第9話


アゲハは声を荒げていた。

怒りの感情を抑えきれず、肩で息をしていた。

それを自覚したのか、アゲハ努めて冷静に言葉を紡いだ。


「ランスは年齢をごまかすことができる。でも不思議と、若返っている可能性は考えても、老いている可能性は考えない。私が第二世代だということに気付くランスはいなかったわ。それはあなたも同じ。疑うことなく私を悪の組織の一員にし、そして間抜けにも、私をあなたのお目付け役に置いた。まったく、その愚かさには反吐が出るわね。おかげで色々とあなたのことを知れたから、感謝しなくちゃいけないけど」


アゲハは苦悶するオレに、ずいと顔を近づけた。


「最後に一つ聞きたいと思っていたの。どうしてそこまで私を買っていたの? あなたを嗅ぎまわる私を鬱陶(うっとう)しがっていたくせに、邪険にすることは一度もなかった。もしかして、タイプだったとか?」


そう言って、アゲハは鼻で笑う。

オレもつられて笑った。


「借りがあったからな」

「借り?」


アゲハは首を傾げる。

ここまでヒントをやっても、まだ察せない。

この辺りは、歳相応だな。


オレは腹を貫いているアゲハの指を掴んだ。


「お前の母親の方にな」


アゲハが唖然とする。

ぶるぶると、彼女の腕が震える。

指を掴んだオレの力に、アゲハは手も足も出ないようだった。

針のように鋭く尖ったそれを、オレは腹から引き抜いた。

腕を引っ張り上げるように、そのまま指を持ち上げる。


「能力を封じた。腹を抉った。それで? この程度でオレ様に勝てると思い上がっちまったか? 言っとくけどな。お前の母親は、お前の千倍強かったぞ。身体も、心もな」


ボキリ

オレは針のように尖った指をへし折った。


「ぎっ‼」

「どうした? 未成年だからオレが手を抜くとでも思ったか? あいにくだが、オレは悪党でね。ガキだろうが女だろうが、こうしていたぶるのは大好物だ」


アゲハはもう片方の手を使い、針の指でオレの腕を切り裂こうとした。

オレが指を離すと、アゲハは瞬時に後ろへ飛び、ランスの姿になる。

大きな複眼で隠れた顔。背中からは、蝶のように色鮮やかな羽根が大きく羽ばたいた。


「能力のないお前が、フルで能力を使った私に勝てるはずがない‼」

「今までは遠慮してやっていたが、今日お前は一線を越えた。きちんと灸を添えてやらないとな」


オレはゆっくりと立ち上がった。

しかし、すぐに身体の異変を察知する。

全身が、思うように動けないのだ。


「私の鱗粉は、情報収集しかできないわけじゃない。鱗粉を吸い込んだ相手を、こうやってしびれさせることもできるのよ」


アゲハが大きく腕を突き出した。

針状になった指が一気に伸び、オレの顔へと向かってくる。


「これで終わり‼」


それが額に突き刺さる直前、オレはその針を掴んだ。


「なっ⁉ 私の鱗粉が、どうして効かないの⁉」

「どういうわけか、オレは昔っから傷の治りが早いんだ。能力に関係なくな」


オレは服をめくり上げた。

先程貫かれた腹は、既に傷がふさがっていた。


「そ、そんなの、反則……」


思わず漏れ出た言葉。

しかしそれを否定するかのように、もう一方の腕を突き出し、針を伸ばす。

オレは再び、別の手でそれを掴んだ。

身体がしびれてはいるものの、そのスピードには十分対応できる。


「まだ分からねえのか。お前の手の内は全て読んでるんだよ。お前が隠した気になってる能力も、素性も、企みも、全てな」

「……ふざけないでよ」


アゲハは歯噛みした。


「ふざけないで‼ 全部分かってたなら、なんで私に何も言わなかったの⁉」


無理やりオレの手を引き剥がし、アゲハはオレに向かって突進する。

上空からの落下速度を含めた突撃を、オレはまともに喰らった。

針になった指で、オレの腹を掴む。

五本の指が突き刺さり、そのまま壁に叩きつけられた。


「ぐぅっ‼」

「そうやって上から目線で、私をずっと見下して‼ 陰でずっとあざ笑ってたんでしょ‼」


アゲハは針状にした指を鋭い爪のようにして、オレの身体を切り裂いた。

折れた指などお構いなしに、何度も何度も切り裂き、血に塗れていく。


「お前なんか嫌いだ‼ お前なんか死んでしまえばいいんだ‼ お前がいなければ、私は今でも母さんと一緒だった。学校に行って、友達を作って……日隠リアみたいに、恋だってできたんだ‼」


振り上げた腕を、オレは掴んだ。

腕が震える。

さすがに、ダメージが大きすぎるようだ。


「……お前がウチに来たのは、22の頃だったか。10年サバを読んでいたなら、……当時12歳か。ランスの能力に目覚めてすぐ、お前は思春期の時代を捨てたんだな。ガキのくせによくやるぜ」

「他人事だと思って‼」

「他人事なわけあるか。お前のミスを、オレがどれだけカバーしてきたと思ってやがる」

「……え?」


オレはため息をついた。


「いくらお前が優秀でも、12のランスが大人のフリをするなんて無理があるに決まってるだろ。最初の頃はずっと冷や冷やものだったぜ。まあそれも、すぐに必要なくなったけどな」

