第9話 予想もしなかったプレゼント

 あまりにいい眠りだったせいか、昨夜は夢も見ずに目覚めた。しっかり、バッチリ、熟睡ってやつです。

 水上さんの起きる前にベッドから抜け出し、朝食の準備を始める。

 今日は、フレンチトーストにしよう。卵の入った甘く味付けをした液体に、柔らかいパンを浸す。それをフライパンで焼き、お皿に盛り付けた。

 粉砂糖を軽くふりかけ、蜂蜜は好みがあるだろうから小瓶に注いで横に添える。

 少し濃い目のコーヒーを淹れ、簡単なサラダとヨーグルトもつけた。

 テーブルに並んだ朝食は、見た目にもさわやかな朝の食卓に仕上がった。

 その匂いに釣られたのか、水上さんはつい数分前に自分で起き出し、既にテーブルに着いていた。待ちきれないようにテーブルのフレンチトーストをガン見していたので、「どうぞ」と声をかけると、待ってましたとばかりにナイフとフォークを手にする。

 なんて微笑ましい、まるで子供のようだ。

「いただきまーす」

 食事の挨拶をちゃんとする水上さん。

 偉いぞ、うん。

 半分ほどを平らげたところで、水上さんがはたと顔を上げる。

「明は、食べへんのか?」

「え? 私ですか?」

「他に誰がおるん」

 若干不機嫌な返事に焦る。

 そりゃ、そうだ。他に誰かいたら、逆に恐いもんね。

「水上さんを送り出したあとに、食べますから」

 そう言って、意味もなくテーブルの隅を拭き拭き。

 すると――――。

「はぁ゛っ!」

 ドスの訊いた声を、浴びせられてしまった。

 ひいぃぃぃーっ。朝から、そんな恐い声を出さんで下さいよー。

 恐る恐る水上さんを見ると、フォークをテーブルに突き立てるようにしてこっちを睨んでいる。

 さっ、刺すんですか? そのフォークで、グイッと刺しますか?

 イヤイヤ、痛いですよ。だって、それ四本も尖った先端があるじゃないですか。

 そんなんで刺されたら、きっとものっ凄い鈍い痛みっていうんですか。それにやられて、ウゲウゲいって床を転げまわっちゃいますよ。

 どうせなら、ナイフの方でサックリいっちゃって下さいよ。きっと、鋭利な痛みの方が、まだましな気がするんで。ね、ねっ。

 半歩後ずさりしながら、焦っていると苛立った声がかけられた。

「明も一緒に食えやっ」

 そかそか、一緒に食事ですよね。以前も、同じこと言われたよね。いかんなぁ、学習能力に欠けている。

 慌てて、自分の分のフレンチトーストを焼き始めた。

 火が通るのに、少しばかり時間が掛かるフレンチトースト。焼いている間に水上さんのフレンチトーストが冷めちゃいますよ。

 以前のように待っているだろうと、テーブルを振り返る。しかし、そんな気遣いは無用だった。フレンチトーストが出来上がるまでの間にすっかり完食していて、添えられていたヨーグルトを子供みたいな顔をしてスプーンですくい食べている。

 ですよねー。そう毎回、待ってるわけないですよねー。あっははー。

 黙々とマイペースに食事を進め、今度はサラダを突いている。

 その目の前に、出来立てのフレンチトーストが乗ったお皿を置いて、私も着席した。

「わざわざ別にせんでもええしな」

「はい」

「それから。敬語は無しって何回ゆうたら解るんやっ」

 不満バリバリの声でそう言うと、私のお皿に乗っているフレンチトーストにフォークを突き立て一切れ持っていった。

「え……」

 予期せぬ行動に固まっていると、奪った出来立てのフレンチトーストを美味しそうに頬張っている。

 もしかして、おかわりが欲しかっただけ……?

 ヒクヒクとなる頬の引き攣りを、必死に抑える。

 こーの、食いしん坊っ!


