第26話 兄妹という繋がり 2

 十分後。タクシーが現れ、二人で乗り込んだ。

 向かったのは、すぐ隣の広尾。歩いてもいける距離じゃないの? と思ったけれど、面が割れている凌と一緒に外を歩いて、なんやかんやと騒がれるのも困るので黙っていた。

 ほんの数分走っただけで止まるタクシーから降りると、凌は近かったお詫びというように、タクシーの運ちゃんへお釣りは要らないと札を手渡した。

 やっぱり羽振りがいい。

 連れて行かれたのは、それほど大きくはないが、大人の雰囲気が色濃く漂うイタリアンレストランだった。外観も内装もすべてが落ち着いた色合いで、各テーブルには岸谷さんのところと同じようにろうそくの火が揺れていた。

「いらっしゃいませ、速水様」

 年配の店員さんに案内されたのは、全部で八組あるテーブルの一番奥。案内されたそのテーブル以外は、既にすべて埋まっている。

 客層は、酸いも甘いも知り尽くしたような大人ばかり。着ている服も、履いている靴も、身につけているものは総て上質な物ばかり。ここには、私のようにおちゃらけていて、浮っついた若者など来ないのだろう。

 席に着いて、丁度目に付くテーブル席の男性客にふと視線を向けると、どこかで見たことがある気がした。しかし、思い出せずに首を捻る。

「随分、おしゃれというか、雰囲気が高貴というか……」

 躊躇いがちに店の感想を口にすると、凌が眉を下げた。

「ちょっと、かしこまり過ぎたかな」

 テーブルに置かれたメニューを開き、はにかみながら零している

「ここは、名の知れた人がよく利用する場所なんだ。おかげで、気を遣わずに済む」

 へぇ~、と言い、もう一度男性客に視線をやって思い出した。

 ああ、いつだったかテレビで見た俳優さんだ。

 水上さんのところで働くようになって、時々テレビを見る機会ができた。おかげで、最近の情報にはそこそこ精通している。

「ワイン、俺が選んでもいいか?」

「もちろん。ワインの種類も知らない私が、選べるわけもないし」

 肩を竦める。

 料理は、どうやらクリスマス用のコースがあるらしい。それに合わせたワインを、凌が選んだ。

 小さなバスケットに乗せられた、自家製のパンとワインがテーブルへと運ばれてきた。大きめのチューリップグラスに、深紅のワインが注がれる。

「改めて、メリークリスマス」

 掲げるグラスに従う。

「なんか、私って場違いな気がするんだけど……」

 周囲をきょろきょろ見ることさえ憚れるような雰囲気に気圧され、体は小さく縮こまっていく。

「気にすることはない。その辺の店と同じだよ」

 全然っ、違うし。こーんなに落ち着いた雰囲気で、静かに談笑する大人たちしかいない中、私みたいな若造が慣れない高いワインや料理を口にしていいのか? と否応なしに思わせる。

「もっと、ガヤガヤしたところが良かったよ」

 兄妹だからこそ言える我侭だ。

「そうか。わかった、今度は、そうする」

「うん」

 返事をしてから、今度もあるのかよっ。と突っ込みそうになったけれど、とてもこの場にそぐわなくてゴクリと飲み込んだ。

「今、どんな仕事してるんだ?」

 運ばれてきた料理を、ゆっくりと口にして凌が訊ねる。

「う~ん。ホームヘルパー」

 詳しく話したくないので、簡単に説明した。

「そっか。明は、家事が得意だったもんな」

 そりゃそうよ。母さんと二人の時だって、小さい時からお米くらいは研いでいたし。山崎の家に入ってから母が亡くなって、家のことをまともにできるのは私だけだったのだから。そんな状況じゃ、黙っていたって家事の腕は磨かれる。

