ヴィラン連合
第1話
カコンと、ししおどしの音が辺りに広がる。
国内でも指折りの日本料亭なだけあって、窓の外に広がる庭園は、なかなか風情がある。
オレは目の前の盃を傾けた。
「相変わらずの仏頂面だな」
目の前にいる男に、オレはそう言った。
年齢は五十過ぎ。厳めしい顔を一切崩すことなく、睨むような鋭い眼光をこちらに向けている。
「そちらも、相変わらず青春を楽しんでおられるようですね」
ふんとオレは鼻を鳴らした。
オレが膝を立てて座布団の上に座っているのに対し、中曽根は正座を崩さない。
こういう律儀なところは、オレも嫌いじゃない。
「あなた様はランスに目覚めてからというもの、常に闘争の真っただ中にいた。失われた青春に興味を持つのも、致し方ないものかもしれません」
「ずいぶんと含んだ言い方をするじゃないか。アゲハからも度々お前らの尻ぬぐいをさせられている。まるで平和な日常に染まらせまいとするようにな。そんなにオレに帰って来て欲しいのか?」
「当たり前です」
中曽根はきっぱりと言った。
「それは我々悪の組織の総意です。もしもあなた様が帰って来てくださるというのなら、私はいつでも退陣する覚悟ができております」
「興味ねえな」
中曽根は、じっとオレを見つめた。
「興味はあのヒーローですか?」
オレは苦笑した。
「あれがヒーロー? 笑わせるな」
「ええ、まったくです。動きも稚拙、思想も幼稚。あれは子供の遊びそのものです。だから必ず、その背後にブレーンがいる」
オレは膳の中にある食事に手をつけた。
「そのブレーン次第では、今後どんな脅威になるか分かりません。あなた様もそれを危惧しておられるのでは?」
「そんなことを確認するために、このオレのプライベートを覗き見ようとしたってわけか?」
「ボス。あなた様は分かっておられないのです。ご自分がどれほどの存在なのかを」
おべっかとも取れる発言だが、中曽根は真剣そのものだった。
「悪の組織がランス党を名乗り始めた時、あなた様が悪という肩書を背負って引退してくださったおかげで、私達はこうして今の活動を続けられている。しかしそれは間違いだったのです。あなた様が組織を立ち上げた時、敢えて悪を名乗ることで人々の恐怖をあおった。その方法は、今こそ必要なのではありませんか?」
オレは鼻で笑った。
「恐怖政治でもやろうってか?」
「必要とあらば。それだけ人間共は、恐怖という感情を忘れてしまったのです。ランス保護法がどんなものか考えもしない。ヒーロー活動禁止法が自分達をどれほど脅かすのか理解もしない。それでいて自分達の権利は主張し、それが通るものと当然のように考えている。自分達が上から目線で批評を下している事件が、自分自身に降りかかって来るかもしれないという事実に、我々は気づかせねばなりません。そのためには──」
「お前のやりたいことはだいたい分かった」
オレはすっくと立ちあがった。
「興味ねえけどな。そんなにやりたいなら一人でやれ」
オレは部屋の襖を開け、外に出た。
いつもの鋭い視線を向ける中曽根に、オレは笑ってみせた。
「オレは、もっと面白いことを見つけたんでね」
◇◇◇
「……お、お、お帰りなさいませ。……ごご、ご主人、様」
自宅に帰ったオレを出迎えたリアは、メイド服姿だった。
満足にお辞儀もできず、顔を真っ赤にしている。
ノースリーブのその格好は、彼女にとってとても恥ずかしいものなのだろう。
短いスカートの丈を少しでも伸ばそうと、ずっと裾を引っ張っていた。
「……40点」
「なんでそんなに低いの⁉ 細谷君がやるようにって置き手紙残していったんでしょ⁉」
リアの言う通りだった。
早朝に中曽根との密会があったので、置き手紙を置いて黙って出て来たのだ。
「お前は華がない。服装を変えれば少しはマシになるかと思ったが……。ま、大して変わらんな」
「じゃあてめえでやれええええ‼」
リアが盆をひっくり返し、用意していた紅茶をオレにぶちまけた。
「あっちいいいぃ‼ なにしやがんだこのアマあああ‼」
折檻してやろうと身を乗り出した時だった。
リアは急に膝をついて、わんわんと泣きだした。
「……どっちかというと、オレの方が泣きたいんだけどな」
紅茶の入れ方も手紙にレクチャーしておいたので、ご丁寧に100度近い熱湯になっていた。
「だってぇ~。朝起きたら誰もいないから、てっきり細谷君にも捨てられたのかと思ってめちゃめちゃ不安だったのにぃ~! こんなにがんばっても、細谷君が褒めてくれないからぁ~!」
「……リア」
オレは泣き崩れるリアの前で膝を折った。
「ふえ……細谷君」
オレは微笑み、リアの鼻を摘まんだ。
「何ががんばっただボケエエ‼ これは折檻の一環だって手紙にも書いておいただろうがああああ‼」
