第8話 冷たい仕打ち
待ち合わせに指定された、ホテルのラウンジ。自分の服装とかち合わないこの場所に居ることが、なんだか酷く惨めに感じる。安物の古びたコートが、まさに貧乏を纏っているようだ。
切ない思考を振り払い、窓際の席で足を組みながら、優雅にコーヒーを飲む人物の元へと小走りに近づいた。
依頼者は、三十五歳の商社に勤める男性。サラサラの髪の毛に、いい具合に脂がのり始めた、一見すれば好青年的な顔立ちをしている。座っているからわかりにくいが、身長は高そうだ。着ているスーツも悪くない。腕時計に目をやれば、ちょっとやそっとじゃ買えそうもない代物だった。
金だけは、持ってんぞーてところか。
個人的な裏の感情を隠しつつ、営業モードにスイッチオン。
「お待たせしました。便利屋の山崎です」
ペコリとお辞儀をすると、一度立ち上がり「どうも」と挨拶をする。
声は少しばかり高くて、いくらか抜けたような感じだなと勝手な品定め。
さっそくテーブルに着き、説明と打ち合わせを始めた。
あと一時間も待たずにやってくる、依頼者が別れたいと考えている彼女には、深い付き合いはできないと初めから言い置いていたらしい。しかし、いざ本命の結婚相手が現れたら、当初の約束などへでもないとばかりに、別れるものかとへばりついてきているらしい
「初めから、それほど頭のいい女じゃないなと思っていたが、本当にそうだったよ」
嘆くようなセリフのあとに、「容姿だけはいいんだけどね」と笑う依頼者に、嫌悪感を抱かずにはいられない。
うげー。最悪な男じゃん。結局、自分の欲求を満たしたいが為の相手だったわけでしょ。容姿に拘って頭が弱い事を妥協したんだから、こんなことになったのも自業自得ってもんよね。
あ、これって、水上さんとおんなじこと言ってるか。
心の中で毒づいていると、依頼者が嘲笑を僅かに浮かべてから、値踏みするように目の前に座る私を見てきた。
「まず。その服装をなんとかしてもらえないかな」
「え?」
上から下まで見られたあと、今度ははっきりと嘲笑された。感じ悪い事この上ない。
腸が、少しずつグツグツし始める。けれど、相手はお客。マネー、マネー。
心の中で歌うようにして、気を落ち着かせた。
時間がないからと、すぐ近くにあるセレクトショップに連れて行かれた。
依頼者によって、おんぼろドレスのシンデレラは、トータルコーディネートされるのでした。そんでもって、これまた近くにある美容院に駆け込み、飛び込みなのに無理矢理お願いしてブローまでされる始末。
弄繰り回されるだけ回されてる私って、どんだけイケてなかったんだ? と自尊心をウリウリと踏み付けられた。足蹴にしたお詫びとでもいうのか、変身にかかった費用は全額依頼者もちだ。
あったりまえだぜ。ケッ。
汚い言葉が胸の中を満たしていく。
なんやかんやで、依頼者が好むようなスタイルに変身させられてしまった。
その姿は、ちょっとばかり清楚で、それでいて若干の知的さを漂わす雰囲気に仕上がった。
「うん。よくできてる」
鏡に映る私を見ての一言。
お客さん。私は、リカちゃんやバービーちゃんではないんですがね。
まぁ、彼女たちのように八頭身のスタイルだったら、ウリウリなんて足蹴にされることもなかったのでしょうけど。
着せ替え人形にされた私と、傲慢チキチキな依頼者が、さっきの待ち合わせ場所に二人で戻ると、早々に来ていた、容姿はいいらしい彼女が、タバコをくゆらせ椅子に座り、組んだ足を貧乏ゆすりしながら待ち構えていた。
その彼女、遠巻きに私の姿を確認するや否や、ふんっと鼻から煙を立ち上げている。
おぉー、闘志漲っとりますなぁ。こりゃあ、修羅場になるだろうなぁ。
婚約者を気取りつつ、観客のように第三者の思考でいそいそと近づいていく。
「待たせたかな」
「別に」
紳士ぶった依頼者が軽く手を上げ向かい側の席に腰を下ろし、私には隣に座るよう促した。
目の前の彼女が、キッと睨みつけてくる。
怖いですって……。
睨んでいた目をすぅーっと細めると、彼女は吸っていたタバコをグニグニと灰皿でもみ消し腕を組んだ。
もみ消されたタバコは、まるで目の前の婚約者である私でもあるかのように、それはもうグリグリと力強く、これでもかってくらいに灰皿の中でヘタっている。
脳みそ足りない分、力技でくるんですか? なんて失礼な事を思ってみたり。
灰皿の中で息の根を止められたタバコのフィルターには、べっとりと口紅のあとがついていた。ついでに、テーブルの上に乗ったコーヒーカップにも、べっとりとした口紅のあと。
それを見た瞬間、確かに頭が悪そうだと感じたけれど、口にできるはずもない。
女性としてのエチケットなど、あったものじゃない。
私も人様に自慢できるような躾をされてきたわけではないけれど、そのくらいはね、と肩をすくめる。
依頼者との打合せではただ隣に座り、しとやかに振舞い、一切言葉は発しないことになっていた。とにかく余計な事は言うな、というわけ。
まさに、人形だ。なんなら、八頭身のリカちゃん人形でも座らせて置いたらいかがですか? それとも、バービーちゃんの方がいい?
