第4話


私が、ヒーローであるにもかかわらず敵前逃亡してから、しばらく経ったある日。

ファミリーレストランの一席で、私は緊張しながら座っていた。

ずっと下を向いていたけど、意を決して顔を上げる。

目の前には、鴻野さんがいた。


「ごめんなさい!」


私は頭を下げた。


「何がだ?」


あっけらかんと、鴻野さんは言った。


「何がって……。だって私、逃げちゃったし……」

「そういうこともある」


私は呆然としていた。

どんなお叱りを受けるかと思っていたのに、本当にまったく気にしていないようだ。


「ええと……お怪我は?」

「本格的な戦闘になる前に逃げられた。すぐに実力差を察知したんだろうな。懸命な奴だ」


え……。

私の何倍も強いあの地底人の、さらに何倍も強いの?

すごいなんて言葉を通り越して、私はぽかんと口を開けていた。


「しかし、立ち直りが早かったな」


運ばれてきた食事に手をつけながら、鴻野さんは言った。


「あの逃げっぷりなら、謝罪に来るにも、もっと時間が掛かると思っていた」


鴻野さんはそう言って、にっと笑った。

私は赤くなった。


「ひ、ひどいです! そんな言い方」

「悪ぃな。悪徳警官なもんで」


悪徳かどうかは分からないけど、確かに鴻野さんと話していても、刑事さんだなと感じることはほとんどない。


「で? 克服できたのか?」


その言葉に、私はゆっくりと微笑んだ。



◇◇◇


『地底人によるテロ活動が頻発しております。ドリルの掘削音が聞こえた方は、速やかにその場から退避してください』

『あれからシャドウは一度も姿を現しませんね。やはり彼女の決意はその程度のものだったのです』

『敵前逃亡するヒーローなど、そんなものはヒーローじゃない』


オレはスマホのニュース動画を切った。

建物の屋上で大きく伸びをし、準備運動をする。

今日は快晴。絶好のヒーロー活動日和だ。

オレはインカムでリアに連絡した。


「おい、リア。準備はいいな?」

『う、うん……』


声音が若干震えている。

どうやら緊張しているようだ。


「リア、覚えてるか?」

『え? 何が?』

「お前のデビュー戦だよ」


オレは下を見下ろした。

地底人達が町を破壊し、人々が逃げ惑っている。


「この状況。あの時とそっくりだ」

『……ふふ。そうだね』


リアは笑いながら言った。


『細谷君にすっごくひどいこと言われたの覚えてる』

「馬鹿。ああやって焚きつけないと、緊張で何もできなかっただろうが」

『そうだね。ありがとう』

「……今日はやけに素直だな」

『だって知ってるもん。細谷君がどれだけ私を支えてくれたか。私を捨てたってかまわない状況でも、あきらめずに、一緒にがんばってくれた』


リアの声は晴れ晴れとしていた。


『私、夢ができたよ。いつか細谷君より頭良くなって、強くなって、恩返しするの。それが今の、一番の夢』

「……それなら、一生叶わないだろうな」

『すぐにそうやっていじわる言う』


そう。それは一生叶わない。

オレ達が別れる時は、きっとどちらかが死ぬ時だ。

それが悪の組織のボスとヒーローの、切っても切れない関係だ。


「そうそう。さっきニュース見ていたんだけどな。ボロくそに言われてたぞ。お前は敵前逃亡した──」

『絶対見返してやる‼』


ぶつりと、連絡が切れた。

オレは思わず笑みを浮かべる。

本当に、あの頃と何も変わってない。


だが、馬鹿だから扱いやすいと考えていたことは、修正しなければならない。

あいつは思っていたよりもずっと扱い辛かった。

臆病なくせに調子乗りで、甘えん坊で、自分がなんでヒーローをやっているかも分かっていない。

しかしそんな駄目なヒーローだからこそ、何かある度に自分を見つめ直し、一つ一つ成長していくのだ。


「きゃあああ‼」


オレは悲鳴が聞こえた方へ双眼鏡を向けた。

二メートル以上ある地底人が、子供連れの母親を追いかけている。

どこかで見た光景だ。

オレはインカムに手を当てた。


「二時の方向。地底人が親子を追いかけている」

『了解!』


二人が壁に追い詰められ、がたがたと震えている。


「いいな。その表情。それを見るために、わざわざこの作戦に志願したんだ」


地底人は、自分が持つ鉈のような獲物をべろりと舐めた。


「死ぬ間際に聞こえる声がな。格別なんだ。お前の声も聞かせてくれよ‼」

「いやあああ‼」


地底人が鉈を大きく振り上げる。

それを振り下ろす瞬間、リアが地底人を蹴り倒した。


「けがはない⁉」


倒れる地底人から庇うように位置取り、リアは言った。

呆然としていた二人だが、男の子が笑顔を向けて、リアへと近づく。


「ありがとう、お姉ちゃん」


リアは唖然としていた。

慌てて母親が駆け寄り、引き離すように子供を抱きかかえる。

リアが、少しだけ寂しそうな顔をした。

ふいに母親は、子供を抱いたまま、リアの手を握った。


「ありがとうございます、ヒーローさん。逃げながら、この子だけでもと必死に願っていて……。あなたは本当に天使のような人です。命の恩人です」


母親は深くお辞儀をした。

それを見つめるリアの目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。


「細谷君」

「なんだ?」

「私、やっと分かった。自分がどうしてヒーローをやってるのか」


オレは黙って聞いていた。


「私はずっと一人ぼっちだった。細谷君が手を引いてくれるまで、ずっとずっと、そこにいてもいいよって誰かが言ってくれる、そんな場所を探してた。……私にとって、ヒーローは居場所なんだ。私がいてもいい場所なんだ。だから私は、あんなに必死に、みんなを守れたんだ。私にできた居場所を、誰にも壊させないために」


