第7話


私の一撃で、レッド隊長はドアをぶち破って吹き飛んだ。

地面をごろごろと転がる彼を見ながら、そこでようやく失策だったことに気付いた。

わざわざレッド隊長と一対一の状況に持ち込んだのは、敵があまりにも多かったからだ。

しかし今、せっかく作った密室状態を、自分で壊してしまった。


袋叩きにされる。

そう覚悟したが、こちらになだれ込んでくる兵は一人もいなかった。

怪訝に思いながらも、こっそりと外に出ると、そこには誰もいなかった。

部下は退避させると言っていたが、この巨大な筒を操作するヒトは必要のはずだ。全員がいなくなるなんてことはないはずなのに。


レッド隊長が、むくりと起き上がった。

顔にかかった液体窒素も、既に気化してしまっている。

火傷の痕は見られるが、目もしっかり開いていて、思っていたほどのダメージは与えていないらしかった。


「効いたぞ。なかなかいい拳だ」


まだ倒れないのか。

私は思わず舌打ちした。


「今度はこっちの番だ‼」


レッド隊長が瞬時に詰め寄り、拳を振りかぶる。

それに合わせるように、私も拳を突き合せた。

骨と骨がぶつかり合うような鈍い音が、辺りに響く。


「ぐ……‼」


レッド隊長の口から、苦悶の声が漏れる。

明らかに、先程と比べてパワーダウンしている。

やっぱり私の一撃が効いているんだ。


「これで、肉弾戦はイーブンだね」

「……それはどうかな」


レッド隊長の身体が急激に熱を帯び始める。

突き合せていた拳から、ジュウと湯気が出た。


「つぅっ!」


私が思わず離れると、レッド隊長が倒れかかるような勢いで襲って来た。

私はコウモリになって背後に回り、彼の膝裏を蹴った。

ジュッ、と音がして、足先に痛みが走る。

構わず、私は膝を折るレッド隊長の顔面に、思い切り蹴りを打ち込んだ。

再び熱が私を襲い、顔を歪める。

レッド隊長の巨体が、ぐらりと揺れた。


確実に効いている。

けれどダメージを与える度に、あるいはそれ以上のダメージをこちらも負っている。

室内をサウナ状態にするほどの熱だ。強化細胞でもカバーしきれない。


「何をぼーっとしている⁉」


私は、はっとした。

レッド隊長がのしかかってきたのだ。

すぐにコウモリになるが、何匹か逃げ遅れた。

レッド隊長の体重に押しつぶされ、その熱い皮膚に焼き殺される。


「がはっ‼」


思わず元に戻り、血反吐を吐き出す。

まずい。内臓をやられた。


身体をコウモリにできるとはいえ、変化させた場所まで変えられるわけじゃない。

内蔵部分を変化させたコウモリを狙われれば、当然そこにダメージを受ける。


「お前もずいぶんと動きが鈍いぞ。その分だと、脱水症状も出ているのではないか?」


脱水症状……?

確かに頭痛は酷いし身体もふらつく。指先だってしびれてきた。

視界がかすみ、レッド隊長の姿もぼんやりとしか見えない。

幻覚症状まで出てきたのかもしれない。

レッド隊長の後ろに、いるはずのない人が見える。


「格上の敵を相手に、お前はよくやった。敵ながらあっぱれだ。しかし、ここまでだな。ヒーローなどといっても、一人では何もできん」


レッド隊長は、ゆっくりと私に腕を伸ばした。


「……ほんと、その通りだね」


迫って来るレッド隊長の両手から逃れるために、私はその手を掴み、押し合うような形になる。


「ぐうううぅ‼」


どっと冷や汗が流れるほどの熱さ。

アツアツの鉄板に手を当てているような感覚だ。


「こんな私を、勇気を出して助けようとしてくれた人がいる。ありがとうって言ってくれる人がいる。私に……一人にさせないって言ってくれた人がいる。だから‼」


熱を帯びた手を握りしめたらどうなるかなんて、子供でも知っている。

それでも私は、敢えて強く握りしめた。


「だから私は‼ ここで負けるわけには‼ いかないんだああああ‼」


ベキベキと、太く大きな手を握りつぶし、そのままレッド隊長を壁に叩きつけた。


「がっ‼」

「おおおおおおお‼」


手の拘束が解けた途端、私は無防備な腹に高速で拳を叩きつけた。

顎に蹴りを突き刺し、胸を蹴り、顔を滅茶苦茶に殴りまくる。


「これで‼ 終わり、だああああああ‼」


レッド隊長の頬に、回し蹴りがさく裂した。

レッド隊長の目がぐるんと回り、白目を向いてその場に倒れる。


肩で息をし、もはや痛みも感じない身体で、私は呆然とそれを見下ろしていた。


勝っ……た……?


それを頭で理解した時、どっと疲れが身体を襲い、その場に倒れ込んだ。

早く水分を補給しないといけないのに、もう一歩も動けない。

なんだか、呼吸をすることも難しくなってきた。

ふと、私の幻覚が視界に映る。

最後に、ちゃんと見たかったな。

幻覚じゃなくて、本物の細谷君の顔を──


ビチャビチャビチャ


「わぷぷっ! な、なに⁉」


突然顔に何かがかかり、驚いて思わず飛び起きる。


「何って、水に決まってるだろ。馬鹿かお前は?」


そこにいるヒトを見て、ぽかんとする。

頭がぼーっとして、考えがまとまらない。


「え……? 細谷君? 幻覚じゃなくて?」

「普段が夢うつつなお前にとって、幻覚ってのはよっぽどリアルなんだな」


細谷君は、私にペットボトルを渡した。


「一気に飲むなよ。気管に詰まると厄介だからな」

「う、うん……」


私はペットボトルに口をつけながら、ちらちらと細谷君を見つめていた。

どうして来たんだろう……というか、どうやって来たんだろう。

私が乗って来た掘削機が、ここに到着した最後の乗り物だったはずだけど。

細谷君もランスだから、何らかの能力を使ったのかな。


私は再び、細谷君を横目で盗み見た。


私が挫けそうな時。

どうしようもなくて諦めかけた時。

必ず、細谷君は私のそばに現れる。

一人にしないと言ってくれた、あの約束を守ってくれる。


ずいと、細谷君が顔を近づけた。

私は慌てて目をそらす。


「大丈夫か?」

「え? な、なにが?」

「手」


手……。

私はペットボトルを持つ、大やけどした手に注目した。


「あいたたた‼」


思わずペットボトルを手放すも、空中で細谷君がキャッチしてくれた。


「ったく。ほら、飲ませてやるから」

「う、うん……。ありがと」


私は素直に、あーんと口を開けた。

途端、再び顔面に水をかけられた。


「ぶはっ! な、なに⁉」

「フハハハ! ばーか。引っかかりやがって」


以前からいじめと言ってもよい扱いをされてきたが、こんな子供っぽいいたずらをされたのは初めてだ。

私が頬を膨らませていると、細谷君は笑いながら、私の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。


「よくやったな。お前はもう、正真正銘のヒーローだ」


どうしてだろう。

たったそれだけの言葉なのに、なんだか涙が出そうだった。

自分なりにがんばって、細谷君が、それをきちんと受け止めてくれたことが、私にはとても嬉しかった。

初めて、細谷君と対等になれた気がした。


「えへへへ」


今までの温かい気持ちとはまた違う高揚感を、私は感じていた。

これからもこんな瞬間があるのなら、ずっとがんばっていける。そう確信できるような。


ビー! ビー! ビー!


突然、奇妙な機械音が巨大な筒から聞こえてきた。


「何の音⁉」

「おおかた、何かあった時のために時間で作動するようになっていたんだろう。ふっ。お約束だな」

「言ってる場合⁉ とにかく、早く止めないと‼」


私達は筒の中に入った。

メインルームに行くと、中央にあるレバーが引かれていた。

細谷君が、近くにあったコンソールのキーボードを叩いている。


「ダメだな。正攻法では止められない」

「どどど、どうするの⁉ このままじゃ富士山が……‼」

「落ち着け。正攻法ではと言っただろ」


細谷君がメインモニターを見つめた。

そこにはデフォルメされた富士山と、私達がいる筒。そして迫って来るマグマが図示されていた。

細谷君は筒の上部で描かれた蓋のようなものを指さした。


「オレがこの筒の上に登って、無理やりマグマの噴射口を塞ぐ」

「……ええ⁉ どれだけ大きいと思ってるの⁉」

「もしかしたら、それで機械が緊急事態だと判断して、強制停止するかもしれない。もししなかったら……その時は全速力で逃げろ」


細谷君が行こうとする。

私は思わずその手を握った。


「ちょっと待ってよ! 私が全速力で逃げる状況って、細谷君はどうなるの⁉」

「……お前、生意気だな」

「は⁉」

「お前がオレ様の心配をするなんて100年早い。お前は自分のことだけ考えていればいいんだよ」


自分のことだけ……。


「で、でもそんなこと言ったって──」


ぷにと、細谷君が私の鼻を摘まんだ。

いつもの折檻じゃない。

まるで壊れ物に触れているかのような、すごく優しい触れ方だった。


「大丈夫だ。本当にお前が危なくなったら、オレ様が誰よりも早く、お前を助けに行ってやる」


何故か、心臓が高鳴った。

いつもは安心する細谷君の言葉が、どうしようもなく私をざわつかせる。

落ち着きなく気分が高揚し、心臓の脈動が止まらない。

とても恥ずかしくて、顔が燃えるように熱かった。


「何かあったら任せたぞ」


細谷君はそう言って、部屋を出て行った。

何故かそのことに、ほっとする自分がいる。

……とにかく今は落ち着こう。

落ち着いて、目の前の問題に向き合おう。


『所定の位置についた。今から閉じる』


何度か深呼吸をしていたら、細谷君の声がインカムから聞こえてきた。


すぐにモニター画面に変化が生じた。

噴射口が閉じていくような図が表示されたのだ。


「すご……。本当に閉めてるんだ」


ちゃんと聞いたことなかったけど、もしかしたらコードB。肉体強化の能力者なのかもしれない。


『少しだけ閉めることに成功した。どうだ。何か反応は?』

「ええと……」


私はモニターを見た。

未だマグマはこちらに迫っている。

『Absorption』という文字が点滅していた。


「ダメ。まだ止まってない。なんか、ええと……あ、あぶそー……なんとかって文字が点滅してる!」

『吸引、だな。……リア。そのレバーをオフに戻せるか?』

「や、やってみる!」


私は思い切りレバーを引こうとした。


「いたっ!」


しかしすぐに痛みで離してしまう。

両手が大やけどしているのだ。

そう簡単に力は出ない。


「ダメだよ。私じゃ無理」

『オレはこっちを閉めるので精一杯だ。お前がやるしかない』


やるしかないって言われても……。

自分の両手とレバーを、私は交互に見つめた。

モニターでは、マグマがすぐ近くまで迫っている。


『無理なら今すぐ逃げろ。そうすれば──』

「やる‼」


私は再び、両手でレバーを掴んだ。


「本当に危なくなったら、細谷君が助けてくれるんでしょ?」

『……ふっ。ああそうだな。その代わり向こう一週間、メイド服姿で奉仕してもらうが』

「やっぱり細谷君。メイド服好きなんじゃん」


馬鹿な話をしていたら元気がでた。

私は大きく息を吐いた。

かっと目を見開き、思い切りレバーを引っ張った。

ブシュッ、と手のひらから血が噴き出るも、私は一切力を緩めなかった。

モニターに映るマグマが、筒の中へと入ってくる。


『「止まれええええええええぇ‼」』


ガタンと、レバーが動いた。

その反動で、床をごろごろと転がる。

反転した状態で写るモニターには、『STOP』と書かれてあった。


私はほっと胸を撫で下ろした。


「……細谷君」

『なんだ?』


荒い息をしながら、細谷君が言った。


「ポテトチップスが食べたい」

『……家に帰ったらな』


いつものそっけない態度に、私は思わず微笑んだ。


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