そんな胸のうちは一ミリも顔に出さず、落ち着いた態度で、しっとりと清楚に振舞う。それでいて、私婚約者なのよ。的にどっしりと構えた。
「こんな女と結婚するんだ」
目を細め、彼女は値踏みするように睨んでくる。隣に座る依頼者は、宥めたり、すかしたりしながら、叱り心頭の彼女とどうにか別れようと必死になっている。
隣に座る私は、ただただ、しっとりでどっしりだ。
「本当に申し訳ないが、こういうことになってしまった以上。最初の約束通り、君とはもう終わりにしたい」
お言葉ですが、こういう女性は簡単に納得などしないでしょ? 最初の約束なんて、屁でもないよ、うん。あ、だから私が呼ばれたのか。
つい、第三者丸出しで遠巻きに観察をしてしまった。
いかん、いかん。清楚でしっとり。それでいて、どっしりよね、うんうん。
そうこうしているうちに、依頼者が上着のうちポケットから厚みのある封筒を取り出した。
「これでなんとか……」
えっ……。手切れ金?
金持ってんぞー。てのは、さっきのトータルコーディネートでよくわかったけれど、それって人としてどうなのよ。てか、私みたいなのに依頼している時点で、どうかって話か。
それにしても、結構な厚みじゃないのさ。
当然、目の前の彼女がブチ切れる。
「バカにしないでよっ!!」
ま、普通の神経していたら、当然の反応よね。
目の前の彼女は、ガッと勢いよく立ち上がったかと思うと、お冷のグラスを乱暴に手に持ち、バシャッと豪快に引っ掛けるものだから、頭から水浸しだ。
「冷たい……」
ぽたぽたと髪の毛から水が滴り落ちる。
何故。何故、そうなる……。
「落ち着けって……」
「落ち着いてるわよっ!」
イヤイヤ、全然。全く持って、落ち着いていないでしょうよ。
だって、水を引っ掛ける相手、間違ってますよ。なんで、私にぶっ掛けるよ。
綺麗にブローされたばかりの髪の毛から雫が滴る。買ったばかりの服も濡れてしまった。
「もういいっ! あんたにくれてやるわよっ、こんな男っ」
散々すったもんだと言い合いをした挙句、現金が入っているであろう封筒をガサッと掻っ攫い、彼女はズカズカと行ってしまった。
バカにするなと言いながらも、お金はしっかり受け取るんですね……。しかも、要らないですし、こんな男。
バケツ一杯の水じゃなくてよかったと、少しでもポジティブに考えつつ項垂れていると、隣の依頼者がなんとか解決した事に安堵の息を吐いた。
ほっとしたのが解りやす過ぎるくらい、少し冷め始めたコーヒーをまたも優雅に飲み、よかった、と小さく零した。
どこがよかったんじゃっ! こっちは、びしょ濡れだってのっ!
