第27話 兄妹という繋がり 3
食事を済ませ、冬の凍りつくような外へ出た。
「寒いな」
スリムなコートをスマートに着こなし、凌が白い息を吐き出している。
「ほんと」
水上さんからいただいたコートのポケットに両手を突っ込み、同じように息を吐き出した。
「少し歩こうか」
凌が、先にたって渋谷方面への道を歩き出す。深夜に程近くなった夜の大通り。店先の明かりはクリスマスに彩られ、賑やかに輝いているけれど、人の通りは随分と減っていた。みんな、それぞれの帰る場所、居るべき場所で、大切な人に寄り添っているのだろう。
半歩前を行く凌の後ろをついていくと、五分ほど歩いたところで凌が立ち止まり振り返った。
「この前の、続きだけど……」
「この前?」
「やっと、再会できた、相手……」
「ああ……」
バーの前で話していたことだ。
凌がずっと想っていた人。奈菜美さんをふってまでも、気持ちを抑え切れなかった相手。あの時、凌は私を抱きしめながら、辛そうに、少しだけ、と言って……。
もしかして、その相手って――――。
「凌、その人って、私に似てるの?」
「……え?」
凌は、驚いたように目を大きくする。
「だって、私なんかに抱きついてきたから……」
あの時の切なそうな瞳は、山崎の父に似ていた。母を想って私に縋りついた、父の目に。母の影を追い求める、父のように見えた。
だから、凌も、きっと私に似た人を想って――――。
「あかり――――」
凌が続きを口にしようとした時、ポケットの中で握り締めていた携帯が震えだした。
「ごめん、凌。電話がかかってきちゃった」
話を遮ったことですまなそうに断ると、凌は出掛かった言葉を飲み込み、背を向ける。
「もしもし」
ボタンを押し凌から数歩離れて通話に出ると、いつにもない調子をはずした声が聞こえてきた。
『どこに……おるん?』
なんとなく寂しげに聞こえるのは、気のせいだろうか。
時刻は、深夜目前。あれだけ早く帰るなんて言っておきながら、こんな時間になっていた。
「ごめんなさい。今からすぐ帰ります」
その言葉に、眉間に皺を寄せた凌が振り返った。
「あかり。帰るってどういうことだ。どこに帰るんだ?」
しまったっ!
一人暮らしをしているはずなのに、帰るなんて言ってしまった。一体誰と暮らしているんだ、って話よね。
「えっと……」
携帯を耳に当てたまま、凌に向かって顔を歪める。その表情に負けないほどに、凌も顔を歪めている。
『あかり?』
電話の向こうでは、話が途切れてしまったせいで水上さんが呼びかけてくる。
「えっと。ごめんなさい、直ぐです。直ぐに帰りますから」
水上さんの寂しげな雰囲気が気になりながら、言うだけ言って電話を切った。だって、目の前の凌が苦しげに顔を歪めたままで居るから。
「やっぱり、勘違いされたくない相手がいるんだな……」
けほっと、小さな咳をしたあと、凌がポツリもらした。
「違うよ」
えっと、なんて言えばいい? もう、こうなったら正直に住み込みしてるって言ったほうが、話がややこしくならずに済むのか。
「あのね、凌。実はね、住み込みのバイトしてるの」
「住み込み……」
「うん。それで、その雇い主が、あんまり帰りが遅いから、心配してるって言うか……」
あはは、なんて笑うと、凌の顔が安堵したように緩んだあと、今度は眉間にしわを寄せたしかめっ面になった。
「なに? 住み込み!?」
「あ……うん」
「そんな仕事してるのか? 電話の相手は、どんなやつなんだ? どんな家に住み込んでるんだ? 手を出してくるような男は、居ないのか?」
捲くし立てるように凌が訊いてくる。そうだった、こういうのが煩いと思っていたから話さなかったのに。
水上さんからの電話に焦って、つい考えなしに口を滑らせてしまった。
「だっ、大丈夫だよ。身元もしっかりした人で、ちゃんとした社会人だから」
「社会人だからって、ちゃんとしているとは限らないだろう」
そうだけど……。
困ったなぁ。しかも、社会人なんて言ったけど、ミュージシャンだから凌と似たような業界の人だよね。そのせいか、余計に言いづらい。
「と、とにかく。とっても良くしてくれている人なの。その人のおかげで、以前よりもたくさん借金を返すことができてるの」
頑張って訴えかけると、借金という言葉にピクリと凌の眉が反応した。
「借金のため……か」
「……うん」
「けど、やっぱりそんな仕事は、よくない。俺と一緒に暮らして、普通に働く方がずっといいはず」
「りょう……」
なんて言えば解ってもらえるだろう。
「俺は、あかりが心配なんだよ」
「うん……」
「ずっと一人にしてきたから、俺これからは――――」
