ヒーローVSヴィラン

第1話


オレは爆睡しているリアの顔を、じっと見つめていた。

ソファの上だというのに、まるで高級ベッドで寝ているかのような熟睡ぶりで、涎まで垂らしてやがる。

まあ、あんなボロアパートに住んでいた貧乏人だ。

そこらのソファの方がよっぽどマシな、薄い布団で毎日眠っていたのだろう。


しかし、ここまでオレが接近しても起きないとは、警戒心が足らなさ過ぎる。

……折檻だな。

オレは、悪の組織の下っ端が運動神経を鍛えるために使っている改造パンチハンドを持ってきた。


すやすやと安らかな顔で眠っているリアの顔面に照準を合わせ、レバーを引く。

一気に先端のパンチグローブが飛び出し、リアの顔に直撃した。


「ぶっ‼」

「おはよう」


リアは鼻を押さえながら蹲っている。


「……アンタの朝の挨拶は、まず人の顔面にパンチをぶち込むのが基本なの?」

「言ってなかったか?」


リアはもはや言い返す気力もないようだった。


「さっさと顔を洗ってこい。飯の時間だ」



テーブルの上に広がる豪華絢爛な朝食に、リアは口をあんぐりと開けていた。


「残飯の似合うお前には相応しくない品々だが、特別に食べることを許可してやろう」

「……こ、これ、全部細谷君が作ったの?」

「他に誰が作るんだよ」

「すごーい! プロのシェフみたい。……うん。おいしい!」

「馬鹿かお前は。当たり前のことは賛辞とは言わねえんだよ。もう少し考えてからものを喋れ」

「……素直に誉め言葉くらい受け取ろうよ」

「それより見ろ」


オレはスマホをリアに渡した。

そこには多数のアカウントが並んでいた。スライドすると、その全てのアカウントの名前欄に『@ヒーローネーム』と書かれてあり、アイコンも全てランス状態の写真になっていた。間違いなく、自分自身がランスになった時の姿だ。


「SNSでは今、ヒーローネームが大流行だ」


元々、ランスであることは隠すべきこととして世間では認知されていた。

それはランス党が天下を取ってからも変わらない。

しかし今、リアに触発されて、ランスとしてSNSアカウントを持つ若者が急増しているのだ。


「でも、ランスであることをばらすのって、リスクがあるんじゃ……」

「そうだな。第一世代のランスなら絶対やらない」

「第一世代?」


リアは首を傾げてみせる。

オレは呆れた。


「お前、そんなことも知らないのか。第一世代ってのは、ランスと人間との争いが一番激化していたランス闘争の時代を生き抜いたランスのことだ。今の若い奴……ランス闘争の三年前に生まれた18歳以下の奴らは第二世代と呼ばれてる」

「へぇ……」


リアはあまり興味無さそうだ。

まあ若い奴らからすれば、過去の闘争なんてどうでもいいだろうな。

だが第一世代は違う。あの頃の、ランスと知られるだけで町中の人間から命を狙われる恐怖は、未だ根強い記憶として焼きついている。


「第一世代は、ランスがどれほどの迫害を受けて来たかを知ってる。だから安易にそういうことはしない。ヒーローを名乗って得られるものなんて、ちっぽけな承認欲求くらいだ」


