第3話 汚れ仕事?
翌朝。疲れた体は、薄っぺらな布団の中で猫のように丸くなり、外界の音をシャットアウトしようとしていた。
けれど、いつまでも気付かぬフリはできないらしい。そう、さっきからずっと携帯が鳴っているのだ。
いくら貧乏といえども、今のご時世携帯なしでは、お仕事にもありつけない。スマホじゃなくてガラケーの方ね。しかも、ちょっといいワイン並みに年期入ってる機種だから。
貧乏なりにも所持している年期物の携帯からは、先ほどからずーっと呼び出し音が鳴り響いていた。
実は、便利屋からの仕事は、この携帯に依頼がかかってくる。といっても、依頼主から直接かかってくるわけではなく、便利屋の社長からかかって来るのだ。
受けるだけ専門のように使っている携帯電話を、疲れに瞼を下ろし、丸くなったまま耳に当てた。
「もひもひ」
モゾモゾと動きながら電話に出ると、汚れ仕事の依頼が来た。
汚れ仕事とは、基本ゴミためと化したお家のゴミ処理が多い。足の踏み場もないくらい、玄関開けたらすぐ汚物。的な家のゴミを片っ端からゴミ袋に詰め込んで、あとは産業廃棄物として処理してしまう。
朝から汚物処理の依頼に、記憶にある異臭がこの部屋にも充満している気がして、若干の吐き気をもよおした。そんな幻臭をなんとか吹き飛ばし、社長からの依頼を引き受けすぐに出かける準備をして部屋をあとにする。
お掃除道具は、以前便利屋の社長から段ボール箱ごと渡されていた大量のゴミ袋と軍手に長靴。そして、何より大事なマスクだ。
まぁ、マスクをしていても、異臭がするものはするのだけれど、埃は防いでくれるからね。
用意万端で社長から指示された依頼主の住む家に行ったはいいが、その場所を見て、あれれ? と首を傾げた。
「本当にここ?」
社長から言われた住所が間違っているのだろうかと、殴り書きしたメモ用紙を見たけれど、確かにこの場所で間違いはないようだった。
つい声に出してしまったのは、どう見てもここが高級なマンションだったから。僅かに逡巡したが、部屋の中は汚物でいっぱいという可能性もあるので乗り込んだ。
恐る恐る、だだっ広いエントランスに入り、インターホンで部屋番号を呼び出す。
「㈲○○の者ですが。ご依頼の件で伺いましたー」
インターホン越しに挨拶すると、「今開けます」という男性の声と共に、エレベーターへと続くガラスの自動ドアが開いた。
「お邪魔しまーす」
誰がいるわけでもないのだけれど、小声で言って中に入り、エレベーターに乗り込んだ。
こんなに綺麗なマンション内にも、汚物化している部屋が存在するのだろうか。
なんだかよく解らないけれど、へぇ。なんて感心しながら依頼された部屋を目指した。
指定された部屋番号の前でドアホンを押すと鍵が開き、中からスーツを着た四十代くらいの男性が顔を出した。
ん? どっかで見たような……。
思い出せずにいると「上がってください」と促される。
「そんなに汚れているわけではないのですが、色々と処分して欲しい物がありまして」
そう前置きして、作業の説明をされた。
この部屋は、会社で管理して借りている物件だという事。次に入る社内の者が決まったので、今日中に綺麗にしてもらいたいという依頼だった。重要なのは、個人情報が漏れる事だけは最も避けたいので、シュレッターを用意してあるから、細かくできるものは、総てそれにかけてほしいということ。
どんな事情か知りませんが、というかこういう仕事上そんなことは知る必要もないのだけど。どうやら、芸能関係っぽいにおいがプンプンするよ。
スーツを着た男性は、「終わったら連絡だけ入れてください。鍵は、かけずに帰ってもらって結構です」とだけ言い残してこの場をあとにした。
「承知しました」
返事をしながら、ああ、居酒屋で見た顔だ。と漸く思い出した。
コンビニに来て居た四人を、居酒屋で仕切っていたうちの一人だ。
もしかして、あの関西弁のお人方たちは、芸能人? テレビのない生活を強いられているので、彼らがたとえ芸能人だったとしてもよく知らない。
雑誌でも週刊誌でもコンビニで棚入れするから表紙くらいは見ることができるけれど、芸能関係に興味があるわけでもないから、目はほとんどスルーだった。
そもそも、毎日借金を返しながら、あったかいご飯にありつくことだけで精一杯なのだから。芸能人があーだこーだなんて、気にしている余裕などどこにもないのである。
なので、ここの住人が誰であれ、そんな事はどうでもいいや的に仕事へと取り掛かる。
お金さえきっちりいただければ、何でもいたします、はい。
依頼された通り、積まれている書類やなんかを片っ端からシュレッダーにかけ、それ以外の物をゴミ袋に詰め込んでいく。雑誌などは一纏めにしてくくり、玄関先へ積んでいった。
重労働は重労働だけれど、汚れ仕事だと思っていたから、異臭のしないこの仕事はかなり楽に感じた。
まぁ、若干埃っぽいけどね。
作業は、その日の夕方過ぎまでかかった。
「うひー。ちかれた」
総て片付け終わり、便利屋の社長に連絡を入れ、依頼主のスーツの人にも連絡をし、袋詰めにしたゴミを回収依頼してお仕事終了。
明日には、専門のクリーニング業者でも入るのだろう。
荷物が何もなくなり広々とした室内を眺めていると、いつの間に来ていたのか、「ご苦労さん」と声をかけてくる男性が一人いた。
「綺麗になったなぁ」
関西弁で他人事みたいに呟き、部屋の中を見回している。
誰だろう?
深々と被ったキャップで、顔がよく見えない。
それでも、ここの部屋に入ってきて、何の疑いもなく綺麗になった、と呟くくらいだから、この仕事を依頼した会社関係者なのだろう。
「一人で全部やったんか?」
「はい」
あ、もしかして、ここの部屋に住む人だろうか? まぁ、仕事が終われば、なんの関係もなくなるのだけれど。
「ほんまに、よく働くなぁ、あんた」
「え?」
キャップから覗く鋭い目を見ていたら、記憶がむくむくとよみがえる。
あっ、コンビニに来た、募金箱のお兄さんだ。
相変わらず恐いっすね、その目。
やくざ的な雰囲気を醸し出す関西弁さんに、恐いっすね。なんて思いは口にせず。仕事ですから。と頭を軽く下げながら返事をすると、それほど興味もないようにのんびりとした口調で、ふ~ん、と返された。
強面バリバリなのに日曜の昼間みたいに気の抜けた、ふ~ん、になんだか力が抜けていく。
オバちゃんの立ち話のように話すあなたの相手をしてあげたいところだけれど、生憎私はまだこのあともバイトが入っている忙しさなのですよ。
貧乏暇なしっ! 次は、焼き鳥屋だ。おこぼれにあやかれる、美味しいバイト。
むっふふ。と気持ちの悪い笑いを気付かれないように零し、「失礼しまーす」と関西弁の男性に声をかけそこを後にした。
残されたその場所で、「今の子、ええやん」とその彼が零した声には気付きもしなかった――――。
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