第2話


細谷君にフラれた。いや、フラれる以上にショックだった。

意中の人におもちゃとしか見ていないと宣言され、挙句目の前でラブレターを引き裂かれたのだ。

こんなことをされて、何も感じない人なんていない。


だから私は、どうしても細谷君の家に帰ることができなかった。

今、細谷君に会って何か言われるのが怖かった。お前の居場所なんてないと拒絶されるのが怖かった。

私と細谷君の関係は、たった一言で崩壊してしまうほど脆いものだったんだと、私は初めて思い知った。


「……あ。今日、どこで寝たらいいんだろう」


細谷君がいない私は、何も持たない無力な高校生だ。

お金もない。家もない。親はいないも同然で、社会的な地位もない。


ふいに、涙がこみあげてくる。

みじめさと寂しさが、無力な自分を攻め立てて、どうしても顔を上げられなかった。


スマホを取り出し、頼りになりそうな人を探す。

最初に頭に浮かんだのは、新君と桃ちゃんだった。

事情を話せば泊めてくれそうだけど、そうなると私がシャドウだということを打ち明けなければならなくなる。

私だけの問題ならまだ納得できるけど、細谷君がランスであることもばれてしまうだろう。あんなフリ方をした傲慢ナルシス野郎でも、今まで世話をしてもらった恩もある。さすがにそこまで打ち明けるのは気が引けた。


染耶先生はダメだ。

泊めてくれそうだけど、身の危険を感じる。


細谷君は……論外。


となると、残るはただ一人。




私はボロアパートのインターフォンを鳴らした。

ドアを開けて出て来たのは、鴻野さんだった。


「入れよ。汚えところだが」


私はこくりと頷き、そそくさと中に入った。

思っていたよりも、中は片付いていた。

ちゃぶ台と箪笥と、小さな本棚にいくつか本が並んでいる。あとは隅に布団が畳んであるくらいだ。

物が極端に少ないせいで、綺麗好きなのかどうかは判断できない。


「適当に座ってくれ」


鴻野さんが出してくれた座布団の上で、私はちょこんと座った。

初めて入った他人の家はとても緊張するが、この小さな座布団の空間だけは、私がいても良い場所のような気がして、少しだけ安心する。


鴻野さんは廊下と一体になっている台所に立って、もてなしの準備をしてくれているようだった。


「あ、あの……今日はありがとうございます。突然泊めてくれなんて言って、びっくりしましたよね」

「まあな。どちらかというと、お前の貞操観念の方に、だが」

「え?」

「なんでもねぇ。それより、親御さんが心配してるんじゃねえのか?」


私の頭に、細谷君の顔が過ぎった。

思わず、鴻野さんに背を向けた。


「心配なんてしてません。誰も、私を心配なんてしません」


鴻野さんのため息が聞こえてくる。

ここを追い出されたらどうしよう。お父さんの家には帰れないし、そうなったら住む場所もない。

じんわりと、涙で視界がぼやけた。


ことりと、小さな音がした。

振り向くと、ちゃぶ台の上にコップが置かれた。

ほんのりと、コップから湯気が出ている。


「……これ、お湯?」

「わりぃな。客をもてなせるようなものは何もねえんだ」


お茶の一つもないってことなのかな。

細谷君の家とは正反対だ。

あそこは茶葉だけでも、何種類も置いている。

完全にお金の無駄使いだから、鴻野さんの家の方が好感が持てる。


私はコップを傾けた。

何の味もしないけど、身体が温まる。

それだけで、少し元気がでた。


「ここでよければいつまでもいてくれたらいいが、喧嘩なら早く仲直りした方がいいぜ」

「……無理ですよ。あっちにその気がないですし」

「そう思い込んでるだけじゃねえのか」

「違いますよ」


私はぷいとそっぽを向いた。

そうだ。細谷君は私のことなんか、ぜんぜん好きじゃないんだ。

だって自分でそう言ったんだもん。

絶対、そうに決まってる。


鴻野さんは、やれやれと首を振って立ち上がると、上着を羽織った。


「あ、あれ? どこか行くんですか?」

「現役警官が一つ屋根の下で高校生と寝たらクビが飛ぶ」

「え、でも──」


鴻野さんはちゃぶ台の上に一万円札を数枚置いた。


「布団は勝手に使ってくれ。何か足りないものがあれば、これで買ってくればいい」


鴻野さんは私が何か言う前に、さっさと家から出て行ってしまった。

しんと辺りが静まり返り、すぐに寂しさが去来する。


「細谷君に会いたい……」


そんなことをつぶやいてしまい、また涙がこみあげてきた。



◇◇◇


鴻野はアパートの階段を降り、ライターでタバコに火をつけた。


「何の用だ?」


鴻野が煙を吐き出しながらそう言うと、アパートの影からアゲハが姿を現した。


「はじめまして。総理大臣の秘書官を務めております、細谷アゲハです」


鴻野はちらとアゲハを一瞥し、空を見上げながら煙草を吸う。


「実はあなたに、不滅の魔王を殺していただきたいと思いまして、お伺いさせていただきました。何か、浅からぬ因縁がおありなんですよね?」


鴻野は喋らない。

アゲハは続けた。


「細谷守。それが不滅の魔王の現在の名前です」


ぴくりと、鴻野の眉が動く。


「お疑いのことと思いますが、これは事実です。もしよろしければ調査結果となる資料が──」

「いや、その情報は信じる。俺の勘とも一致するしな」

「あら、そうなのですか? 察しが良いですね」


アゲハは小首を傾げ、目を細めた。


「それならそれで、すぐにでも殺しにいかないところは気にかかりますが」


鴻野は黙った。


「まあいいでしょう。とりあえず、これが細谷守の現住所です。それと、あなたをサポートするために一流の殺し屋をこちらで雇いました。彼と協力して──」

「必要ねぇ」

「それは困ります。こちらとしては、確実に細谷守を殺してもらわなければなりません。日時もこちらで決めます。その代わり、直接手を下す役目はあなたにお譲りします」


それを聞いて、鴻野は鼻で笑った。


「俺では奴を殺せねえと?」

「あなたは一度不滅の魔王に敗北しています。あなたが不滅の魔王に単独で勝つのは不可能だと判断した結果です。あなたの単独行動によって、不滅の魔王が雲隠れするような事態は避けたいのです」