喉元まで出掛かった汚い言葉を、何とか飲み込んだ。
これは、お仕事なのだ。仕方ないと、割り切るよりない。
「じゃあ、僕はこれで」
依頼料は、口座に振り込んでおくと言い終え、スッキリとした顔で立ち上がる。
大丈夫? と気遣う一言さえないサッパリとした表情に向かって、今度は私が水をぶっかけてやりたくなる。
「毎度、ありがとうございました」
雫の滴る頭で営業用に頭を下げると、また何かあったら頼むよ、と白い歯を見せ笑った。
「是非、よろしくお願いします」
微塵もそんなことなど思っちゃーいないけれど、仕事モードでもう一度頭を下げた。ただ、腸のグツグツはピークに達していて、どこかにサンドバッグはないかと探してしまうくらいだ。
憤慨しながらも営業スマイルで依頼者を見送ったあと、レストルームへ向かった。
鏡の前で濡れてしまった髪の毛や洋服を、ハンカチで丁寧にふき取っていく。
ムカムカとする気持ちも一緒に拭き取るようにして心を落ち着かせてから、着替える前の貧乏アイテムが入った紙袋を提げ、そぼ濡れたリカちゃん人形の姿のまま水上さんちへと帰宅した。
マンションに戻ると、水上さんはまだ帰っていないらしく、部屋の中は真っ暗だった。
「今頃、メンバーと楽しく盛り上がってんだろうなぁ」
情けなく声に出して、溜息一つ。こんな依頼引き受けないで、哲さんのお誘いに乗ればよかった。
それでも、取っ払いで三万円。これは、大きいよね。
しかし、依頼者の代わりに水を掛けられてむしゃくしゃしているから、口座にお金が振り込まれたらババーンとコートを買っちゃおうかな。
豪快に思っても、何故か胸に虚しさが広がっていく。
何故だろう。女を弄ぶ、依頼者のような男が許せないからだろうか。
イライラしながらも、水上さんがいつ帰宅してもいいようにお風呂の準備を始めた。程なくて、お酒の入ったほろ酔いの水上さんがご帰宅した。
「お帰りなさい」
玄関先までお出迎えに行くと、私を見るなりギロリと怖い顔をする。
ひいぃーーっ。恐いでふ。
やっぱり、バイトなんか行っちゃったのが気に入らなかったのだろうか。
借金のためなんですよぉ。と泣きそうになる。
さっきまで、稼いだお金でコートを買ってやるくらい豪快な気持ちになっていたのに、あっという間に委縮して情けない言い訳しか出てこない。
「どないしたんや。その服と髪」
睨んだままの表情で家に上がりこみ、怒ったようにスタスタとリビングへ向かう。その後ろを、遠慮がちに追いかけた。
「えっと、これは今日のお仕事でちょっと……」
要領を得ない返しに、ふんっ。という怒りの鼻息が返ってきた。
「似合わんな」
吐き捨てるように言うと、着替えを持ってバスルームへ行ってしまった。
うぅ……。似合いませんか。そうですか……。
なんとなく、自分でも似合っていないのではないかと思っていましたが。ああも、はっきり言われると、流石にちょっぴり傷つきます。
でもね、お仕事ですから、仕方ないんですよ。好きでこの洋服選んだわけでも、このヘアスタイルにしたわけでもないのです。総て、依頼者のご希望に沿ったまでのこと。
バスルームのドアを見つめながらブツブツと言い訳がましく思ってみても、水上さんに聞こえるはずもなく。虚しさの空気が辺りを漂うばかり。
肩を落として落ち込んでから、ふと我に返った。
なんで必死に取り繕ってんだろう? 考えてみれば、ただの雇われヘルパーでしょ? 服装どうこう言われるのって、可笑しいよね? ヘルパーがどんな服着て仕事しようが、勝手じゃーございませんか。
それとも、なに。メイド服でも用意してくれるんですか? ひらひらフリフリの服を着て、お帰りなさいませ、旦那様。ってーのがご希望ですか?
それこそ、似合わんでしょーがっ。
ホテルでのムカムカが蘇ったように、逆に憤慨してしまう。
「酔った勢いで言ってんじゃねぇっ」
文句と共に、ふんっ! と鼻息を力強く洩らした瞬間、バスルームのドアが開き、水上さんが出てきた。
「なんやて?」
すぅーっと目を細め、睨まれる。
ひっ、ひえぇーーっ!なぁんでもありませーんっ。
文句なんか言ってません。鼻息なんて、洩らしてません。
メイド服でも、セーラー服でも。何ならどこかのアニメキャラのコスチュームでも着ますからぁっ。
焦りを滲ませ、赦しを請うように縋りつく表情をする。
雇われている身の悲しさよ、アーメン。チーンッ。
キリストと仏教が混ざっているような感じだが、そんな事は気にしない。大体、私は無宗教だ。
不機嫌な表情のまま、水上さんがドカリとソファに腰を下ろしてテレビをつけると、画面を見たまま私を呼んだ。
「あかりっ」
「はいはい」
ゴマすり人形のように傍に行くと、「あさって、大阪に戻る」と一言。
「新幹線で帰るから、東京駅まで車で送ってくれ」
「え? 車ですか?」
「免許、持ってるんやろ?」
「はぁ、まぁ、一応」
便利屋の仕事を始めたときに、社長から車の免許は取っておくように言われ、なけなしの金をはたいて、全て一発合格をして手に入れた普通自動車免許証。けれど、結局のところほとんど運転する事がないまま今に至る。
そんな私の運転でよければ、いくらでも。縁石ガリガリ擦っちゃうかもよ。えへ。
ところで、車は?
