第24話 問答無用の誘い 2

 イヴ前日の夕方。ぞくに言う、イヴイヴってーやつ。

 ダイニングで水上さんと向かい合い、夕食を摂っていた。

 明日は、凌との約束がある。待ち合わせは、十七時。一緒にご飯を食べ、お金を貰ったらとっとと帰ってこよう。長居すると、ろくな事にならないだろうから。

「あのね、……英嗣」

「ん?」

「明日。夕方から、ちょっと出かけてもいいかな」

「明日? なんや、予定入ったんか?」

「うん。あのね、りょ……、兄貴のところにちょっと。この前の仕事の代金、貰いに行くことになって……」

「……兄貴」

 水上さんは、口元に持っていった箸を数センチ手前で止めたまま、眉間に皺を寄せて何かを考えるような素振で動かなくなる。

「用事が済んだら、すぐに帰ってくるから」

「金……貰いに行くだけか?」

 皺を寄せたまま訊ねられる。

 え? どういう意味だろう?

 わからないけれど、ちゃんと説明だけはしておこう。

「あのね。最初の打ち合わせの時に、私途中で帰っちゃったから。お金貰ったら、その埋め合わせで食事もしなくちゃいけなくて……」

 そこまで説明して、ドタキャンしなくちゃいけなくなった原因が、今目の前にいるこの人のせいだったことを思い出した。

 そうだよ。あの時水上さんが、はよ帰って来い! なんて言い出さなきゃ、お金受け取るだけで済んだのに。

 面倒臭くなった原因は、この雇い主のせいでもあるんじゃん。

 思い出したら、なんだかちょっとイラッときたぞ。

 したくもない相手と、食事しに行く身にもなってくれ。いくら料理が美味くったって、ちっとも楽しいわけないんだから。

 いつの間にやら怒りに顔を歪ませていたらしく、水上さんが面白がるように真似て、同じように顔を歪ませている。

「なんや、怒っとるんか?」

 顔真似をしたまま、訊ねてくる。

「いや……怒ってるっていうか……」

 面と向かってムカついているとは言い難い、なんて考えながら目の前の顔を見ていたら、無理矢理作った渋い顔が可笑しくて、ぷっと思わず噴出してしまった。

「汚ったないなぁ。おつゆ飛んどるがな」

 あからさまに厭そうな顔をしながら、わざとらしく頬の辺りを拭っている。

「ヨダレなんか、飛ばしてないよぉ」

 ゴシゴシと、頬を拭っている水上さんを見ながら笑い続ける。

 だって、水上さんの顔ったら。無理に怒った顔をしているから、ちょっと見は恐いけど、無理がたたって頬の辺りは引き釣り気味で、口元が斜めに歪んでいるのだ。

 そのまま口先を尖らせたら、恐いヒョットコに間違われても仕方ない。

「だって、英嗣が変な顔するから」

「変なことあるかぁっ」

 今度は、わざと厭そうな顔をして顔を顰める。

 その顔を見て、またキャラキャラと笑い声を上げた。

「明の顔真似、しとっただけやん」

「私、そんな顔してないし」

「しとった、しとった。こぉ~んな、おっかしな顔しとった」

 大袈裟なほどに顔を顰めた、ヘン顔を向けてくる。男前が台無しだ。

「ファンに逃げられるよ」

 なおも笑いつつ、一応忠告した。

「こないな顔、他のやつに見せられるか」

 わざとらしく、ケッ、などと零しながらも、同じようにして笑っている。

 そうして、少しの間笑いあっていたら、ふっと声のトーンを落した。

「……イヴなのに、兄貴と食事するんか?」

「そう。不本意ながら、食事するの」

 諦めを混ぜた溜息を吐き出した。

「なんや、あれやなぁ……。兄妹は、やっぱり、兄妹って事なんやな……」

「へ? 言ってる意味がわからないんだけど……」

 食事の済んだ食器たちを目の前に、首を傾げた。

「せやから。結局は、家族が一番て、事やろ?」

「一番も何も、その次がないもん」

「次があったら、それ断るんか?」

「うーん。まぁ、事と次第によっては」

「事と次第か」

 水上さんは、箸をきちんとそろえてテーブルに置くと、また考えるような素振をする。

「ほんなら。明日、俺とメシ行くか?」

「え? メシ?」

 水上さんと?

 だって、明日はイヴだよ。私なんかと一緒に居るよりも、大事な用事があるでしょーよ?

「あのー、一応確認するけど。私と、ご飯に行くって言ってます?」

「他に、どう聞こえるんや」

 ムッとしたように言い返された。

 そりゃそうだけど。言葉の通りに受け取れば、それ以外はない。だけど、でも。

「大阪の彼女は、どうするんですか?」

「はぁっ!? なんやねんっ、大阪の彼女って?!」

 勝手に妄想していた水上さんの大阪在住彼女の事を持ち出したら、勢いよく言い返された。

「誰がそないな事言うたんや?」

 あからさまに不機嫌そうな顔で問い返す。

「いや、誰がっていうことはないけど……。英嗣くらいのミュージシャンなら、彼女の一人や二人や五人や十人は居てもおかしくないだろうし」

「アホかっ! そないに女がおって、体が持つか、ボケッ!」

「え? そういう問題?」

「ちゃうは、どアホ! 問題がすり替わっとるやんけっ」

「ごめん、ごめん」

 てか、更にすり替えたのはあなたです。

「それでも、彼女の一人や二人くらいは……」

「せやから、俺を一夫多妻制度に引っ張り込むなっ」

「じゃあ、一人?」

「一人もなに、女なんかおらんわっ」

「えっ……。まぁた、またぁ。奥さん、嘘も大概にしてくださいよぉ。お宅の英嗣さんが、お一人なわけないじゃあございませんか」

 路上に屯ってるおば様井戸端会議の図を再現するように、左手を胸元に、右手は相手をパタパタと扇いで見せた。

「アホくさっ。嘘もなにも、俺は一人やって」

「……それ、マジですか……」

 なおも疑いの眼差しで訊ねる。

「俺が一人じゃ、おかしいんか……」

 睨みつけるように、有無も言わせぬ表情が怖い。

「いえいえ。とんでもないですよ、はい」

 怖くなって、つい敬語になっしまった。

 調子に乗りすぎた。

「本当に一人なんですねぇ」

 感心するように、へぇ。なんて洩らすと、なんだか罰の悪そうな顔になってしまった。

 人気のミュージシャンが独り者だとばれてしまった事が、ちょっぴり恥ずかしいとでもいう感じだろうか。

 でも、ミュージシャンだって一人の男ですからね。彼女が居る時もあれば、居ない時もあって当然ですよ。

 私なんかは、ずーっと一人もんですけどね。って、そんな事訊いてないか。

 とにかく、変に勘ぐり過ぎました。すんません。

「で。何を血迷って、私とイヴにご飯?」

「血迷っとらんわ……」

「だって、イヴですよ。私なんかと一緒じゃ、つまらないでしょ」

「そないなことは、ない……。それよか、明が兄貴と食事に行きとうないみたいやから、俺が誘っとるんやないか」

 ああ、そういうことですか。同情してくれたわけですね。

 それは、どうもお気遣い、ありがとさんです。

「そう言ってもらえるのは、嬉しいですが。お金のこともあるし。約束しちゃったので行ってきますね」

 残念に思いながら、項垂れる。

 イヴに凌と食事をするくらいなら、酔っ払った水上さんを相手にしている方がずっとマシだろう。

 飲みすぎると甘えん坊になってちょっぴり面倒だけど、楽しそうにご飯を食べてお酒を飲んでる姿を見ていたら、こっちも自然と楽しくなってくるし。

 凌に至っては、きっとろくでもない苛めが待ち受けているのは火を見るより明らか。

 幼い時の厭な記憶が、走馬灯のように脳内を駆け巡る。

 ファーストキスを奪われた、あの忌々しい出来事までがよみがえってきた。

 何故あの時、素直に言う事を聞いて目を閉じてしまったのか、自分の行動を呪うほどだ。

 それにこの前のバーの時だって、何で抱きついてきたのか……。

 あのままもし水上さんがあそこに現れなかったら、二度目のちゅーをされていたかも知れない。そう考えると、鳥肌が立ち血の気が引いていく。

 凌の脳みそがどんな仕組みになっているのか知らないけれど、あいつは少なくとも妹に平気でキスや抱擁ができてしまう、おかしな思考の持ち主だ。

 一度病院へ行って、よぉーく診てもらったほうがいいのではないだろうか。

 もしかしたら、脳内にカブトムシくらいは住んでいるかも知れない。今度スイカでもプレゼントするか。

 いや、待てよ。今時期スイカは高いから、きゅうりで手を打とう。うん。そうしよう。

 って、同じウリ科だけど、カブトムシって、きゅうりじゃ駄目か?  まぁ、いいや。

 とにかく、明日はできるだけ距離を取っておかないと、いつ魔の手が伸びてくるかわかったものじゃないからね。

 くわばら、くわばら。

 そういえば、水上さんはどうしてあの時あの場所に居たのだろう?

「あのさ。この前の夜だけど。英嗣は、どうしてあの場所に居たの?」

「この前の夜?」

「私が、凌と一緒に居た夜」

「ん……ぁあ。えぇっとぉ……、あれや、あれ……」

 水上さんは、どうしてだか視線を彷徨わせ始めた。

「せやっ。事務所っ。事務所に呼ばれとったんや」

 思い出した、というようにポンッと手を打つ。

「事務所?」

「せや。事務所があの辺で、丁度通りかかかったんや」

「ふぅ~ん。あの近くに事務所があるんですか」

 うんうん。と勢いよく首を縦に振っている。

 その頬が少し引きつりぎみなのは、何故ですか……。

 もしや、壁に耳ありバージョンⅡですか? いや、障子に目ありバージョンⅠだね。

 もしくは、家政婦は見た! とか。

 やっぱりまるちゃんの野口さん? とか。

 挙動不審な水上さんを、ねとぉーっと目を細め、探るようにして見る。

「な、なんや」

 たじろいだように、水上さんは背もたれに身を引いた。

「まさか、私のあとをつけていた、なんて事はないですよね?」

 猜疑心丸出しで訊ねると。

「ぁっ、アホかっ!! 俺は、ストーカーちゃうぞっ」

 慌てたように否定する姿は、どう見てもストーカーしてました、って白状しているようなもの。

 バンドマンて、意外と暇ですね。なんて。

 雇っている者がコソコソしていれば、雇い主が気になるのも仕方ないのかな。悪く言えば、信用がないって事よね。

「これからは、英嗣の信用を失わないよう、誠心誠意働かせてもらいますね」

「お……、おう」

 気持ちを切り替えそう伝えると、別に信用してないわけとちゃうんやで……、なんてごにょごょ言いながら、水上さんは今日もお仕事へと行かれました。

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