「明が作ってくれていた食事が懐かしいよ。本当に美味しかったからな」

 凌は、香草の効いた牛肉を美味しそうに頬張っている。

「こんなすごい料理を目の前にして言われたって、真実味に欠けるけど」

「本当だよ。確かに外で食べる料理は、うまいかもしれない。それは、金を払っているから当然のことだ。けど、家族が作る料理には、金じゃなく、愛がある」

 もっともらしく真顔で話す凌に、背中の辺りがむず痒くなっていく。

「な、なんか。そういうの、くすぐったい」

 普段言われ慣れていない褒め言葉に、首を竦めた。

「似合わないよ」

 照れ隠しに、できるだけ素っ気無く返した。

「似合わないか」

 少しだけ可笑しそうに笑みを漏らしたあと、んんっ。と凌は少し喉を鳴らす。

「どしたの?」

 顔を顰めて、喉を鳴らす凌に訊ねた。

「う~ん。ちょと喉がカサカサするんだ」

「風邪?」

「……そうかもな」

 言ってから、顔を顰めてまた少しだけ喉を鳴らす。

「大丈夫なの?」

「平気だよ。あとで薬でも飲んでおくさ」

 たいした事なさそうな顔つきを見て、ならいいけどとフォークを握りなおした。

 料理は、食事のペースを見計らったようにテーブルへと運ばれてきた。それに伴い、ワインも順調に嵩を減らしていく。

 ボトルが空になり、食後のコーヒーが運ばれてくると、改まったように凌が切り出した。

「なぁ、あかり」

「ん?」

 香りと湯気が立つ、熱々のカプチーノに目を細める。

「俺たちさ。もう一度一緒に暮らさないか?」

「え!? あちっ!」

 思いもしない提案に、驚いて火傷しそうになった。

 だって、まるで元同棲していた恋人に、よりを戻して一緒に暮らそうとでも言っているようじゃないの。

「その言い回し。勘違いされそうで嫌だけど」

「誰も聞いちゃいないよ。それとも、勘違いされるような相手がいるのか?」

「……え」

 瞬時に切り替えされて、押し黙ってしまった。だって、一瞬頭に浮かんだ顔があったから。

「ばっ。そんなの居るわけないじゃん」

 必要以上にふうふう、とカプチーノに息を吹きかけ冷ます。

「この前の、彼か……?」

「だっ、誰よ、この前って」

 解っていながら誤魔化そうとして、まだ熱いカプチーノを無理やり口にした。

 口に流れ込んだ液体は、口内の薄皮をふやけさせ、ヒリヒリとした痛みを運んでくる。

 凌はカップに手を添えたまま、観察するようにじっとこちらを見ている。

「な、なに?」

「いや……、いいんだ」

 何か言いたそうなのに口にせず、視線をカップに移した。空気が、なんだか重い。

「あのさ。凌の仕事って、大変?」

 話題を変えようと、努めて明るい口調で訊ねた。

「大変なのかな」

 他人事のように呟く。

「初めはさ、スカウトだったからこの仕事に固執してなかったんだ。まだ大学に行ってたし、小遣い稼ぎになればいいやくらいでね。けど、仕事を一つ一つこなしていくうちに、いつの間にか好きになっていて。気がつけば、今の位置にいた。きっと、こういう仕事が性に合っていたんだろうな」

 語り口調は、また他人事のよう。

「良かったじゃない。そんな仕事に巡り合えて」

「ああ」

 カップを見つめていた視線を私に移し、やわらかく微笑む。その笑顔は、モデルで培われたもののように感じた。

 だって、本当に雑誌の中で笑っていそうな笑みだったから。

 けれど、それはわざと作った笑い顔じゃなくて、凌には既に普通の笑顔になっているようだった。

「あ、そうだ」

 凌が、内ポケットからハードなセラミックの名刺入れを取り出す。中から一枚をテーブルの上に出し店員さんを呼ぶと、ペンを借りて裏側になにやら書き始めた。

「これ、俺の今住んでるところの住所と連絡先。なにかあったらいつでも訪ねて来ていいぞ」

「大丈夫。なんもないから」

 笑いながら受け取り、よく見もせずに財布の中にしまった。

「明は、やりたいこととかないのか?」

「やりたいこと?」

「親父の借金のせいで、今までを犠牲にしてきたんだ。これからは、俺も一緒に借金を返済していくし、一緒に暮らせば家賃や光熱費なんかも浮くだろ? そしたら、明も自分のやりたいことができるだろ?」

「ちょっ、ちょっと待ってよ。一緒にって」

 凌は、私が一人で家を借りて暮らしていると思っている。だから、一緒に暮らせばその分が浮くだろうと言いたいのだ。

 しかし、実際は家賃などかかっていないどころか、すべてまかなって貰った上での現在のお仕事。大して物欲もないお蔭で、今稼いでいるお給料は、ほぼすべて借金返済へとあてがうことができている。凌の気持ちはありがたいけれど、現状を変える気はない。

