第3話


意外な人物の登場に、細谷は舌打ちした。


「まさかお前が人の手を借りるとはな」

「本意じゃねえが、てめえを殺せるなら悪魔にでも手を貸すさ」


その瞬間、壁に一文字の穴ができた。

瞬時に察して身体を逸らすも、細谷の横腹から血が噴き出た。

傷は浅いが、動きが鈍るには十分過ぎる傷だ。


鴻野が肉薄する。

たまらず、細谷は大きく後ろに跳躍した。

しかし間に合わない。

鴻野の刃が細谷の肩を抉り、そのまま腹にかけて斬り伏せる。

大量の血が辺りに飛び散った。

細谷はバランスを崩したまま後ろに飛んでいき、ベランダの手すりにぶつかった。


「終わりだ」


カエル姿のランスが、球体を細谷へ飛ばす。

光すらも吸いこむそれは、細谷の目の前で急激に膨らんだ。

一瞬、周辺が闇に染まる。

かと思うと、闇が一気に収縮し、ベランダも細谷も、跡形もなく消え去っていた。


ひらひらと、一枚の紙が、球状に抉られた壁から入ってくる。

大量のセロハンテープが張られたそれを鴻野が拾い、まじまじと見つめる。

彼が目を見開いた時、それは別の者に取られた。

事の終わりを予測して入って来た、アゲハだった。


アゲハはリアのラブレターを読み始めた。

しばらく憎しみのこもった目でそれを凝視していたが、やがて鼻で笑い、それを懐にしまった。


「確実に殺したの?」

「オレのダークマターに吸い込まれたら、生物は生きていられない。吸い込まれたものがどこに行くのかは、オレ自身も知らないけどな」

「不滅の魔王のスピードを甘く見てないでしょうね」

「確かに、普段なら逃げれたかもしれねえが……」


鴻野は、リビングを染める大量の血を見下ろした。


「この傷じゃ不可能だ。安心しろ。不滅の魔王は死んだ。確実にな」

「……そう」


アゲハはその惨状を見ながら、無表情で言った。


「誰かに見られても面倒だし、今日はもう撤収して。あなた達の報酬はあとで払うわ」


鴻野はじっとアゲハを見つめていたが、カエル姿のランスと共にさっさと出て行った。

一人になったアゲハは、しばらく誰もいない部屋で佇んでいた。


「……嘘つき」


アゲハは涙をぬぐい、その部屋をあとにした。



◇◇◇


私は鴻野さんの部屋で、本を読みながらごろごろしていた。

ちらとスマホを見る。

先程、細谷君から電話があった。

私が躊躇している間に切れてしまったけど、もしかしたら謝りたいと思っているのかもしれない。


……仕方ないから、出てあげようかな。

そう思って、細谷君のスマホに電話をかける。


すごくドキドキする。

私は心臓を押さえながら、大きく深呼吸した。

10秒、20秒と経過する。

しかし、細谷君が電話に出ることはなかった。

私は怒って電話を切り、それを布団に投げつけた。


「もう知らない! 細谷君のことなんて金輪際忘れてやる‼」


私がスマホに背を向けて、床にごろんと寝転がった時だった。


ピンポーン


インターホンが鳴った。

私は時計を見る。

もう22時過ぎだ。

鴻野さんが帰って来たのだろうか。

私はぱたぱたとドアまで駆け寄った。


「どなたです?」

「俺だ。鴻野だ」


私は目をぱちくりさせ、ドアを開けた。

鴻野さんが立っている。

珍しく、どこか焦った様子だった。


「どうしたんですか?」

「テレビは観たか? ネットニュースでもいいんだが」

「いいえ?」


鴻野さんは舌打ちした。


「とにかく大変なんだ。とりあえず、ここじゃ危ねえ。すぐに避難するぞ」

「はあ。でもその前に、一ついいですか?」

「なんだ」

「あなた誰ですか?」


鴻野さんは硬直する。

その瞬間、私の顔に拳が飛んできた。

私はコウモリになってそれを避ける。

彼の背後にある手すりの上で、私は元の姿に戻った。


「なんで分かった?」

「鴻野さんから連絡があったの。キナ臭いから合言葉を決めておこうってね」

