第8話
オレがメインルームへ戻ると、リアは身体が反転した状態で、ほっと息をついていた。
あまりに情けない恰好に見ていられず、オレは彼女を抱き起こしてやった。
「わあっ‼」
いきなり顔面を殴られた。
「なにしやがる‼」
「だってびっくりしたから‼」
彼女はオレと距離を取り、ガードするように身体を両手で包み込んでいる。
オレは舌打ちした。
「添い寝までしてやったっていうのに、この程度でびっくりするな」
彼女は顔を真っ赤にして俯いた。
どうやらこいつも、相応の羞恥心というものを覚えたらしい。
「もう用事は済んだ。さっさとここを出るぞ」
「う、うん」
オレが歩くと、リアは少し離れてから慌てて歩き出した。
そんなに近づきたくないのか。
オレはこっそりと自分の身体を臭った。
大丈夫。加齢臭はしていない。……たぶん。
筒の中から外へ出ようという時、オレは気配を感じて、ぴたりと止まった。
「リア。先に行け。奥に稼働している掘削機があるから、それに乗ればいい」
「? うん」
リアは怪訝な顔をしながらも、言われた通り先に外へ出た。
「……レッド隊長」
リアがそうつぶやく。
レッド隊長は既に目を覚まし、壁にもたれかかるようにして座っていた。
オレは隠れて、二人のやりとりを見守っていた。
「どうやら止めたらしいな」
リアは黙っている。
「今回は失敗したかもしれんが、次もそうなるとは限らん。地中から魔の手が迫ることに恐怖しながら、せいぜいつかの間の平和を満喫するがいい」
リアはぽりぽりと頬をかき、手を差し出した。
「ん」
どうやらリアは、レッド隊長が起きるのを手伝おうとしているらしい。
この場で殺されることすら覚悟していたレッド隊長は、その予想外な行動に、ぽかんとしていた。
「……俺に情けをかけるつもりか?」
「違うよ。ヒトの厚意も素直に受け止められないの? めんどくさいなぁ」
リアはため息をついた。
「あなた達のやったことは間違ってるけど、あなた達の主張が間違ってるとは、私は思わない。だからこれからは、やり方を変えてみない? きっとあると思うんだ。みんなが納得できる答えが」
リアはそう言って笑った。
「だから、これは和解の印。力になれることがあるなら、私も協力するからさ。これでも一応、有名人だしね」
レッド隊長は、じっとリアを睨んでいた。
しかしやがて、彼は小さく笑った。
「まったく。ヒーローというのは馬鹿しかいないんだな」
「え?」
「以前、我々に同じことを言いに来た奴がいた。馬鹿な奴だと一蹴したが、結局現王は、奴の言うことに従い、ランス闘争が終わるまで地上を放置していた。……もしも奴が勝利していれば、今回のことも、もう少し違う形になっていたかもしれんな」
「今からでも遅くないよ。遅いことなんて、何もない」
レッド隊長はしばらく俯いていたが、ゆっくりとリアの手を掴んだ。
オレがリアを拾った時、どこまで深く考えていたのかは、正直自分でもよく分からない。
ただの感傷だったのかもしれないし、贖罪だったのかもしれない。
けれどオレは、先程まで戦っていた二人が手を交わすところを見て、自分の役目を察した気がした。
◇◇◇
その後、地底人はしばらく地上から手を引くことと、今後テロ活動は控えることを公言した。
律儀なことに、自分達がやろうとしたテロ計画も公表し、それが一人のヒーローによって阻止されたことも告げて。
『ご覧ください。富士山が噴火すれば消滅していたと言われている町の周辺住民が集まり、シャドウに感謝を表明するイベントが行われております』
生中継で映し出されているのは、富士の山麓(さんろく)にある広場だった。
大勢の人間が集まり、プラカードに思い思いの言葉を綴っている。
『シャドウ、ありがとう』『今の世の中にはヒーローが必要だ!』『現政権は悪。本当の正義はシャドウにある!』
この現象は、何も被害地域周辺だけではない。
ヒーロー支持率は一気に90%を超えたし、SNSには、完全に消えていたヒーローネームを表明する者が、次々と現れていた。