「ごめんなさいごめんなさい! 嘘かと思って! てっきり! てっきり細谷君の趣味かと思ってええ‼」
「だいたい何が見捨てただ! てめえのためにこの家置いていくわけねえだろうが! 家賃いくらしてると思ってんだボケエエエ‼」
「知らなかったから! 家賃いくらか知らなかったからあああ‼」
阿鼻叫喚が落ち着いたところで、オレは折檻の理由を説明するべく、リアを正座させた。
「今日叱るのは、お前のSNSについてだ」
「は、はい……」
「シャドウのアカウント。お前に運営を任せてからも、着実にフォロワーが増えている。それは良いことだ。だがな……」
オレはすうと息を吸った。
「炎上し過ぎだ‼」
シャドウのアカウントは、リアに任せてからというもの、連日炎上騒ぎを繰り返していた。
「だってだって! こいつらムカつくんだもん‼ ほら見てよこの『ライト』とかいう奴!」
そのライトというアカウントは、典型的な荒らし専用アカウントだった。
リアが何かつぶやく事にあげ足を取り、挑発しているようだ。
『みんなのために、今日も見回りするよー』
『点数稼ぎごくろうさまです』
『今日も人助けできたー。ふぅ。早くお風呂入って寝よ』
『それをわざわざ呟く意図はなんですか? 構って欲しいんですか?』
『君ねぇ! さっきからなんなの⁉ 私のアカウントなんだから好きに呟いていいでしょ!』
『つまりあなたは自分のツイートにも責任を持てないということですね? そんな人がヒーロー活動なんてしていいんですか? その行動で誰かが不幸になったら誰が責任を持つんですか?』
『死ね!』
『正義の味方が死ねはないでしょ』
「で、炎上したと」
リアは戸惑いがちにこくりと頷いた。
炎上に関する内容を見ると、リアを責めるようなコメントが大半だった。
『死ねって……。普通にダメでしょ。想像力なさ過ぎ』
『発言に責任を持てない奴が行動で責任持てるはずない』
『引くわ』
『所詮ガキだろ』
「ね⁉ 酷いでしょ⁉ このライトってやつ! 絶対わざとだよ‼」
オレはライトのツイートをスライドしながら眺めた。
逐一シャドウに関する情報を集めてリツイートし、時々その発言や行動を批判するツイートを流している。
「ふーん……。良いファンじゃないか」
「どこが⁉ 細谷君、頭おかしいんじゃないの?」
オレはリアの鼻を摘まんだ。
「ごめんなさいごめんなさい‼ 全然まったくおかしくなんてありません‼」
しかし、リアの言う通り風当たりが強いのも事実だった。
あれから、SNSで派手な売名行為を働くヴィランを何人か倒してはいるが、一度も声援を受けたことはない。
本来ならもう少し支援されていても良いはずだ。それだけ、ヒーロー活動禁止法とランス保護法の存在が大きいのだろう。
『はーい! それじゃあみんなの夢はなんですかー?』
ふいに、そんな声がテレビから聞こえてきた。
それはデパートで行っているヒーローショーのようで、進行役を務める女性が、子供に向けて問いかけているシーンだった。
『はい! 悪の組織のボスになって、日本を滅茶苦茶にしたいです‼』
映像はそこで切れ、ニュースの報道ステーションに切り替わった。
『これはとあるヒーローショーで実際に起きた出来事です。みなさんはこれを見て、この国が正気だと本気で思っているんですか?』
キャスターである30代ほどの女性は、努めて冷静にそう言った。
『しかし、子供達がそう考えてしまうのも仕方がない。ランス保護法によって、一部のランスは正体を暴かれないという安堵感から暴動が活性化していますし、ヒーロー活動禁止法によって、彼らを裁くことももはや悪となってしまった。今の日本は悪を裁けぬ世の中なので、悪になる方が得なのです。ならば当然、悪の側に回りたいと思うのが人間でしょう』
キャスターは、ばんと机を叩いた。
『それじゃ駄目だと言っているんです! こんなことでは日本という国が駄目になってしまいます‼』
『しかし、政権交代してからというもの、今まで横ばいだった出生率が上がり、GDPも大きく伸びています』
『多くの貧困労働者を犠牲にして伸びた数字に、何の意味があるんですか!』
「熱いね、このキャスター。私好きだな」
リアが言った。
「米原みゆきだな。論客相手に一歩も引かない姿勢が視聴者にウケて、今人気沸騰中だ」
「へぇ。詳しいね」
組織のブラックリストに載ってるからな、とはさすがに言わなかった。
『じゃああなたは、今世間を賑わせている、あのシャドウとかいうヒーローを支持するんですか?』
『誰があんな奴!』
「私嫌いだな。このキャスター」
「そうか……」
