第37話 正義の行い(経験値が欲しいだけ)

 自分の命を狙う強敵相手に、真っ先に逃げ出そうとした俺だったが。


「なっ、何自分だけ逃げようとしてるんですか!」


「ぐおっ!?」


 ミルに足を引っかけられて顔から転ばされた挙句、背中に乗られて動きを封じられた。


「昨日結界が破られた時も逃げようとしてましたけど……ユッキーの辞書にプライドの文字はないんですか?」 


「そ、そうだよ! ここは逃げずに立ち向かって悪をやっつけるところじゃないのかな!」


 俺の上に乗ったまま冷めた目で見下ろしてくるミルと、勇者のパーティに入ることを志望するだけあって正義感を燃やすリナリア。


「だって、あいつの狙いは俺なんだろ? だったら、とりあえず俺が逃げたら二人の安全は確保される……つまりそういうことだ」


「なんか私たちを守るためだったみたいな大嘘吐こうとしてますけど、絶対自己保身のためでしたよね。走り出した時のユッキーの情けなさは、怯えて逃げ惑う子鹿のようでしたよ」


 のしかかられたままという情けない体勢から決め顔を作る俺だったが、ミルは薄ら笑いで返してきた。


「何がしたいのかサッパリなんだけど……とりあえずそこの男が目当てのSランク冒険者ってことは把握したわ」


 サキュバスはそんな俺たちを怪訝そうに眺めながら言った。


「……あ、バレた」


「自分で『あいつの狙いは俺なんだろ?』とか言ってたらバレて当然ですよアホですか、アホでしたね」


 ごもっともな指摘と理不尽な罵倒を、ミルは浴びせてくる。


「と、とにかくバレた以上はいよいよ命の危機だ、早くそこをどけ!」


「おや、逃げてもいいんですか? ……もったいない、せっかくのチャンスなのに」


 じたばたと暴れて逃れようとする俺に対し、意味ありげに笑うミル。

 ……そんな言い方をされると、なんか気になる。


「チャンス……ってなんだよ」


「いいですか、相手は高レベルの悪魔です。つまり……倒せば大量の経験値が得られます」


 囁きかけてくるミルに、俺は納得する。

 ……なるほど。

 確かにそれはその通り。非常に魅力的な話だけど。


「そもそも、倒すのが無理だから逃げたいって話なんだが……あえて言うからには、何か策があるんだろうな?」 


「もちろんです。いいですか……」


 小声で応じた俺に、ミルはサキュバスの方を一度ちらりと見てから、策を耳打ちしてきた。

 そして、その全容を聞いた俺は。


「なるほど! 完璧だなそれ!」


 すっかり乗せられていた。

 天使のくせに、なんか悪魔みたいなゲスいこと吹き込まれて唆されているような気がするが、それは気がするだけ。気のせいなのだ。


「ではさっそく、実践と行きましょうか」


 満足そうに笑みを浮かべながら、ミルは俺の上から退いた。

 さあ、作戦開始だ。

 俺は立ち上がると、意気揚々とサキュバスの方へ歩いていき。


「えーっと……あんたの目的はロンドラルに突如現れたSランク冒険者……つまり俺ってことでいいんだよな? それで、あわよくば俺を味方に引き込みたいと」


「……? まあ、そうだけど」


 さっきまで散々ビビっていた俺が、急に態度を変えて馴れ馴れしく話しかけてきたからか、サキュバスは怪訝そうにしている。


「いやー、それは良かった! 嬉しい話だなあ、ぜひお近づきになりたい!」 


「あ……?」


 いきなりテンションを上げた俺を前に、困惑気味のサキュバス。


「ええ!? どうしようミルっち、ユッキーが魔王の配下に……!」


「んー、まあいいんじゃないですかね?」


 後ろからは、驚くリナリアと、どうでもよさそうに答えるミルの声が聞こえてきたが、構わず続ける。


「ほら、あんたってめちゃくちゃ美人だからさ! 男なら、一緒に戦いたいと思うのが当然だろ!?」


「び、美人って……でもウチ、年増だし……いいのか?」


 動揺と嬉しさ、不安と期待が入り混じったような、サキュバスの声。

 ……サキュバスのくせに、男慣れしていないんだろうか。

 いや、恐らく違う。

 単に、ミルから年増だの行き遅れだの言われたことを気にしているんだろう。

 ならば、ここで俺がかけるべき言葉は。


「年増なんてとんでもない! 大人の魅力があって素敵だと思うなあ!」


「そ、そうか……」


 ははは、と人当たりの良い(つもり)の笑みを浮かべつつハイテンションで褒めちぎる俺と、満更でもなさそうなサキュバス。

 悪魔と言えど、コンプレックスを肯定されたら嬉しいのは人間と同じのようだ。


「じゃあそういうことで、よろしく!」


 俺は自称人当たりの良い笑みを張り付かせたまま、サキュバスに向けて手を差し出し、握手を求める。

 穏やかに笑うサキュバスは求めに応じ、俺と握手を交わすと。


「あ、ああ、よろしくたの……」


「もらったああああ!」


「……むわぎゃ!?」


 なんか挨拶をし始めたので、完全に油断していると判断した俺は、握り交わしていたサキュバスの手をもう片方の手でも掴むと、壁に向かって全力で投げ飛ばした。 


 レベル300のパワーによる遠投。

 サキュバスはまるで投げられるために存在するボールのように高速で吹っ飛んでいき、勢いそのまま広間の側壁に激突。

 爆発でも起きたかのような轟音を立てながら壁が一部崩壊し、その瓦礫と粉塵に埋もれて、サキュバスの姿は見えなくなった。 


 ……まあ、多分死んだだろう。

 あのスピードで壁に激突したら、普通はバラバラ死体が出来上がる。

 油断していたし、防御する暇もなかったはずだ。


「にしても、ミルが言った通りの展開になったな……」


 俺はミルの『行き遅れっぽいし、ユッキーが目当てみたいだし、適当に口説いてその気にさせたところで騙し討ちすればあっさり勝てますよ』との言葉に従い、作戦を実行した。

 なんかもう完全にクズのやり口な気がするが、相手は悪魔。

 悪逆の限りを尽くす魔王の配下なのだから、これは正義の行い(とミルは言っていた)。

 そう。決して、経験値が欲しかったから手段を選ばなかったとかではない。

 ……ああそうだ、一番重要なことを忘れるところだった。


「なあリナリア、今ので何レベルくらい上がったんだ?」


 俺はミルとリナリアの方へと向かいながら、尋ねる。

 リナリアはステータスウィンドウを開きながら。


「えっと、今確認するね」


「高レベルの悪魔を倒したんだ、きっと一気に……」


「一レベルも上がってない……と言うか、そもそも経験値が増えてないような……」


 開いたウィンドウを前に、表情を曇らせるリナリア。

 その言葉の、意味するところは。


 ――低い、地鳴りのような音が、広間に響いた。


 直後、自身を覆っていた筈の、瓦礫の山と粉塵を跡形もなくかき消して。

 魔王の幹部……四天王である悪魔は、その表情を憤怒に染めて、再び姿を現した。

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