オレはその独白を聞いて、一つの決心をした。


「リア」

「うん」

「敵は強い。おそらく、今までのお前よりも」

「うん」

「オレは手出ししない。やれるな?」

「……うん」


一瞬の沈黙は、確かな迷い。

しかしその後に紡ぎ出された言葉の力強さを、オレは信じることにした。

お手並み拝見だ。


地底人が、ゆっくりと起き上がった。


「ひっ」


二人が後ろに後ずさる。

リアは手で、もっと離れるようにと、指示を出した。


「隊長が言っていた、あの軟弱ヒーローか」


リアの身体は、小刻みに震えている。

隊長ではないとはいえ、自分よりも強い相手。その身なりも、殺気の質も、隊長を彷彿とさせるに十分な相手だ。


「知ってるぜ? こうするとお前、逃げ出しちまうんだろ?」


地底人が、ぐあと目を見開き、殺気を浴びせる。

リアは竦み上がった。

身体の震えが止まらず、一歩二歩と下がっていく。


「……ヒーロー、さん?」

「ガハハハ! そのまま逃げかえってヒーローごっこでもしてな‼」


リアは逃げ出した。

二人を置いてコウモリになり、その場から去って行く。


「さあて。邪魔者は消えたし、なます切りにさせてもらうか」


そう言って鉈を振り上げる地底人は、そこでふと眉をひそめた。

いつも殺してきた人間と彼女達が、まったく違う顔をしていたからだ。

希望に満ち、救いを信じる瞳。それはまさに、ヒーローを見る目だった。


地底人が振り返った時、リアの蹴りが顔面にさく裂した。


「ほら、急がば回れって言うじゃない? 逃げるなら、さっさとアンタを倒してからの方がいいと思ってね」

「貴様ぁ……‼」


地底人が鉈を振り下ろす。

リアは素早くそれを避けると、腹に拳を叩き込んだ。

にやりと、地底人が笑う。


「効かねえなぁ? そんなヤワな──」

「おおおおおお‼」


何度も何度も、リアは拳を叩きつけた。


「パン、チ……は、あがっ‼」


ひと際強い拳がみぞおちに入り、地底人は唾を吐き出しながら吹き飛び、壁に叩きつけられた。


「行って‼」


母親はこくりと頷き、子供を抱えて逃げて行った。


「がんばれーー‼」


子供の声援に、リアは振り返らず、サムアップで返した。

いっちょまえなことをするようになったもんだ。


地底人が起き上がり、じっとリアを見つめる。

目の色が変わった。

先程までの舐めた態度が消えている。

さて。ここからが本番だ。


地底人は、手の中でくるりと鉈を回転させる。

リズム良く小さくジャンプしていたかと思うと、一気に跳躍して鉈を横薙ぎに振るった。

リアはコウモリになってそれを回避する。


「読まれてるぞ。気を付けろよ」


周りを飛ぶコウモリを目で追いながら、地底人はその様子を注意深く観察している。

リズミカルに身体を動かし、リアが姿を現すのを待っている。

コウモリが収束し、ヒトの輪郭が現れる。

その瞬間、地底人は飛び込み、鉈で切り裂いた。


「外れ」


背後の声に一瞬で反応し、鉈が首を両断した。


「それも外れ」


リアは身体をコウモリにできる。それは身体を分解して姿を現すことも可能だということだ。

つまり声がするからといって、そこに身体があるとは限らない。


地底人が反応するより早く、リアは後頭部めがけてかかと落としを決めた。

その巨体がぐらついた。

リアはそのまま膝裏を蹴り、地底人を転倒させる。


「おおおおおお‼」


仰向けに倒れ込む地底人の首めがけて、リアは拳を振り下ろした。


「待っ──」


ドゴオオオン‼


地面に無数のヒビが入るような威力をまともに受け、地底人は声なき声をあげた。

びくんびくんと、身体が痙攣して、まったく動かない。


「……もしかして、死んじゃった?」

「心配するな。そんなにヤワな奴らじゃない。これでここら一帯にいる奴らはすぐに撤退するだろう」


オレは少しだけ考えた。