リアは複雑な顔でスマホを眺めていた。

オレは思わず笑った。


「安心しろよ。本気で人々を救うヒーローをやりたがるような馬鹿はお前くらいだ」

「……馬鹿っていうのは余計なんだけど」


それは励ましでもなんでもなく、ただの事実だった。

実際、既にヒーローネームを掲げてランス状態で街中を歩いている奴が、悪事を見逃したと炎上するケースが数件起こっている。

一時の流行で、ヒーローネームはすぐに廃れていくだろう。


「あれ? これは@ヴィランネームって書かれてる」

「その名の通りだな。これからどこそこで悪さするって呟くヒール役だ。見たところ、ヒーローネームよりも、ヴィランネームを持つ奴の方が圧倒的に多い」


そう。

現状、ヒーローよりもヴィランの方が炎上するリスクは低い。

つまりヒーローが軒並み姿を消す中で、ヴィランのアカウントだけがどんどん知名度を上げていくということだ。

そして悪がのさばり、その現状に人々が嫌気を差す中で、唯一決して折れないヒーローがいればどうなるか。想像に難くない。


「フハハハ! 全てオレの計画通り。ヒーロープロデュース計画は着々と進んでいるな。自分の才能が怖いくらいだ」

「……どうでもいいけど、その笑い方キモいよ」



◇◇◇


学校の教室に着くと、既にリアは自分の席に座っていた。

同じ場所に住んでいることがバレると厄介なので、別々の時間に登校するということで意見が一致したのだ。

リアとオレの関係は大きく変わったが、学校生活はいつもと同じだった。

変わったことと言えば、時折、リアがちらちらとこちらを窺い見るような視線を向けるくらいだ。


「あー、今日弁当ないの忘れてた~」


昼休憩の時、いつもの如く人間共がオレの机に群がっていると、以前リアに水をぶちまけた女子がそう言った。


「ねぇコウモリ女。パン買ってきて」


相変わらず一人で弁当を食べているリアは、おずおずと女子を見上げた。


「……なんで?」

「はぁ? 見たら分かるでしょ。友達と喋るので忙しいの」


リアが何か言いたそうに唇を歪ませる。


「ちょっとは空気読もうよ~」


ふいに、部外者の中からそんな声が聞こえてくる。


「ホントよね~。こいつったらマジ──」

「リア。ちょっと話がある」


オレはリアの手を引いて、さっさと教室から出て行った。


しばらく歩き、誰もいない小さな個室の中へ入ったところで、オレはリアの手を離した。

リアはもじもじと手を動かしている。


「……あ、あの。細谷君。さっきはありが──」

「部活を作ろうと思う」


オレはリアのちんたらした言葉を遮って、そう言った。


「……へ? 部活?」

「ああ。例の『ヒーロー研究室』ってHPあるだろ? あれを運営する部活だ。学校から容認されている団体名があると、何かと動きやすいんだ。部室はここ。名前はそうだな……めんどくせえから『ヒーロー研究部』でいいか」


リアは目をぱちくりした。


「……もしかして、本当に話があるから呼んだの?」

「用事がないのに呼ぶわけないだろ。馬鹿かお前は?」


リアが脛を蹴ってきた。

オレは再び足でガードし、鼻を摘まんだ。


「いたあああ‼」

「学習しない奴だな、お前も」


散々痛めつけてから手を離すと、リアはぐすんと涙目になりながら鼻を押さえていた。


「で、でも部活なら顧問が必要でしょ? ヒーローって犯罪者なわけだし、そんなの認めてくれる人──」

「いいですよ別に」


部室の入り口から声をかけたのは、白衣を着た30代くらいの男だった。

リアが振り向くと、その男は爽やかな笑顔を見せた。


「あ、もしかして初めましてかな。僕は染耶伊知郎(そめや いちろう)。保健室の先生をやってるんだ」

「は、はあ……」


リアは戸惑いがちにぺこりと頭を下げる。

リアが敬遠するのも無理はない。こいつはその甘ったるい容姿から女子に人気で、いつもベタベタと美人生徒を引き連れている男だ。

陰キャのリアからすれば、条件反射で避けたい相手だろう。


「細谷君からさっきお願いされてね。僕が顧問になることになったんだ。雑事はしない、面倒事は起こさないってのを条件にね」

「それって、お飾り顧問ってこと?」

「そういうこと。だからまあ、部活の申請なんかも部長に任せたよ」


そう言って、染耶はぽんとリアの肩に手を置いた。


「……え? 部長って私?」

「当たり前だろ。なんでオレ様がそんなめんどくせえ役職をさせられなきゃならねえんだ。お前はさっさと部活申請に行ってこい」

「もぉ~。これじゃあパシリされてるのと変わらないじゃん……」


ぶつくさと文句を言いながら、リアは小走りで職員室に駆けて行った。


「いやあ。まさか君が僕に頼みごとをするなんてねぇ」


二人きりになった途端、染耶は馴れ馴れしい言葉を発してきた。


「できれば切りたくないカードだったがな」


染耶には二つの顔がある。

一つはここ乙夜(いつや)学園の教師。そしてもう一つは、ヤブというコードネームで呼ばれるランス専門の闇医者だ。

その腕は超一流だが、その素性は闇に包まれていて、ランスであるかどうかも分かっていない。

ランス闘争と呼ばれる15年前の大規模紛争の時も、こいつの尽力がなければ人間側に勝利できたかは分からない。

ランス闘争を経験した第一世代を語るうえで欠かせない、影のキーパーソンだ。


「それで? 今度はどんな悪だくみかな?」

「勘ぐるな。ただの興味本位だ」

「興味本位だなんて珍しい。いつもあんなにつまらなさそうに、変哲の無い高校生を演じていたというのに」


オレは舌打ちした。

相変わらずめんどくせえ野郎だ。


「とにかく、お前には顧問をやってもらう。活動内容には目を瞑れ。報酬はいつもの口座に──」

「お金はいらない。その代わり、君のことを影で見守らせてもらうよ」


染耶は踵を返した。


「なにせ、君は僕にとって、一番興味深い観察対象だからね」


薄気味悪い笑みを浮かべながら、染耶は小さく手をあげてその場をあとにした。



◇◇◇


「却下された……」


どんよりした顔で、リアは戻って来た。


「せめて四人は部員がいないと無理だって……」


なるほど。人数制限か。

……すっかり忘れていた。


「じゃあ無理だな。諦めよう」

「えぇ⁉ あんな偉そうに自分から言い出したのに⁉」

「仕方ねえだろ。部員くらいいくらでも集められるが、どこぞの馬の骨に部室を出入りされるのは厄介なんだよ」

「じゃあ幽霊部員でもいいから……」

「それが一番厄介なんだ。名義さえあれば、部室に侵入する方法なんていくらでもある。パソコンにウィルスでも仕込まれたらコトだろ」

「……心配し過ぎなような」

「お前は心配しなさ過ぎだ」


オレはリアにずいと顔を近づけた。

何を勘違いしているのかこの馬鹿は、顔を赤く染めていた。


「いいか。ランスにとって変身した姿を見られるってのは、社会的に死ぬも同然なんだよ。特にお前は犯罪行為をおおっぴらに宣伝しながら法律違反を行う反社会勢力だ。用心に用心を重ねるに越したことはない」


リアは真っ赤な顔で、慌ててこくこくと何度もうなずいた。

……こいつ、本当に分かってんのか?

オレは大きくため息をついた。


「……でも部活」


リアは俯き、拗ねるように口をすぼめていた。

……ああそうだった。

こいつは、今まで友達もいたことがないようないじめられっ子だ。

部活のようなザ・リア充のような生活に憧れがあるのだろう。


「ダメだダメ。せめてヒーローに興味がある奴じゃないと──」

「話は聞かせてもらいました!」


突然、そんな声と共に部室のドアが開いた。

そこにいたのは、ボブカットの似合う少し小柄な女子だった。


「その部活、私が入ってあげましょう!」

「いらない」

「ええ⁉」


オレが即答すると、その女子は青天の霹靂(へきれき)とでもいうような顔で、オーバーなリアクションを取っていた。

将来はお笑い芸人希望か?


「なな、なんでです、なんでです‼ 部員を四人集めなきゃいけないって言ってたじゃないですかぁ‼」

「お前のこと知らねえし」

「私は一年C組花園桃恵。桃ちゃんって呼んでください!」


桃は敬礼するように手を上げて、ウインクと共にぺろりと舌を出してみせた。


「呼ばない。入れないし」

「そんなぁ~……」


桃は涙目で肩をどんよりと落とした。

鬱陶しいテンションだが、顔が一言でコロコロ変わる様子は、少し面白い。


「ま、待ってよ! そんな頭ごなしに……。知らないならこれから知っていけばいいんだし、そんなさっさと切り捨てなくてもいいでしょ」

「リアさ~ん!」


桃はリアに抱きついた。


「ふあっ⁉」


リアは瞬時に桃を引き離して距離を取る。

怪人を相手取るヒーローのような俊敏さだ。


「な、なに⁉」

「なにって、ただのスキンシップですよぅ」


そういうことに慣れていないリアにとって、桃の突拍子の無い行動は酷く不気味に思えるのだろう。


「……お前、なんでリアの名前知ってるんだ?」

「そりゃ有名だからですよ! 1年B組のコウモリ女! どんな生態なのか、私なりに調べたメモもあります!」


さすがにいじめでつけられているあだ名が有名だという事実は、リアにとってショックだったらしい。ちょっと涙目になっている。


「そのメモ見せろ」

「はい‼」


オレはぺらぺらとそれをめくった。

よく調べられてある。

情報を元に自分なりの考察も落としていて、それを見れば馬鹿ではないことはすぐに分かった。


「……よし。いいぞ入っても」

「ええ⁉」

「やったあ‼」


桃はぴょんぴょんと飛び跳ねて、喜びを表現してみせた。


「でも、ええと……桃ちゃん? 桃ちゃんも、そんなすごい情報収集能力があるなら、こんな部活じゃなくて、新聞部とか入った方がいいんじゃないの?」

「お気遣い大丈夫です! 退部になりました‼」


両手で脇を閉めて拳を作り、桃は元気に言った。


「……なんで?」

「取材対象のプライベートを侵害し過ぎました‼」


あまりに明るい笑顔に対し、リアは引きつった笑みを浮かべた。


「ちょ、ちょっと細谷君!」


オレの耳元で、リアはこっそりと耳打ちする。


「いいの⁉ めちゃめちゃ不安なんだけど!」

「あ~……たぶん大丈夫だろ」


適当なオレの返事に、リアはいぶかし気な目を向けた。


「さっきまで幽霊部員でも信用できないとか言ってたくせに……」

「わーい! わーい! 新しい部活だー‼ がんばるぞー‼」


リアは少し心配そうだったが、喜び勇んでいる桃を見ていると、反対する気力もなくなってきたようだ。

今は子供を見守る母親のような笑みを浮かべて、桃を見つめている。


「おい。ぼーっとしてる暇はないぞ。あと一人見つけて来ないと部活が始められない」

「え? でも、そんなのどうやって……」

「オレ様は頭を使って考える」

「うん」


オレはリアの肩を掴んで背中を向けさせると、その尻を蹴り飛ばした。


「馬鹿は足を使え」


案の定と言うべきか。

リアは昨夜のように罵詈雑言をわめき散らしながら、部室をあとにした。


「ったく。先が思いやられるな」

「ところで細谷さん」


部室に残っていた桃が、オレに言った。


「なんだ? 用件なら手短にな」

「不滅の魔王様が部活動に勤しむなんて、どういう心境の変化ですか?」


オレは振り向いた。

先程まで元気に笑っていた花園桃恵は、不敵な笑みを浮かべていた。


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