第二次ランス闘争
第1話
最近、リアの様子がおかしい。
いつもはパーソナルスペースなんて存在しないかのようにくっついてくるのに、地底人との一戦以来、一切オレに触れてこなくなったのだ。
ようやくこいつも親離れならぬオレ様離れができたかと喜んでいたのだが、どうやらそれだけではないらしい。
風呂上がりに下着姿で歩いていると烈火の如く怒られるし、自分の下着は自分で洗うようになったし、少し近づいただけでここぞとばかりに距離を取ろうとする。
気付いたらこちらを見ているし、何か用かと聞けば、ぶっきらぼうに何でもないと答えてくる。
とにかく四六時中そわそわしていて、ろくにコミュニケーションもとれない始末だ。
年頃の娘には、反抗期というものがあるらしい。
父親のことがとにかく嫌いで、ろくに口もきかなくなり、洗濯も別々にしたがるのだそうだ。
もしもこの現象がそれに該当するのなら、この先やっていける気がしない。
「おいリア。今日オレはやることがあるから、一緒に寝るなら先に寝といてくれ」
「へ、変態‼」
みぞおちを殴り、オレが悶絶している間に駆けていく。
こんなことが日常的に行われるようになってきた。
これなら、まだ何かと理由をつけてくっついてきた時の方が幾分(いくぶん)とマシだ。
◇◇◇
学校の授業中も、どうやってリアの反抗期を対処しようかということで頭がいっぱいだった。
オレ様としたことが、教師に指を差されたことにも気がつかない始末だ。
授業が終わり、日直の用事を片付けてから、オレは部室へと向かった。
ああでもない、こうでもないと頭の中でシミュレーションを繰り広げながら、目的の場所へ到着し、部室の扉に手を掛けた時だった。
「ダメです‼」
突然、桃のそんな声が聞こえてきた。
「どうしてダメなの⁉ 別にいいじゃん! 伝えるだけなんだから‼」
「とにかく、ダメなものはダメです!」
「そんなの理由にならないよ!」
どうやら、桃とリアが言い争っているらしい。
非常に珍しいことだ。
リアは我が強いが言い争いになる前に矛を収めるタイプだし、桃はやんちゃなようで空気には敏感で、状況によって柔軟に対応する地頭もある。
この二人がぶつかるなんて、まずないことだ。
「そうだよ、桃ちゃん。どうしてそんなにダメなの? 僕はお似合いだと思うけどな」
「そ、それは……」
桃が言い淀んでいる。
何について話しているのか知らないが、あの二人に言い負かされるようなことがあれば諜報部脱退も免れない失態だ。
「……わかった。本当は桃ちゃんが言ってほしくないだけなんでしょ」
「え⁉ そうなの?」
新が、どこか期待するように声を弾ませた。
「ちち、違いますよ! そんなわけないじゃないですか‼」
「動揺してる。……あやしい」
「ほ、本当ですって!」
「じゃあ嫌いな理由言って」
リアの声には険があった。
「嫌いでもないんですけど……。ええと、そうですね。一緒にいると緊張するじゃないですか。それにジェネレーションギャップも感じるし」
「どうして緊張するの? それってドキドキしてるってことじゃないの?」
「だって上司……じゃなくて、ええと……気、気が休まらないじゃないですか! ほら、いつも偉そうだし」
気が休まらなくて偉そう、か。
誰のことを言っているのか知らないが、部下にそんな風に評価されているようではまだまだだな。きっとアゲハのことだろう。
「ジェネレーションギャップ?」
「ええと! ええと! そ、そう感じるくらい価値観が違うってことです!」
「ふーん。じゃあ桃ちゃんは、偉そうにしなくて、一緒にいても緊張しないで、価値観も似てる人が良いってこと?」
「そうです! その通りです‼」
「新君みたいな?」
「え?」
「え?」
微妙な緊張感を持った沈黙が流れる。
それを断ち切るように、新が口を開いた。
「あははは。そんなこと言ったら桃ちゃんに失礼だよ」
「そこ、笑うところですか?」
「え……」
妙な人間関係が見えてきたところで、オレは部室に入った。
「騒ぐのはいいが、周りの目くらい気にしろよ」
全員の視線がオレに集中する。
まるで持ち込み禁止の物で遊んでいたところを、教師に見つかったような雰囲気だ。
「……聞いてたんですか?」
「まあな」
途端、リアの顔が真っ赤になった。
「わ、私飲み物買って来る‼」
そう言って、リアは部屋を飛び出して行った。
「なんだあいつ?」
「聞いてたって、どのくらい聞いてたんですか?」
「お前がリアにダメ出ししてたところくらいだ。ところで何がダメなんだ?」
オレがそう聞くと、二人は見るからに安堵していた。
首を傾げていると、突然新が不自然に声をかけてきた。
「あ、ああ~、そうだった。前に細谷君に言われてたヒーロー研究部の総括のことだけど、新聞部と交渉して1ページ丸々載せてくれるようになったんだ。そのことについてみんなで話し合いたいんだけど……細谷君。悪いけど、日隠さんを呼んできてくれない?」
「お前が行けよ。面倒くせえ」
「どういう記事にするかも考えてきたから、そのプレゼンの用意がしたいんだ」
「じゃあ桃に──」
「桃ちゃんにも協力してもらうんだ」
何が面白いのか、新はにこにこと笑っている。
オレは舌打ちした。
「仕方ねえな」
オレが部室を出ようとすると、桃がオレの胸倉を掴み、ぐいと引き寄せて耳打ちした。
「以前言っていたこと、本当ですよね?」
「あぁ? 何がだよ」
「相手は高校生ですからね。ちゃんと傷つかないように考えて断ってくださいよ」
「だから何がだよ」
肝心なことは何も言わず、桃はオレを離すと、にこにこ笑いながら手を振っていた。
◇◇◇
リアを見つけたのは、校庭にある一本の大きな木の側だった。
日陰に座り、ぼーっとしながら空を見上げている。
あいつに相応しいアホ面だ。
「リア」
リアはオレの方を向き、ぎょっとしたかと思うと、座ったまま、そそくさと背を向けた。
オレはむっとした。
「この前から、一体何なんだよ。言いたいことがあるなら言え」
「べ、別に? 言いたいことなんてないよ」
「嘘つけ。明らかにオレを避けてるだろ」
彼女は喋らない。
オレはため息をついた。
こんな不毛なやり取りをしていても、何の解決にもならない。
「……男と二人きりで暮らすのが、そんなに嫌になったか?」
「え?」
「まあ、そう考えるのは自然だ。最初は一蹴したが、もうお前もそれくらいの自立心を持っても良い頃だろ。どこか適当な物件を探してやるから、二人で暮らすのは今後止めて──」
リアが凄い速さで駆け寄り、オレの袖を握った。
「やだ。そんなのやだ!」
「やだって……、オレと暮らすのに嫌気がさしてたんじゃないのか?」
「違うよ! 全然違う! むしろ逆だよ。ずっと……一緒にいれればいいなって……そう思い始めたら、止まらなくなって。それで、なんか恥ずかしくなったというか……」
リアは俯き、ごにょごにょとつぶやいた。
最後の方は、何を言っているのか聞き取れなかったほどだ。
「……じゃあ、オレが嫌いになったとかではないのか?」
「そんなの一度もないよ」
「加齢臭がするとかは?」
「え? するの?」
どうやら、リアはそんなこと、考えたこともないらしかった。
オレはまじまじとリアを見つめる。
恥ずかしがって視線を逸らしているが、どうやら嘘をついているわけでもないらしい。
オレは思わず笑い、くしゃくしゃとリアの頭を撫でた。
「なんだよ、そうなのかよ! それならそうと早く言えよ!」
オレはリアの肩を組んだ。
「ちょっ! ちち、近いって!」
引き離そうとぐいぐい力をいれているが、本気ではないことはなんとなく分かった。
嫌がっているわけではない。そう確信するだけで、思わずにやけてしまう。
「あー、よかった。お前に嫌われたのかと思ってたよ」
「え……? それって、き、嫌われたくなかった……ってこと?」
「当たり前だろ。ずっと一緒にいるんだし」
オレは組んでいた腕を外し、リアの鼻を優しく摘まんだ。
「これからはこういうことするなよ」
オレは自分でも意外なほどに、気分が高揚していた。
リアの言葉にこれほど安堵するとは思わなかったし、安堵してから初めて、自分がそれほどまでに、リアに嫌われたくなかったのだと分かったほどだった。
「ていうかお前、あれだろ? 一緒にいたいって、家事とか面倒くせえことをオレにずっとやらせようって魂胆──」
「好き」
だからオレは、リアからその一言が出てくるのを、まったく予想していなかった。
リアがオレを父親として見ていたように、オレもリアを娘としてしか見ていなかった。
だから、こんな単純なことを見落としていた。
……いや、もしかしたら、ただ理解したくなかっただけなのかもしれない。
悪の組織のボスとヒーロー。
この危うい関係性が保っていられる分水嶺(ぶんすいれい)を、とっくの昔に超えてしまっていたということを。
「私、細谷君のことが好き」
今までの喜びが、嘘のように消えていく。
代わりに現れたのは、非常にドライな、現実を知る自分だった。
「あの。こ、これ。一応、ラブレターも書いたの」
リアが慌ててラブレターを取りだした。
オレはそれを無視し、敢えてリアから視線を外して立っていた。
「何故言った?」
オレは冷ややかな声で言った。
「え? あ、ええと……ただ、ちゃんと伝えたかったというか。お、思わずこぼれ出てしまったというか。それで……。あ、あのね! 無理に返事はしなくていいの。本当に、伝えたかっただけだから──」
「お前はどこまで馬鹿なんだ」
「……え?」
色々な言葉が出かかった。
リアを気遣うような言葉。現実を突きつける言葉。クラスの連中にするように、さりげなく回避する言葉。
しかしその中でオレが選んだのは、リアを最も傷つける言葉だった。
「お前は自分の立場を忘れている。お前はオレのおもちゃだ。それ以上でも以下でもない。ただの餌付けを好意と勘違いするなんて、本当にお前は度し難いな」
「……餌付け? さっき、私に言ってくれた言葉も?」
「みなまで言わせるな」
「私と一緒に寝てくれたことも? ずっと私を勇気づけてくれたことも? 何かあったら、すぐにでも駆けつけるって言ってくれたことも?」
リアの声に、泣き声や、鼻をすするような音が、徐々に含まれていく。
胸が抉られるような痛みに耐えて、オレは口を開いた。
「そうだ。全部嘘だ。ようやく自分の間抜けさが分かったか?」
オレはリアの手からラブレターをひったくる。
指に力をいれるも、一瞬だけ躊躇する。しかしオレは迷いを振り払い、それを破り捨てた。
その時、初めてオレは、リアを目の前から見つめた。
彼女の目から、ぼろぼろと涙がこぼれ、オレを睨みつけていた。
大きく振りかぶる手を、オレは避けようとしなかった。
バチィン!
小気味良い音が響き渡り、じんじんと頬が熱く痛みだす。
「細谷君なんてもう知らない‼」
リアはその場から走り去って行った。
経験上、痛みには慣れている。意識を集中させれば、痛覚をある程度麻痺させることも可能だ。だがこの痛みだけは、なかなか消えてくれなかった。
オレは破り捨てた手紙を見下ろし、風に飛ばされる前にそれを拾い集めた。
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