リアは自分の本当の望みに気付き、自分よりも格上の存在と逃げずに戦った。

自分なりに頭を使い、敵を出し抜き、最後まであがいて敵を叩きのめした。

……くそ。文句のつけようがないな。


「……リア」


オレは仕方なしに口を開いた。


「よくやった。オレ様が鍛えてやっただけのことはある」

「……それって何点?」

「……特別に、100点ってことにしといてやる」


リアがアホ丸出しな歓声をあげるので、オレは通信を切った。

しかし最悪なことに、その声は通信を切っても遠くから聞こえてきた。



◇◇◇


「……ふぅ」


珍しく、オレは緊張していた。

自分の部屋をうろうろと歩き、スマホを見つめ、またうろうろと辺りを歩く。

しばらくしてから、オレは意を決し、電話をかけた。


『はい』

「アゲハか。オレだ」

『何か御用ですか?』


いつもと同じ対応だが、その声が少しだけ固いことにオレは気づいていた。


「……この前のこと。悪かったと思ってな」

『え?』

「お前は組織の総意を伝えに来ただけだ。なのにその件でお前を責めるのは、筋違いだった」


アゲハは黙っている。


「その……なんだ。お前も悪の組織にいるわけだし、そういう思想に染まるのは……仕方ないと思う。ただ、大局を見誤って欲しくないというか、なんというか……自分の命を縮めるようなことは、あまりしないで欲しいと思っただけだ」


アゲハは何も喋らない。

その間、妙に心臓の音がうるさいのが、鬱陶しくて仕方がなかった。


『……ボス』


長い沈黙の末、アゲハが言った。


『何か変なもの食べました?』

「は?」

『だってボスが人に謝るなんて、おかしいじゃありませんか。私の身の安全を心配するようなことを言うのも変ですし。大丈夫ですか? 熱は?』


オレは大きくため息をついた。


「お前なぁ。せっかくオレ様が下手(したて)に出てやってるってのに……。もういい! 知らん‼ 謝罪は撤回だ‼」

『クスクス。それでこそボスですよ。それじゃあ私は仕事があるので、これで。……お気遣い、ありがとうございます』


アゲハが電話を切ると、オレは舌打ちした。

あいつの態度には不服しか感じない。

しかしまあ、最後の方は機嫌が直っていたようだし、よしとするか。


「細谷くーん‼」


アゲハが言うところの“変なもの”が、ばたばたとオレの部屋に入って来た。


「なんだよ、騒々しいな」

「うん! あのね。私が今回のこと、ちゃんと乗り越えたよって、細谷君に伝えようと思って。ほら」


そう言って、リアは自分のスマホを見せた。

それはシャドウのアカウントだった。

リアはあれ以来、SNSを更新していなかった。

敵前逃亡するヒーローを罵倒する言葉の数々に、耐えきれなかったのだ。

しかし今、罵倒するツイートに対し、彼女はちゃんと返事を返していた。

『fuck you‼』と。


「私ね。周りの声とか、気にしないことにしたの。私は自分の居場所を守るために、全力でがんばる。批判する人もたくさんいるけど、そういう全部に中指立ててやるんだ!」


彼女はオレを見つめ、にこりと笑った。


「えへへ」


オレはふっと笑い、スマホを指さした。

怪訝な表情で、リアはスマホを見下ろす。


「あ……」


シャドウのアカウントがなくなっていた。

その代わりにあったのは、でかでかとした文字で書かれた『不適切な発言があったため、アカウントが凍結されました』という言葉だった。


オレはリアの鼻を摘まんだ。


「えへへじゃねええええ‼ 特定のワードに反応する自動凍結機能は残ってるから、注意してツイートしろっていつも言ってあっただろうがあああ‼」

「ごめんなさいごめんなさい! 死ねはだいじょうぶだったから! 英語もだいじょうぶだと思ったからあああ‼」


その日、オレは散々リアの鼻をいじめ倒してやった。



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