「……じゃああなたは、私と最初に会ったあの時から、既に私の正体に気付いていたっていうの?」

「オレが分かったのは年齢を詐称していることだけだ。すぐに何かあると察して独自に調べて、そこで初めて、お前があいつの子供だと分かった」


アゲハと初めて会った時のことはよく覚えていた。

組織の一員になりたいというランスを集めた最終面接。

そこで面接官なんて仕事をやらされてうんざりしていたが、アゲハを見た瞬間にそんな気持ちは吹き飛んだ。

溢れるような殺意を必死に隠して、生真面目な優等生の仮面を被っている、あの幼過ぎる復讐者を見て。


「ガキのくせにいっちょまえに大人ぶって、けど能力だけはあるもんだから、周りも気付かないで。ずっと見てたから分かるさ。気付かれないように振る舞いながら、本当は気付いてほしかったんだろ? 誰かに慰めて欲しかったんだろ? お前がどれだけ頑張ってるかを理解して、褒めて欲しかったんだろ?」


アゲハの身体が、怒りで震えた。


「知った風なこと言うな‼ お前に何が──」


オレは彼女を抱きしめた。

驚愕し、ぴくりとも動けない彼女を、力いっぱい抱きしめた。


「悪かったな。本当はあの時、こうしてやればよかったんだ。お前が馬鹿みたいに抱え込んでいたものを全部捨てさせて、こうして抱きしめてやればよかった。あの時のオレは、お前の気の済むようにしてやることが、正しいことなんだと思ってた。それがオレの贖罪なんだと思ってた。こんなことをしてやる資格なんて、オレにはないんだって、ずっと、そう思ってたんだ」


アゲハの身体は冷たかった。

この冷たさを、彼女はずっと一人で抱えて、生きてきた。

そう思うだけで様々な感情がこみあげてきて、オレは思わず息をついた。


「悪かった。お前が本当に辛い時に、手を差し出してやれなくて。お前が自分の憎しみを清算したいと思っていると勘付いていながら、何もしてやれなくて。お前の言う通りだ。オレは上から目線でのたまうだけの、ただの間抜けな悪党だ」


アゲハの変身が解けていく。

仮面のように顔に覆いかぶさっていた強化細胞がなくなり、そこから、ぼろぼろと涙を流すアゲハの顔が現れた。


「なによ、今更。日隠リアと家族ごっこして、ようやく分かったってわけ? ……ふざけないでよ」


アゲハは、自分の額をオレの胸に押し付けた。


「……私だって知ってた。あなたがずっと私を見てくれてたこと。昇進するたびに褒めてくれたこと。私にやっかみを持つ上司や同僚を黙らしてくれてたこと。全部、全部知ってた。あなたが母さんを奪ったんじゃない。母さんが、私よりも人類を選んだだけ。そんなこと、私にだって分かってる。でも私には、こうすることしかできなかった。こうすることでしか、母さんと繋がれなかった。……でも本当は。本当は、日隠リアみたいに、あなたと一緒に……」


アゲハはオレの胸を叩いた。


「なんであいつなのよ! なんで私じゃなくて、あんな奴を選んだのよ‼」


それはおそらく、初めて見せたアゲハの本音だった。

オレに復讐することを選んで、ヒーローを否定して、それでもヒーローを諦められなかった彼女の、心からの叫びだった。


「……本当は、お前に殺されるのが最後の仕事だと思っていた。けど、あいつに出会って分かったんだ。オレはただ、諦めていただけだ。世界のどうしようもない絶望や憎しみの連鎖は、黙って受け入れるしかないと、勝手に思っていただけなんだ。お前がオレを殺したら、お前はきっと立ち直れなくなる。自分のことは諦めてもいい。でもお前のことは、どうしても諦められなかった」


アゲハはオレの胸倉を掴み、脳天に狙いを定めて腕を振り上げる。

さすがのオレも、そこを貫かれた即死だ。

しかし、オレは動かなかった。


「やれよ。今日はとことんお前に付き合ってやると決めて来た。それでお前が、本当に満足するなら、やれ。その代わり約束しろ。後ろばかり向いてないで、ちゃんと前を向くってな」


彼女は震えていた。

唇を噛み、迷いのある目でオレを見下ろし、泣きそうな顔をしていた。

彼女の中で、どんな逡巡があったのかは分からない。

しかしアゲハは、やがて身体の力が抜けたように、その手を降ろした。


「……私、これからどうすればいいの? 私にはもう、何もない。復讐のためにしか生きてこなかった私には……」


オレは小さくため息をついた。


「まったく。ガキってのは極端なんだよ。何もないなら今から作ればいいじゃねえか。学校に行きたいなら行けばいい。友達だって恋だって、今からでもできるんだよ」


オレはアゲハの頭を撫でた。


「今度は、ちゃんとオレが支えてやるから。な?」


アゲハは濡れた瞳でオレを見つめ、こくりと頷いた。

オレは微笑んだ。


そうだ。

こいつらに、遅いなんてことはない。

いつからだって前を向けるし、どこからだって進める。

それが、こいつらにしかない、こいつらだけの特権だ。

だからそのためにも──


「おいおい。オレはこんなお涙頂戴を覗きに来たわけじゃねえぞ」


突然、アゲハの首に腕が回り、羽交い絞めにされる形でオレから離れた。


「てめえ‼」


咄嗟に止めようとするが、先程アゲハにやられたダメージで、身体がうまく動かない。

オレは四つん這いの状態から動けず、その人物を睨んだ。


それは、以前鴻野と組んでオレを殺しに来た、カエル姿のランスだった。



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