第10話
オレはゆっくりと立ち上がり、カエル男を睨んだ。
奴は、アゲハを裸絞めにし、それを見せつけるように腕に力をいれた。
「ぐっ」
「アゲハ‼」
「おっと、どちらも妙な動きはするなよ。大事な人質といえど、手元が狂っちまうことはあるからな」
そう言って、カエル男は笑った。
「何が目的だ?」
「俺の雇い主は中曽根で、仕事は爆弾を爆破させることだ。なら、ここで終わらせるわけにはいかないさ」
カエル男はアゲハを人質に取ったまま、オレから距離をとった。
「どうした腑抜け野郎。オレがそんなに怖いかよ」
「ああ、怖いね。二度も確実に仕留めたと思ったのに、アンタは生きていた。もはや俺の経験則は何一つ当てはまらない。そんな相手には、近づかないのが一番良い」
ゆっくりと、カエル男はスーツケースに近づいていく。
オレは奴の死角で拳を開閉し、身体の調子を確かめた。
まだ体力は十分じゃない。
アゲハを救出できるまで回復するには、もう少し時間がかかる。
「動くなよ。まだ俺を殺せるほど回復しちゃいないだろ?」
面倒なことに、オレの考えていることもある程度把握されているらしい。
腐ってもこの道のプロというわけだ。
オレは何もできず、奴がスーツケースに入った筒状の爆弾を取り出すのを見守った。
「さて、じゃあこれを起動させたらオレの勝ちかな?」
「待って! それは中性子爆弾よ! 爆発させたらあなたも死ぬわ‼」
「はあ? じゃあどうしてお前は爆発させようとしたんだよ。嘘つくならもう少しマシな嘘をつきな」
そんなやり取りに、一瞬だけカエル男の集中が途切れる。
その刹那。
オレは奴の懐に入り込んだ。
「ひっ⁉」
隙だらけだ。
奴に手を伸ばそうとするが、ズキリと身体が痛む。
ダメだ。暗殺は失敗する。
瞬時に目的を変更し、オレは奴の持っていた爆弾を盗みとり、距離をとった。
「ふぅ……死んだかと思ったぜ」
カエル男は額の汗を拭った。
「殺してやれればよかったんだがな」
オレの殺気に怯え竦み、カエル男はアゲハの影に隠れた。
こうも隠れられたら、アゲハの救出はさすがに難しくなってくる。
オレはため息をついて戦闘態勢を解いた。
「……仕方ねえ。交換といこうぜ。これを爆破させればお前の目的は達成するんだろ? 人間なんて、鼻から興味はねえからな。今からこの爆弾を地面に叩きつける。だからアゲハを離せ」
この手の駆け引きは得意な方だった。
集中力と持続力とわずかな機転が勝機を作る極限状態を、オレは何度も経験している。
そしていつだって、その勝負に勝ってきた。
「嬉しい提案だがその必要はない」
「あぁ?」
その時、初めてオレは爆弾を見た。
爆弾の中央に埋め込まれたタイマーが作動していた。
60秒からスタートしたそれは、既に50秒を切っている。
「なるほどな」
オレは爆弾を持ち上げながら言った。
「残念だったなぁ。得意の駆け引きに持ち込めなくて」
オレは落ち着いていた。
この状況から完全勝利する道のりを描き出し、一つの結論に辿り着く。
それを達成するためにどうするか。冷静に思考を巡らせていた。
「じゃあ終わりだな。憂さ晴らしにこの数十秒、お前に地獄を味わわさせてもらう」
「へ?」
オレは腕輪を掴み、思い切り引っ張った。
ミシミシと音がしていたかと思うと、やがて引き千切れ、粉々に砕け散った。
オレはカエル男を睨んだ。
「ま、待て! この女を殺すぞ⁉」
「やれよ。オレはアゲハの言葉を信じてる。これは中性子爆弾だ。どうせ死ぬなら、お前がアゲハを殺したところで、大して変わらない」
オレはゆっくりとカエル男の方へ歩いた。
「トドメは爆弾にくれてやるが、楽に死ねると思うなよ」
強化細胞がオレの腕を包み込む。
それを見て、カエル男はごくりと唾を飲み込んだ。
一歩、また一歩と足を踏み込む度に、カエル男は汗を噴き出し、呼吸を乱す。
荒くなった呼吸が臨界点を突破した時、奴は叫んだ。
「う、うわあああ‼」
カエル男の手の平に、球状の黒い塊が現れた。
それをアゲハに押し付けようと、手を振り下ろす。
「それを待っていた‼」
瞬時に距離を詰め、カエル男の手首を蹴り上げる。
全てを吸い込まんとするダークマターに、オレは爆弾を放り込んだ。
「このオレ様に歯向かおうなんざ、百万年早いんだよ‼」
オレは思い切りカエル男の顔面を殴りつけた。
固いものがひしゃげる感触を十分に堪能し、地面に叩きつける。
ボールのようにバウンドして宙を舞い、カエル男は受け身も取れずに仰向けに倒れた。
オレは小さく息をつき、勝利の余韻を噛みしめた。
「お前にしては、ずいぶんと大人しかったな」
解放されたアゲハは、首を擦りながら微笑んだ。
「当たり前ですよ。絶対に助けてくれると信じてましたから」
いつの間にやら、アゲハは敬語に戻っていた。
オレは鼻で笑った。
「ぐ‥‥ふふ、ふ」
ふいに、歪な笑い声が聞こえてきた。
大きく歪んだ顔で、カエル男は笑っていた。
「どうした? 死にたかったのなら、もう少し先に言って欲しかったが」
「そうだ、な」
オレは眉をひそめた。
自死を選ぶ奴というのを、オレは何人も見てきた。だから本気で自分の命を諦めた奴はすぐに分かる。
カエル男は、既に自分を諦めていた。
「お前……」
「失敗した奴が生きる場所は、裏の世界には、ない。ならせめて、最後に、華を咲かせないと、な」
オレはハッとした。
周囲に撒き散らされていたアゲハの鱗粉が、少しずつカエル男の方に引き寄せられている。
コードDの能力者は、媒体がないと能力を発動できない。
しかし、自分の身体を媒体にしていれば話は別だ。
「先に言っとくが、お前の能力は遅すぎる。こいつを抱えて逃げるくらい余裕でできるぞ。バカな真似はよせ」
「ヒヒヒ! 声色が変わったな。気付いてるんだろ? 俺がやろうとしている、人生最後の大花火をさぁ‼」
オレは即座に踵を返し、アゲハを抱え込んだ。
カエル男は、持っていたライターに火をつける。
その火は鱗粉に燃え移り、鱗粉から鱗粉へ、爆発するような早さで、一気に燃え広がった。
粉塵爆発だ。
しかもただの爆発じゃない。先程の戦闘でコンテナから漏れ出ていた火薬が、一斉に引火したのだ。
その瞬間、基地を揺るがすほどの大爆発が巻き起こった。
◇◇◇
スクランブル交差点で繰り広げられる戦いは、私達にとって圧倒的に有利なはずだった。
何十人といるランスがまとまり、一人のランスを相手にしているのだ。
これで勝てないはずがない。
けれど──
「おおおおお‼」
私は何度目かもわからない突撃を繰り出した。
それに呼応して、味方のランス達も攻撃を仕掛ける。
「無駄だぁ‼」
中曽根は、それを半回転身体をひねるだけで、全て吹き飛ばした。
建物に直撃する瞬間にコウモリになり、再び戦線に復帰する。
自分のダメージは最小限に抑えながら戦っているが、既に味方のランスは全員倒れ、そして中曽根は無傷だった。
「ダメだ……。こんなの勝てるわけねぇ」
仲間から聞こえてくる声に、私は歯噛みした。
強過ぎる。
こんなの反則だ。
同じランスだとは、到底思えない。
「良い感じに染まってきたな。それが絶望の色だ」
中曽根が、ゆっくりとこちらに歩いて来る。
相手の身体が、何倍も大きく感じる。
私は深呼吸した。
無駄に身体が力んでいる。
肩の力を抜いて、軽くストレッチする。
自分の状況を客観視してから、再び敵を確認した。
あれだけ大きく見えていた身体が、今までと同じくらいにまで縮んでいる。
「落ち着いたかね?」
「おかげさまで。待っててくれたことには感謝するけど、きっと後悔するよ」
「馬鹿め。全力の貴様をへし折って、人々を絶望させるのが狙いだということが分からんか? 希望はヒトを弱くする。先の戦いで実践済みだ」
「そうかな。使い方次第だよ」
私は大きく息を吸った。
「はあああ‼」
渾身の力を振り絞り、全力で拳を放った。
ぱしりと、中曽根が手の平で受け止める。
まるで子供がキャッチボールでもするかのようだ。
私はその場で跳躍し、顔面に回転蹴りをお見舞いする。
中曽根は、首を曲げるだけでそれを避けた。
「おおおお‼」
どれだけ簡単にいなされようと、どれだけ無造作に止められようと、私は攻撃をやめなかった。
既に体力は尽きている。
息があがり、まともに思考もできていない。
それでも猛攻を絶やすことはなかった。
私の戦いを、全てのヒトが見ている。
その視線だけは、ずっと背中で感じていた。
「下らん」
闘牛士のように私の拳を避けた中曽根は、軽く首に手刀をいれた。
「がっ‼」
ぐわんと視界が回り、私は地面に倒れた。
身体が痙攣し、まともに立つこともできない。
私は嘔吐した。
目が回って、どこが地面でどこが空なのかも、うまく判別できなかった。
「終わりだ。敗北するヒーローなど、もはやヒーローなどではない。これで完全に、希望は潰えた‼」
中曽根の高笑いが聞こえる。
みんなの嘆きや、すすり泣きが聞こえる。
もはや感覚なんて残ってない。
それでも、私はもがいた。
足がもつれて倒れても、無様に地面に這いつくばっても、なんとか立ち上がろうともがいた。
「がんばれ‼ シャドウ‼」
声援が聞こえる。
私は歯を食いしばり、腕に力をいれた。
「そうだ‼ あと少しだ‼」
「立って! シャドウ‼」
身体を起こし、がくがくと震える膝を押さえつける。
私は、なんとか立ち上がった。
霞む視界で、中曽根を捉える。
「……貴様。何故そこまでして立ち上がる。もはや一分の勝機もないというのに」
「ヒーローは、負けちゃいけないんじゃない。折れちゃいけないんだ。諦めなければ、きっと伝わる。泥臭くもがいていれば、希望は繋がる!」
しかし、立つのが限界だった。
もはや一歩も動けない。
中曽根は、そんな私を見て鼻で笑った。
「いいだろう。では貴様を華々しく散らすことで、完全なる希望の消滅を見せつけてやろうじゃないか」
中曽根が私の側に近づき、ごきりと指を鳴らした。
人生最後の時。
私が思い出すのは、やっぱり細谷君だった。
生きてるように死んでいた私を、蘇らせてくれた。
世界に希望があることを教えてくれた。
父親よりも父親らしく、大きな背中を見せてくれた。
いっぱいいっぱい、助けてもらった。
結局、私が細谷君のためにしてあげられたことは何もなかったけど、今日こうして立ち上がれたことは、たぶん、きっと、細谷君も褒めてくれるだろう。
中曽根が、大きく腕をあげた。
日の光を遮る影が、私に降りかかる。
でも、なんでだろう。
全然怖くない。
図々しいのは分かってる。それでも私は、心のどこかで期待していた。
『大丈夫だ。本当にお前が危なくなったら──』
「さよならだ。ヒーロー」
空を切り、巨大な腕が振り下ろされる。
『オレ様が誰よりも早く、お前を助けに行ってやる』
自分の命を絶つ一撃を呆然と見ながら、私はつぶやいた。
「……細谷君」
その瞬間、中曽根が吹き飛んだ。
一瞬遅れて、誰かに殴られたのだと分かった。
「呼んだか?」
私は目を見開いた。
目の前には細谷君がいた。
身体はボロボロで、大量の汗を流している。
息を切らしてその場に立つ彼を見ていると、とめどなく涙があふれてきた。
「遅いよ」
「来てやっただけ感謝しろ」
仏頂面。冷たい言葉。
それでも、いつもその行動で、私を温めてくれた。
私はぽろぽろと涙をこぼしながら、感謝の気持ちを込めて笑みを浮かべた。
いつも颯爽と現れて助けてくれる、私のヒーローに。
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