「刑事の勘ってやつか。そういう非科学的なものほど読み辛いから、プロとしては面倒くさいんだがな」

「何のプロ? 殺し屋とか?」

「騙すプロだよ。殺しは専門外だ。騙せなかった時点で俺の負け。つーことで、俺は退散させてもらう」


ふむふむと私はうなずいた。

コウモリになって鴻野さんにぶつかり仰向けに転倒させると、そのまま馬乗りになった。


「私が逃がすと思う?」


拳を振り上げ、顔面に叩きつける。

しかし、そこに鴻野さんはいなかった。

馬乗りになっていたはずなのに、いつの間にか消えていたのだ。


「あれれ?」


私はきょろきょろと辺りを見回し、はっとする。

相手はおそらく、コードCの能力者。どんなものにでも変身できる能力だ。

なら、それは人間だけとは限らない。たとえば、小さなハエみたいなものにでも変身できるなら、この状況でも逃げることは可能だ。


ようやくそのことを理解し、辺りを凝視する。

手すりの隙間から、こちらに手を振っているハエがいた。

瞬時に腕を伸ばすも、ハエはすぐに外へ飛び出し、地面についたかと思うと、今度は犬になって全速力で逃げて行った。


「あーもう! あと少し気付くのが早ければ倒せたのに」


私はむしゃくしゃしながらも、鴻野さんに電話をかけた。


「鴻野さん? あなたの勘、当たりましたよ。変な奴が私を攫いに来ました」

『そうか。なら、さっさと合流した方がよさそうだな。俺もお前に言わなきゃならねえことができた』


私は首を傾げた。


「それって──」


ドオオン


遠くから、そんな爆発音が聞こえてきた。


「ちょっと待ってください。なんか事故みたい。先にそっちを片付けてから行きますから、待っててもらえますか?」

『いや、そこには行くな』

「なんでです? 誰か死んじゃうかも」

『さっきニュースを見て知った。シャドウの首に懸賞金がかけられてる』

「懸賞金? いくらです?」

『1000万』

「1000万かぁ。それって高いんですか?」

『……お前、状況分かってんのか?』


ドキリとした。

確かにまったく危機感なく喋っていたけど、それ以上に、鴻野さんの呆れた声が、まるで細谷君に怒られたみたいに聞こえたのだ。

あんなことを言われて、もう忘れようと何度も思っているのに、私はまだ細谷君を探している。


「だ、だいじょうぶです! 嫌われるのは慣れてるんで‼」


私は携帯を切り、音がした方へ向かった。

細谷君のことはいったん置いておこう。

私はヒーローなのだ。私情ばかりを優先していてはいけない。

私は何度も心の中でそうつぶやいた。

そう思い込めば、きっと細谷君のことも忘れられると信じて。



◇◇◇


そこは一件のコンビニだった。

店は燃えていて、そのすぐそばで、一人のランスと十人ほどの人間が争っている。


「人間はさっさと消えろ! 目障りなんだよ‼」

「消えるのはてめえらだ! これだけの人数差で勝てると思ってんのか⁉」


ただの喧嘩だろうか。

しかしわざわざランスと人間に別れて喧嘩するなんて、かなり珍しい。


私はコンビニの看板の上に座り、コンコンと看板を叩いた。

その音で、全員がこちらを見る。


「ちょっとちょっと。どうかしたの? ただの喧嘩?」


全員、私を見て唖然としている。

まあ、そうなるのも当然だ。なにせ私は有名人だ。

地底人を倒してからというもの、ヒーロー活動の最中でもサインを求められることも珍しくない。


「有名ヒーローであるこの私が話を聞いてあげるから、いったん戦いはストップして──」

「1000万ーーー‼」


突然そんなことを叫びながら、全員私の方へ突進してきた。


「わああああ‼」


その形相に驚き、私は慌てて逃走した。


「シャドウがいるぞー‼」


後ろから叫び声が聞こえる。

すると、次々に家のドアが開き、武装した住民達が私に駆け寄って来た。


「1000万はオレのものだあああ‼」


私は慌ててバッドを避けた。

コウモリになって群衆を掻き分け、さっさと逃げる。


ふと、何人かがスマホを操作しているのに気付いた。

私がスマホを取り出しSNSを起動させると、私の現在地に関するツイートがトレンドを飾っていて、一気に拡散されていた。


「う、嘘でしょー⁉」


どうやら私は、1000万という大金を、甘く見過ぎていたようだ。



◇◇◇


建物の屋上に避難した私は、改めてSNSを確認した。

自分のアカウントが、今まで類を見ないほど大炎上していた。


『ヴィランに襲われています! 助けてください! 場所は○○区××町の◇◇公園前です‼』

『早く助けに来いよ! それだけがお前の存在意義だろ!』

『オレも助けてー。△△町□番地だから。罠とかないから早く来てー』


未読の通知を知らせる数字が一秒単位で上がっていく。


しかし、いくら私に賞金が掛けられたからといって、これほど混乱するものだろうか。

その疑問は、SNSのタイムラインを眺めていれば、すぐに察することができた。


『人間奴隷条約って、他国にも徴兵させるつもりらしいぜ』

『ソースは?』

『普通に考えたらそうでしょ。ランス徴兵条約の意趣返しだろうし』

『つか、そんなことしてたら普通に日本アウトでしょ。どうせ言ってるだけだろ』

『それな。こんなことで人間様を脅迫できると思ってるとか、ランスって頭悪い』

『いや、総理が正式に見解を示したんだぞ。これを言ってるだけで済ませるのはさすがにやばい……』

『お前ランスだろ?』

『ランスはたかだか数百万人。人間を全員殺したら国として崩壊する。狂言以外にありえない。これを本気でやるつもりだとか言ってる奴は、本物の馬鹿か政府の人間でしょ』


SNSには、総理が生中継で話した内容の動画が散乱している。


「……これ、普通にやばくない?」


私は思わずそうつぶやいた。



◇◇◇


ホテルの一室で、私は鴻野さんと合流した。


「つけられてないな?」

「コウモリのまま移動してきたから、たぶん大丈夫。夜中だし、何度も確認したし、ばれてないと思うよ」

「よし」


ふと、鴻野さんの手に血がついていることに気付いた。


「喧嘩してきたの?」

「……まあな」


そう言って、鴻野さんは手を隠した。

何か様子がおかしい。

私は首を傾げた。


「悪ぃが、あまり長居はできねえ。さっきから、上司がひっきりなしに電話をかけてきてやがるんだ」

「だったら早く行かないと。正直、こんなに混乱してたら、私一人じゃどうにもならないし」


鴻野さんは素早くスマホを操作した。


「GPS追跡アプリをダウンロードしといてくれ。何か非常事態が起きたら携帯をワンコールしろ。すぐに飛んでいく」

「う、うん」

「それと細谷守との関係だが」

「え?」

「日隠。お前、父親はいねえのか?」


正直、一番触れられたくない話題だった。

しかし、色々とお世話になっている以上、そんなことも言っていられない。


「いるけど……その、殴られたりするから、一緒にいたくなくて……」

「虐待されているんだな? それで細谷守の家に住んでいたのか?」

「うん。……え? 何で知ってるんですか?」

「虐待されているなら親権のはく奪は可能だ。独り身なんで養子は無理だが、家と働く場所の斡旋くらいならしてやれる。大学に行きたいってんなら、金の工面もしてやるつもりだ」

「ちょ、ちょっと待ってください。何の話をしてるんですか?」


鴻野さんは言いづらそうに口ごもった。

しかし意を決すると、私の顔を正面から見つめて、口を開いた。


「細谷守は死んだ」

「え?」

「俺が殺した」


あまりにも突然告げられた言葉に、私は、頭の中が真っ白になった。



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