「だーかーらー。それはさっきも言ったけど、気にしないでって言ったじゃない。凌は、凌。私は、私。もう、山崎の家に居た時のような子供じゃないよ。私も、ちゃんと自分で考えて行動できる大人になったの。だから、凌がそんな風に思う必要なんてないから」
六歳離れた凌は、母が死んでからいつだって親代わりだった。苛めは酷かったけれど、学校の事も家の事もきちんと考えてくれていた。だから、こんな風に心配してくれる気持ちはよくわかる。
だけど、お互いもう二十歳を越えた大人だ。モデルの道をきちんと歩んでいる凌に、おんぶに抱っこをする年でもない。
私は、私。凌は、凌。
まぁ、借金返済には、協力してもらうけど。
「俺は、必要ないってことか……」
けほけほっと空咳のようなものをして、凌が目を伏せる。
「いやいや……。そんな、必要ないとまでは、言ってないじゃない」
もう、極端だから。
「とにかく、私は今の仕事をやめる気も、現状を変える気もないの」
「明……」
きっぱりと言い切ると、寂しげな表情をする。
「凌だってモデルの仕事があるし、私なんかにかまけている暇はないはずだよ。今までだってそれぞれでやってきたし、凌が責任なんて重く考えるのは可笑しいよ」
「それは、違う!」
突然、凌が大きな声を出した。驚いてピクリと肩が上がる。
夜の空気が振動した気がした。凌が叫ぶなんて、父親と喧嘩した時のようだ。
「それは、明の考え違いだ。親がいない以上、俺には責任がある。今まで放っといていたやつが言えたセリフじゃないけど、家族は一緒に居なきゃいけないんだよっ! それに、俺は――――」
「……凌」
声を荒げてしまった事を恥じるみたいに、途中で言葉を切り凌が俯いてしまった。気持ちを立て直すように、一度大きく息を吸い吐き出している。
「ごめん。アルコールのせいかな……。ちょっと、興奮状態みたいだ」
年明けも間近になった寒い冬の夜。二人で空けた、たかだか一本のボトルワインでは、当に酔いは冷めているはず。
興奮した言い訳には、弱いよね……。
血は繋がっていなくても、この世でたった二人の兄妹。凌は、それに固執している。
けれど、心配のしすぎだ。水上さんもそうだけれど、二人とも私を軟に見すぎている。伊達に、ここまで独りで生きてきてはいない。普段はふざけた事ばかり言ってるけれど、これでもしっかりしているつもりだ。
「俺、今年に入って少し広めのマンションに越したんだ。明を見つけることができたら、一緒に住もうと思っていたから、明の為の部屋も一つ用意してある。場所だって、そんなに悪くない。駅も割りと近いし、大き目のスーパーだって近くにある。明が料理をしやすいように、キッチンだって広めのシステムキッチンを選んだ。火力だって、一般家庭じゃ到底出ないものに変えてある」
「凌……」
説明する姿は、なんとか引き止めようと必死すぎて、少し滑稽にすら感じられた。
どうして、そうまでして一緒に暮らす事に拘るのか。家族だからという理由だけじゃ、なんだか納得できないほどだ。
「気持ちは、嬉しいよ……」
「なら」
ゆっくりと首を横に振った。
「さっきも言った通り、私は今の生活を崩したくないの。凌が色々考えてくれていたのには、本当に感謝する。家族だから、助け合う事も大事だって思う。でも、まだ平気だから。まだ、頑張れるから。この先、どうしても一人じゃつらくなった時は、言うね。だから、それまでは」
凌は、寂しげに目を伏せる。
しばらくそうしてから、深呼吸するように深く息を吸い吐き出した。
「何か起こってからじゃ、遅いって事……、それだけは、肝に銘じておけよ」
精一杯の譲歩だという具合に、強張っていた顔の筋肉を緩めた。
凌の態度に、肩の力を抜き、頬を緩めた。
「部屋は、明のためにずっと空けたままにしておくから。いつでも、言ってくれ」
「……ありがと」
大丈夫。私は、まだまだ頑張れる。
それに。水上さんは、何か間違いを起こすような人じゃない。酔っ払って手がつけられなくなることはあっても、心根の真っ直ぐな人なのだから。
再び渋谷へ向って歩きだした。少ししてから、凌が空車のランプを目ざとく見つけ、通りかかったタクシーを止める。
「明、乗って」
促されるまま乗り込むと、自分は乗らずに一万円札を握らせてきた。
その手が、やけに熱い。
「凌は?」
「俺、逆方向だから」
「そう。わかった。じゃあ、今日はありがとう」
「うん。また、食事しよう」
「ああ、うん」
あまり気乗りはしないものの、とりあえず首を縦に振った。
シートに座り、風邪がひどくならなければいいけれどと、凌の身を案じる。
なんだかんだ言っても心配をしてしまうのは、やっぱり家族だからだろうか。
閉まったドアの向こうでは、凌が寂しそうに目を伏せていた――――。
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