第2話


「きゃあああああ‼」


今まで呆然と地底人の演説を聞いていた周りの人々が、一斉に逃げ始めた。

宙へと飛んだマグマが、逃げようとする老爺に降りかかる。

私はすぐに物陰に隠れ、コウモリになった。

老爺にマグマが当たる直前、私はコウモリのまま彼にぶつかった。

先程まで老爺がいた地面にマグマがかかり、ジュウと音をたてて溶けていく。

老爺が地面へ転ぶ間近、無数のコウモリをマットのように敷き詰めて、私は彼の転倒をカバーした。


「ど、どうもありがとう……」


老爺はお礼を言いながらコウモリのマットから起き上がり、慌てて逃げて行った。

何気に、人助けして初めて言われたお礼の言葉。

胸の奥の方がムズがゆくて、なんだか変な気持ちだ。


鴻野さんは、混乱する民衆を落ち着かせて、冷静に人々を誘導している。

私も何かしないと。

そう思ってきょろきょろしていると、ふと地底人達がいないことに気付いた。


マグマの噴射は最初こそ威勢が良かったものの、一度地面に降りかかってからは、特に動きがない。

平坦な場所なので、流れていくようなことがないのだ。

しかし中心にあるマグマ溜まりから、一本の線を描くように、マグマが地面を移動しているのを私は発見した。

くねくねと蛇のようにうねり、最後尾にいた逃げ行く女性へと近づいていく。


私は走った。

それと同時に、マグマの中から地底人が姿を現した。

地底人の鋭い爪が彼女を襲う瞬間、横から飛び蹴りを食らわせる。


「ほぅ……」


地面を転がる地底人を見ながら、マグマ溜まりの中から隊長が姿を現した。


「知っているぞ。今巷を賑わせているヒーローだったな。貴様を殺せば、我々に対する恐怖が伝染する。以前やられた部下の報いを、貴様に受けさせてやろう」

「やってみなよ。あなたの腕も、トカゲのしっぽみたいに引き千切ってやる」

「威勢がいいな。だが、お前が腹に風穴を開けて殺した私の部下は、私の何倍も弱いことを忘れるな」

「風穴?」


その言葉を聞いた時、私はなんとなく嫌な予感がした。

しかし、ヒーローに退くという選択肢はない。

私はそんな予感を振り払い、戦闘態勢を取った。


「はあああ‼」


私は渾身の拳を隊長の腹にお見舞いした。

隊長が棒立ちしていたため、手ごたえはばっちりだ。

私は思わず頬を緩めるも、その顔はすぐに苦痛に歪んだ。


「あつっ‼」


思わず後ろに後退し、手を覆う。

隊長を殴った拳からは、もうもうと湯気が出ていた。

その赤い皮膚は、まるでマグマそのもののような熱を帯びていた。


「もしや、それが本気か? アイツの頑強な身体を貫通したほどの怪力の持ち主だろ。もっと本気をみせろ」


彼が何を言っているのかわからない。

しかしそれ以上にわかったことがある。

どっと流れる冷や汗が、その感覚が事実だと告げている。


コイツは強い。私の何倍も強い。


「来ないのか? ならこちらから行くぞ」


ギラリとにらまれ、私は竦み上がった。

息もうまくできず、足も満足に動かせない。


なにこれ?