「車は、地下のガレージにあるから」
まるで、心を読んだかのような返答。実は、サイキッカー? もしかして、ずっと私の心を読んでいたのですか?! あんな事やこんなことまで、全部。
いやーん。心が丸裸。
などと、またも阿呆な思考。
それはさておき。
「明日のお仕事は?」
「明日は、午後からオフや。午前中、少しだけ出てくる」
「わかりました」
スケジュールの確認を済ませ、私もお風呂をいただいた。
金持ってんぞー。の依頼者にこぎれいに整えられた、しっとり清楚な偽者婚約者は、元の貧相な明へ戻るのでした、ちゃんちゃん。
「まるでシンデレラだわ」
ボソリと洩らし、ドライヤーを手に持ち洗面台の前で髪を乾かす。
鏡に映る自分の間抜けな顔を見て思う。
水上さんは、しばらく留守になるのかぁ。てーことはよ。ここのお仕事は、しばらくないって事よね。まぁ、それなりにお掃除はするけれど、あれもこれもなんて追い立てられる事もないわけか。
だったら、時間がもったいないし、便利屋の社長に連絡して、ちょっとお小遣い稼ぎでもしようかな。
タイム イズ マネーだわ、うん。
いつも通りに髪をブローし、鏡の前で頷いてみる。
それから、今日依頼者からいただいた洋服を見た。脱衣カゴの中の洋服を手に取り、鏡の前であわせてみた。
「そんなに、似合わないかなぁ……」
首をかしげ、清楚な笑顔を鏡に向かって作ってみる。
「結構、イケてる気もするけれど」
色んな角度から自分を見て、髪なんかもかき上げてみる。
うっふ~ん。峯不二子には程遠いけれど、なんせ胸が貧弱……。
けど、それなりに清楚でしっとりもイケてる気がするんだけどなぁ。
そんなことに未だ拘り、ブツブツと鏡の前で零す怪しい女をもう一度ジッと観た。
さっきの水上さんのリアクションからしたら、この姿は全くありえんて感じだったよね……。
若干凹んでから、気を取り直す。
しかたない。この服は、オークションにでも出すか。便利屋の社長に、頼んでみよっと。
結局、お金に換算してしまう。
リビングに戻ると、すっかり遅い時刻だというのに、珍しく水上さんがまだソファに座っていた。
テーブルの上には、缶ビール。むかい酒ですか? ん? ちょっと違うか。
「あかり」
「はい」
「客間、使ってええぞ」
「え?」
傍に立ち尽くす私を振り返り、奥にあるドアを指差した。
マジですか? だって、客間っていうくらいだから、お客様のためのお部屋でしょ? 使用人の私なんかが、使っていいのだろうか?
かと言って、いつまでもリビングの隅に小汚い荷物を置いたたまっていうのもなんだけれど。
躊躇っていると、「ええから、使え」と念を押された。
「客なんて、そうそう来いへんし」
「そうですよね」
ニコニコと賛同すると、「なんやとぉ」と睨まれた。
ひぃー。ごめんなさーいっ。
水上さんにお友達がいないとか。連れてくるような相手もいないとか。こんな恐い人の家になんか誰も来たがらないだとか。そんな事は、露ほども思っておりませんーー。
ビクビクしながら焦っていると、「寝るわ」とテレビを消して立ち上がる。
その背中に、「お休みなさい」と声をかけると、背を向けたまま手を上げる水上さんでした。
なんやかんやで、やっぱり心根は優しいお方です、はい。
そんなわけで、ここへ来てから初の、まともなお布団ですよー。うきゃきゃきゃきゃっ。
喜び勇んでドアを開け、窓際に置かれているベッドへとダイブ。スプリングの効いたマットが、軽々と私を受け止める。
あのソファも、以前の薄っぺらな布団よりはそうとうマシだと思っていたけれど。やっぱりベッドにはかなわないよねぇ。
ビョンビョンと二、三度その上で跳ねてから、布団の中にもぐりこんだ。
「いい夢見れそう」
むにゃむにゃと呟き、あっという間に深い眠りへと落ちていった。
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