第23話 問答無用の誘い 1

 クビを免れて数日。相も変らず水上さんにどやされながらも、身の回りのお世話に精を出していた。

 便利屋へは先日連絡を入れ、今後の仕事依頼を丁寧にお断りしておいた。

 凌からは、ぱったりと連絡が途絶えている。

 奈菜美さんとお別れをして、落ち込んでいるのかもしれないと考えたけれど。あの凌が、そうそう傷心な気持ちをいつまでも引き摺っているはずはないだろう。どうせまた、撮影で海外にでも出かけているか、単に忙しくしているだけのことだろう。

 仕事が済んでしまった今、一切関係のないこと。この先も、凌に会う事はないだろう。

 あ、でも、焼肉ドタキャンの埋め合わせ、まだしてなかったよね。

 まぁ、いいかと思ったけれど、考えてみたら、仕事の代金が未だ支払われていないのだ。

 これ、一番大事なこと。

 どうなっているのかと便利屋の社長に訊ねてみたところ、私の分は凌が直接口座へ振り込むことになっていると言われた。

 なのに、口座にその動きは全くない。相変わらず、しょぼい残金が入っているだけで見るのも空しい。

 まさか、バックレてるわけじゃないよね……。

 凌はお金に苦労していないし、モデルなんて職業で結構稼いでるみたいだから、その心配はないと思うけど……。

 それにしたって、もう一週間以上が過ぎている。さすがに遅くないか?

 マジで、海外へ行ってんのかな? だとしたら、随分暢気な話だよね。

 こっちは、借金抱えて一刻も早く精算したいって思ってるのにさ。

 愚痴を零しながら窓の外を見れば、すっかり景色は冬枯れだ。木の枝は葉も纏わずに、むき出しの肌を晒している。飛び交う鳥も、心なしか寒そうに見えた。

 もう、クリスマスも目の前だ。

 そういえば、水上さん。クリスマスは、お仕事なのかな?

 数日後の予定を、まだ確認していなかった。

「英嗣」

「ん?」

 最近は、わりと躊躇なく名前を呼べるようになっていた。時々、慌てたりすると、つい敬語が出てしまうこともあるけどね。

「クリスマスは、仕事?」

 朝食の後片付けをしつつ、出かける準備の整った背中へ声を掛ける。気軽に訊ねてから、この質問て、第三者が聞いたら恋人同士の会話みたいだよねなんて思い、気付かれないようにクスリと笑いを零す。

「仕事は、ないんやけど……」

 ん?

 言葉を濁すように、なかなか先を言わない。

 なんだろう? なにかあるのかな?

「明は、どないするん?」

「え?」

 玄関へ向いながら、逆に背中越しに訊ねられた。

「クリスマスは、なんや用事あるんか?」

「クリスマスに、用事?」

 思わずキョトンとしてしまう。

 友達も恋人も、まして家族も居ない……おっと、凌はいるけど問題外ね。

 そんな私が、クリスマスに予定などあるはずもない。

 しいて言えば、水上さんが大阪へ行っている間に買った、あれを渡す事ができればいいかな、と思っているくらいだ。

 あてがわれた部屋の、備え付けのチェスト。その小抽斗の隅に、ちょこんと納まり続けている物を思い浮かべると心の隅が疼いてくる。

 その疼きを紛らわすように、大袈裟な振る舞いをした。

「私がクリスマスに予定なんて、あるわけないじゃないですかー」

 ゲラゲラゲラと下品な笑い声をあげ、オバちゃんのように右掌をクイクイッとお辞儀させる。

 その姿を見て、アホかっ。と呆れて零しつつも笑っている。

「そーかぁ。ほな、いってくるわ」

「行ってらっしゃーい」

 いつものように見送り、玄関の戸が閉まったあと回れ右をしてから気付いた。

 あれ? 結局、水上さんてお仕事はないみたいだけど、クリスマスはどうするのだろう?

 あれを渡すタイミング、あるかな?

 小首を傾げつつも、今日もお仕事開始。

 丁寧に掃除機をかけ、ドラム君で洗濯をし、トイレやお風呂場を磨いてゆく。冬だというのにほんのり体を熱くさせ、お昼前にはある程度の掃除を済ませた。

 一息ついて腰に手を当てる。

 ソファにストンと腰を下ろし、自分に対して、おつかれさぁ~ん、と労いの言葉をかけた。

 それから、ふと自室の扉へ視線をやり立ち上がった。

 部屋に入りすぐのところにある、チェストの小抽斗に手を伸ばし、滑りのいい抽斗を開けると、小さな包み紙が顔を出す。

「今更だけど。本当に、こんなものあげて、迷惑じゃないだろうか?」

 小さく呟き、う~ん、と唸る。

 ミュージシャンなんて商売をしていれば、ファンから色んな物を貰っている事だろう。この家にそういったものを持ち帰ってきたことは一度もないけれど、きっと事務所にはたくさん届いているに違いない。

 それに、大阪に居るであろう彼女さんからは、きっと想像もつかないほど素敵な物を貰うはず。

 なのに、こんなちんけな物を貰っても、迷惑になるだけか?