 満腹になった水上さんは、ご機嫌で仕事へと向かう。それを見送ってから後片付けを済ませ、地下のガレージへと行ってみた。

 出かけ際に預かった、リモコン付きのキー。ガレージの入口に立ってから、そのONボタン押すと、奥の方で一台の車のライトが光った。

「おお。あの車か」

 近寄って、中を覗きこんだ後、乗り込んでみた。

 まぁ、国産車だけど、嫌いじゃないな。悪くないよ、国産車。一般人に紛れ込むには、やっぱり国産車でしょ。うんうん。

 やけに、国産車というところに力を入れる。

 何も、芸能人がみんな外車に乗っているとは限らんもんね。

 いいよ、国産車。素敵よ、国産車。

 しつこく呟き、スモークの貼られた黒光りするミニバンに乗り込んだ。

 これも、事務所が用意したものなのかな? それとも、本人のもの?

 よく判らないまま、ちょっと試乗してみようとキーを差し込み発進させる。オートマの運転を忘れていない自分に感動し、マニュアルじゃなかったことに安堵した。

 ゆっくりと地下から外に出て、路地を抜ける。

 初めは久しぶりの運転に緊張していたものの、時間が経つにつれて教習所での感覚を思い出していった。

「あ、お財布持ってくればよかった」

 キーだけを手にして、手ぶらで車に乗り込んでいたことを後悔する。ついでに買い物を済ませれば楽ちんだったのに、と思ったけれど、明日から一人なのだから特に色々買う物もないことに気が付いた。

 どこいく当てもなく、知らない道をぐるりと走り、三十分ほどでマンションへと帰ってきた。

「これだけ運転できれば、上出来よね」

 軽く音を立てて車のドアを閉め、人差し指に引っ掛けたキーをクルクル回す。

「車って、便利ー。てか、車があるならもっと早く言ってもらいたかったな」

 いつもする買い物が大変だったので、愚痴を零してみた。

 部屋に入り、便利屋の社長へ連絡をし、何か仕事があったらまわしてください、とお願いをして電話を切った。

 それからいつものように家の掃除をして回った。

「あ、お昼はどうするんだろう? 食べて帰ってくるのかな?」

 メールを入れると、食べずに帰ると返事がきた。メッセージを見て食事の準備をしようとしたら、もう一度メールが届いた。

 昼メシは、外で一緒に食うぞ、と。

「一緒ですか……」

 届いたメールに、ちょっと表情が歪んだ。

 何故って、夜の食事ならまだいいです。水上さんは、アルコールが入るとご機嫌になってくれるから。 でも、昼間っからお酒を飲むわけがないだろうし。そしたら、きっと朝みたいにごっつい顔目の前にして、萎縮しながらのご飯だろうし。 そんなの、食べた気しないよぉ。うぅ……。

 誰も居ないのに泣きまねなんてしながら、憂鬱なランチの妄想に浸り深く息を吐いた。


 仕事は午前中少しと言っていたように、水上さんはお昼を前にして帰ってきた。

「行くでー」

 玄関を開けたかと思ったら、そこに留まったまま中に居る私に声をかけてくる。

「えっ。そんな、速攻ですか」

 慌てて貧乏コートを手にして玄関へと急いだ。

 水上さんは、綺麗なおでこを出して黒縁の伊達眼鏡をかけて半歩前を歩いて行く。

 頭には、黒のニット帽。もし、プロレスラーの目だし帽なんか被っていたら、その目力だけでやられそうな眼力を、今日は伊達眼鏡がやんわりと防いでくれていた。

 通りに出るとタクシーを捕まえ、さっさと乗り込んだ。置いていかれないようにササッと後に続く。

 水上さんは、運ちゃんに「表参道」と一言だけ告げると、腕を組んで黙ってしまった。

 おかげで無言の車内は、気詰まりったらない。仕方ないので、そもそもの目的について話題を振ってみる。

「どこで食事ですか?」

「ぅん。……うぅん」

 えーっとぉ。何で、そんな曖昧な返事?

 表参道って指定しているのだから、食べに行くところは決まってるってことでしょ? それとも、何かサプライズ?

 私の妄想が掻き立てられる。

 例えば、知らぬ振りして連れて行かれたお店は超豪華で、通された個室に入って食事をしたら“ハッピーバースデイ AKARI”なんつってデコレートされたケーキの上で、線香花火並のカラフルなほっそい蝋燭がバチバチ灯ってる、みたいな感じ?

