ貰ったら嬉しいか?」
「へ? 私? ……そりゃあ、こんな凄い物貰ったら嬉しいに決まってるよ。あ、でも、見ず知らずとか、知り合う前とか、ちょっとまだ一線越えてない場合は、若干引くかも……。だって、高価すぎて脅迫じみてる……」
思わず苦笑いが浮かんでしまった。
「引くんか……」
水上さんは、また考え込んでしまった。しかも、私の首元をガン見したまま。
ガン見されてることもドキドキの恐怖だけれど、こんな高級品をいつまでも身に着けていなきゃいけない事が怖ろしくて仕方ない。
だって、何かあっても弁償できないもん。
「せやけど、そこそこ顔見知りやったら、嬉しいやろ?」
ほんの少し不安の色を漂わせ、もう一度訊ねてくる。
「そうだね。よく遊びに行ったりしている間柄だったら嬉しいのかも。こんなの貰ったら、付き合わないわけにはいかないくらい」
嫌味っぽい冗談を織り交ぜて応えると、眉間に皺を寄せている。
嫌味を言いながら、水上さんがどんな女性にそれをあげるのかを想像した。
パッと最初に浮かんできたのは、凌の元カノの奈菜美さんの顔だった。スタイルが良くて、モデルの凌と一緒に居ても違和感どころか、逆にお互いを高めあえるほどの存在感を放ち。且つ、性格の良さが滲み出ているその表情や仕草、加えて色白で細い体つきには、きっと凄く、とっても、よぉく似合う気がした。
それを大いに想像したあと、鏡に映る自分を見てガックリと落ち込む。
はぁ……。いくら代役のマネキンだとは言え、チンチクリンな私には、こんなのちっとも似合わないよ。しかも、貧乏ニットがそれを余計に際立たせている。
情けなくて、段々この場に居る事がイヤになってきた。
早く、出たいな……。
ガン見したままの水上さんは、顎に手を当て未だ試案顔だ。
「あのぉ……。どうするの?」
早く出たいがために、催促するように訊いた。
う~ん、と唸り声を上げたあと、パッと首から視線を逸らし私の目を見る。
「もう一度訊く」
「う、うん」
急にガン見されて驚いた。
「これ、明が貰ったら嬉しいか?」
「私……?」
う~ん、と今度は、私が思案する番だ。
知らない人、というか。さっき言ったみたいに、上辺だけの人に貰ったら引くよね。
けど、もしも水上さんからだったとしたら……?
ガン見されている視線から、さり気なーく目を逸らし、勝手な妄想を始める。
例えば、会う約束をして、一日一緒に居た後、帰り際に照れながらも不器用に小箱を渡される。開けてみたら、高級アクセサリー。
明に似合うと思って。
ポリポリと頭をかき、俯きながら照れ隠しの怒り口調だけれど、想う気持ちは充分に伝わってきて、嬉しさに頬を染める、なんて……。
あわわわわっ!
考えたら、急にこっぱずかしくなってきた。なに想像してんのよっ。
なぜだか急に体中が熱を持ってきて、変な汗をかいてしまう。夏にニットを着ちゃったみたいに、コートの中は蒸し風呂状態だ。
「どないしたんや?」
いつまでも応えないでいたら、怪訝そうに見て、どうなんや? と再度訊ねられた。
妄想を何とか棚上げし、おずおずと応える。
「嬉しい……と思う」
「思うってなんやねん」
曖昧な応えに、当然の突っ込みが入る。
「嬉しい。うん」
やけくそみたいに言い切った。
「そうかぁ。ほなこれにするわ」
水上さんは、店員さんに贈り物やからと付け加えてご購入。
こんな私の言葉で決めてしまっていいのか?
そんな風に思っても、早々にここを出たい気持ちが先に立ち口を噤んだ。
「ありがとうございました」
とても洗練された営業スマイルに見送られ、二人で店を出た。やっと解放されたマネキン役に、ほっと胸をなでおろす。
蒸し風呂状態だったコートの奥は、十二月の冷たい風で一気に冷やされていく。
アクセサリーを購入した水上さんはとてもご機嫌のようで、プレゼント片手に鼻歌なんて歌いながら歩いている。
コートの襟をかき合わせ、お店をやっと出られたことに私は安堵の溜息をついた――――。
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