第5話


私がシャドウになって米原さんの近くで隠れていると、突然、遠くから何かが発射されるような音が聞こえた。

周囲の人々が、困惑したようにざわめき始める。

さっきから細谷君と連絡が取れないことと、何か関係があるのかもしれない。

だいじょうぶかな……。細谷君。


「な、何の音?」


すぐさま刑事さん達が米原さんのところへ集まり、壁になるように立ちながら彼女を誘導し始める。

米原さんは不安そうだ。

よし。ここは私が元気づけてあげよう。

米原さんはむかつくけれど、私はヒーローなのだ。


一匹のコウモリを、彼女が見ている方向に飛ばし、木の枝に止まらせる。


「……シャドウ?」


あ、気付いた。

でもさすがに、私がどこにいるかまでは分かってないみたい。

うぷぷ。ちょっといたずらしてあげようっと。

そんなことを思って、米原さんに手を伸ばそうとした時だ。


「君、止まりなさい! ここから先は立ち入り禁止です。速やかに──」


私は唖然とした。

刑事さんが、まるでトラックに撥(は)ねられたように吹き飛んだのだ。

悲鳴と共に、観客達が我先にと逃げ始める。

ずしん、ずしんと音をたてて、筋骨隆々なランスが姿を現した。

二メートルはある身長もすごいけど、丸太のような両手はもはや筋肉そのものと言ってもいい。

細谷君はなんて言ってたっけ。ええと……確か、コードB。肉体強化の能力者だ。


「何者だ⁉ これ以上近づくと発砲する‼」

「俺、けっこう有名なんだけどなぁ。知らないか? フォロワー数3万7000人の『マッスル』ってヴィラン」


マッスルと名乗った男は、米原さんと相対すると、ぽりぽりと頭をかいた。


「お前、米原みゆきだよな? ……うん。確かそう言ってたはず。ええと、写真でも……うん。合ってる合ってる」


周りの刑事さんに拳銃を向けられているというのに、マッスルはポケットから写真を取り出して確認するほどの余裕があった。


「う、撃てえええええ‼」


その余裕に恐怖を感じたんだろう。

号令と共に、大量の発砲音が響き渡った。

ギン、ギンと、マッスルにぶつかったはずの弾丸は、まるで金属にでも当たったような音をたてて弾かれる。

マッスルは、顔色一つ変えていない。


「じゃ、米原みゆき。お前を殺す」


恐怖で立ちすくむ米原さんに向けて、野太い腕が、横薙ぎに振るわれようとした。


「ねぇ。さっきから、私を無視し過ぎじゃない?」


その声に、ようやく米原さんは背後の地面を見下ろした。

いや、正確には自分の影。そこにいる、無数のコウモリを米原さんは見ていた。


「よっと」


元の身体に戻った私が、米原さんの膝裏を軽く蹴る。

彼女はがくんと体勢を崩し、私の方へ倒れ込んだ。

マッスルの腕が空振りし、私は米原さんを抱き止める。


「これで貸し一つ。今日は私を批判したことを猛省するくらい、たくさん貸しを作ってあげるから、そのつもりで」


米原さんを横へ転がすと、マッスルの拳が私の腹に向かって振り下ろされる。

一瞬でコウモリになると、拳によって押し出される空気と一緒に辺りへ飛び散り、その拳は地面を粉々に砕いた。

私はマッスルの腕の上に立ち、大きく足を振りかぶって、顎を思い切り蹴り上げた。

弾丸を弾く筋肉も、さすがに頭までは守れないらしい。

ずしんと、その巨体は尻もちをついた。


「あれ? もしかして悪の組織って、大したことない?」

「ヘっ。たかだかフォロワー3万ちょっとの奴を倒したくらいで威勢が良いな」


ぞろぞろと、ランス達が私の前に集まって来た。


「言っとくが、ここにはフォロワー10万超えの奴もいるんだ。そんな余裕も今の内だぞ」


私は肩をすくめた。


「いつの間にフォロワー数が戦闘力になってたの? まあいいけどさ。あ、ちなみに私のフォロワー数、30万だから」


私はにっこりと笑い、指を鳴らした。


「敵多いし、最初から全力で行くね♪」


直線状にいたランスに、私は肉薄した。


「へっ?」


顔面に私の膝が突き刺さり、そのランスは宙を舞う。

相手は私の速さに圧倒されてか、唖然としている。

今のうちに、あと二人は倒せる。

私が次の標的を狙おうとした時だ。


パン!