初めての感覚に、戸惑いを隠せない。

まるで、自分の身体が誰かに乗っ取られたみたいだ。


ふいに、フラッシュバックするように過去の記憶が蘇る。

学校で水をかぶせられた時。お父さんに思い切り蹴られた時。

その時の痛みや恥ずかしさ、みじめな気持ちまで、全てが鮮明に思い出された。


「……なんだ、お前? まるでガキのように怯えた目をしている。これがヒーローとは、てんで呆れるな」


隊長が、ゆっくりと近づいて来る。

私は首を振って拒絶した。

それでも、隊長は歩いて来る。

私は何度も何度も、首を振ることしかできなかった。

ズン、ズンと音をたてて足音が近づいて来る。

やだ。来ないで。

目尻に涙が溜まり、私は懇願した。

来ないで‼


その時だ。

上空から、鴻野さんが隊長に向け、刃を振り下ろした。

隊長が即座に飛びのく。代わりに抉られた地面から、大小の瓦礫が飛び交った。


「シャドウ! 逃げろ‼」

「え? で、でも……」

「そんなガタついた身体じゃ足手まといだ‼」


言われて、初めて私は、自分ががたがたと震えていることに気付いた。

寒くもないのに、震えが止まらない。

怖い。

そうか。これが怖いという感情なんだ。


「行け‼」


鴻野さんの一喝にびくりとし、私は逃げ出した。

振り返ることもせず、鴻野さんの安否を心配することもなく、ただただ怖いという感情に従って逃げ出した。

後ろから追いかけて来る隊長の姿が脳裏に浮かぶ。逃げれば逃げるほど、その姿はどんどんと大きくなり、私を踏みつぶそうと迫って来る。


路地裏を夢中で逃げていると、誰かにぶつかった。

そこで初めて、私がどれだけみっともない姿を晒していたかを思い知った。

ヒーローが、がたがた震えながら敵前逃亡したなんて知られたら……。

さあ、と血の気が引いていく。


「おい。大丈夫か? 何かあったのか?」


しかしその声を聞いて、私はそれが細谷君だということに気付いた。

思わず彼を見上げると、涙がこみあげて来る。


「ほそ……細谷、君……」


私は思わず彼に抱きついた。


「怖かった! 怖かったよぉ‼」


いつもみたいに引き剥がされるかもしれないと思いながらも、そうせざるを得なかった。

そうしないと、恐怖でどうにかなってしまいそうだった。


私はそこで、初めて気が付いた。

細谷君にとって、私はヒーローというおもちゃだ。

ヒーローが現れて、変化する世の中を楽しむために、細谷君は私を買っているのだ。

もしも私がヒーローじゃなくなったら……


先程の恐怖がちっぽけに思えるほどの恐れが、私を襲った。

嫌だ!

そんなことになったら、私はもう死ぬしかない。


思わず、私は彼から離れた。


「だ、だいじょうぶだよ! 私、ヒーローだもんね。そんなこと言っちゃいけないよね。だからだいじょうぶ。だい──」


細谷君は、ぐいと私を引き寄せ、抱きしめた。

力強く、抱きしめてくれた。


「今、お前を見ている奴は誰もいない。だから今は、ヒーローじゃなくていいんだ」


その優しい言葉に、思わず涙がこぼれた。

一度流れると、あとはダムが決壊したように、ぼろぼろとこぼれ始めた。


「う、うわああああん‼」


私が泣き止むまでの間。

細谷君は、まるで本当のお父さんみたいに、逞しい腕で頭を撫でてくれていた。



◇◇◇


リアが鴻野と出て行ったあと、オレはこっそりと二人を尾行していた。

とは言っても、相手は鴻野だ。相当離れていなければならなかったし、それでもあいつは気付いている様子だった。


だから異変が起きた時、オレは完全に出遅れた。

敵を下見し、リアの現在の戦闘力と比較して、確実に勝利させてきたのに、今回はそれができなかったのだ。


オレがリアを発見した時、こいつは明らかに異常だった。

その引きつった顔が何を表しているのかは、悪の組織のボスだったオレにはよく分かった。


リアはオレにとって、ヒーローというおもちゃだ。

ヒーローは恐れてはならない。全ての敵に立ち向かわなければならない。

それができなかった以上、リアはヒーローとして欠陥品だ。

壊れたおもちゃは、さっさと捨てるに限る。


しかし、オレがリアにとった行動は、まったくの真逆だった。

泣いているリアを抱きしめている時、オレは一体何をしているんだと、自分で何度も問いかけた。

答えが見つからないまま、彼女を家へ連れて行き、いつものように飯を食わし、こいつのために買った敷布団をリビングに敷いてやった。


自分のベッドの中で、オレは悶々としていた。

さっさと捨てればよかったのに。

今のリアに、拾う意味などないというのに。

なのに何故か捨てられなかった。

合理的で、冷酷非道と恐れられたこのオレが、たった一人の、何の取柄もないガキを捨てられなかったのだ。


「細谷君……」


ふいに、寝室のドアから、こっそりとリアが顔を出した。


「なんだよ」

「……一緒に寝ていい?」


何を馬鹿なこと言ってるんだ?

