第3話
手りゅう弾は爆発した。
全員が床に伏せ、頭を庇っている。
「……あれ?」
最初に呟いたのはリアだった。
確かに手りゅう弾は爆発したが、それは部屋の中ではなく外だった。
爆発の瞬間、オレが常人を超える速さで手りゅう弾を掴み、投げ返したのだ。
桃がこちらを見ている。
オレは手で合図した。
「みなさん! 早く部屋から脱出しましょう‼」
米原の手を取り起き上がらせると、皆の背中を押して部屋から出そうとする。
「ほ、細谷君! 私は⁉ 私はどうすればいいの⁉ ねぇ細谷君! 細谷君‼」
桃にぐいぐいと押されながら、リアは叫んでいた。
バタンと扉が閉まり、誰もいなくなる。
……まったく。いつまで経ってもあいつは成長しないな。
いつ変身すればいいのか分からないヒーローなんて、聞いたことがない。
さて、とオレは思った。
爆発した時の様子から見て、おそらくあれは爆弾ではなく、催涙弾の類だろう。
殺す気はないが、決行の日を迎えるまでの間も、死の恐怖で震え上がらせたいのだ。
完全に怨恨目的だな。
おそらく、あいつの活動で何らかの被害を被ったんだろう。
市民マラソンの背景も、おそらくどこかで掴んでいるな。
オレは、外で飛行する翼の生えたランスを見つめた。
撤退を迷っているのは、米原を恐怖させるのに失敗したからか?
それとも、手りゅう弾に対する反応から、オレがシャドウかもしれないと思っているからか?
……まあ、どっちでもいいか。
ここで殺せば、オレがランスだということは、嫌でも墓場まで持ち帰ってくれるだろう。
オレが頬を緩め、外へと飛び出そうと足に力を入れた時だった。
バンと、突然ドアが開いた。
そこにいたのは、三十代ほどの男だった。
鋭い目をした人相でタバコをくわえている様子は、どう見てもカタギではない。
何よりも、腰に差している刀が、この男の異常性を表していた。
男は煙を吐き出し、タバコをぴんと指で弾いて床に捨てる。
その一瞬の間に、男は懐から拳銃を取り出し、構えた。
ダァン‼
発射された弾丸は、ランスの羽根に命中した。
ランスは一気にバランスを崩した。
死にかかった蚊のように、ゆらゆらと宙を舞いながら地面へと落ちていく。
グシャ
ランスは頭から地面に激突し、その場で動かなくなった。
「せっかく致命傷は避けてやったってのに、使えねえ奴だ」
男は窓からランスの死体を覗き、笑みを浮かべた。
「ゆっくりとなぶり殺してやろうと思ってたのにな」
オレはぞくりとした。
その尋常ならざる殺気が、明確に語っている。
こいつは強い。
ランス闘争時代、オレが唯一本気を出して戦った、あのヒーローに匹敵するレベルだ。
ふと気付いた時、じっと男はオレを睨んでいた。
まずい。条件反射で何か反応してしまったか?
「……てめえ」
「刑事さん! ランスはちゃんと殺したの⁉」
米原が部屋に入って来るなり、そう言った。
こいつ、刑事なのか。
なら迂闊に民間人がランスだとばらすことはないだろう。九死に一生を得たな。
遅れて、部員達もオレのところへ駆け寄って来た。
「細谷君! 大丈夫だった⁉ 君だけ避難してないことに気付いた時はびっくりしたよ」
オレは新の言葉に適当に返事をしながら、刑事の方を見つめていた。
奴はこちらを見ていないが、聞き耳をたてているのは間違いない。
「ちゃんと答えて! 殺したんでしょうね⁉」
「……不可抗力だがな。逃げられると厄介だったんで羽根を撃ったんだが、落下した時の打ちどころが悪かった。たぶん即死だな、ありゃ。すぐに部下に確認させるが、期待はしないほうがいい」
あまりに淡々と、刑事は語っていた。
このご時世、刑事とはいえランスを殺すことには重要な意味を持つ。
刑事だろうと正当防衛だろうと、状況次第では社会的制裁を受けかねない。
だというのに、この刑事はまるで他人事だった。
「それより、状況を確認させてもらうぜ。あんたらはこの部屋で話をしていた。その時突然ランスに襲われて、廊下へ逃げ込んだ。……で? てめえはどうして一人この部屋に?」
刑事がオレを見る目は、高校生に向けるものじゃなかった。
明らかに、敵と認識している目だ。
確かにランスであることは嗅ぎつけられたかもしれない。しかしだからといって、オレが何らかの犯罪にかかわっていると考えるのはあまりに早計だ。
刑事の勘ってやつか? だとしたら、うそ発見器なんかよりよほど性能が高い。
「相手の顔を確認した方が良いかと思いまして」
「殺されるとは思わなかったってのか?」
「あの男はこの部屋に爆弾を投げ込んできました。たまたま僕のすぐ近くに投げ込まれたので、外へ投げ返すことができたんですが、その時の爆発の仕方から、おそらく催涙弾の類だろうと。殺す気がないのなら、顔を見ておいて損はないと判断しました」
「なるほどね」
適当に返事をしていることは、なんとなく分かった。
「じゃあ刑事さん。スカルラビットは死んだんですね? もう命を狙われる心配はないということですね?」
「そう慌てんなよ」
じろりと、刑事はオレを睨んだ。
「てめえはどう思うんだ?」
「何故僕に聞くんです?」
「さあな。なんとなくだ」
一体どこまで分かってるんだ?
……くそ。腹の内が読めないな。
「……十中八九違うでしょう。スカルラビットは自分達を悪の組織と称した。ボスがこんな雑用をこなすとは思えない」
「的確だな。高校生とは思えない」
……本当に何なんだこいつ。
恐ろしく勘が良い。
「おじさん、子供だからって馬鹿にしてませんか? それくらい私だって思いつきますよ~」
桃が頬を膨らませながら言った。
じろりと、刑事は桃を睨み、彼女は竦み上がった。
馬鹿。オレを庇うためだったんだろうが、こいつの前では下手なことは匂わせるな。
「……あはは~。ちょ、ちょっと見栄を張っちゃいましたかね」
「もう。桃ちゃん、刑事さんの仕事を邪魔しちゃダメだよ」
新はぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい。好奇心旺盛な子なんで、ちょっと興奮してるんです」
刑事は新を見下ろすも、その目に先ほどまでの敵意はない。
ランスを見抜けるのか? ……いや、仮にそうだとしても、さすがにそこまで精度の高いものではないはずだ。
「……まあいい。あんたらには二三聞きたいことがある。少し付き合ってもらうぜ」
オレ達は軽い取り調べを受けることになった。
長期間の拘束も覚悟していたが、意外なことに、オレ達はすぐに解放された。
シャドウのことについても、もっと詳しく聞かれるかと思っていたが、この男には興味のない話題だったらしい。こっちが話す意欲を見せても、すぐに打ち切られたくらいだ。
去り際、刑事はオレ達に名刺を渡した。
「俺の名は鴻野義之(こうの よしゆき)。何か思い出したら連絡してくれ」
オレはそれを聞いて思い出した。
ランス闘争終結の引き金となったオレとヒーローとの最後の戦い。
あの戦いで死んだあの女の亡骸を、ただ一人抱きかかえていた若い男の姿を。
『覚えとけ、不滅の魔王。お前がどこに隠れようと、俺が必ず見つけ出してお前を殺す。俺の名前は鴻野義之。お前が死ぬまで食らいついて離さない、呪いの名前だ』
あの目を、オレは今でも覚えている。
まるで地獄の底に続いているかのような、怒りに燃える目。
たとえどれほどの月日が流れようと、決して衰えることはないだろうと、骨の髄から感じたものだ。
そして、それは事実だった。
今日相対したあいつの様子を見て、それを確信した。
「……あいつの教え子か」
あいつの後釜を育成している最中に、あいつの教え子に出会うとは。
とんだ皮肉だな。
オレ達は米原から事件の詳細や市民マラソンのスケジュールなどを聞き出すと、シャドウと連絡を取ることを約束し、染耶の車へ戻った。
あれだけの事件があったにもかかわらず、染耶は運転席で昼寝していた。
「ああ、みんなおはよう。課外活動は順調だったみたいだね。そういえば、何かが爆発したような音が聞こえたけど、大丈夫だった?」
その呑気な言葉には、全員呆れるしかなかった。
◇◇◇
「ふぎいいいいい‼」
トレーニングルームの真ん中で、リアは巨大な重りを背中に乗せ、汗だくになりながら腕立て伏せをしていた。
オレは聞き苦しいBGMを背景に、近くの椅子で読書を楽しんでいる。
「んぐうううう‼ ……ふぅ」
ちらと、リアに目をやる。
オレが見ていないと思ったのだろう。
リアは至福の微笑みを浮かべながら、肘をついて休憩している。
オレは手に持っていた鞭でリアの尻を叩いた。
「はうっ!」
バランスを崩し、リアは背中の重りに潰された。
「ぐえっ!」
リアは地面に這いつくばり、ぴくぴくと痙攣している。
「根性が足りねえな。そんなんでスカルラビットに勝てると思ってるのか?」
「うぅ……分かってるよぉ」
改めて、腕立て伏せを開始する。
休憩しようとしたわりに、余裕そうだ。
次は重さを倍にするか。
「でもさ。なんでそんなにスカルラビットにこだわるの? 目の前で誰かを人質に取られてるとかならまだしも、狙う相手すら向こうは言ってないわけだし、知りませんでしたって言って無視すればいいじゃん」
「……未だに悪の組織なるものが存在するなら、さっさと潰すに越したことはない。どんな雑魚でも野ざらしにしておけば徒党を組み、それなりの脅威になるからな」
「未だにって、昔から存在してるの?」
「ランス闘争の引き金を引いた組織だ。ボスの引退と共に解体されたけどな。それくらい勉強しとけ。常識だぞ」
ふと、スマホの着信音が鳴った。
「少し席を外す。サボらずに今日のメニュー、やっとけよ」
「えぇ~? 一人じゃやだよぉ……」
オレは無視して部屋を出た。
電話の相手はアゲハだった。
『言われた通りお調べしました。鴻野義之警部、33歳。現在は警視庁刑事部捜査一課、ランス対策係に所属。ランスが暴れた時の鎮圧が主な仕事のようですね』
「人間なのか?」
『おそらくは。でもかなり強いです。ランス迎撃用の特別な武器を持たされていて、身体能力も並みのランスを軽く超えています。悪の組織なら、即刻大幹部に昇進するような傑物ですね』
当時はそれほどの力は感じなかった。
おそらくこの15年間、血のにじむような努力をしてきたんだろう。爪の垢を煎じてリアに飲ませてやりたい。
「組織のブラックリストに入ってなかったのか?」
『それがですね。今まで悪の組織に歯向かったり、何らかの反政府運動を行ったことはないみたいなんです。どれだけ強くても公僕ですし、ランス党が第一党になった以上は仕方ないことでしょうが』
「もしくは、狙いが一人だけとかな」
『え?』
電話越しに、アゲハの困惑した顔が容易に想像できた。
「なんでもねえよ。それより本題に入るぞ。スカルラビットの件についてだ」
『……はい』
アゲハの声から、幾ばくかの緊張が感じ取れた。
「単刀直入に聞く。お前らじゃないよな?」
『めめ、滅相もありません! あんなこと、ボスの許しも得ずにやろうはずがありません!』
「ふんっ。どうだかな。どこかで聞いたようなご高説を語っていたことだし」
『……中曽根様の思想は何も特別なものではありません。むしろ、今のランス達の総意と言っても過言ではありません』
「これだけ好き勝手にできる世の中にしてやったのに、まだ足りないってのか?」
『その通りです、ボス』
断言するアゲハに、思わずオレは黙った。
『ボスは現場から離れておりますから、実感できないのも無理からぬことかもしれません。けれどこの感情は、事実上ランスが世を支配した今でも、徐々に燃え広がっているものです』
アゲハの口調は淡々としている。
しかしその喋り方が逆に、自身の感情を押し殺しているかのようにも聞こえた。
『ランス闘争での敗北は、人間の敗北ではありません。国と、民を守ろうとした一人のヒーローの敗北です。彼らは負けたなどとは欠片も思っておりません。だからこそ、米原みゆきのような人間が未だに現れ、メディアを通し、人間の尊厳を訴えるのです』
悪の組織が悪を捨て、人間の価値観に合わせて国のトップに立ったのは、不毛な闘争を終わらせるためだった。
その判断自体は間違っていないと今でも思っている。しかしその結果、闘争の結果自体がうやむやになってしまった。
「ボス、あなたの手腕は誰もが認めるところでございます。戦闘も政治も、あなたに敵う者はおりません。しかし、あなたは優し過ぎたのです。そして人間共は、その優しさに付け込み過ぎたのです』
「……奴らは悪の組織を勝手に標榜している」
『はい。完全な粛清対象です。しかしそれは、米原みゆきが死んでからでも遅くはありません。それが我々の総意です』
オレは鼻で笑った。
「我々、か。言うようになったじゃねえか」
『お気を害してしまったのなら申し訳ありません』
「別に。むしろようやく自立してくれたかとほっとしてるくらいだ。お前らが好きにやるなら、オレもオレで好きにやらせてもらう」
オレは電話を切った。
壁にもたれかかり、小さく息をつく。
しばらく考えに耽っていると、リアがトレーニングルームから出てきた。
「言われてたメニュー、全部こなしたよ~」
汗を拭いながら、無邪気な子犬のように駆け寄って来る。
「おう」
オレは小さく返事をした。
「……どうかしたの? なんかショック受けてるみたいだけど」
ショックか。
確かにそうかもしれない。
他でもないアゲハの口からああいうことが告げられたのは、自分が思っていた以上に衝撃的だったのだろう。
「……どうして悪は悪の組織を名乗ると思う?」
「え? どうしてって……かっこいいから?」
「自分を悪と称する人間はいない。どんな大悪党も、自分を正当化して生きてる。オレは悪くない、悪党の何が悪い。そんなことをのたまってな。……きっとあれは、一種の保険だったのさ。オレ達は悪。悪として活動し、悪として国を牛耳る。その大きな自己否定が、本当に犯しちゃいけない過ちの歯止めになることを、きっと願っていたんだ」
リアは話を理解しているのかいないのか、目をぱちくりさせていた。
「人の想いってのは強力だ。うまく舵を切ることができれば、世界を変えることさえできる。だがほんの少し道が逸れれば、狂気に真っ逆さま。スカルラビットが良い例だ」
オレは天井を見上げた。
まるで、そこに過去の出来事が映像として映し出されているかのように。
「あの時代、正義を騙っている奴はごまんといた。その中で、偏らなかった奴は一人だけだ」
オレは苦笑した。
きょとんとした様子でオレを見つめているリアの頭に、ぽんと手を置く。
「覚えとけ、リア。悪を標榜するのはまともな奴さ。何故ならヒトは、正義の名のもとに、どんなことだってできるからだ。正義という皮を被った時、ヒトは化け物になるんだよ」
その言葉が、この小さなヒーローの卵にどれだけ響いたのかは分からない。
しかしいつか、きっと思い知る時がくるだろう。
その時、彼女がどんな行動を取るかは分からない。
しかし願えるのなら、リアには正しい道を歩んでほしいと、オレは心から思った。
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