第5話
私はぱんぱんと手を払った。
目の前には、ぐったりとのびたクマのランスがいる。
さすがにただの学生とだけあって、いまいちな強さだった。
「すごい。さすがはシャドウだ」
新君が感心するようにつぶやく。
私は思わず、えへへと笑った。
ふと、桃ちゃんが、じっと私を睨んでいることに気付いた。
敵意にも似たその視線に、私は思わず眉をひそめる。
……もしかして、疑っているのかな?
あの状況で、シャドウが日隠リアを助けたっていうのは無理があったのかもしれない。
「あ、あのね。本当にさっきの子は──」
その瞬間、天井が割れた。
頭上からヒトが降って来て、私の頭を掴むと、そのまま床に叩きつけた。
「がはっ!」
肺が圧迫され、呼吸が止まる。
起き上がろうにも、ものすごい力で上から押さえつけられていた。
私はうつ伏せに倒れたまま、背中に乗っているものを睨んだ。
白いワイシャツにサスペンダーのついたズボン。
しかしその顔は、デジタルカメラそのものだった。
「こんにちは。私は悪の組織の幹部、イルゴールです。ここにシャドウがいるとの噂を聞きつけたのですが」
きょろきょろと横を見回し、今気づいたと言わんばかりに下を向いた。
「おやおや。これは失礼いたしました。しかしせっかくですので、このまま死んでいただきましょう」
突然腕がフィルムになり、それをしならせると、私の顔に突き刺した。
コウモリが辺りに飛び交う。
私はイルゴールから少し離れたところで姿を現した。
「こんにちは、イルゴールさん。映画泥棒でも取り締まりに来た? あいにくだけど、私あまり映画は観ないんだ」
「なるほど。それが噂の能力ですが。汎用性が高そうで何よりです」
「そりゃどうも。私の能力を知ってるなら、コードOの能力者でも連れて来たらよかったのに」
「ご心配には及びません」
私は眉をひそめる。ふと、脳裏にとある予測が走った。
後ろに意識を集中させる。背後に、何者かの気配があった。
私は飛びのいた。
その瞬間、水のアーチが床に叩きつけられた。
「あらら~。失敗失敗」
それは女性だった。
踊り子のような優美なドレスに身を包み、フェイスベールで顔を覆っている。
彼女がしなやかに踊ると、水がそれに合わせるように、太いロープのようになって彼女の身体を回った。
コードM。念動操作の能力だ。
「ほう。勘づきましたか。さすがに、ヒーローとして今まで一人で戦ってきただけのことはある。戦闘経験は豊富なようですね」
「どっちかというと、あなたのお喋りが問題じゃない?」
「そうですよ~。イルゴールさんが何も言わなかったら、絶対気付かれなかったのにぃ」
「これはすみません、ウンディーネさん。わたくし、おしゃべりなもので」
二人のやり取りを聞いて、彼らはコンビで活動するランスだと直感した。
コウモリタイプになればウンディーネの能力で、ヒトタイプになればイルゴールの能力で完封するつもりらしい。
イルゴールは見たところコードC。細胞変化の能力者だ。
どういう絡め技をしてくるか分からない。最大限の注意をしなければ。
「ところで、先程から何をぼーっとしながら見ているのですか?」
廊下で戦闘を見学している野次馬に向けて、イルゴールは言った。
「そうですよぉ。何の任務についてるのか知りませんけど、あなたも見てないで助けてください」
誰に言っているんだろう。
もしかして、学校の生徒の中に悪の組織の一員が混じっているの?