瞬時に飛びのくと、私がいた地面に弾丸がめり込んでいた。

思わず睨む。

私を撃った刑事さんは、銃を構えたまま叫んだ。


「全員両手を頭の上に乗せろ! シャドウ、お前もだ!」


彼らからすれば、私もヴィランも変わらず、凶悪犯罪者だ。

その対応は間違っていない。とはいえ……


「んもうっ! めんどくさいなぁ」


それが私の本音だった。

どうせなら、私がヴィランを全員倒してから動けばいいのに。


「まあそう怒らないでください」


突然聞こえたその声に、私は振り向いた。

そこにいたのは、ウサギの頭蓋骨のような顔をしたランスだった。

間違いない。スカルラビットだ。


「ようやくラスボスのお出まし?」

「ラスボスですか。そんな恐れ多い名乗りは、今後あげられませんね。あれはもはや、怪物の領域です。しかしまあ、彼らの眼中にないからこそ、こうして無事に逃げられたわけですがね」


私は首を傾げた。

スカルラビットは何のことを言っているのだろう。


「さて、シャドウさん。本当に面倒臭いのはこれからですよ」

「え?」


カラカラカラと、何かが地面にこすれる音が聞こえてくる。

私は音のする方を振り向いた。

それは金属バッドだった。

バンダナで口元を隠した男が、両腕をだらんと垂らし、金属バッドを引きずりながら、歩いて来るのだ。

男は一人ではなかった。

後ろには何十人もの人がいて、全員が武器を携帯している。

見たところ、彼らは人間だ。しかしどう見ても、ただの一般人ではなかった。

覆面をしていたり、市販のマスクを被っていたり、恰好は様々だが、アウトローだということは明らかだ。

先頭にいた男が、私を指さした。


「おーいヴィランさんよー。このイキがってる女殺したら、本当に幹部にさせてくれるんだろうな」

「もちろんです。報酬もたんまり弾みますよ」


男達から歓声の声があがった。

ハイタッチしている者までいる。

刑事さんは戸惑いながらも、彼らを取り締まろうとはしない。

ヒーロー活動禁止法とは、ヒーローには人権がないということを記した法律だ。

彼らが暴力を振るおうとしている相手は、ヒーロー活動禁止法に抵触する、何の人権もない犯罪者。だからこそ、刑事さんは私に対する暴力行為に対し、見て見ぬふりをする。

誰かを助ける行為が本当は悪ではないということは、誰もが理解しているはずだ。しかしそれを、法律違反だからという理由でリンチし、あまつさえ殺そうというのか。

私はぞっとした。

人間の、際限のない悪意というものに。


「ランスは敵。公共機関も敵。そして、守るべき民間人も敵。まさしく孤軍奮闘ですね」


私は冷や汗を流しながら、立ち尽くしていた。

キラーマンティスと戦っていた時は、ただ民間人を守るというだけで、圧倒的戦力差がありながらもかなりの苦戦を強いられた。

しかし今回、その民間人は私に牙を向いてくる。

彼らを守り、かつ制圧し、大勢のランスを倒す。しかも、刑事さんたちの攻撃をかいくぐって?


一瞬だけ頭に過ぎる、無理だという言葉。

そしてそれ以上に心に去来するのは、圧倒的な孤独だった。

攻撃してくる奴らを守り、誰からも守られない。応援すらされない。


そんな戦いに、一体何の意味があるの?


「隙ありいい‼」


私は、ハッとした。

慌てて跳躍し、民間人のバッドが空振りする。


「ちょ、ちょっと落ち着いて! 相手はヴィランだよ⁉ 約束なんて反故にするに決まって──」

「おらおらああ‼ よそ見すんじゃねええ‼」


乱暴にバッドを振りながら、滅茶苦茶に駆け寄って来る。

危なっかしくて仕方がない。

私が何もしなくても、躓(つまず)いて大怪我しそうな勢いだ。


その時、突然私の身体に強い電流が走った。


「がっ!」


思わず目が見開く。

がくりと膝が崩れ、息が乱れる。


「ヒヒヒッ! オレサマの電撃の味はどうだ? ヒーロー様よぉ」


あれは、確か新君が言っていた『電撃男爵』。

いつもなら軽く避けられるのに、ちょっと油断してた。


「よっしゃいただき‼」


頭に振り下ろされるバッドを、私はコウモリになることで回避した。

きょとんとしている電撃男爵の背後に現れると、そのまま首を絞めてオトした。


「よし。これで一人倒し──」


突然、背後から羽交い絞めにされた。


「さっきのいいな。オレも真似してみよう」

「うぐっ!」


首がへし折れるかと思うくらいの力だ。

私はすぐさまコウモリになり、無防備な後頭部を蹴り飛ばした。


「はぁ……はぁ……」


猛攻をかいくぐりながらも、なんとか敵を倒してはいる。

しかし着実に自身へのダメージは蓄積されていた。

状況としては、かなり分が悪い。


「相手は疲れてる! 一斉に行くぜええ‼」


再び、民間人が突っ込んできた。

私は舌打ちした。

力もないくせに出しゃばってくるのが、とにかくウザい。

ふと前を見ると、迫って来る民間人の後ろから、くの字型の刃がついたブーメランが飛んできた。


「危ないっ‼」


私は民間人の足を払った。

バランスを崩しながらも振り下ろされたバッドが、私の足に直撃する。


「ぐっ‼」


私はよろめきながらも、しゃがみ込んでブーメランを回避する。

ブーメランが一人のランスの手に戻り、私に襲い掛かろうと向かって来る集団の中へと紛れ込んだ。

くそ。あれじゃあ近づけない。


「あ、あれ……さっきの」


ようやく、自分が囮にされたことに気付いたらしい。

困惑した顔で、私を見つめている。


「お、お前なんで……」


私は足を動かそうとして、激痛に顔を歪めた。

強化細胞を集中すればすぐに治るだろうけど、しばらくは動けない。

どうする。どうする。


バリイイン‼


そんなことを考えていると、頭に強烈な衝撃が走った。

ガラス瓶で殴られたのだ。

私は思わずその場に倒れた。


「ひゃっはー! ヒーローを倒したのは俺様だー‼」

「お、おい! 大丈夫かよ‼」


だいじょうぶなわけないでしょ……。

頭はガンガンするし、足は痛いし、心細い。

気分は最悪だ。


「んじゃ、さっさととどめを刺させてもらおうかな」


そう言って、その男はナイフを取り出した。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ」


私が助けた男が、慌てて私の前に立つ。


「あぁ? さっさとどけよ‼」


乱暴に男を突き飛ばし、ナイフを掲げる。

私は思わず目を瞑った。


コツン


そんな音がして、ナイフを振り下ろそうとしていた男の頭に、小石がぶつかる。

男は、ゆっくりとそちらを見た。

そこにいたのは、震えた姿で立つ新君だった。


「……なんだてめえ?」


男に睨まれ、新君は動けない。


「新君! 逃げますよ‼ ほら早く‼」

「ご、ごめん桃ちゃん。一人で逃げて。……あ、足に力が、入らない」

「なにやってるんですか‼ かっこつけるなら最後までちゃんとしてください‼」


桃ちゃんが必死に新君を抱えて逃げようとしている。

私はそれを見て、思わず笑った。

ああ、そうか。

それでいいんだ。


「ヒーロー活動禁止法に抵触したな。つまりてめえはオレに殺されても文句言えねえわけだ。景気づけに、お前を最初に殺してやる」


そう言って、男が新君に近づこうとする。

私は男の肩を掴んだ。


「あぁ?」


私はその顔面に、拳を叩きつけた。