「ありがと。でも、いいの。凌がこれから一緒に借金を返していってくれるっていうだけで充分だよ」

 やっと冷め始めたカプチーノを、もう一度口にした。けれど、一度火傷してしまった口内はやっぱりヒリヒリとして痛みをもたらす。

「俺はさ、後悔してるんだ。ずっと、後悔してきた……」

「凌……?」

 テーブルの上で凌が両手を組む。その手が少し震えている。

「あの時、どうして意地でも明を連れて出なかったのかって。あの日、親父に腹が立ちすぎて、俺は我を失ってしまった。自分のことしか考えらなくなっていた」

 凌が苦しそうに歯噛みする。その姿がとても痛々しく感じるのは、あの日の光景が脳裏に鮮明に焼きついているせいだろう。

 怒鳴り散らす父親の声。割れた食器。穴の開いた襖。畳にある無数のタバコの焦げあと。そして、凌を殴りつけていた父。

 そう、凌は酔っ払って手がつけられなくなる山崎の父に、たびたび暴力を振るわれていた。

 凌が殴られ、蹴られている時。いつも押入れの中や扉の影で、ガタガタと震え、耳をふさいで、

身を小さくしていた。

 小さな体ではどうにもならないと思いながらも、恐怖に支配されたその光景を前にして私は気づいていた。

 山崎の父は、私には手を上げないということを。そして、凌も薄々感じていたのだと思う。自分にだけ、父親が手を上げることを。

 一度、酔いつぶれていた父が、私と死んだ母親を勘違いして抱きついてきたことがあった。

 それは、抱きつくというよりも縋りつくという感じで、父の頬には涙があったのを憶えている。

 父は、辛かったのだろう。二度も、最愛の人を亡くして、辛かったのだろう。凌も、それを感じ取っていたのだろう。

 凌がいじめを始めたのは、寂しさから来る嫉妬だったと今では思っている。本人に自覚があったかどうかは別にして、父親が私だけを可愛がる事に嫉妬していたのだろう。

 その時には気づくはずもなかった幼い私は、ただ凌の苛めが嫌で嫌でたまらなかった。だから、凌に誘われても山崎の家を出たくなかった。

 父親が、私に手を上げないとわかっていたからこそ、余計にあの家に留まったんだ。

 このことは大人になった今になって、漸く見えてきたことだった。

 凌は、きっと寂しかったはず。辛い真実だ。

 そして、六歳の年の差というものは、凌にとってはとても酷なことだっただろう。一刻も早く自分が大人にならなければいけないと、年の離れた幼い妹の存在がそう思わせていたはずだから。

「後悔なんか、しなくていい。私は、私で、ちゃんと生きてきた。すごく辛い目にあったとも思ってない。幸い、私の周りにはいい人が多かったから、いろいろ助けてもらってきたし」

「あかり……」

「そんな顔しないでよ、似合わないし。それに、犠牲だなんて言わないで。そんな風に、思ってもらいたくないから」

 残りのカプチーノを口に含むと、今度は心がヒリヒリと痛んだ。

 現実的な苦しみと、心に蓄積した苦しみと、どちらが辛いのだろう。借金で嫌な思いをしなかったといえば、全くの嘘になる。

 けれど、さっき凌に言ったように、私の周りにはいい人が多かった。焼き鳥屋の大将も、コンビニの店長も、便利屋の社長も随分と良くしてくれた。

 そして、水上さんも。

 凌は、どうだったのだろう。一人家を出て、大学は奨学金で通い。両親のいない二十歳前の子供が、一人で暮らしていくのに苦労をしなかったはずはない。寧ろ犠牲になったのは、凌のほうじゃないだろうか。

 私のように、良くしてくれる人は周りにいたのだろうか。

「後悔なんてさ、するだけ時間の無駄だよ。今の仕事、順調でしょ?」

「ああ」

「それが、総てじゃない」

 空のカップをソーサーに戻し、笑って見せる。

「なんだか、どっちが年上か解らないな……」

 苦笑いのような、切ないけれど穏やかな笑みを零した。


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