アゲハはにこりと笑った。


「言っておきますが、これはお願いではなく命令です。公僕である以上、この指示には従ってもらいますよ。その代わり、先程言った条件はきちんと守らせていただきます。返答は?」


しばらく、二人は見つめ合った。

やがて鴻野は短くなったタバコを靴の裏で消し、口を開いた。



◇◇◇


オレは自宅のソファーに寝そべりながら、リアの手紙を読んでいた。

セロハンテープが張られた手紙は、ところどころ光に反射して読みづらい。


「誤字五つ目。読み直しくらいしろっての。やっぱり馬鹿だな」


オレは手紙をテーブルの上に起き、息をついた。

拙くて支離滅裂で、それでも思いを届けようという気持ちだけはひしひしと伝わる。

大した文量でもないのに、読むだけで、どっと疲れた。

目頭を揉みながら、オレは身体を起こした。


「……そういえば、これから中曽根が会見するんだったな」


オレはテレビの電源をつけた。

中曽根の会見は、ちょうど始まったばかりだった。


左上に『LIVE』というテロップがあり、桐のマークが張られた演台に中曽根が立っている。

時々、フラッシュが中曽根を照らすが、彼はその厳格な顔を一切変えなかった。


『私は総理の職についてからというもの、常に国民のことを考え、この国の行く末を憂いてきました』


お決まりのパフォーマンスだ。

オレは鼻で笑った。


『昨今世間を騒がせているヒーローは、我々の未来を作ってくれる存在でしょうか。そうではありません。国民を守り、その将来を保障できるのは、我々だけなのです。こんなことを言うと、地底人の侵略をみすみす放置していたと糾弾されるでしょう。しかしご安心ください。我々は事前にそのことを察知し、既に国民を避難させておりました。特定の住民だけを集め、秘密裡に地下シェルターへ移していたのです』


ソファーにもたれかかっていたオレは、自然とテレビに身を乗り出していた。


『お察しの通り。彼らはランスです。ですから今回のテロが起きていたとしても、ランスの被害はゼロだったとお考えください』


中曽根はにこりと笑った。


『これが現政府の見解です。ヒーローに頼らずとも、“国民”は全て我々が保護していた。ヒーローなど不要なのです。いやそれどころか、下等な人間共に味方するヒーローなど、害悪でしかない。この世に敵がいるとするなら、奴らこそが、ヒーローを語る悪党(ヴィラン)なのです』


会場がにわかにざわつき始めた。

中曽根は熱っぽく、拳を握りしめた。


『我々こそが正義だ。人間共を蹂躙し、ランスが世界を支配する。それこそが正しい未来だ。力があり、並外れた頭脳を持ち、人間共がのたまう個性などというものを超越した能力を持つ我々がその力を使えば、数などというものでしか立ち向かえない人間など屠るに容易い!』


自分の中にある情熱を吐き尽くし、中曽根は大きく息をついた。


『15年だ。今ここに立つために、15年の時間を要した。その間に、我々はランスが世を支配する真の未来を描くための準備を完成させた。人間共におべっかを垂れるのも今日までだ。情報を統制し、票を操作し、貴様らの社会に合わせてやるのもこれで終わりだ』


中曽根が、びしりと背筋を正した。


『これより、新しい法律を発表する。名称は、人間奴隷制度。人間はランスの奴隷であり、所有物であることを明記する。詳しい内容については後日説明しよう。その前に、我々には為すべきことがある。ランス闘争が失敗に終わったのは、ヒーローという存在がいたからだ。だが今回は、決して邪魔をさせない。ヒーロー活動禁止法によりシャドウを指名手配とし、1000万の賞金をかける! 民間人でも構わん。手段も方法も、生死すら厭わない。あの女の首を私の前に持ってこい。その時初めて、第二次ランス闘争が始まるのだ!』


会場のざわつきが止まらない。

ニュースキャスターが動揺している。


オレは素早くスマホを取り出し、リアに電話をかけた。

呼び出し音が数回鳴る。しかし、リアはなかなか出ない。


「早く出ろ……!」


ふと、何かの気配を感じた。

部屋の中央に、小さな黒い球体があった。

球体周辺の光が歪んで見える。

オレは全てを察した。


その瞬間、漆黒が辺りを包み込んだかと思うと、一瞬で部屋のものを全て吸引し、それらを全て飲み込み球体は消滅した。


がちゃりと、ドアを開けて誰かが入って来る。


「やったか」

「やってねえよ」


オレはベランダの外側の壁に引っつくように、手すりを掴んでいた。

腕に力をいれて飛び上がり、割れた窓から、敵の姿を確認する。

カエルのような顔に、道化師の恰好をしたランスだ。

手すりに足を置き、オレは再び窓を突き破ってランスの首を掴み、壁に叩きつけた。


「誰の差し金だ? まあだいたい予想はつくがな」

「じゃあ、これも予想通りか?」


ぞくりと殺気を感じ、オレは飛びのいた。

手首にぱっくりと切れ目が入る。


そこにいたのは、鴻野義之だった。

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