全員、シャドウに感化されたと明言していて、彼女をまるで神のように崇めている。
その中にはアカウントを消去される者も出始め、ネットでは政府による火消しが行われているのではという噂が、ようやく広まりつつあった。
一度この流れができてしまえば、もはや情報統制することは不可能だろう。
オレはその急過ぎる世間の流れに嫌な予感を覚えながらも、静観を貫いていた。
「……で、お前は何をしているんだ?」
オレは思わずそう言った。
今まで一度も台所に立ったことのないリアが、シンクの前で皿を洗っていたのだ。
「あ、細谷君。私もね。養われるだけじゃなくて、ちゃんと家事くらい手伝おうと思って。……偉い?」
ほめて欲しそうな目で、リアはオレを見つめている。
今までその発想に至らなかったことが疑問なのだが、彼女はそんなこと考えもしないようだ。
「というかお前、ちゃんと洗えるんだろうな。どれも高いんだから、傷一つつけるなよ」
「だいじょうぶだって~。これくらいできるよ~」
リアは笑いながら、ブラシで高級なガラス食器をごしごしと洗い始めた。
「馬鹿! ブラシなんかで洗うな! ……もういい、オレがやる」
オレがリアの手に触れる。
その瞬間、彼女は瞬時に手を離した。
ガシャアアン‼
当然の帰結で、皿は床に落下して砕け散った。
「ああああああ‼ 特注品がああああ‼」
オレの悲鳴が部屋の中に響き渡る。
リアはまるでホールドアップするかのように両手を上げ、顔を赤らめていた。
「どうしてくれるんだ‼ 何年も掛かってやっと手に入れたものなんだぞ‼」
「ほ、細谷君が急に触るからでしょ‼」
リアは慌てて部屋から出て行った。
「……こんな逆ギレってあるか?」
オレは粉々に粉砕した皿を見つめながら、ぼそりと呟いた。
◇◇◇
「シャドウが地底人を止めたようです」
総理大臣の執務室で、アゲハが机の前に立って言った。
その言葉に満足気な笑みを浮かべ、中曽根は椅子にもたれかかる。
「さすがはボスだ。彼に使えないハサミはないらしい」
「計画通りですね」
「ああ。これで我々も、一致団結してヒーロー狩りを始められる」
中曽根は感慨深く息をついた。
「ようやくここまで来れた。十五年という月日は、私には長過ぎたよ」
「ランス闘争は失敗だったと公に宣言することが、それほど難しいことなのですか? 私には分かりかねます」
「あの当時組織にいたランスなら、誰もが理解するさ。勝利の余韻に浸り考えることを放棄した者に、その勝利の危険性を訴えて、誰が聞く耳を持つというのだ。その辺りのことも、おそらくボスは計算していたに違いない。まったく、舌を巻くとはこのことだ」
アゲハは険のある顔を一切変えなかった。
「ランス闘争は失敗だった。あれが失敗に終わったのは、ヒーローという存在がいたからだ。ヒーローが消え、守る者もなくなった時、ようやく人間共は丸裸になる。そして嫌でも思い知るのだ。我々に服従する以外に、生きる術などないということをな」
中曽根は両の指をからめ、机に肘をついた。
「アゲハ。これを始めるということは、本格的にボスに反逆するということだ。覚悟はできているな?」
「当たり前です。私はこの日のために生きてきたんですから」
アゲハは拳を握りしめ、中曽根を睨みつけた。
「この手でボスを殺すために」
アゲハの絞り出すような声に、中曽根は小さく笑みを浮かべた。
「そうでなくてはな。だからこそ、君を唯一の同士として引き入れたのだ。同じ志を持つ者はいても、ボスに歯向かおうとする者はいない。個人的に、君とボスの因縁は非常に興味深いが──」
「それを黙っておくという条件で、協力するとお話したはずです」
「そうだったな」
中曽根は立ち上がった。
「それではやるとしようか。ヒーローの死で終わった闘争は、新たなヒーロー、日隠リアの死によって始まる。さぁ、第二次ランス闘争の始まりだ」
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