 つーか、私九月生まれだから、誕生日は既に一ヶ月以上前に過ぎちゃってるけどね。

 大体、私の誕生日を水上さんが知ってるか、って言う根本的な問題があるな。

 雇い主だから、ある程度の身上は把握しているだろうけど、誕生日まで心に留めているわきゃないよね。

 沈黙の車内が気詰まりで、一人そんな妄想をしていたらタクシーが止まった。いつの間にやら、表参道に到着したらしい。可笑しな妄想のおかげで、早く着いたような気分になる。

 妄想も悪くないな。

 表参道は、平日にもかかわらず若者達でごった返しだった。

 撮影所の時のように、キョロキョロ、フラフラなんてしていたら、次から次へと人にぶつかって、階級一個間違えたんじゃないの? 的なボクサーのようにボコボコにされ、立ち上がれなくなりそうだ。

 立てっ! 立つんだ、ジョー!!

 心の中で丹下段平が叫んでいるようなので、たくさんの人の間を一生懸命潜り抜けて歩く。

 スイスイと先を行く水上さんを、白いマットに沈んでいる場合ではないとばかりに必死で追いかけた。

 そんな水上さんの歩くスピードったら、はっやいし。ディフェンスかわしまくりで、華麗にすいすい歩いて行っちゃう。

 おかげで私は、若干ボコボコになりながら、見失わないよう必死にその背中を追いかけた。

 そんな私の目の前に立ちはだかった、ひょろりと大きな壁みっつ。

 気をつけていたつもりだったのに、そのうちの一人。ちょっとのっぽな若者の足に躓き、アスファルトに思い切り膝をついてしまった。

「うあっ!! イッたい」

 大袈裟な声を上げても、街の喧騒はあっという間にその叫びを飲み込み、何事もなかったような顔をする。

 おかげで、アクセントつきの痛いは、グレーの道に寂しく転がるだけ。

 あぁ、虚しい……。

 転んだ拍子に突いた手をパンパと払い、恥ずかしさと、じんわり痛む膝に項垂れていると、スッと目の前に手が伸びてきた。

 ぶつかったのっぽのお兄ちゃんかと思い顔を上げたら、以外や以外、水上さんじゃあ、ございませんか。

「んっ」

 掴まれ、といいうように手をもう一度グイッと差し出してくる。

 えっえっえっ? この手を取れ、ってこと?

 とっとと先を行っていると思っていた彼が目の前に立ち、神のような慈悲深い手を差し伸べている。

 あまりに不釣合いなその態度に、咄嗟に体が動きません。

 もたもたとしていると、片方の手を掴まれヒョイッと体を軽々と持ち上げられた。

 細っこい身体つきからは想像もつかない力強さで、助け起こされる。

 水上さんも、男なんだよねぇ。

 感慨深く思いながら、腕の辺りを見た。長袖に隠れて見えないその中には、きっと逞しい筋肉の筋が盛り上がり、少し血管なんかも見えちゃう腕があるのだろう。

「東京は、人が多いからな。気ぃつけなあかんで」

「あ……、ありがとう」

 繋がった手のままお礼を言うと、水上さんはそのまま歩き出した。結果、この若者溢れる活気ある表参道で、手を繋いで歩くことになる。

 意外と逞しいと気付いたその腕と繋がる手に、なんだかドキドキして、なにやら、とぉーってもこっぱずかしい。

 うっへぇー、なんて耳を熱くしながら手を引かれる私は、傍から見たら彼女に見えちゃったりするのでしょうか?

 こんなところを写真にでも撮られたら、えらい事になりそうだ。迷惑になるのは避けたいから、なるべく顔を伏せるようにして歩いていった。

 たくさんの人の間をすり抜けていく水上さんに手を引かれているおかげで、私もスイスイ歩いていける。時々、腰に手をあてがわれグッと引き寄せるようにして、向ってくる相手から庇う動作は、なんだかとっても紳士的で、普段の彼からはとても想像ができない。

 ナイス、ジェントルメン。

 ふざけた調子で言ったら、張っ倒されるんだろうなぁ……。

 照れ隠しをするみたいに考えて、赤い頬を苦笑いで誤魔化した。

 手を繋いだまま、人混みの中を歩く事数分。人波からちょっと外れた裏通りに入り、自然と水上さんの手が離れていく。それがなんとなく名残惜しく感じてしまうのは、どうしてだろう。

 それでも並んで歩く距離はとっても近くて、終始彼の肩先や、帽子からはみ出ている髪の毛や、履きこなれているジーンズを眺め続けていた。

「着いたで」

 ずっと見ていた水上さんから視線をはずし、目の前のショップに目をやった。

「ん?」

 なに、ここ? 食事をしに来たんじゃなかったっけ?