野次馬の先頭に、桃ちゃんが一人で立っていた。
「桃ちゃん! すぐにここを離れて‼」
桃ちゃんは動かない。
さっきから、何か様子が変だ。
「いいえ。その必要はありません」
私は、はっとした。
パシャリと、カメラから強烈なフラッシュがたかれ、私は思わず目を瞑った。
「もう終わりましたから」
ざぶんと、私の身体を水が覆った。
反射的にコウモリになり、水から脱出しようとする。
しかしコウモリ一匹一匹の力が弱すぎて、身動きができない。
私はそのまま元の身体に戻った。
球状に浮かぶ水の中心で、私はもがいた。
しかし、いくら水をかいても、そこから動くことができなかった。
「お仕事終わり~♪ あとは窒息死するのを待つだけですね。簡単なお仕事でよかったですぅ」
「油断は禁物ですよ。勝負というのは何が起こるか分かりませんからね。とはいえ、もうやることもないですし、ティータイムにでもしましょうか」
「私より油断してるじゃないですか~」
きゃっきゃと二人は笑っている。
私は両手を口元にやって、なんとか酸素を消費せず、この状況を打破する方法を考えていた。
「そろそろ無視するのはやめて、こっちに来たらどうですか~」
ウンディーネが野次馬の方へと歩いていく。生徒達が慌てて距離を取る中、桃ちゃんは一人逃げなかった。
ウンディーネがすぐ側まで迫っている。
桃ちゃんが口を開こうとした時だった。
新君が、二人の前に割って入った。
桃ちゃんが目を見開き、ウンディーネが目を細める。
「どうして……」
ぼそりと、新君が言った。
「どうしてこんなことするの。シャドウは僕達を守るために戦ってるだけだ。何も、悪いことなんてしていない!」
ウンディーネが、小首を傾げて新君を見つめている。
私は首を振った。
新君、逃げて! 今の私じゃ、あなたを守れない‼
「僕は逃げない」
まるで私の声が聞こえているかのように、新君は言った。
「君達の話を聞きたいんだ」
ウンディーネは、人差し指をあごに引っかけた。
「ん~。私、難しい話は苦手なんですよね。イルゴールさ~ん。こういう話好きでしょ? 答えてあげてくださいよ~」
「いやいや。あなただって人間から奴隷のように扱われていたじゃありませんか。まあ、わたくしほどではありませんが」
「何言ってるんですかぁ。イルゴールさんなんて、遊び半分で親に足をへし折られたくらいでしょ。私なんてぇ、食事も満足に与えられないし、18時間くらい働かされてたし、毎日死んで楽になることしか考えてませんでしたよぉ~?」
「足を全部折られて、そのうえでジャイアントスイングですよ。あれはれっきとした拷問です。あなたは物理的苦痛を与えられていないだけマシじゃないですか」
「強制労働だって立派な拷問です~」
不幸自慢を言い合っていた二人が、ぐるんと新君の方を向いた。
新君は、思わず後ろに下がる。
「さて。一応人間を憎む理由を説明させてもらいましたが」
「あなたの問いの参考になりましたか~?」
イルゴールの顔は分からないが、ウンディーネの笑顔は、明らかに先程とは違った。
暗く沈み込んだ殺意が、静かに渦巻き始めている。
新君は、ごくりと息を飲んだ。
「どうすれば……」
二人が首を傾げる。
「どうすれば、その憎しみを忘れられるの?」
ウンディーネは笑顔のまま、新君の首を掴んだ。
「がっ!」
「いい加減うざいですよ~? これでも私達は穏健派なんです。仕事以外では、無闇やたらと人間を殺したりしません。恨んでないからじゃありませんよ。人間という存在を、頭の中から消去したいからです。一瞬たりとも、あいつらのことを考えたくないからです」
ウンディーネの手に力がこもる。
新君がもがくも、びくともしない。
「どうすれば忘れられるですって? 忘れられるなら、とっくに忘れてますよ。あんな地獄みたいな記憶。分かった風な口をきかないでください」
ふと、ウンディーネが何かを思いついたように天井を見上げた。
「あ、そうですね。あなたを殺せば忘れられるかもしれません。お仕事以外で人間を殺すのは初めてですけど、それもいいかもしれませんねぇ」
じろりと、ウンディーネが野次馬の方を睨んだ。
