第3話


オレは特別に改造された自室のトレーニングルームで、リアと対峙していた。


「恐怖ってのはどこから湧いて来ると思う?」


シャドウの姿になって、どこか落ち着きのない様子で立っていたリアに聞いた。


「え…………過去?」


オレはにやりと笑った。


「良い線いってるじゃねえか。さすがはいじめられっ子」

「も、元! 元だから!」


慌ててリアは訂正した。

リアにとって、あれは消去したい過去らしい。


「その通りだ。恐怖とは過去の幻影。つまりお前が感じてきたトラウマだ」

「トラ……ウマ……」


リアが今感じているのは、肥大化した隊長への恐怖だ。

過去の出来事であるが故に、その妄想はどんどん大きくなる。

ならば、それを現在に引き戻してやればいい。


「あー、あー……。ごほん」


オレは声帯に手を当てながら、声を調整した。

今からやることは非常に繊細で、神経を集中させなければできない。だがこれをやると、何故か調子が出るのだ。


「ぷぷっ。なにそれ。オペラ歌手の物まね?」


リアは調子に乗っていた。

まあ、そんなことを言っていられるのも今のうちだがな。


「じゃ、やるぞ」


オレは大きく息を吸い、リアを睨んだ。

その瞬間、彼女は竦み上がった。

一瞬でコウモリになり、部屋の隅に這いつくばる。


「こんな感じか? 例の部隊長の殺気は」


リアはものも言わずに震えていた。


「たとえ遠くからでも、一度感じた殺気は完全にトレースできる。オレの特技だ」


そう言って頬を緩ませる。

リアは一切こちらを見ずに、隅の方を向いて体育座りしていた。


「……お前、敵に背中を向けるとは何事だ。殺してくださいと言ってるようなものだぞ」

「だ、だ、だって……ここ、怖くて……」


オレは舌打ちした。


「もう一回やるぞ」


リアの襟首を掴み、部屋の真ん中まで引きずっていく。


「やだああああぁ‼ 絶対やだあああぁ‼」


リアはコウモリになって逃げだした。


「あ、お前!」


トレーニング器具の側で姿を現すと、ダンベルやらバーベルのプレートやらを投擲し始める。


「あぶねっ! なにしやがる‼」

「どれだけ怖いのか、細谷君にはわかんないんだ! だからそんなこと平気でできるんだ!」

「んなこと言ってたら、いつまで経ってもヒーローになれねえぞ‼」

「……いいもん、別に」


リアはオレに背を向けて蹲った。


久しぶりの感覚だ。

怒りにわなわなと身体を震わせるというのは。


「じゃあもうオレとの契約も解消ってことでいいんだな⁉」

「別に? そうしたいならそうすれば?」


ぷいと、リアはそっぽを向いた。

喉が破裂しそうになるほどの言葉が口から出かかったが、それを飲み込んだ。

馬鹿みたいな言い合いをしていても仕方がない。

一旦(いったん)冷静になって、できるところから始めるしかないか。


頭を冷やすために飲み物でも買ってくるかと、部屋を出ようとした時だった。


「なんで見捨てるのぉ⁉」


突然、オレの足にリアがしがみついてきた。


「契約解消とか言わないでよぉ! 一緒にいてよぉ‼」


わんわんと泣きながら、リアは叫んだ。


「離せ馬鹿‼ だいたいお前がそうしろって言ったんだろうが‼」

「細谷君がいなくなったら、私生きていけないよぉ‼ 誰かの性奴隷になんてなりたくないよぉ‼」

「……いや、普通に仕事しろよ」


どうやらこいつは、以前オレが冗談で言ったことを本気で真に受けているようだ。

今日び、親がいなくても高校生なら食っていくくらいのことはできる。

オレはため息をついた。


「飲み物買って来るだけだ。さっさと離せ」

「トマトジュースがいい~~」


泣きながら、リアは言った。

自分の分だけ買ってこようと思っていたのに。

まったく、現金な奴だ。



◇◇◇


オレは、家を出て五分ほど歩いたところにある自動販売機の前にいた。

マンション内に設置された自動販売機には、トマトジュースは売っていないのだ。

なんでオレがあいつのためにわざわざ歩かなきゃならないんだと、ぶつくさ文句を言いながら、オレは硬貨をいれた。


「何の用だ。オレは今機嫌が悪い」


トマトジュースのボタンを押しながら、オレは言った。

物陰から、ばつが悪そうにアゲハが出て来た。


「さ、さすがボス♪ よくお分かりで」

「お前は気配の消し方が雑過ぎる。……わざとらしいくらいな」


オレはアゲハを睨んだ。

アゲハはにこにこと笑っている。


「で、何の用だ?」

「いえいえ。ボスがお元気かと心配になったものですから。ところでボス。こんな場所までお飲み物を?」

「ここにしかこれは売ってない」


オレは紙パックのトマトジュースを取り出し、さっさと歩いていく。

アゲハは慌ててついてきた。


「トマトージュスですか。ボスってそんなものお好きでしたっけ」

「客用だ」

「へぇ。こんな夜中に……」


まじまじと、アゲハはオレを見つめる。


「オレ様のプライベートを詮索するなんて、ずいぶんと偉くなったもんだな」

「滅相もない。ただの日常会話ですよ。上司と部下でも、適切なコミュニケーションは取るべきじゃありません?」

「引退したボスとコミュニケーションとっている暇があるなら、例の地底人問題を解決すべきじゃないのか?」

「ああ、あれですか」


どうでもいいとでも言うかのように、アゲハはあっけらかんと言った。