 立ち止まった目の前には、少し落ち着いた雰囲気を醸し出しつつも、気軽に入りやすいよう緩めの照明が灯った洋服屋さんがデーンと軒を構えていた。

 不思議顔で水上さんとショップを交互に見ていたら、行くぞ、と顎だけで促される。

 その仕草は、普段の水上さんに戻っていて、なんだよ、やっぱり乱暴だぜ、なんて思いつつも、これが彼よね、などと納得もした。

 店内に入って行く後ろをくっ付いて行くと、明るい声の店員さんが迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」

「あ、電話しておいた水上やけど」

「うかがっております」

 店員さんは、ニコリとスマイル。

 よく解らないまま、何をうかがっているんだ? と益々謎が深まるばかり。

「数点ご用意させて頂きましたので、こちらへどうぞ」

 店員さんは、私の顔に柔らかい微笑を向けたあと、店の奥へと案内してくれた。水上さんはといえば、私を先に行くよう促すと、何も言わず後ろをついてくる。

「お客様には、こちらなどいかがでしょうか?」

 連れて行かれた奥の方で見せられたのは、数種類のコートだった。

「え? え?」

 どういうこと?

 食事だって言って連れてこられたら、洋服屋さんだし。しかも、目の前にはいくつもコートが用意されている。

 アホみたいに“え?”を連発していたら、水上さんが眉間に皺を寄せた。

「好きなの、選びぃ」

 照れくさそうに顔を伏せ、視線を合わせない。

 それって……、買ってくれるって事? 以前、酔っ払って、こおてやる、なんて言っていたけれど、本当だったってこと?

 半信半疑のままおんぼろコートを脱いで、店員さんに手渡されたコートを羽織ってみた。

 初めに試着したのは、この先の寒さに向けても着られるように、裏地はキルト素材で取り外しのできる赤いタータン・チェック柄のコートだった。

 膝丈ほどの長さのコートは、ウエスト部分が少しくびれた、Aライン。身体のラインが綺麗に見えるタイプのもの。しかも、赤の色が派手すぎず落ち着いているため、変に子供っぽくも大人っぽくも見えず、とてもいい感じだ。

「可愛い」

 つい、大きな姿見に映る、そのコートを着た自分に向って恍惚と洩らしてしまった。すると、斜め後ろの方からすかさず突っ込みが入った。

「コートがな」

 わかってるっつぅーの。いちいち、念押さなくってもいいしっ。

 鏡越しに皮肉一杯の気持ちをなるべく表情に出さないようにしながら、水上さんに向かって口角を上げた。

 だって、買って貰うのに睨みつけるわけにはいかないから。

 感情を抑えつけた表情を見て、水上さんは可笑しさを噛み殺すようにクックッと小さく声を出しうつむいている。

 くっそー。こバカにしちゃってさー。

 なにさ、なにさっ。ふんっ。

 ちょっと膨れてはみたものの、コートを買って貰える嬉しさに、小さな小競り合いさえ楽しくなってきた。

 他にも同じタイプのグリーンのタータンチェック柄や、グレンチェックのチェスターコートなど大人びたものから、学生が好みそうなダッフルやピーコートもあった。

 一通り袖を通してみたけれど、やっぱり一番初めに着た赤のコートが自分には合っているみたいだった。

 もう一度最後にそのコートを着て、鏡の前に立ってみる。

「これにしよっかな」

 窺うように、腕を組んで後ろに立っている水上さんを振り向いた。

 水上さんは、片眉をクイッと上げてから腕組を解き、俺に訊いてんのか? みたいな抜けた顔をしたから、他に誰が居るのよっ、て顔で見返した。

 少し考えるような素振を見せると、ぼそりと口を開く。

「明には、それが一番似合っとる……」

  きっと、女の子に向って、似合ってる、なんて言ったのが恥ずかしかったのだろう。すぐに背を向け店内をうろつき出した。

 こーのっ、照れ屋さん。

 心の中でからかいつつも、急に貰えたプレゼントに心は躍りっぱなしだった。

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