『彼女のせいで今まで潜んでいた多くのランスが触発され、ヴィランを名乗って犯罪行為を繰り返しているんです。見方を変えれば、彼女こそが諸悪の根源ともいえる。あんなのは承認欲求を満たしたいだけの、ただの偽善です』
リアが持っていた盆をテレビに投げつけようとするのを、オレは片手で押さえた。
炎上の件といい、こいつはもう少し煽り耐性をつけた方がいいな。
米原が場の収拾役として機能しないことを見越してか、もう一人いた男性キャスターがその場を取り仕切り始めた。
『えー、議論が白熱してきたところで、政治評論家の横田先生に意見を窺いましょう。芦谷先生はこの現象について、どうお考えですか?』
横田と呼ばれた老爺は、もごもごしていたかと思うと、やがて口を開いた。
『政治とは、最大公約数の幸福のために存在する。しかし彼らがやっているのは特定のマイノリティを贔屓する政策だ。こんなものは政治とは言えない』
『それはランス差別とも受け取れる発言ですが……』
『構わんよ。過激派に殺されようが病気で死のうが大して変わらん。それなら言いたいことを言わせてもらう』
やわらかい口調ながら、そこには強い信念を感じた。
『虐げられてきたマイノリティが勝者になれば、今度はそのマイノリティが虐げる存在になり替わる。そんなことは最初から分かり切っていたことだ』
オレは真剣に、その男の話を聞いていた。
『我々は愚かだ。その愚かさは、ランスも人間もさほど変わらない。真の平和は、正義と悪という二項対立からは決して生まれない。真の平和、真の平等は、対立から抜け出した先にある。それを理解し、真の平和のために命を賭けた者は、残念ながらたった一人しか生まれなかった。そしてその価値を、誰も認めなかった。だから今の日本がある。あの闘争から何も学ばなかった。これは我々の責任なのだよ』
「一人って、一体誰のこと?」
リアの質問に、オレは答える気になれなかった。
『変わらなくてはならないのは世界じゃない。我々一人一人だ。ランスも人間も、一人一人があの者の意思を受け継げば──』
その時だった。
突然テレビの画面が真っ暗になった。
「テレビ消した?」
「いや、何もしていないはずだが」
再びテレビがついた。
先ほどまで力強く演説していた横田が、テーブルに突っ伏している。
身体から湯気が出ていて、彼の突っ伏すテーブルには血が飛び散っていた。
『きゃああああ‼』
ブツ、と映像が途切れ、『しばらくお待ちください』というテロップが、画面に大きく流れた。
「あ、あれ……死んだの?」
リアの声が震えている。
「ドッキリじゃなけりゃな」
ブツ、と音がして、再び報道ステーションがテレビ画面に現れた。
男性キャスターの顔は真っ青で、身体も震えている。
『えー、大変失礼いたしました。ここからは、先ほどこちらに届いたメッセージを放送させていただきます。これは我々の意思ではなく、脅迫された結果であることをお伝えさせていただきます』
再び画面が切り替わり、背景が真っ暗になった。
その真ん中に、ウサギの骸骨を模したシンボルがある。
『みなさんこんにちは。私の名はスカルラビット』
暗く不気味な声。恐らく機械音声だ。
こんな凝ったことをする奴が、自分の肉声を使うなんて馬鹿なことをするはずがない。
『我々はランス至上を掲げる悪の組織だ』
ぴくりと、オレの眉が動いた。
『人間共よ。ランスの恐怖を……悪の恐怖を忘れてしまった愚かな人間共よ。今回の惨劇を目の当たりにして、少しはその恐怖を思い出してくれたことと思う。上から目線でヒトを批判し、その矛先が自分に向くことすら想像できない愚かな人間を粛清することで、我々が真に望んだ新たな世界の礎が築かれた』
その言葉を聞き、オレは顎に手をやって考えた。
『そして正義を翳すランスの裏切者に告げる』
リアがハッとした。
『これは我々からの宣戦布告だ。次に狙う人間を、我々は必ず殺す。もしも貴様が正義であるというのなら、我々を止めてみせるがいい。それを止められなかった時が貴様の敗北。貴様の正義が崩れる時だ』
リアは真剣な様子でスカルラビットのロゴを見つめている。
『我々のメッセージはただ一つ。人間共よ。我々に恐怖せよ』
そこで映像は切れ、再び報道ステーションに画面が切り替わった。
『以上がビデオメッセージの内容となります。大変申し訳ありませんが、番組はここで終了とさせていただきます』
男性キャスターが頭を下げると、すぐさまコミカルなコマーシャルが流れ始めた。
固まっているリアの肩に、オレはぽんと手を置いた。
「よかったな。ご指名だぞ」
リアはくるりとこちらを向き、恨めしそうな目を向けた。
「全然良くない‼」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます