悪の組織のボスが正義のヒロインを育ててみた
城島 大
悪の組織のボスと、正義のヒロインの卵
第1話
ランス。
身体を鎧のようなものに変化させる特異体質者がそう呼ばれるようになって、何年になるだろうか。
人間を支配するべく活動を始めた彼らは、悪の組織を設立し、瞬く間に勢力を伸ばしていった。
その破竹の勢いに人間は為す術もなく、彼らはとうとう、ランスに屈した。
そして現在……
『え~、今回の世論調査により、ランス党の支持率は3割を切りました。ランス党に政権交代してから、過去最低の支持率です』
オレはテレビで淡々と告げられたその事実を前に、憮然としていた。
「……これは一体どういうことだ?」
ソファに座り、腕を組んでいるオレの前で、女幹部のアゲハは俯いていた。
「ええと、実はですね。地底人との融和交渉が芳しくないことを受けて、外交政策に問題があると人間共がわめきだした始末で……」
「そうじゃねえええ! なんで悪の組織のボスであるこのオレが、人間共に頭下げながら政治なんかやらなくちゃならねえんだって言ってんだ‼」
オレが憤怒の勢いで立ち上がる。
「申し訳ありません~‼」
アゲハは土下座でもする勢いで頭を下げた。
その勢いで、折りたたまれた蝶のような羽根から、ぶわりと鱗粉が舞った。
「うわっ! てめ、アゲハ! いい加減オレと話す時は変身を解除しろ‼」
オレは鼻と口を押えながら、ぶんぶんと手を振って鱗粉を払った。
「だって~。恥ずかしいんですもん……」
「もん、じゃねえよ。いくつだよお前」
「まだ30は超えてません‼」
知らねえよ。
「てか、なんでまた引退したオレにそんなもんやらせようとするんだよ」
アゲハは再び何度も頭を下げた。
その度に舞う鱗粉のことは、もはや気にしないことにする。
「申し訳ありません! 申し訳ありません! ボスがせっかく組織を後進にお譲りくださったというのに、本当にわたくしたちの力不足でございます! しかしこの状況を打開できるのは、ランス至上のこの世界をお作りくださったボスしかいないのです!」
「嘘つけえ! てめえら、面倒事を全部オレに押し付けるつもりなだけだろうが‼ このくらい自分達でなんとかしやがれ‼」
「しかしボス」
突然、アゲハがずいと顔を近づけた。
その昆虫然とした複眼と、妖艶な人間の唇のギャップは、いつ見てもぎょっとさせられる。
「元々、ランスが世界を手にした時、人間の社会をできるだけ変えないようにと我々に仰せつかったのはボスではありませんか。今回人間共が調子に乗っている件は、そういう意味で言えばボスの命令が不適切だったということにもなるのでは?」
「ぐ……。き、詭弁だ詭弁だ! オレはそんな話を聞く気はねえからな‼」
オレは踵を返した。
「待ってぇ、ボス~‼」
アゲハがオレの腰に抱きついてきた。
「ええい、うっとうしい! あと羽根をばたつかせるな! いい加減、鼻がムズムズするんだよ‼」
「はぁい……」
アゲハがしゅんとうなだれる。
……くそ。この女狐、絶対わざとやってるだろ。
「……気が向いたらこっちで少し動いてやる。いいか? 気が向いたらだぞ」
アゲハが、ぱあっと晴れ渡るような笑顔をみせた。
「やっぱりボス大好き~‼」
再び抱きつこうとするアゲハを無視して、オレはさっさと部屋を出て、ドアをバンと閉めてやった。
◇◇◇
悪の組織を率いて世界を牛耳ったのも今は昔。
現在のオレは、どこにでもいるごく普通の高校生だ。と言っても、本来の年齢はもっと上だが。
ランスは人間の姿をしている時は、どの年齢にもなれるという特殊技能がある。
せっかく引退したのだから、失われた青春とやらを取り戻すのも良いかと思い、オレは現在16歳の高校一年生をやっているというわけだ。
世界をものにしたオレがやったことはたったの二つ。
虐げられていたマイノリティであるランスを保護するためのランス保護法と、鬱陶しい正義感で目的遂行を邪魔されないためのヒーロー活動禁止法。この二つの法案を通すということだけだ。
しかしこの二つがなかなか馬鹿にできないもので、オレ達ランスが頂点を取ってから、緩やかに世界は変わっていった。
「おはよう細谷君!」
「おっはよ~。あいかわらず好青年だね」
「お、細谷来たか。昨日言ってたバンドのことだけどさぁ」
オレが教室に入ると、有象無象共がわらわらと集まって来る。
本来なら、人間風情がオレの通る道を塞ぐなと一喝してやるところだが、この学校では好青年で通っている。
オレはにこやかに笑ってみせた。
「おいおい。みんながどいてくれないと、いつまで経っても席に座れないよ」
人間共がきょとんとし、それからドッと笑った。
「そりゃそうだ! 失敬失敬‼」
「もぉみんな! だから言ったじゃん~。細谷君が座ってからにしようって!」
「でさ。昨日のバンドのことだけど」
相変わらず、こいつらは大量生産されたひよこレベルの知能だ。
さっきのセリフのどこに笑える要素があったんだ?
さらりと大衆とは違いますアピールをカマしてくる奴や、空気読まずに再度話題を突っ込んでくる奴も、全員ペンキで色を塗りたくって屋台で売りにだしてやりたい気分だ。
ふと、端に座る女子と目が合った。
つまらなそうな白々しい視線をオレに向け、ぷいとそっぽを向く。
オレの頬が、思わず引きつる。
オレが狙って笑いを誘ったという受け取り方をされているかと思うと、むかっ腹がたってくる。
オレの笑いのセンスはそんなに悪くない。
「……ねぇ。さっきコウモリ女が細谷君を睨んでたよ」
「うっそ? マジ最低~」
その言葉でオレは思いだした。
そうだコイツ。オレのクラスでいじめられているコウモリ女。
確か名前は……日隠(ひがくれ)リアだったか。
寡黙でクラスの誰ともつるまずに、今回のような誤解されがちな視線を送るものだから、即行でいじめ対象に選ばれた。
日傘を差しているところをクラスの人間に見られたことから、コウモリ女というあだ名がついたんだったか。
「おいリア」
女子からゴンと机を蹴られ、リアはよろめいた。
「細谷君になにガンつけてんだよ」
「別に……」
「てかなにそれ? トマトジュース? キャラ作りに必死って感じ? ウケる~ww」
「そんなに喉渇いてるならちょうどいいのがあるよ」
そう言って、女子はバケツに入った水をリアにぶちまけた。
「ほら、いくらでも飲みなよ」
ぽたぽたと、リアの黒髪から滴が垂れる。
それを見て、クラスが笑いで包まれた。
「ちょっ。お前らやりすぎだろ~w」
「いいんだよ。これくらいやらなきゃ分かんないんだし。空気くらい読めっての」
「確かにねー。もっとクラスに馴染もうとしてくれないと、こっちまで空気悪くなっちゃうし」
「そうそう。差し伸べた手を払いのけるコイツが悪いの」
そう言って、再び人間共が笑いだす。
俯くリアの拳が震えているのを、オレは黙って見ていた。
ふと扉の方を見ると、こちらを覗いている男子生徒がいた。
震えながらも声をかけようとしているようだが、結局何もできず、その男は立ち去った。
「おい。違うクラスの奴に見られたぞ」
「だいじょうぶだって。これってあれでしょ? ヒーロー活動禁止法」
「ああ。確か民事同士の争いに干渉しちゃいけないとかってやつ」
「そうそう。授業中とかならまだしも、休憩時間になにやってようが関係ないってこと。仮に教師に見られても何も言えないって」
そう言って、女子は笑い飛ばした。
……どいつもこいつも、馬鹿ばかりだ。
そんなに腹が立つならどうしてやり返さない。そんなに理不尽に抗いたいなら、どうして声をかけない。
「……下らねえ」
オレはぼそりと呟いた。
下らない。
世界のふざけた理不尽も。毎回問題を押し付けてくる組織の奴らも。
全てが下らない。
オレは教室の天井を見上げながら思った。
オレが作りたかった世界は、本当にこんな世界だったのか?
◇◇◇
学校からの帰り道。
オレはふいに、奇妙な物音を聞きつけて、路地裏へと入って行った。
「ほら! アンタが先にぶつかって来たんだろ! なんとか言ったらどうなのよ‼」
「ご、ごめっ! ごめんなさい‼」
いじめられているのは、先程リアのいじめを見て見ぬふりで逃げて行った男子生徒だ。
二人の女子が、その男子に向かって鞭のようなものを振るっている。
ご愁傷様だな。
オレがさっさと戻ろうとした時、ふいに気配を感じて瞬時に隠れた。
現れたのは、日隠リアだった。
目の前で繰り広げられている光景に、唖然としているようだった。
「ちょっと興奮してきた。アンタってMの才能あるわね」
「じゃあさシホ。あれやろうよ」
「そうねミホ。やろうやろう」
その瞬間、二人の身体に異変が起こった。
メキメキと骨が折れるような音が聞こえ、骨格が変わっていく。
それはまさに、二匹の豹だった。
二足歩行ではあるものの、その長い爪も、輝く牙も、肉食動物とそん色ない。
「ひいいぃい‼」
「キヒヒヒ。この姿を見たからには死んでもらう」
「けどぉ。それまでた~っぷり遊ばせてね? 最近欲求不足だったのぉ」
「うわあああ‼ 助けて! 助けてええええ‼」
逃げようとする男子は、そのまま太い腕に掴まれ、地面に叩きつけられた。
「無理無理無理ぃ♪ ほら、前を見なさい。みぃんな、見て見ぬフリしてるでしょう?」
通りにはこの騒動に気付いている者もいるようだが、全員が目を背け、そそくさとその場から退散している。
それを見て、男子は愕然としていた。
「そりゃ誰だって面倒事はごめんよねぇ。そもそも法律違反だし。あ、法律と言えばアンタさぁ。ランス保護法については知ってる?」
「……え?」
「私達の存在は法によって守られてるの。ランスが人間に正体を知られ、それを暴かれる危険性を感じた場合は、いかなる方法を使っても相手を黙らせていい権利があるのよぉ♪」
「そ、そんなのおかしいよ! 君達が勝手に変身しただけじゃないか‼」
「そうよねぇ。おかしいよねぇ。でもそういう法律ができちゃったんだから、仕方ないよねぇ~♪」
「うわあああ‼ 誰か‼ 誰か助けてええええ‼」
「だからさぁ。さっきアンタも学んだでしょうが。ヒーロー活動禁止法で、誰もアンタなんか助けちゃくれないのよ」
リアは黙ってそれを見ていた。
血が出るかと思うほどに握りしめられたその拳は、小刻みに震えている。
オレは鼻で笑った。
無理無理。自分のためにも動けなかった奴が、他人のために動けるわけないだろ。
だいたい、そいつだってお前を助けてくれなかったろ? なのにそいつを助けるのか?
そんな矛盾を抱えていられるほど、人は強くないんだ。
「いい? よく聞きな。世界は残酷で、もはや悪こそが正義なの。だからアンタは、私達に骨の髄までしゃぶられたらいいのよ。誰もアンタを助けない。誰もアンタなんか見やしない。誰も、アンタを必要となんかしちゃいない‼」
リアの目が、かっと見開く。
オレがさっさと帰ろうとした時、何かが通り過ぎた。
オレは思わず振り返った。
そう。人は強くない。
どれだけ叩きのめされても。どれだけ絶望的な状況でも。
決して諦めなかった、あの正義のヒロイン以外は──
ランスへ駆けていくリアの身体が、黒い何かに覆われる。
コウモリだ。大量のコウモリが現れて、彼女の身体を包み込んでいる。
それが晴れた時、リアは黒いスーツを纏っていた。
人間の時と何ら変わらない姿だが、コウモリをモチーフにしたアイマスクが彼女の正体を隠していた。
「おおおおお‼」
リアが跳躍し、今にも少年の首を食らおうとするランスを蹴り飛ばした。
リアのその姿が、オレを何度も窮地に追い詰めた、あの正義のヒロインの姿と、一瞬だけ重なった。
思わず目をこすり、改めて確認する。
そこにいるのは、一人の少女だった。
強くもない。叩きのめされて、諦めて、自分のために行動することすらできなかった奴が、そこにはいた。
「くっそ。アンタ一体なに……うごっ!」
リアは蹴り飛ばしたランスにマウントを取った。
もう一匹は、危険を察知したのか、さっさと逃げていく。
なんなんだ、あいつは。
誰かを助けることが悪になるこの世界で、何をそんなに頑張ってるんだ?
けど、アイツの行動原理は、まさに──
ドガッ! バキッ! ボゴッ‼
まさに正義そのもの……
ドゴっ! グシャ‼ バキッ‼ ブシャアア‼
「いや、やり過ぎだろ‼」
辺り一面、血で真っ赤に染まっても殴るのを止めないリアに、オレは思わずツッコミをいれてしまった。
正義そのものだとか言ったが、撤回する。
このバイオレンスっぷりは、まさしく悪党のそれだ。
「う、うわあああ‼」
ほら。
助けたはずの奴が恐怖で逃げ出したぞ。
安心感の欠片もないな。
そんなことを思いながら、オレはふと、自分がにやついていることに気付いた。
正義として圧倒的に何かが欠けている。
だが、確かにあいつは持っていた。
正義として、一番大切なものを。
こんな世界でも、誰かのために戦おうとする意志を。
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