一つ屋根の下で暮らすと言った時も、あれだけ嫌がっていたくせに。


「駄目に決まってるだろ」


オレはそう言って目を閉じた。

しかしリアは、じっとドアからこちらを見つめ、一向に出て行く様子がない。

とうとう根負けしたオレは、舌打ちして、もう一人眠れるように、ベッドの布団をめくり上げた。

リアは満面の笑みを浮かべ、無邪気な子犬のようにとことこと駆け寄ってくる。

何の警戒心もなく隣に横たわると、そのままオレの胸に顔をうずめた。


「あ、あの……。不安で、眠れなくて……。あの時のことを、どうしても思い出しちゃって。だから──」

「いいから。早く寝ろ」


睡眠の質は一日を能率的に過ごすためにも非常に重要だというのに、なんでこんな暑苦しい思いをしなくちゃならないんだ。


「……細谷君は悪い人なの?」


顔をうずめたまま、リアは言った。

突然聞かれたその質問に、オレは答えなかった。


「それでもいい。細谷君が悪い人でも、お母さんと何か関係があっても、どうでもいい。私は細谷君がいてくれたら。それだけでいいの」

「お母さん? おい、何の話を──」

「すぅ……すぅ……」


人肌を感じて、よほど安心したのだろう。

リアは生意気にも、オレとの会話の最中に、寝息をたて始めた。


彼女の顔は、まるで母親に抱かれる赤ん坊のようだった。

人肌を感じて、安心しきって、無防備な寝顔をオレに見せていた。

戸惑いがちに、オレは彼女の頭に手を置いた。

一瞬、くすぐったそうに顔をほころばせたが、気持ちよさそうに眠っていた。


「……本当に、何をやってるんだ。オレは」



◇◇◇


次の日。

オレは嫌がるリアを手で引っ張りながら、学校へ登校した。

授業が終わり、これまた嫌がるリアを連れて部室に行くと、桃と新がスマホでニュース動画を観ているところだった。


『地底人の襲撃によるけが人は、幸いなことにいませんでした。偶然現場に居合わせた警察官の活躍で、地底人は退却した模様です。しかし、部隊長と思われる赤い皮膚の地底人は現在も逃亡中で、行方は分かっておりません。被害は軽微でしたが、地底人からの犯行声明は、各地を賑わせております』


別のニュース動画は、居合わせた人間によるインタビューが中心だった。


『いやあ、本当にびっくりしましたよ。ガリガリィって音が聞こえたかと思うと、突然地底人が演説を始めて。そうそう、あそこにシャドウもいたんですよ。でも地底人に全然歯がたたなくて、挙句の果てに──』


リアが強引にスマホをタップし、その動画を終了させた。


「リアさん? どうかしました?」

「え、あ、ううん。……なんでもない」


リアは俯き、口ごもっている。


「桃ちゃん。シャドウへの悪口が聞きたくなかったんだよ。僕も気持ちは分かるな。命を張って僕達を守ってくれてるのに、それを悪く言うなんて許せないもん。ね? 日隠さん」


新の純粋な瞳に、リアは罪悪感を覚えているようだった。

彼女はうつむき、そっぽを向いた。


「ご、ごめん。今日ちょっと体調悪いから。部活、休む。……ごめん」


リアはそれだけ言って、部室を出て行った。

二人は小首をかしげている。

オレはため息をついた。


「……こりゃ、相当重傷だな」



◇◇◇


オレ様は悪の組織のボスだ。

何千人という部下の命を左右する決断を何度も下してきた。

だから何かに迷った時の対処法は心得ている。


誰もいない屋上で、オレは一人座禅を組んでいた。

周りの雑音が、遠く彼方へ消えていく。

息を整え、心を無にし、心身を落ち着かせる。


五分ほど経った時、オレは目を開け、ゆっくりと立ち上がった。

大きく息を吸い、大きく吐く。

この一拍の間に心に浮かんだことが、絶対に揺るがないオレの答えだ。


「……よし」


オレは両手で頬を叩き、迷いを吹き飛ばした。




リアを見つけるのは簡単だった。

あいつが行く場所なんて、学校とオレの家しかないのだ。

馬鹿真面目にいつもの通学路を走っているリアに対し、オレは建物の壁を蹴って空中を走っていた。

すぐに追いつき、オレは走っているリアの背中に着地した。


「へぶぅ‼」


スノボーのように地面を滑るリアの姿は、なかなか面白かった。


「よう。あいかわらず下品な声で鳴くおもちゃだな」


リアは恨みがましい目でオレを見上げた。


「……ほっといてよ」

「あぁ?」

「細谷君には私の気持ちなんてわからないでしょ! だからほっといてよ‼」


オレは背中からリアの鼻を摘まんだ。


「いだだだだ‼ なにするの⁉」

「お前が考えてることくらいオレにも分かる。敵前逃亡するという大恥をかいたのが見ていられなくなったんだろ。お前のファンである新が失望する顔が見たくなかったんだろ。今まで仮面に隠れてふんぞり返っていた自尊心が粉々に砕かれて、偉そうにヴィランに語っていた軽口が急に恥ずかしく──」

「うわああああん‼ そこまで言わなくてもいいのにいいぃ‼」


まるで幼稚園児のように、リアは泣き出した。


「だって、怖かったんだもん。あんな強い奴初めてみたんだもん。私悪くないもん」


しゃくりあげながら、リアは自分を正当化し始めた。

いつもなら折檻してやるところだが、今回は特別に許してやった。

恐怖と恥ばかりだったリアの心に、いくばくかのプライドが芽生えたのは良い傾向だ。


「じゃ、やるぞ」


オレはそう言って、リアの背中から降りた。


「ふえ……何を?」

「決まってんだろ」


オレはこれからのことに思いを馳せ、どうしても零れてしまう意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「特訓だよ」


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