第38話 本気を出す悪魔と嫉妬する天使


「ウチを騙すとか、よくも……覚悟できてるんでしょうね……!」


 俺に騙されて激怒するサキュバスは、ゆっくりとした足取りでこちらへ向かってくる。

 足取りが覚束ないことから、一応ダメージを受けているようではあるが……まだまだ戦えそうだし、その場合俺は高確率で殺されるだろう。

 だというのに。


「うわっ、あの女ちょっと耳障りのいい言葉で口説かれただけなのに、三十路過ぎて長年付き合ってきた彼氏に捨てられたみたいな怒り方してますよ……ぷぷ」


 ミルはわざとらしい笑い声を出しながら、引き続き全力でサキュバスを煽っていた。

 対するサキュバスは、怒りで身を震わせながら。


「クソ天使の分際で……お前もまとめて殺してやる! 天使が下界で戦闘行為を禁じられてるのは知ってるから……泣き叫んで謝ったって許さない、頭が壊れるまで一方的に痛めつけて、モンスターどもに嬲らせながら殺す!」


「いやあ、重い重い。そもそもユッキーがあなたみたいな年増の悪魔を相手にするわけないじゃないですか。何せ、ユッキーは美少女天使であるこの私にベタ惚れなんですからね」


 激昂して呪詛を吐くサキュバスだが、ミルはまったく意に介していないようだ。どや顔を浮かべて、更に煽っている。

 ……勝手にベタ惚れしてることにされているのは、腑に落ちないけど。

 一方のサキュバスは、俺たちから数メートル距離を置いた場所で足を止めると、俯きながら静かに言葉を発した。


「……ウチを相手にするわけがない? お前はこのウチが、どういう悪魔か忘れたの?」


 静かだがはっきりと力を感じさせる挑発的な声に合わせて、サキュバスは顔を持ち上げると。


「ウチはサキュバス! 虜にできない男なんて、いない!」


 高らかに宣言しながら、真っすぐと俺の瞳を見つめてきた。

 視線が交錯すると同時、サキュバスの目に、赤く妖しい光が灯り――。

 次の瞬間、俺の中に、ある一つの感情が芽生えた。


「……そう言えばありましたねそんなビッチ芸」


 小さく驚き、歯がゆそうな顔をするミルの横で。

 俺は、という、唐突ではあるが不思議と心地よい想いに駆られていた。


「これが噂の魅了術ですか……下品極まりないですね……!」


「ミルっち、魅了術って何?」


「サキュバスが使える少々特殊なスキルで……視線を合わせた男性を自分に惚れさせ、隷属させることができます」


 リナリアの問いにミルが答えているが。

 最早、他の女のことなんてどうでもいい。

 俺は傍らのモブ女たちは放置して、サキュバス様のもとへと向かっていき、その眼前で跪いた。 


「ああ……サキュバス様、お美しい……なんでも命令してください」


「ふふふ……どうだ。誰に惚れているかなんて関係ない。ウチに見つめられたら、どんな男だって言いなりになる」


 そう言うサキュバス様の声には、喜悦の色が表れている。


「お前、ユッキーとか言ったか。特別に、ウチの靴の裏を舐める許可をやろう。嬉しいだろう?」


「はい! 喜んで!」


 つま先だけ持ち上げられたサキュバス様の足に、俺は素早く顔を近づけ、舐め回す。

 傍から見たら異常と思われるかもしれないが、そんなことは些細な問題だ。 

 こうしてサキュバス様の求めに応えることこそが、今の俺にとって至上の喜びなのだから。


「ははは、無様ね! ウチを騙し討ちした男も、今や間抜けな犬だ!」


 俺の奉仕の甲斐あってか、サキュバス様はとても嬉しそうだ。

 高らかに笑いながら、靴を舐める俺の顔を踏みつけてきた。

 これすらも、俺にとっては身に余るご褒美。

 この位置からだとちょうど、太もも丸出しミニスカートの中身もよく見えるし。


 ……なるほど、服と同じ黒か。

 どうやらサキュバス様の好きな色は黒らしい。

 小さなことでも、サキュバス様に関する情報ならなんでも知りたいのが今の俺。


「ありがとうございます!」


「ぐぬぬ……! そういうのはいつか私がやろうと思っていたのに……ぽっと出のアバズレに先を越されるとは……!」 


 俺が踏みつけられながら、最大限の感謝を伝える一方。

 屈辱に満ちた声で、ミルが当たり前のように恐ろしいことを言っていた。


「ふふ、これがウチとお前の、女としての格の違いってこと」


「コスい真似しといて何が女の格ですか! 正攻法なら私の圧勝に決まってます!」


「負け犬の遠吠えを聞くのも良い気分だけど……そろそろ耳障りね」


 それまで愉悦に浸っていたサキュバス様の声が、鋭く冷たいものに変わった。

 俺の顔面から、サキュバス様の足が退けられる。


「よし、お前。そろそろあの天使をボコボコにしてきて。どうせ抵抗できないし、溜まってるモノを全部あいつに吐き出して、辱めちゃって。殺さなければ何でもしていいから」


 サキュバス様から命令を受けた俺は立ち上がり、振り返ってミルの方を見た。

 ……あの、見てくれだけは理想的な美少女であるミル相手に、何をしてもいい。

 サキュバス様はなんて寛大なお方だ……じゃなくて。

 今の俺にとってサキュバス様こそが至高の存在なのに、他の女に手を出すとかありなんだろうか。

 いや、それ以前に。サキュバス様がいながら、他に(性格は抜きにして)理想的だと思う相手がいるのは矛盾しているような。


「……あれ」


 俺は命令通りにミルに襲い掛かろうと一歩踏み出しながら、ふと考える。

 そもそも、どうして俺の頭の中にはサキュバス様=至高の存在という図式が、当たり前の常識であるかのように刷り込まれているんだろうか。

 ……何かが、おかしいような。


「ええい! 悪魔にユッキーを寝取られた挙句無抵抗に襲われるくらいなら、諸共に葬り去ってやります!」


 二歩、三歩と歩みを進める俺の心に、小さな迷いが生まれる中。

 標的であるミルが、吹っ切れたように叫びながら肩を怒らせた。

 そして、躊躇いがちに近づいていた俺に対し、一瞬で間合いを詰めてきて。


「さあ、悪魔ごと死んでくださいユッキー! 恨むなら精々、他の女に踏まれて快感を覚える体になってしまった自分を恨むことですね!」


「ちょ、待て……!」


 レベル9999の身体能力で、俺の胴体目がけて容赦のないコークスクリューを打ち込んできた。

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