 う~むぅ~。

 もう一度唸り声を上げ、抽斗をそっと閉めた。

「当日になって、あげるような雰囲気でもなくなったら、これは自分で使うとしよう」

 自室を出て、日用品の買出しに行こうかと考えていると携帯が鳴りだした。

 ダイニングテーブルの上に置きっぱなしにしていた携帯が、一昔前のメロディと共にぶるぶる震えている。

 ついでに、水上さんがくれたタコ君もぶーるぶる。まさに、タコ踊り……お粗末さまでした。

 自分の寒いギャグに、引き潮の如く引いてから通話ボタンを押した。

「もしもし」

『あ、俺』

「俺って、誰よ」

 判っていながら、わざと問う。待たせた仕返しだ。

『俺だよ』

 相手は、然も分かってんだろ、と言わんばかりに名乗らない。仕方がないので、調子に乗った会話を続けることにした。

「俺俺詐欺なら、間にあってまーす。てか、詐欺に支払えるほどお金持ってませーん。ていうか、マイナスぅ。なんなら、私が詐欺をする立場でもおかしくないでーす」

 ふざけた事を言っていると、凌のケタケタと笑う声が聞こえてきた。

 その声を遮り、調子を戻した。

「ていうかさー。連絡してくるの、おっそいけど。依頼料は、どうなってるわけ?」

 ふんっ、と鼻息を荒立てる。

『悪い、悪い。ちょっと、仕事が立て込んでて、なかなか銀行へいけなかったんだよ』

「あっそっ。で、電話してきたって事は、暇ができたんでしょ。早いところ、代金振り込んでよね」

 冷静にあしらうと、小さな溜息が聞こえてくる。

『なんだか、取り立て屋みたいだな』

 唯一の兄妹に冷たくあしらわれて、兄ちゃんは悲しいよ、と電話越しでも分かるほどのわざとらしい演技に対し、更に、はいはい、と冷たく返事をする。

大体、実際に取り立てられてんのは、私だっつーのっ。

『ところで、提案だけど』

「なに……?」

 気を取り直し、なにやら持ちかけてくる凌が、何を考えているのかと早々に勘ぐる。

 だって、こいつが得になるような事を持ちかけてくるとは、到底思えないから。

『この前の焼肉の埋め合わせもかねて、もう一度会わないか? また、美味い物でもご馳走するよ』

 やっぱり。そんなこったろうと思ったよ。

 普通に考えれば、おごって貰う立場なわけだから、ラッキー、うきゃきゃきゃきゃっ、と喜び勇んで飛びつくところだけれど、相手が相手なだけに、おごって貰うと言えど素直には喜べない。

 どうせまた、苛めていた頃の快感を思い出し、いいように玩具にして遊ばれるに違いないのだ。

 こんないい年になってまで凌の玩具に成り下がるほど、私もバカじゃない。

 なんなら、太刀打ちしようかっ! てなぐらいだけれど、出来れば面倒な相手とは関わりたくないので断りたい。

「それだけどさ。私も色々と忙しいから、とにかく依頼料だけさっさと口座に振り込んでよ」

『随分な、言い草だなぁ。たった二人の兄妹じゃないか』

 切ない声音を装い、縋りつくような言い方をしてみせる。

「血の繋がりないし」

 一刀両断。

『つれないなぁ。焼肉おごるぞ』

 今度は、飼い犬に骨でも与えるように餌をばら撒いてきた。

「間に合ってるし」

 快刀乱麻。

『貧乏で、食べるものにも困ってんだろ?』

 厚顔無恥。

「あんたに言われたくないっ!」

『ごめん、ごめん。俺の親父の借金のせいだったよな』

 解ってるんだったら、そんな事言うな!

 全く、いちいち腹立たしい奴。

「あのさ。こっちは、凌の漫談に付き合ってる暇ないんだよね」

『そんなに忙しいのか? この俺よりも』

 どういう意味よ。

 そりゃあ、凌は売れっ子モデルかもしれないけれど、こっちだって借金返すのに走り回ってんのよ。

 といっても実際は、水上さんに副業禁止されちゃって、以前よりものんびりしているのだけれど。

「とにかく、お金だけ振り込んでくれれば、もうそれでいいから」

『それはないだろう。焼肉ドタキャンの埋め合わせ、してくれるんだろ? あの後、焼肉平らげられるような後輩探すの大変だったんだぞ』

 うぅ、そう言われてしまうと……。確かに、食べられもしないのに山のように頼んだのは、申し訳なかったよね。食べ物を粗末にしてしまった罪悪感に苛まれてしまう。

「わかったよ。埋め合わせすればいいんでしょ」

 不貞腐れながら、渋々と了承する。

 一度ご飯を食べれば、凌も納得してくれるだろ。

『そうそう。最初からそう素直に言えばいいのに』

「一緒にご飯食べたら、さっさと帰るからね。あと、依頼料も、忘れないでよっ」

 念押しをする。

『わかってるって。んじゃあ、クリスマスイヴに、この前のバーで待ってるから』

 うん、と返事をしようとして、思いとどまる。

 イヴ?!

「えっ!? ちょっと待ってよ。クリスマスイヴって何よっ」

『クリスマスイヴは、あれだろ。キリスト生誕の前日――――』

「んなこと分かってるわよっ。そうじゃなくて。何でイヴなのよ」

『いいじゃん、イヴ。日本では、恋人同士が愛を語らう日だよ。俺と愛を語らおう』

「凌と愛を語ってどうすんのよっ。ったく」

『どうせ、相手も予定もないだろ? そんな寂しい妹の相手をしてやるって言ってるんだ。ありがたいと感謝されてもいいはずだけどな』

「悪かったわね。相手も予定も無しで」

『あっ。図星か』

 ケタケタケタと声を上げ笑っている。ちっ。

「とにかく、俺、イヴは明のために空けてあるから。必ず来いよ、んじゃ」

 言うだけ言うと、なんの未練もないように通話が途切れた。

「ちょっ、ちょっとっ!」

 引き止める声は少しも届かず、機械音が一定の音を立てるだけだった――――。



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