「大丈夫です。我々は彼らを放置することに決めましたから」


オレは眉をひそめた。


「なんだって?」

「もちろん最低限のことはしますよ。国民を守るのが政府の義務ですからね。けれど、我々を支持しない人間を守る義務はない」


オレはアゲハの胸倉を掴んだ。


「お前、この国を潰す気か?」

「そっちこそ、人間の味方をするつもりですか? たとえボスでも許しませんよ」

「許せないならどうする」


オレはずいとアゲハに顔を近づけた。

目を見開き、静かな殺気を身体に纏う。


「言えよ」


その言葉で、アゲハの額から、どっと冷や汗が流れ始めた。

彼女は唇を噛み、オレから目をそらす。


「と、とにかく。それが組織の結論です。私はそれを伝えに来ただけですから。それでは」


アゲハは口早にそう言うと、逃げるように去って行った。


「……勘づきやがったな」


オレはアゲハの後ろ姿を見ながら、トマトジュースを飲んだ。

一息つく。

ふいに、自分の手元にあるジュースを見下ろした。


「……また買ってこないといけなくなった」



◇◇◇


「お前はどうしてヒーローになるんだ⁉」

「みんなを守りたいからです‼」

「なんで守りたいんだ‼」

「誰かに必要とされたいからです‼」


オレが叫ぶように問いかけると、リアも叫ぶように答えを返す。

何度も何度もそれを繰り返し、オレはぱんと手を打った。


「よし! その調子で、自分が本当に望んでいることを強く心に思い描け! お前はできる! お前は強い! このオレ様が言うんだ。絶対に間違いない!」

「私はできる。私はできる。私はできる」

「行くぞ‼」


オレは大きく息を吸い、リアを睨んだ。

隊長の殺気がリアを襲い、一気に身体が震え出す。

リアは歯を食いしばった。

拳を作り、腰を落とし、逃げようとする自分を必死に押さえつけた。


オレは数秒後、それを止めた。


「ぷはっ! はぁ。はぁ」


リアは今にも倒れそうな勢いで、膝に手をつけた。


「よくやった! グッジョブ‼ グッジョブ‼」


オレはリアの側に駆け寄り、くしゃくしゃと頭を撫でた。


「あははは! くすぐったいよぉ」

「よしよし。ほら、トマトジュースだ」

「わーい!」


リアは嬉しそうにジュースを飲んでいる。

オレはこっそりと、背中のズボンに入れていた本を取り出した。

いくつもの付箋の中から該当のページを開き、効果ありと書き込む。


「なーにしてるの!」


リアがオレの本を取り上げた。

にこにこ笑っていたリアの顔が固まり、徐々にオレを睨み始める。

ここからだと、本の背表紙がよく見える。

そこには、『上手な犬のしつけ方』と書いてあった。


「……まぁなんだ。あくまで参考程度にだな──」

「私人間なのにいいぃ‼ 犬扱いされたあああぁ‼」

「クールダウン! クールダウン‼」


割と良い本だったが、怒りの鎮め方だけはまったく参考にならないことが分かった。




「もう。細谷君なんて知らない」


そう言って、オレのベッドの上で、リアはこちらに背を向けた。

こんなことを言っているが、今日も自分でオレのベッドに潜り込んできたのだ。

さすがに、これが言葉通りの意味じゃないことは、オレにも分かり始めていた。


「さっきも言ったが、お前が強いのは事実だ」


ぴくりと、リアの肩が動いた。


「だがお前は、自分が本当は何のために戦っているのか、まだよく分かっていない。心がぶれている。だから意識的に、承認欲求を解消するための行為だと割り切って、ヒーロー活動をしている。でもそうじゃないのは、お前の行動が証明しているはずだ。意識と無意識が重なれば、お前の力は何十倍にも跳ね上がる」


オレはリアの頭に手を置いた。


「大丈夫だ。お前ならできる」


リアが、急に抱きついて来た。


ようやく、オレはこいつのことが分かってきた。

ずっと否定され続けたこいつの人生には、成功体験がない。

あるのは世界に対する憎しみだけ。それが衝動となって暴力的な行動に出ていたが、あれはサディスティックな支配欲によるものではない。

父親の暴力やクラスのいじめから逃げるための防衛本能だ。


ヴィランを倒し、フォロワーが増え、ヒーロー支持率も上がりつつある今は、彼女にとって初めての成功体験だ。しかしだからこそ、ずっと不安だったに違いない。

逃げるために磨き続けてきた牙でヴィランを倒し、立ち向かうことを強要される矛盾は、ずっと彼女の心にわだかまりを残してきた。

それを解消するのは自信でもなく、成功体験でもなく、きっと誰かからの愛情だったのだろう。

いや、誰かじゃない。子供のリアを癒すそれは、きっと親からの愛情しかなかったに違いない。


人間不審なリアがオレにべたべたくっついたり、こうしてベッドに入ってくるのは、オレを男としてではなく、親として見ているからだ。

誰かがオレと一緒にいるのを嫌がるのは、親からの愛情を一身に受けたいからだ。


「安心しろ。お前を一人にはさせない」


過去の記憶が蘇る。

手にべっとりとついた血。冷たくなっていく身体。

オレの方を見て、弱弱しく微笑む顔。

人々のために戦い、人々に見捨てられた、哀れなヒーロー。


オレはそれを振り払うように、ぎゅっと拳を握った。


「もう二度と、そんなことはさせない」


オレはそう、自分自身に誓った。



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