殴られた勢いで、男は宙を舞う。

全員が、あんぐり口を開けながらその様子を見つめている。

男は地面にぶつかると、ごろごろと転がった。

顔は大きく歪み、ぴくぴくと痙攣している。


しんと、辺りが静まり返った。


「ふ……、ふざけんなああああ! 相手は市民で、人間だぞ‼ お前正義の味方じゃねえのかあああ‼」


口々に罵詈雑言が飛び交う中、私は、すうと息を吸った。


「ファッ〇ユーーーーーーー‼」


私は中指を立て、あらん限りの声で叫んだ。


「正義の味方なんか知るかああ‼ 私は‼ 私の守りたいものだけ‼ 守る‼」


私は無理やり傷ついた足を地面に叩きつけた。

一気に痛みが広がり、悲鳴をあげたくなる。が、私は歯を食いしばってそれに耐えた。


「おおおおお‼」


私は走った。

暴動を起こす民間人達に、怒りの形相を向けながら走った。


「ひ、ひいいいい‼」


一人が逃げ、二人が逃げ。全員が、我先にと逃げ始める。

群衆の中から、ブーメランを構えたランスが姿を現す。


「見つけたああ‼」


ランスが素早くブーメランを投げようとする。狙うのは、桃ちゃんに抱えられてこの場を退散しようとしている新君だ。

コウモリになって一瞬で距離を詰める。

ブーメランが投げられる直前、私はその腕を蹴り上げた。

ブーメランがあらぬ方向へと飛んでいく。

私はそのままぐるんと回転し、足首にランスの頭を固定すると、そのまま地面に叩きつけた。


「はぁ! はぁ!」


私は汗を拭い、辺りを確認する。

何人ものランスが倒れ、刑事さん達が唖然としながらこちらを見つめている。

全員、倒した。

私はほっと息をつき、その場に座り込もうとした。


その時、はたと気付く。


「スカルラビットは?」


私は辺りを見回し、遠くで、米原さんが報道ヘリに乗り込もうとしているのを確認した。

上空なら、ひとまず安全だと踏んだのだろう。

米原さんが乗り込むのを手伝うスタッフ。その裾が、少しだけめくれる。

そこから見えたレーザー銃のようなものを確認し、私はすぐに察した。


コウモリになり、猛スピードでヘリへと向かう。

ヘリのメインローターが回転し、機体がゆっくりと上がっていく。

ヘリが飛び立ち、徐々に地上から離れていくも、私は諦めなかった。

コウモリ達が上空へとうねりをあげる。

飛んでいるヘリにギリギリまで近づき、元の身体に戻って大きく手を伸ばす。


届け‼


間一髪のところで、私はスキッドを掴んだ。

その瞬間、ヘリはぐんぐんと速度を上げ、上空へと上がっていった。

あとほんの少しでも早くこのスピードになっていれば、追いつくことは不可能だっただろう。

私は思わず、大きく息をついた。

しかし、安心してばかりもいられない。

スカルラビットは、未だヘリの中にいるのだ。


「あなたには、第二次ランス闘争の引き金になってもらいます」


そんな声が、中から聞こえてくる。

私は疲れた身体に鞭打って、よじ登った。


「この戦いに勝利し、ランスは真の意味で人間を支配するのです」


ドアは開いている。

私は顔を半分だけ出して中を覗いた。


腕に装着したレーザー銃を、スカルラビットは米原さんに向けていた。


「さようなら」


私はヘリの中へと滑り込み、即座にレーザー銃を装着した腕を掴む。

スカルラビットは、こちらを見て驚愕していた。


「やらせないよ」


スカルラビットはしかし、すぐに平静を取り戻し、肩をすくめてみせた。


「民衆に絶望し、そのまま帰ってくれるかと思いましたがね」

「一瞬だけね。でも、その民衆が教えてくれた。私は人間の味方じゃない。私は……みんなの味方だ!」

「……意味が分かりませんね。やはりあなたは第二世代だ。思想もなく、知識もなく、ただその場限りの感情に従って動いている。あなたに教えてあげましょう。崇高な思想によって裏打ちされた、本当の悪というものを」

「だったら私も教えてあげる。正義のゲンコツってやつをね!」


私は拳を握りしめ、スカルラビットの顔面を殴りつけた。



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