「……さっきから私に殺気を飛ばすあなたは、一体どっちの味方なんですかねぇ。私達なんかよりよっぽど酷いことをされたあなたが、どうしてそこに立っていられるのか、私には疑問なんですけど」
ウンディーネは、じっと誰かを見つめていた。
けれど、やがて何かに気圧されるように手を離した。
「げほっ。ごほっ!」
新君が、その場にしりもちをつき、首を擦っている。
イルゴールが、ぱんと手を叩いた。
「はい、ここまで。仲間同士の喧嘩はやめましょう。このヒトも、私達とは別の任務でここにいるのでしょうから、これ以上邪魔しちゃだめですよ」
せき込む新君を見下ろすウンディーネの肩に、イルゴールは優しく手を置いた。
ウンディーネの殺意が徐々に消え、小さく息をつく。
ウンディーネは、ぱっと笑顔をみせた。
「はーい! 分かりましたぁ」
彼女達が新君から背を向けた時だった。
「これから分かり合えばいい」
ぴたりと、二人の足が止まった。
ウンディーネが、じろりと新君を睨む。
新君は、未だに喉を押さえながら、二人を見上げていた。
「確かに、僕は君達のことをよく知らなかった。言いたくないことを言わせてごめん。人間に酷いことをされたっていうのも……、同じ人間として謝る。ごめん」
ウンディーネは鼻で笑った。
「ごめんで済むなら何をしてもいいとでも──」
「これから分かり合えばいい!」
新君は叫んだ。
「君達が人間の嫌な部分を見てきたのなら、これから人間の良いところを見ていけばいい。僕がランスの差別について知らないなら、これから君達に教えてもらえばいい。お互いに理解し合えば、少なくとも、今僕達が争う理由なんてないはずだ」
新君は立ち上がった。
さっと前に出した手に、ウンディーネがびくりと震える。
「僕と友達になってください!」
新君は、そう言って頭を下げた。
「……とも……だち……」
ウンディーネの顔が、みるみるうちに赤くなった。
「ど、どうしようイルゴールさん! わわ、私に、はじめてのお友達が‼」
「落ち着いてください。まだあなたはOKしていませんよ」
「だ、だってだって! 初めてだし、どうすればいいのか‼ ああでも、相手は人間……でもお友達……」
ウンディーネが頭を抱えている。
桃ちゃんが、慌てて口を挟んだ。
「あ、新さん! あなたいきなり何を言ってるんですか‼」
「お互いに理解し合うなら、友達になるのが一番いいでしょ?」
「馬鹿ですか⁉ いくらなんでも、悪の組織の一員を名乗っているランスと──」
「はい♪」
キラキラと目を輝かせながら、ウンディーネは両手の指を絡ませていた。
「私、あなたのお友達になります♪」
桃ちゃんが愕然としている。
イルゴールがため息をついた。
ゆっくりとウンディーネに近づき、額を軽く叩く。
「あたっ!」
すると、突然私の体を覆っていた水が落下した。
そのまま私も床に倒れる。
「げほっ! げほっ! はぁ、はぁ……」
あぶなかった。
あと少しで窒息死するところだ。
見上げると、じっとイルゴールがこちらを見つめていた。
「どうして助けるの?」
「それが彼の条件でしょうからね。空気を読みました。……とはいえ、私も不本意なんですよ。あなたを殺せば幹部昇格間違いなし。リストラの憂き目に遭う心配もなくなり、危険な仕事をすることもなくなったというのに」
イルゴールは、困惑する新の手を握り、ぶんぶんと振り回すウンディーネを見つめた。
「まあ、友人があれだけ喜んでいるのなら、良しとしますよ。本人はそう思ってくれていないようですが」
「……本人もわかってないだけだよ。あまりにも身近で、当たり前のように一緒にいてくれるから。失ってからわかるんだ。その人がいるだけで、どれだけ心強かったか。どれだけ安心させられていたか」
私もわかってなかった。
細谷君が、どれだけのものを与えてくれていたか。
細谷君が、どれだけ大きなものを抱えていたか。
細谷君から、私はたくさんのものをもらった。
自分が本当にやりたいことを教えてもらった。
だから、今度は私の番だ。
細谷君が私にくれたものを、今度は私が、みんなに与えてあげるんだ。
先程までいがみあっていたランスと人間が手を取り合う様子を見ながら、私は強く思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます